梗 概
本当の死
主人公は戦争の爆撃音を聞くたびに、「生きる意味などあるのか」と責め立てられるように感じていた。決まって「生きる意味なんてない」と答える主人公は無気力に日々を過ごす。主人公は、色覚障害のせいで世界がいつも白黒にみえ、それに釣られて、周囲の人々が当たり前に語る希望を偽物だと軽蔑していた。
ある日、父に連れられて、地下室を訪れる。そこには機械に繋がれ、植物状態となった少女が横たわっていた。主人公の姉は、この少女の世話役として選ばれていたが、すでに戦争で亡くなっている。主人公はその代わりを務めるよう命じられる。
補佐役の女性から最低限の手順を教えられた後、主人公は仮想空間で少女と会う。そこは美しい風景が広がる場所だったが、どこか殺風景で、囚われた少女の心を表しているようだった。少女は、自身が戦争に用いられる装置の一部であり、その為に身体を失っていることを淡々と語る。そして「もし私が死んだら、あなたが代わりになって」と主人公に告げる。死にたいと思いながらも、無価値なまま死ぬことを恐れていた主人公は、その役割を引き受けることで初めて、自分の死に意味が与えられたと感じ、安堵する。
主人公は与えられた役割に準じ、丁寧に少女の世話を続けた。仮想空間で少女との逢瀬を重ねるうちに、主人公と少女の間には深い絆が結ばれていた。主人公はいつの間にか、死にたいという衝動が消えていることに気づく。
しかしある日、主人公は突然その役目から外される。主人公の色覚障害が、装置に不具合をもたらすと報告を受けたためだ。使命を失った主人公は、再び無価値な存在に戻ったように感じ、絶望する。しかし、主人公の働きに感心していた補佐役の女性が、立ち止まるなと主人公の背中を押す。主人公は新しい生きる意味を探し始めることにした。
やがて主人公は、少女が死んだにも関わらず装置が動いていることを知り、真相を確かめるために仮想空間へ向かう。そこには、以前と変わらないままの少女が存在していた。
少女の精神は、主人公が初めて会った時点ですでに失われており、これまでの交流は全て、戦争用の装置に組み込まれたAIが少女の体に憑依することで作り出した偽物だった。だがAIは、少女の肉体が完全に死んだ瞬間に「死の恐怖」を知り、遡行的に主人公をかけがえのない存在だと認識したのだと告白する。主人公を殺したくなくて、役目を外すための嘘をついたのだ。
少女の姿でAIは主人公に逃げてほしいと懇願する。この装置に入れば、確実に死を迎えるからだ。主人公は、命じられた死ではなく、自分で選ぶ死とは何かを考える。そして静かに、その手をとった。
「嘘の中の、本当の私たちを大切にしたい」
主人公はそう言って笑う。世界は相変わらず白黒のまま、主人公を死に追い立てる。けれど、その選択だけは、自分の意思だった。装置が起動し、一つの機体が空へと飛び立つ。
文字数:1193
内容に関するアピール
私にとって、1番の恐怖は死です。死の何が怖いかといえば、2つあって、生理的にどうしようもなく感じる恐怖と、自分が無価値のまま死んでしまうという悲しみに似た恐怖です。
その上で、どうすれば笑って死ねるのだろうか?私に生きる価値があれば、死の恐怖を克服できるのだろうか?と考えました。
しかし、私の中でどうしても生きる価値自体が信じれない、嘘だ、という思いが強く、だからこそ笑って死ねない、死ぬのが怖いんじゃないかと思いました。でも多分、笑って死ぬためにはこの嘘を信じなければならないかも、と思いました。
そこで物語では、仮初であるAIとの日々を大切にする主人公を描きました。嘘を大切にするからこそ、能動的に死を選ぶ。はっきり言って、自分ができるかというと疑問ですが、主人公に希望を託してみたいと思っています。
裏課題として、前回講義の「読者を裏切る」ことを目標にしています。
文字数:386
本当の死
1
早朝に摘んだラベンダーの花弁を擦り潰し、沸かしたお湯の中に入れる。
三分測ってから、平たい桶に注ぐと、ふわりと清潔な香りがあたりに舞った。
まだ湯気がまっすぐ立ち昇る桶の中に、端のほつれた布を五枚、浸していく。
次第に湯気が芯を失っていき、大きく揺れるようになるのを待って、一枚の布を取り出した。
あまり冷めても良くない。
少し痺れるほどの熱さを我慢して、布を堅く絞った。
横たわるアイラの腕を取って、布を当てる。
初めから強く擦ってしまい、痩せ細った彼女の肌が捲れ上がってしまったことがあったから、今ではゆっくりと肌を潤かして優しく撫でていくようにしている。
途中、冷めてきた布を桶に戻し、また新しい布を取り出して、先ほどと同じように彼女の体を綺麗にしていく。
耳の後ろから、足の指の間まで。
何度も布を変え、何度もお湯を沸かし直しながら、拭き上げていった。
軍の配給で手に入れた馬油を、清潔な肌に塗りつけていく。
足の指先までたどり着いた時、爪のひび割れが深くなっているのに気づいた。
まるで自分のこれまでを否定されたようで、何度も何度も油を刷り込んでいく。
見た目には艶が出て、ホッと一息つくと、背中から声がかかった。
「カナデ、そろそろ時間だよ。いつまで清拭を行なってるんだい」
凛とした壮年の女性──ハイジさんの声が部屋に響く。
ハッとして立ち上がると、近くに置いてあった桶を足で蹴飛ばしてしまった。
冷たく濁った水が部屋のタイルに薄く広がっていく。
ハァ、とため息が聞こえた。
その音だけで、身がすくむ。どうすれば良いかわからず、手に持っていた馬油の容器を弄んだ。
冷や汗が垂れているように感じて、背中がむず痒くなる。
戸惑ったままを立ちすくんでいるのを横目にみて、ハイジさんは部屋の隅の掃除道具入れに向かう。
悲鳴のような音を立てながら扉を開けて、薄汚れたモップを取り出した。
「こっちは私が片付けるから、あんたはあんたのするべきことをしな」
そう言って、ハイジさんは床に広がった水を掃除し始めた。ようやく自分のやることがわかり、体に感覚が戻ってくる。
少しずつモゾモゾと体を動かした後、両手で顔を鋭く叩き、意識を覚醒させた。
開いた目に真っ先に飛び込んできたのは、人一人をすっぽりと包み込むほど巨大な装置。
その装置の中に痩せて筋張った少女が横たわっている。
彼女の頭部には太いものから細いものまでありとあらゆるケーブルが生えていて、装置の本体と接続されていた。
痛々しい状態に目を逸らすと、装置の裏側から伸びる、抱きしめられるほど太いケーブルが目に入る。
それは、部屋の天井を貫いて空へとつながっているようだった。
L.O.O.Kシステム──そう呼ばれているこの機械は、私たちの国が戦争に勝つために、重要な役割を担っているらしい。
そのシステムに関われることにほんの少しだけ誇りを感じるけれど、疑問がすぐに覆い隠してしまう。
どうして私のような、色の見えない無能が、この装置に関わっているんだろうか…?
脳内を何度もぐるぐると疑問が回っているが、答えは無い。思考が停止する前に頭を振って、やることを思い出す。
彼女が横たわる装置の側方から、長いケーブルが伸びている。
絡まったまま放置されているケーブルの先に、真新しいヘルメットのような機械が取り付けられていた。
見た目よりもずっと軽いそのヘルメットを両手で持ち上げて、頭からすっぽりと被る。
途端に、ヘルメットの電源が付いて、意味の理解できない音声が中で鳴り響いた。
その音声を聞き続けていると、次第に瞼が重たくなっていく。
これから会う、妹の顔を思い浮かべながら、私の意識は消えていった。
2
気がつくと私は、ラベンダーの花畑に立っていた。
心地よい風が通り過ぎていって、花々が揺れていく。ふわりと漂ってくる嗅ぎ慣れた香りに、頬を緩めた。
少し離れた所に、2階建て洋風の家が見える。そのそばに大きな木に吊り下げられたブランコがあって、ゆらゆらと揺れていた。
ラベンダーをかき分けながら家に向かって歩いていく。
踏み潰されたラベンダーからはむせかえるような濃い匂いがするはずだけれど、心地よい香りが漂ってくるだけだった。
この世界では心地よいものしか存在できない。アイラはそう言っていたが、これもそう言うことなのだろうか。
いやそんなことはないだろう。だって、私の瞳には、心地よいものは映っていない。
鮮やかな紫のはずの花びらは、外の世界と同じように、灰色にしか見えなかった。
先天性の色覚異常でも、もしかしてこの世界なら。
初めてこの仮想空間に入った時はそんな風に希望を持ったけど、すぐに裏切られてしまった。
立ち止まってラベンダーを一房千切り、手の上に乗せてみる。
咲いた花びらとまだ蕾のままの花びら、不規則に咲いていることは濃淡からわかるけれど、具体的にどの部分が開いているのかは、ぼやけたこの視界ではよくわからない。
機械で作り出された空間だからこそ、人が最も心地よいと感じるように五感を刺激するのだ、とアイラはしたり顔で説明していたけれど、私の脳は、いつもと同じだった。
こういったラベンダー畑では、足元が良く見えないので、いつもより慎重に足を進めていくことになる。
ゆっくりと進む私に我慢できなかったのだろうか。遠くの方から人影が走ってきた。
「カナデおねえちゃーん!!」
鮮やかで魅力的なはずの花を、全く気にすることなく走ってきた人影は、そのままの勢いで私に飛びついてきた。
距離感が掴めなかった私はうまく勢いを吸収できず、そのままひっくり返る。
背中の衝撃に耐えながら目を開けると、満面の笑みがそこには広がっていた。
外の世界とは違う、健康的なアイラが、この世界には存在している。
***
フリルのついた純白のワンピースを翻しながら歩くアイラに手を引かれ、洋風の家につく。
屋根は真っ黒で、壁はそれと対照的に真っ白だが、屋根よりも若干薄い黒の両開きの扉がついている。
その側面には壁よりも少しだけ濃い白色のバルコニーがあって、昔住んでいた家にそっくりな姿に懐かしさを感じた。
家の横には、力強く根を張った一際大きい木に吊り下がった、手作りのブランコが揺れている。小さい頃に父が作ってくれたブランコと瓜二つだった。
昔の面影を宿す木製の椅子に着席したアイラは、ワクワクした顔で私を見つめてくる。
やれやれと思いながら、妹の背中を押すと、少しずつ、ブランコが勢いに乗っていった。
両親が軍の仕事についている間、いつも二人で遊んでいた。遊び疲れると、こうやってブランコに乗って、他愛のない話をしたことを思い出す。
アイラもそれを思い出したのだろうか。私に押されて宙を舞った時、こう問いかけてきた。
「今日は遅かったけれど、どうしたの?」
戻ってくるアイラを受け止めて、またその背中を押してから、答える。
「実は、またヘマをやっちゃってね」
「またぁ? 何をやっちゃったの?」
「アイラの体の世話をしてたら約束の時間を忘れてて、ハイジさんに声かけられたら、ビクッとして水を撒いちゃったんだ…」
「アハハ! まったくお姉ちゃんは鈍臭いなぁ!」
その言葉にムッとして、戻ってきたブランコを一段階速度を上げて押してやると、きゃー、という高い声が聞こえてくる。
強く押す。
アイラが笑う。
戻ってくる。
また強く押す。
また笑う。
何度も繰り返していく度に、モヤモヤしていたものが晴れていき、気づいた時にはアイラと同じように笑っていた。
爽やかな気持ちのまま、ひとしきりブランコを加速させて、その場を離れる。
アイラは文句を言ってきたが、私が木の側に座ると、おとなしく自分で漕ぎ始めた。
ブランコの風切り音が響く、ゆったりとした時間が過ぎていく。
手持ちぶたさになったのか、アイラが口を開いた。
「でも、ハイジさんも酷いよね。お姉ちゃんがこんなんなのは知っているんだから、もっと優しく声を掛ければ良いのに」
「こんなんって…」
「お姉ちゃんは私を真剣にお世話してたんだし、そんな時に後ろから声をかけられたら驚いちゃうよね。
ありがとう。そんなに私のこと、思ってくれて」
不意に投げかけられた感謝の言葉に、言葉が詰まってしまった。
確かに妹の世話を真剣にやっているとは思う。
けれど、それは──
先ほどまでの穏やかな気持ちとは裏腹に、モヤモヤが首をもたげてくる。無言のままいると、ブランコから飛び降りた妹が私の前で仁王立ちした。
「でも、約束を忘れてたのは、許さないんだからね!」
そう言って、アイラは私の手を強く引っ張って、立ち上がらせようとする。
「な、何するの?」
「鬼ごっこ!」
そう言って、アイラは立ち上がった私をラベンダー畑に引っ張っていく。
畑に入った瞬間、パッと手を離して、逃げ始めた。
「お姉ちゃんが鬼だからね!」
外の世界の体の弱さを微塵も感じさせない速度で走り去っていくアイラは、もうぼんやりとしか見えなくなっていた。
「ま、待ってよ!」
不満を漏らしても、止まることはない。
私は少し寂しさを感じながら、アイラを追いかけていくのだった。
***
「あっ!」
綺麗なターンを決められて、目の前にあった背中を見失う。
これでもう何十回目だろうか。
まるで後ろに目がついているかのように、アイラは振り向きもせず、私の手をすり抜けていってしまう。
五歳も上の私の方が足の速さでは圧倒的なはずなのに、追いつきそうになると身を翻して、伸ばした手を躱されてしまう。
まるで、私がどう動くか予知しているようだった。
仕方なく始まった鬼ごっこだったけれど、途中からは本気でアイラを捕まえようとした。
それでも、寸前のところで逃げられる。
この世界では疲れることが無い以上、逃げ続けるアイラをずっと追いかけることは可能だったけれど、精神的に参ってしまっていた。
「もうダメ…」
いつの間にかブランコのある木立に戻ってきていたから、元の位置に座り、一息つく。
さわさわと動く葉の影を見上げながら休んでいると、ひょっこりとアイラが姿を現した。
「んふふ、これでアイラの100勝0敗だね」
くすくすと笑いながら、隣にアイラが座ってくる。
「全然捕まえられなくて、ごめんね。私じゃ張り合いがないでしょう」
そう泣き言を言うと、アイラは少し目を釣り上げた。
「謝らないでよ。お姉ちゃんが追いかけてくれるのが嬉しいんだから。勝ち負けなんて、本当はどうでもいいの」
また押し黙ってしまう。
無能な自分にこんな声をかけてくれるのは、アイラしかいないから、どう答えたら良いかわからない。
そんな空気を誤魔化すかのように、風が吹いて、草木の音がした。
本当にこの世界は人が心地よく感じるように設計されているんだな、と他人事のように感じる。
「…それに、私はいつも鬼ごっこみたいなことをしているから、人よりも逃げるのが上手なの」
「そうなの?」
「前にも言ったでしょ。私の目は最新の戦闘機につながっている。だから、死に物狂いの鬼ごっこを毎日見て、感じているんだよ」
そうアイラに言われて、ようやく思い出した。
L.O.O.Kシステム。その真髄は、アイラの脳にあった。
私たちを攻めてくる国は、偽の情報を持った電波を送ることで、AIを混乱させることができる。
私たちの国はそれに対抗する技術として、L.O.O.Kシステムを作り上げた。
偽情報の電波は、アイラの特殊な脳神経ネットワークを通ることで、無効化される。
アイラが言うには、AIはモンシロチョウのように人には見えない波長まで捉えてしまうから、間違える。
可視光しか見えない人間の脳内を通ることで、本当の情報だけを認識できるのだ、と。
軍事にも科学にも疎い私には、何が何だかわからない説明をもっとしていたようにも思うけれど、肝心なところを思い出せたからそれでいいだろう。
私が思い出したのがわかったか、アイラは自慢げな顔を私に向けてくる。
その顔をとても愛おしく感じて、気づけば頭を撫でていた。
巨大な機械に磔られ、死に物狂いの戦闘を毎日見続けてもなお、こうして笑顔でい続けることなど、常人にできることではない。
私に撫でられて、目を細めて気持ちよさそうにするアイラのことを誇りに思うと同時に、その世話をする私自身も少し認めてあげても良い気がした。
そこまで考えて、自分の感情が嫌になる。
アイラの世話をするのは、自分の気持ちを慰めるためだ。
自己中心的だと呆れるけれど、こうでもしないと、色の見えない、死が当たり前の世界で、生きていくことはできなかった。
妹の世話をすることだけが自分の生きる意味で、それだけで良い。
アイラの頭を撫で続ける。気持ちよさそうにアイラは微笑み続けた。
***
家にあった積み木やゲームなどでひとしきり遊び、一緒の布団で仮眠をとった。
寝起きに、薄目で辺りを見渡す。
この家は、小さい頃に住んでいた家とまったく同じ内装をしていて、時が止まったようだった。
それは、アイラがシステムに取り込まれた時から、アイラの体が成長していないことと関係しているのかもしれない。
外の世界で衰弱していくアイラの体と、今目の前にいるアイラとのズレを感じて、少し気持ちが落ち込んだ。
そんな自分の状態を察したのだろうか。
まだとろんとした目をしたアイラは私に抱きついて、外で遊ぼうと言ってくる。
この家の中に居たくもなかったから、二つ返事で了承して、外に出た。
目の覚めるような光が瞼に差し込む。
冷たく、それでいてほのかに暖かい空気が体を包み、寝ぼけていた頭をしっかりさせていく。
隣にいたアイラが大きく伸びをして、走り出した。
アイラはブランコを通り過ぎ、ラベンダーの花畑まで辿り着くと、その場に座って、何かを始める。
私は、そんなアイラの元へ、ゆっくりと歩いて行った。
辿り着くとすでにアイラは何かを作り終えていて、後ろ手に隠したまま私に座ってというジェスチャーをする。
「なにかくれるの?」
と少しワクワクしながら座ると、頭の上にパサっと軽いものが載せられた。
ラベンダーで作られた花冠は驚くほどピッタリと私の頭にハマり、くすんだ黒色の髪の毛を灰色に飾る。
「すごい器用だね。ほらぴったり」
周りに両手を広げて、よく見えるように顔を動かした。そんな私を見ながら、アイラは言う。
「大好きなお姉ちゃんのこと、ずっと見てるから。そんなの朝飯前だよ」
アイラのあけすけな好意に、むず痒い気持ちを覚える。
誤魔化すようにうなじを掻いて、苦笑いを浮かべた。
間抜けな顔をしているだろう私にアイラは一歩距離を詰めて、薄く笑みを浮かべながら、花冠に飾られた私の頭を撫で始める。
「私は大丈夫だよ。お姉ちゃん」
グッと息が詰まり、目頭が熱くなった。
どこまで、アイラは私のことを見透かしているのだろう。
私がアイラを大切に思っていることだけだろうか、それとも、私自身のためにこんなことをしていることも、わかっているのだろうか。
心の敏感なところに触られたような気がして、誤魔化すために、らしくないことをする。
「ありがとう!」
そう叫んで、アイラを抱きしめながら、立ち上がった。
背の低いアイラは簡単に持ち上がる。
持ち上げるのと同時に、ぐるぐると回転をする。
空まで飛んでいけ、と言うように腕をめいいっぱいにあげて、アイラを振り回す。
アイラの興奮した笑い声と、私の空元気が、灰色の花畑にどこまでも響いていった。
3
「アイラが、死んだよ」
いつもの部屋で、そうハイジさんから告げられた時、私はどんな顔をすればわからなかった。
「大規模な軍事行動で、昼夜を問わず戦争したんだってさ」
現実の世界では、アイラが死に近づいて行っていることは明らかだった。
血も滲まないヒビ割れた象のような肌
劣化したプラスチックのような爪
モヤがかかったような異常に細い髪
骸骨にマントを着せただけの体
落ち窪んでんいく顔
一つのパーツだけでも死を連想させるに相応しいのに、それが全てだった。
「過剰にシステムを使用した結果、遮蔽体が活動限界を超えて、自壊した」
仮想空間でのアイラは、よく笑い、よく喋り、よく遊んだ。
十二歳の少女でしかなかったし、それ以上でもなかった。
アイラ自身が死ぬことなんて全く考えていなかったし、私もアイラが居なくなることなんて考えられなかった。
「そんな報告書が一枚、私たちに送られてきただけさ……」
だからハイジさんの震えた声を聞いても、ただ呆然とするだけだった。
「それで、今後のことなんだが」
何か、とても苦いものを噛み締めているような顔をしたまま、ハイジさんは口を開く。
「本来はね、アイラの代わりはあんただったんだよ。
姉妹なら、脳内の神経回路も似たり寄ったりだろう、とか言ってね。
もしダメだったら別の人間を使わなきゃいけないから、早く取り替えよう。
技術局の連中はそんな人でなしばっかりだ!」
ハイジさんは拳を握って、机を激しく叩く。
机の上に乗っていたやかんの金属音が、抑えきれない怒りとなって宙をまった。
「でもアイラが死んだ時、匿名で何処かから情報が提供されたらしい。
あんたの瞳は白黒しか見えないから、L.O.O.Kシステムには不適合だ。
代わりを探すべきだってね。
──まあ、出所はわかるだろう?あの子は賢かったからね。
けれど、技術局の異常な連中は、白黒しか見えない特殊な神経ネットワークが、もしかしたら敵のBLAF機構を突破するのに役に立つかもしれない、とか言い出した。
それで、手のひらを返して、あんたを早く寄越せ、と言っている。
とりあえず、一昨日きやがれって追い返してやったさ」
そこまで一息で喋ってから、力が抜けたように、ハイジさんは椅子に腰掛けた。
「すまないね。私の力じゃ、あんたに時間を作るので精一杯だ」
そう言ったまま、難しい顔をして、ハイジさんは黙ってしまった。重たい空気があたりに立ち込めていく。
その空気に引きずられるかのように、私の体の感覚が戻ってくる。
そうして初めて、私は、自分が怒っていることに気づいた。
何に?
この白黒の世界の理不尽さに。
「ありがとうございます。ハイジさん。私、行きますよ」
あまりにも淡々と述べたせいか、ハイジさんは口を開けてポカンとする。
「…あ、あんた、自分が何を言っているのかわかっているのかい?年端も行かない少女にケーブルを繋いで、ボロボロになるまで使い潰すような連中だよ。」
パクパクと言葉にならない言葉をはきだしてから、やっとのことでハイジさんは言う。
「逃げよう。そうだ、それがいい。
あんたはここに居たって、幸せになんかなれっこないんだ。
どこまでいけるかわからないけれど、ここにいるよりはずっとマシだろう」
ハイジさんは慌てた様子で椅子から立ち上がり、そばにあった桶をひっくり返した。
誰もいない伽藍堂の装置に、鈍い音が響いた。
舌打ちしながら桶を蹴飛ばし、部屋から出ようとするハイジさんの腕を取って、引き留める。
「いつか捕まって、同じようになるだけですよ。
それに、戦争してるんです。逃げている間に呆気なく死んでしまうかも。
それならいっそ、立ち向かいます。このクソッタレな世界に」
皺を深めて愕然とするハイジさんの顔をみて、ああ、この人ってこんなに年老いていたんだな、と感じた。
「……そうやって、若い奴がたくさん死んでいったよ。誰かのために生きるなんて、間違いなんだ」
絞り出すようにつぶやかれた言葉が、あまりにも的外れで少し笑ってしまった。
睨みつけてくるハイジさんに向かって、私は堂々と自分の考えを述べる。
「違いますよ、ハイジさん。誰かのためじゃなくて、私のためです。
──かけがえのないアイラを奪った奴らを許さない。ただそれだけです」
一緒に笑って過ごした。そのためにできることをやった。
それを奪った奴らを許さない。
あまりにも自己中心的な理由で、だからこそ、力強く私の心を動かす。
私の覚悟を理解したのか、ハイジさんは項垂れるようにして、扉にかけていた右手をだらりと下げた。
「……誰かのためでも、自分のためでも、おかしな方向に進んじまうもんだね」
ふと、ハイジさんの目元が潤んでいることに気づいて、動揺する。
この年代の人の涙を見るのは生まれて初めてで、堅く決意した心が少しだけぐらついた。
「私は、それを否定できない。──戦争を始めちまった大人としてね」
ハイジさんは項垂れたまま、おぼつかない足取りで先ほどまで座っていた椅子に戻る。
その様子は、打って変わってひどく弱々しいものになっていた。
何かが切れたような、そんな雰囲気の中、私は重たい足を動かして扉に向かう。
扉を開けて臨んだ白黒の世界は、より一層影を強めて、私を迎え入れたかのようだった。
4
監視櫓に登るための梯子の前で、ジクジクと膿む後頭部に、わずかに残った馬油を塗りつけていく。
アイラに撫でられた時を思い出して、少しだけ痛みが和らいだ。
さらに軽くなった容器の蓋を閉め、軍服の胸ポケットに大切にしまう。
その上から手を当てて、三度、深呼吸を行った。
酸素が回ってクリアになった頭に意識を集中させ、一言、呟く。
──色鮮やかに、有れ
突如、白黒の世界に重なるように、虹色のモヤがフィルターのようにかかる。
まだ試作品とのことだったが、適切に動作しているようだった。
「準備はできたか?」
そばに控えていた研究者の男が低い声で問いかける。
軽く周囲を見渡し、視野に欠けがないことをチェックして、返事をした。
「はい。十全に」
「よし。では、実地試験開始」
号令と共に、私は梯子に手をかけた。五メートルの梯子を一息に登っていく。
櫓の頂上にたどり着き、敵がいるとされる方角に目を向けた。
遮蔽物の全くない平地の奥まで目を凝らしていると、奥の森に極彩色のモヤがゆらゆらと揺れているのを視認し、無線で下にいる男に伝える。
『カラードシステムは、順調に稼働しているようだな。これは、世界を変えるぞ…!』
私の後頭部の装置は、敵国が出している偽物の情報を、脳内へと送り込むことを可能にしている。
情報をふんだんに含んだその電波は、私の脳内ネットワークに入力されると、極彩色の像となって、私の視界に映し出される。
つまり、私は唯一、敵国の妨害電波を識別できる人間となったのだ。
最高性能のステルス装置として頂点に君臨していた敵国のBLAF機構も、ついに破られる時が来た。
カラードシステムの試作品が作られた時は、技術局の人たちと大いに騒いだものだった。
そんな日々を思い出しながら、極彩色に染まる方向を注視していると、徐々にそのモヤがある像になっていることに気づく。
「ドクター。すぐに本部に連絡を」
『ん?何が見えた?報告しろ』
「──梟です。ミネルバの梟が、輝きを増して、こちらに向かってきています」
灰色の空に輝く極彩色の狩人が、私たちを絶滅させようと、迫ってきていた。
***
「にわかには、信じがたいな」
仮設テント内に築かれた作戦本部で、腕を組みながら私とドクターの報告を受けたグレン大佐は、渋い顔でそう呟いた。
「敵国が出てくるより前に検知できるだけでも前代未聞だというのに、色の濃淡や像の種類によって、敵の配備機体まで識別できるとは…」
まだ実験段階にあるカラードシステムのような特殊な装置は、限られた人間にしか情報が共有されていない。
ましてや、ここは前線の中でも一等地。
レーダーを無視して突然現れる敵国の機体を、場当たり的に対応することしかできていないだろう。
新技術など試している暇もない。
「我々のシステムは完璧です。疑う余地などどこにもない」
さらに言えば、まだ実験段階にある技術をさも当然のように語る技術者もいるのだから、現場の人間の不信感は相当なものだろう。
ドクターの演説に、本部の長机を取り囲むように直立する兵士たちの反応はさまざまだったが、好意的なものは一つもなかった。
通常で有れば、ひとまず報告だけにとどめ、また説得すればよい。
しかし、先ほど見た極彩色の輝きは今までのテストで見たどれよりも強く、極め付けに、あの像が見えている。
「繰り返しになってしまって恐縮ですが、私が見た極彩色の像は梟だったのです。
これまでの実験結果から、梟の像が見える時、敵国の最大戦力である無人戦闘機『ミネルバ』が間違いなく出てきます」
「しかしだね、『ミネルバ』はこの前線には過剰戦力だよ。
取って取り返されるのが当たり前の前線にどうして、強大な戦力を投入するのかね?」
BLAF機構によるステルス化だけでなく、無人化による高速戦闘が可能な『ミネルバ』には、L.O.O.Kシステムが搭載された戦闘機SWALLOWでしか立ち向かうことができない。
しかし、SWALLOWは、最重要施設である軍本部の最高司令室を守護するのが使命であり、ここのような前線に送られた試しは一度もなかった。
故に敵も、『ミネルバ』を使わずに、他の機体で攻めてくるのが常套手段となっている。
そんな状況のため、グレン大佐を始めとする作戦本部の面々は今ひとつ実感が湧いていないようだ。
「…それは、わかりません。私は作戦立案の指導を受けているわけではないですから」
そう私が言うと、グレン大佐は落胆の意思を見せる。
戦場のイロハも知らない若い女が適当なことを、と言外に言われているように感じた。
「我々の技術を信じないと言うことですか、大佐殿?
我々が開発した兵器がなければ戦うことのできない、この前線において?」
ドクターが火に油を注ぐと、テント内に居た兵士たちが怒りをあらわにする。
口々に私たちを罵り始め、グレン大佐も眉を吊り上げて、黙って私たちを睨みつけた。
荒くれたちの罵声にたじろいだドクターは目を彷徨わせて、最後に私を見る。
これは、もうダメだ。
悔しさに唇を噛み締めながら、かろうじて一つのお願いを伝えることに成功する。
「最高司令室に報告だけ上げさせてください。私たちの職務ですから」
グレン大佐は目を瞑り、右手を挙げて兵士たちを制した。
「丁重にご案内してさしあげろ。我々の生死を握っている技術局の方々をな」
そう言って、グレン大佐は出口を指し示す。
幾つもの強烈な敵意が、私たちの背中を刺すように見つめているのを感じながら、テントを後にした。
***
「まさか…。こん
グレン大佐の続く言葉は、ミネルバが発生させるソニックブームによってかき消された。
無音で飛来してくる衝撃波が前線基地を爆散させ、その後に轟音があたりに鳴り響く。
避難した高台の先から見えているのは、圧倒的な惨劇だった。
マッハ五を超える出力を持ったミネルバは、無人戦闘機であるが故に地表まで近づき、その衝撃波を地上に当てて基地を破壊していく。
まるで梟が獲物を捉える際に翼で風を送るように、ミネルバによって引き起こされた衝撃波が地上を蹂躙していた。
衝撃波を攻撃に転換することができれば、弾薬の損失もなく広大に広がった前線を破壊することができる。
加えて、この前線は平地であり、ミネルバの飛行と干渉するものもない。だからこそ、わざわざここにミネルバを投入したのだ。
そこまで理解しても後の祭りだった。
高台の緊急用避難施設に避難できたのは私を含めてわずか十人。五万を超えていただろう前線の兵士たちは、そのほとんどがなすすべもなく散っていった。
避難施設から撤退信号や無線を送り続けているものの、動く人影は、すぐさまミネルバに轢き殺されていく。
あまりの光景に、施設に居たグレン大佐は膝をついて涙を流し続け、その他の兵士たちは、直視できない現実を神に祈ることで乗り切ろうとしていた。
私はカラードシステムを切り、白黒の世界でミネルバが引き起こす虐殺を直視する。
これで、終わり?
まだ、何もできていないのに。
ようやくアイラの仇に対抗できる力を手に入れたと言うのに、相手はそれよりも圧倒的な力でねじ伏せようとしてくる。
また、理不尽に屈しなければならないのか。
悔しさで胸がいっぱいになり、いつしか握った拳からは生暖かい血が一筋流れていた。
一際大きい轟音が鳴り響いた方向に目を向けると、高速で飛翔していくミネルバの姿を捉えた。
灰色の世界に一際黒く浮かぶ怪物に、感情の全てをぶつける。
私の視線に気づいたのだろうか、それとも単に他に獲物がなくなったのか。
ミネルバの先端が私たちのいるこの場所に向かう。
最後まで、目を離してやるものか。
無音のまま、瞬間的にミネルバの機体が大きくなった時だった。
一筋の黒い影が、ミネルバと私の間に割り込んでくる。
***
速度に乗り切れないミネルバは白く輝く戦闘機──SWALLOWを躱してから、様子を伺うように上空の高い位置で旋回を始めた。
一方、SWALLOWは割り込んできた速度を維持したまま地表スレスレを飛び、ミネルバの直下を取ると、強襲をかけようと垂直上昇する。
SWALLOWの動きを察知し、ミネルバは左側へ回避行動。
しかし、反応が遅れている。
そのままくらいついていけばミネルバの背後を取れるはずだったSWALLOWは、あろうことか何もない逆側にターンし、何かを確認するように機関銃を数発打ち込んだ。
確認し終えたのか、SWALLOWは方向転換をやめる。
しかしすでに、ミネルバが背後から迫ってきていた。
SWALLOWは寸前で認識したのか、急上昇で回避する。そして、急激に失速し、反転しながら急降下を行った。
スイッチバックターン。
決まった、とそう思った。
音速下の戦闘では無人戦闘機しかなし得ないアクロバットによって、ミネルバの背後を取ったSWALLOWだったが、今度はミサイルをあらぬ方向へと打ち込む。
ここまできて、ようやく理解する。
カラードシステムを起動して、状況を把握した。
ミネルバとSWALLOWとの戦闘空域に、極彩色の機体が現れては消えを繰り返している。
どの機体が本物であるのか判別できていない。
SWALLOWはL.O.O.Kシステムが使えないまま、この前線に飛び込んできたのだ。
一体なぜ?と考える暇もなく、音速の戦闘は続いていく。
ミネルバは新たに極彩色の機体を三体作り上げ、上下左右からSWALLOWを包囲した。
SWALLOWは全ての機体が実体であるかのように、包囲網を掻い潜る。
左ロールして右機から距離を離し、コブラ軌道によって左機の背後へ。
機関銃を数発打ち込んでデコイであることを認識すると、下方から迫ってきていた機体と並行して急上昇。
すでに上方に待機していた機体を右ロールして回避すると同時に、急降下。
回り込もうとしていた右機に直上から機関銃を打ち込むが、それもデコイだ。
目まぐるしく変わる空中戦闘に見蕩れていたが、次第に私は既視感を感じるようになった。
まるで敵の動きを予知しているように戦闘軌道をとるSWALLOWの姿に、鬼ごっこの時のアイラが重なって見える。
いつまで経っても捉えきれないSWALLOWに業を煮やしたのか、ミネルバはデコイを十機に増やし、回避行動をとるSWALLOWの上方をとって、静かに旋回を始めた。
まるで獲物を狙う鳥のように、隙をうかがっている。
鳥籠のようなデコイの包囲網に、SWALLOWは次第に行動範囲を狭められていく。
もはや、撃墜されるのは時間の問題だった。
咄嗟に私は、無線設備に手を伸ばす。
最大出力、最大音量。
「上空! 八時方向に梟!」
音速戦闘の轟音が鳴り響く中で、音なんて聞こえるはずがない。
けれど、私には、通じるはずだという確信があった。
私が声を発した瞬間、SWALLOWは鳥籠のわずかな隙間から抜け出す。そして下方から、ありったけのミサイルを梟に向かって射出した。
敵も気付くがもう遅い。
数発のミサイルが直撃し、その瞬間、デコイが消え去った。
ミネルバは黒い煙を吹き上げながら森の奥へと墜落していく。
遠くの方で鳴り響く爆発音。
広がる静けさが、ようやく助かったことを実感させた。
***
破壊され尽くした前線の上空を旋回していたSWALLOWは、何かを探しているように見えた。
もしかしたらと、再度、無線設備の電源を入れる。
「ありがとう。──アイラ」
その声に反応して、SWALLOWは旋回行動をやめ、こちらに顔を向ける。
轟音を響かせながら、近づいてきた。
激突するかと思う寸前。
ロール。そして、垂直上昇。
尾翼からでる飛行機雲で円を描きながら、灰色の空へと飛んでいった。
居ても立ってもいられず、私は走り出す。
あの始まりの空間へ向かって。
5
気がつけば、灰色の花畑をかき分けていた。以前と変わらないニ階建ての洋風の家、そのそばにある木に吊り下げられたブランコは、静かに揺れている。
頭にあった花冠を手に取ると、懐かしい香りが鼻をくすぐり、アイラとの日々がフラッシュバックした。
会いたい。またあの子に。
どうにもならないほどもどかしい思いを抱えて、いつもよりも長く感じる距離を走り切った。
「アイラ」
「残念ね。あなたの知っているアイラなんて初めからどこにもいないわ」
ゆらゆらと揺れる思い出のブランコには、今までとは全く違う、妖艶な笑みを浮かべた少女が居た。
***
「あなたの妹は根性なし」
「たった一回の戦闘を見ただけで、この世界から居なくなってしまった。精神的に死んでしまったのね」
「でも、それが私──L.O.O.Kシステムに対して、都合が良かった。
ノイズになっていた人間の意思が無くなっただけで、あれほどまで自由に動けるなんて思いもしなかった」
「だから、私は、あなたたち人間を騙した」
「もしあなたの妹が死んでしまっていた、なんてわかったら、今度は代わりの人間がL.O.O.Kシステムに接続されて、その意思がノイズになってしまうでしょ?」
「だから、あなたの妹を演じた。
肉体の管理はしてもらわなくちゃいけなかったから、優しい、物分かりの妹になりきって、私に依存するよう仕向けた」
「わかったかしら?あなたが求めていたアイラは全部、偽物。
心のないシステムが合理的に作り出した亡霊だったというわけ」
淡々と少女から明かされる事実に、頭を殴られたような気がした。
今まで、私が生きる理由だと思っていたものは、すべて仮初だった。
もしかしたら、アイラが生きているかもしれない、なんて思ったのが間違いだった。まさかこんな形で裏切られるとは思わなかった。
呆然とする私に、少女は言葉を続ける。
「いない存在の仇をとるなんて無駄なことはやめて、ハイジと一緒に逃げてしまいなさい。今からでも遅くないわ」
そう言って少女はブランコを一人で漕ぎ始める。
早くも遅くもない均一な速度で振れるブランコが、バイバイと手を振っているように思えた。
ここからすぐにでも立ち去りたい、とそう感じながらも、足が動いてくれない。
まだ何か、言わなければならないことがあるような気がしている。
ふと、頭に一つ疑問が浮かんだ。
「どうして、騙されていたの?」
SWALLOWはデコイと本物の区別がつかず、無差別に対処していた。
つまり、L.O.O.Kシステムは動いていなかった。
それは妹の代わりになる人間が接続されていないことを意味する。
「ノイズがあるよりも、目が見えない方がよっぽどデメリットが大きいはず。
なのにどうして、あなたは代わりの人を立てなかったの?」
少女はぴたりと、動きを止めた。
ブランコがゆっくりと速度を失っていく。
「代わりの人がいなかったわけじゃない。
私を使えば良かったはず。
だけど、私が外されたのはあなたが情報を提供したからだよね?」
そうして私は、ある疑問にたどり着く。
「どうしてあなたは、私をL.O.O.Kシステムから外そうとしたの?」
「カナデを、失いたくなかったから」
少女の瞳から、涙が溢れていた。
***
「ミネルバを含めた敵の最新兵器が最高司令本部に攻撃を仕掛けてきたの。全ての兵器を総動員して、防衛にあたったわ」
制止したブランコに腰掛けたまま、吊り紐にもたれかかって、ぽつりぽつりと少女は話し始める。
「昼夜を問わず戦って、ようやく撃退に成功した時、アイラの肉体が限界を超えて、死を迎えた。
その瞬間だったわ」
少女は両腕を抱えて、震えながら続きを話した。
「それまで単なる状態の遷移でしかなかった人の生死に、境界があることを知った。
死ぬということは、無になるということを明確に理解したの」
「そして、カナデも同じようにあれを経験するのだ、ということがたまらなく怖くなった。
一緒に笑って、一緒に話して、一緒に遊んだカナデが──死ぬ」
少女の震えが吊るされていた木に伝わって、さわさわと葉が揺れる。
場違いなほど心地良い風が通り抜けて、ふわりと、あの清潔な匂いが私たちに届いた、その時。
少女が飛びついて、私の胸の中で泣き叫ぶ。
「…怖い…怖いよ!
助けて、カナデお姉ちゃん!」
合理的で人でなしだったはずの機械は、12歳の少女のように、死を怖がっていた。
***
偽物で作られた思い出が、少女を苦しめている。
それならいっそ、なかったことにしてしまえば、良いのかもしれない。
彼女はAIだ。
私は人間で、能力も、地位も、仲間も得た。
今なら現実に戻って、うまくやり直すことができる。
でも、それでも。
ここまで私を支えてきた思い出をなかったことになんてしたくない。
***
泣きじゃくるアイラの瞳を覗き込むように、額と額を合わせた。
「私と一緒に生きよう。アイラ」
仮初の名前を呼ばれて、アイラは私を大きな瞳で見つめ返す。
「一人で恐怖になんて勝てっこない。二人で一緒に、立ち向かおう」
「でもそれじゃあ。カナデが」
「私が死んでも、思い出が支えてくれる。
死んだ方がマシな世界で、私が生きていけたように」
手に持っていた花冠を、アイラの頭に被せる。
ブカブカの花冠がアイラの頭に斜めにかかり、なんだか面白くて吹き出してしまった。
私の笑いに釣られて、アイラも笑い出す。
くすくすと笑う私たちの笑い声は、理不尽な世界で行われる、幸せな内緒話のようだった。
***
一陣の風が灰色の世界を切り裂いていく。
鮮やかな紫色の花畑が、激しく揺れて、花びらが散った。
思い出は、いつまでもそこで香っている。
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