月とオリオン
──オリオンの四十肩が爆発した。
放課後の席で頭を抱えてイライラしているあたしの頭上から、そんな冗談が降ってきたとき、反射的に暴言が出た。
「・・・ザマアミロ」
そんな私の一言に笑いながら、前の席に潔が座る。
「なんでそんな酷いこと言うの?」
背もたれに腕をかけて問いかける潔に、机の用紙から目を離して、こう答えた。
「オリオンは、いつも女を泣かせてるから」
あんたみたいにね。と舌の先まで出た言葉はなんとか飲み込んだ。
そのまま、彼の作り物めいた顔をじとっと見つめていると、潔は両手を上げて嘆息する。
「…まったく。結月が喜ぶと思って、星の話題にしたのにさ」
私を喜ばせたい、その言葉に、すこし胸が鳴った。にやけた口元を見られたくなくて顔をそらし、そっけない言葉を吐く。
「ふーん。なんで?」
「暗い顔してるからさ。悩んでるんだろ、進路」
潔は体を乗り出して、さらさらの前髪をゆらりと垂らしながら、机の上の進路希望書を指さした。
「ほら。地球か、月か。最初から埋まってないじゃん」
すらりと細く伸びた指が、トントンと澄んだ音を立てる。
何だか責められてるようで、どうしてこんな進路を決めなきゃいけないのかと叫びたくなった。
大人の好き勝手で、ほとんどの人が住めなくなった地球。才能のある人だけがこの星に残り、後は皆、放り出される。
あの真っ暗な宇宙に。
これ以上考えたくなくて、潔に話を振った。
「…潔は地球に残るんだよね?」
以前、可愛い子しかいないから地球一択だと言っていた。呆れたけど、潔らしくて納得したのも事実。
だから、次の言葉が信じられなかった。
「俺は月に行くよ」
思わず立ち上がって、豪快に椅子を倒してしまう。けれど、関係ない。机に手を置いて、潔に顔を近づける。
「な、な、なんで?」
「いや、月に魅せられちゃって?」
ニマニマとした顔が、言葉以上のことを物語っている。
こいつ、好きな女ができやがった。
左手で進路希望書を握りつぶし、耳がキーンとなるほど奥歯を噛み締めた。
「あんたは、いつも…」
心の黒い炎が燃え上がり、気がつけば、くしゃくしゃの用紙を投げつけていた。
「もう知らない!」
机にかけてあった鞄をひったくり、急いでドアへ向かう。焦った声が聞こえたけど、ドアを乱暴に閉めて、駆け出した。
向かう先は、学校裏の、星の見える展望台。
あいつとの失恋未満の何かを起こすと、私はいつもそこを目指す。
星が私を、慰めてくれるから。
暗い森の中で、かろうじて見える木製の階段が、展望台への道を教えてくれている。
息を切らして、奴のニヤケ面を踏みつぶしながら駆け上がっていくと、ついに視界が開けた。
見渡す限り、満天の星空。
あれほど痛めつけた潔の顔も、一瞬で拭い去るほどの存在感。
足は自然と止まり、腕をだらんと下げて、ただ星を見上げた。
いつの間にか息が落ち着いたから、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。目を瞑って吐き出すと、星空に囚われていた心が帰ってきて、耳を切る寒さに体が震えた。
早歩きで小道を進んでいくと、ベンチと柵だけの簡素な広場に着く。
柵の向こうには、闇に溶け込むように街が広がっていた。
鞄を下ろし、柵にもたれかかって景色をぼんやりと眺めていると、次第に、真っ黒な街と対照的だった夜空の星たちが、まるで道を開けるように輝きを失っていくのが見えた。
夜の女王、満月の登場だ。
ねぼすけの満月が、登るにつれ眼力を取り戻し、爛々と輝き始める。そして、周囲の星をその力で消していく。
その姿に私は見惚れたけど、同時に寂しさも感じる。
女王の振る舞いが、宇宙に向かう孤独を表しているように思うのだ。
ひとりぼっちになるために私は宇宙へ向かうんだろうか。
伸びをして、重たい気分を捨てるように、白いため息を吐き出した。
その時。
無音の爆発で生まれた白銀光が、この目を、鋭く突き刺した。
瞼がバチっと閉じて、たっぷり十秒うめく。それから、恐る恐る目を開ける。
そこには、光が、二つあった。
月よりもずっと小さい星が、月に寄り添って、月よりも眩しく、その存在を主張している。
瞬間、放課後の潔の言葉を思い出す。
「オリオンの四十肩──ベテルギウスの超新星爆発!」
2つの光源のせいでほとんど見えないけれど、あの砂時計の形だけはかろうじて認識できる。その右肩部分が、強く煌めいていた。
「冗談じゃなかったんだ。・・・もっとちゃんと話せば良かった」
そうしたら、二人で見に来れたかも。そう思うと、少し笑えた。
月が孤独に見えても、オリオンはそばにいた。今は、寄り添い合って、輝いている。
そうだ。宇宙がどんなに広大で、何もなくても、好きな人がそばにいるだけでいい。
「月に行く。そんで、オリオンを射止めてやる」
進路は、今決めた。
夜空に浮かぶ二つのスポットライトが、私の突き上げた拳を明るく照らしていた。
文字数:1999
内容に関するアピール
星と月、あと青春。シンプルに美しいものを描きたくて、恋路と将来が重なった女の子の物語になりました。
とてもど直球なテーマだったので、「誰にでも伝わるような表現」と「エモさ」を目指して、2000文字の海を1ヶ月間漂流して、ここに辿り着きました。
今の自分の全力で、課題に向き合いました。星と月と青春のひたすらなエモさを感じていただければ、幸いです。
文字数:171


