ネリネ、for you
「人間は考える葦だ」
なんて、誰が言ったんだろうか。
読経が淡々と続く中、足の痺れを誤魔化すように、ふとつまらないことを考える。
棺の横に置かれた端末が、故人の言葉を読み上げ始めた。
彼自身が遺した、最適化された弔辞らしい。葬儀屋が始めた新しいサービスだと聞いた。
抑揚のない機械音が耳に残り、内容はほとんど頭に入ってこない。
「また、来月な」
そう言って別れたのは、ほんの数週間前だった。
そのとき彼は、いつものように少し眠そうで、どうでもいい話をしていた。
次に会ったら、また同じ話をするはずだった。
「次はいつにする?」
何気なく深夜に送ったメッセージ。
既読にはなったけど、返事は返ってこなかった。
大体、二、三日寝かされて、酔って深夜にスタンプを大量に送ってくるくせに。
スタンプすら二度と返ってこないなんて、想定外だった。
別に返事がこなくても、見ているってわかれば十分だったのに。
もう既読すらつかないなんて、だいぶ酷いやつだと思う。
元々薄情なあいつだから、いまさらどうってことはないけど。
でも、それでも、ちょっと寂しい。気がする。
端末は続ける。
「……私は多くの人に支えられ、ここまで生きてくることができました。
楽しいことも、うまくいかなかったことも、すべてが私の一部です。
残された皆さんが、それぞれの場所で穏やかな日々を過ごされることを願っています。
本日はお集まりいただき、ありがとうございました」
どれも整っていて、角がない。
終わってからふと気づく。誰に向けた言葉なのか、わからなかった。
彼はこんなふうに話す人間じゃなかった、と思う。
でも、案外、こういうサービスを頼むくらいだから、やっぱり無難な言葉で済ませるようなやつだったのかもしれない。
僕は、余計にあいつのことがわからなくなる。
馬鹿な話で盛り上がりたかった。
くだらないことで笑いたかった。
そのための言葉は、もうどこにも送れない。
人は考える。
記録もできる。
言葉を残すこともできる。
それでも、この場で僕が感じているこの重さは、どこにも保存されない。
この気持ちは、いつか忘れてしまうんだろうか。
あいつのことすら、忘れてしまうんだろうか。
どうせなら、棺にネリネを入れてやろう。
花なんて、どうせ一つも知らないであろうあいつに。
花言葉なんて、どうせ一つも調べたことがないであろうあいつに。
ピンクのものを持っているところを、一度も見たことがないあいつに。
鮮やかなピンクのネリネを贈ろう。
勝手に約束を破ったあいつに、僕が勝手に花を贈っても文句は言われないはずだ。
読経も終わる。
誰も泣かない。
あいつとの別れが近づいてきているのに。
ただ、立ち上がるまでに少し時間がかかった。
文字数:1097
内容に関するアピール
美しいものとは何かを考えたとき、人との別れは、どんな形であれ美しさを含んでいるのではないかと思いました。
たとえ深い関係でなくても、葬儀で語られるエピソードや言葉を聞くと、テンプレかのように涙が出てしまうことがあります。その「感情の定型化」に違和感を覚えたことが、この作品の出発点です。
AIによって最適化された弔辞は、正しく、整っている一方で、個人的な痛みや重さをすくい取らない。そのギャップを、日常的で淡々とした葬儀の風景の中に描きました。人の別れに残る感情の輪郭の美しさを表現することを意識しています。誰かを想う気持ちが、必ずしも言葉や記録に残らないことも、この作品を通して伝えられたらと思います。
文字数:300


