白いままでいる。

印刷

梗 概

白いままでいる。

夢に介入し、安定した眠りを与える医療技術〈GYPSO-S〉(通称:カスミソウ)が普及して、早18年。通勤中の音声広告でも「深く、正しく眠る時代へ」と繰り返し流れるほど、夢調整療法は当たり前のメンタルケアになっていた。駅の構内には白い花のホログラムが浮かび、企業ロゴと並んで眠りの安全性と生産性向上を謳う標語が流れる。睡眠ログは健康管理データとして保険会社や雇用システムと連携され、よく眠れている者ほど「安定した人材」として評価される社会になっていた。夢は癒やしであると同時に、社会を円滑に回すための資源になったのだ。

“私”は社会の荒波にもまれ、いつからか惰性で仕事をこなしていた。成果は数値化され、評価はシステムが決める。そんなある日、人事評価システムの最終承認で一つの項目を見落とす。たった一つチェックを入れなかっただけで、部下は自動判定により「不要」と分類され、翌月の契約更新の対象から外れた。

「君のせいじゃない。ルールだから」
上司も同僚も、そう言って肩をすくめただけだった。誰も怒らず、誰も取り消そうとしない。その静けさが、ひどく現実味を欠いていた。廊下の掲示板には、新しい人材募集の案内が、何事もなかったように貼り出されている。

この失敗をきっかけに、私は眠れなくなる。目を閉じるたび、白い画面から部下の名前が消えていく光景が浮かぶ。心療内科を訪れると、医師は淡々とカスミソウを処方する。これは薬ではなく、「眠る機会」そのものを与える装置だという。脳波に合わせて強制的に入眠させ、基本的には心地よい夢を維持することで、情動を安定させる。
「よく眠れてますよ」
診察のたび、医師はモニターを見てそう告げる。副作用はほとんどなく、社会復帰率は九割以上。ただし、夢を途中で拒否する手段はなく、覚醒の判断はすべてシステムに委ねられていた。

私が見る夢は、なぜか職場の光景だった。失敗が淡々と確定していく。会議室の席が一つずつ減り、私の名前が議題から外されていく。誰も声を荒げず、ただ事務的に告げる。
「もう、あなたには期待していません」

偶然目にしたカルテには「情動反応は安定。現実への過剰な期待は解消傾向」と記されていた。カスミソウは夢を与える装置ではなく、患者の記憶の一部を繰り返し浮かび上がらせる機械だと知る。
飛び起きると、自分のデスクに座っている。現実でも、会議の通知は届かず、重要な仕事は他人に回されている。与えられるのは確認だけの業務。夢と同じ構図が、同じ静けさで進行していた。

やがて私は「治療成功」と判断され、配置転換される。誰からも何も求められなくなった日々の中で、目覚めるたびに、ここが夢の続きなのか、それとも現実なのかを確かめるようになっていた。

治療が終了し、装置を使わなくなった後も、その癖だけは残る。私は、自分が起きているかどうかを確かめる理由そのものを思い出せない。

文字数:1190

内容に関するアピール

私にとっての恐怖は、仕事の失敗であり、そこから信頼を失うことです。仕事で追い詰められると夢の中でも仕事を続けてしまう体験から、本作では「夢」をモチーフにしました。

カスミソウは心地よい眠りを提供する医療技術として普及していますが、未処理の失敗ほど強く呼び起こす欠点を持ちます。機械の倫理は「向き合えば回復する」という合理性に基づいていますが、主人公にとって失敗は人格の否定であり、治療は回復ではなく、静かな削減として作用します。社会はその問題を、安定化という指標のもとで見過ごしていることまで、実作ではしっかり触れたいと思います。

文字数:264

課題提出者一覧