ボクは知らない。

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梗 概

ボクは知らない。

 2075年、AIが警察と検察を統括し、裁判は「理由を聞く儀式」となった。証拠も証言もAIが処理し、判決は即日執行。人々は99.8%の正確さを“真実”と呼び、残りの0.2%を「誤差」として受け入れていた。「誤判」という言葉は、すでに過去の遺物だった。

 15年前、十歳のボクは母の殺害現場に遭遇した。血に染まったリビングに呆然と立つ父。AIは父を犯人と即座に断定し、三日後には有罪が確定。世間は事件を忘れたが、ボクの中では、あの時の父の恐怖ではなく、何かを追うように見開かれた目が焼きついて離れなかった。
 幸い、祖父母の計らいで、ボクは遠い親戚に養子に出され、「殺人犯の子」としていじめられることはなかった。養父は母の元勤め先の取引会社にいた人物で、遺族の支援を理由にボクを引き取った。温厚な人柄の裏に、どこか冷たさを感じ、心を完全に開くことはできなかった。

 父の無実を信じたボクは警察官を志すが、「殺人犯の子」であることを理由に不合格となる。AIによる身辺審査に“血の情報”は隠せなかった。仕方なく探偵事務所に見習いとして所属し、二人の相棒と出会う。
 一人は幼なじみのマイ。冷静で聡明、わずかな仕草から嘘を見抜く力を持つ。もう一人は先輩のタイキ。口数が少なく、時折昔話をする。「俺の時代のAIはな、間違っても謝れなかったんだ」と笑う彼の言葉が、なぜか耳に残った。
 ある日、15年前の事件に酷似した殺人が起きる。現場の構造、凶器、時間帯――すべてが同じ。だが司法AIは「別件」と判定した。ボクはマイとタイキと共に独自の調査を始める。
 古い記録を追ううちに、タイキはあるデータの断片を復元する。それはAI導入初期に消去された“異常判定”の記録。父の事件のデータに、AIが一瞬だけ「別の人物」を犯人候補として検出していた痕跡が残っていた。それを追うと、真犯人はボクを引き取った養父に行きつく。母は勤務先の不正送金を知り、口封じのために殺された。養父は事件後、母の勤めていた企業の経営権を引き継いでいた。AIの網をすり抜けた“人の悪意”が、静かに浮かび上がる。AIは、その0.3%の誤差で父を断罪していたのだった。

 「AIは嘘をつかない。でも、間違いを消すことはできる」――タイキの言葉がボクの胸に刺さる。彼は導入期に生まれ、更新されないまま残った旧式AIだった。
 父の汚名は雪がれたが、刑務所で病死しており、もう会うことはできない。
 真実を知ったボクは、マイに問う。「君は、人を赦せるの?」
 マイは一瞬の沈黙ののちに答える。「赦しは定義できない。でも、あなたは泣いていいと思う」。彼女もまた、AIだった。

 AIが正義を定義する社会の中で、15年ぶりに涙を流しながら、ボクはようやく理解した。
――真実とは、データの中ではなく、人の痛みの中にあるのだと。

文字数:1172

内容に関するアピール

50年後の未来を想像したとき、人々の暮らしは今とそれほど変わらないのではないかと思いました。技術は進化しても、人の喜びや怒り、愛や後悔といった感情は変わらない。けれど、私たちの隣には確実にAIがいる。すでに私たちは、自分たちが作ったAIに話しかけ、慰められ、時に人間関係を壊しています。AIは感情を持たないのに、なぜ人はそこに心を求めてしまうのか。
簡単には変わることができない人間と、自由に変わることのできるAI。どちらが本当に「生きている」と言えるのか。AIが司法を支配する未来を舞台に、何かを縁に生きるしかない、絶望のその先にある、愚かで美しい人間を書いてみたいと思いました。2045年(もっと早まる可能性もありますが)には、AIが人間の知能を超えると言われています。
星新一の描いた世界のように、人間がAIに支配される日は、もうすぐそこまで来ているのかもしれません。

文字数:385

課題提出者一覧