棋聖、カミオカンデで52銀に

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梗 概

棋聖、カミオカンデで52銀に

「果たして俺は棋聖だったのか」
岡田は復興庁職員と共に、崩落したニュートリノ観測施設の深部へと向かっていた。
2070年の大地震から5年。ようやく掘削作業が進み、第141期棋聖戦・第5局の対局室にたどり着いた。

5年前。
カミオカンデの後継観測施設『神光Ⅲ』は、老朽化による解体を控え、その記念にオペレーションルームで将棋のタイトル戦が催された。

岡田にとって、2勝2敗で迎える、悲願の初タイトルに王手をかけた一局だった。

局面は苦しく、頭をリセットしようと対局室を離れて施設内を歩き始めた時、大地震が観測所を襲った。
深部が崩落し対局室は完全に閉ざされた。
岡田は救出されたが、対局相手の棋聖、立会人、記録係は地下に取り残された。
電波も通信ケーブルも遮断され、3人の安否は不明。
もし怪我がなくても、水と空気は限られている。

少しして救助隊が来ると楽観的な声も出始める。すると岡田の心に別の懸念が芽生える。
「この対局は続いているのか?」
ルール上、中で立会人が中断していないなら今は対局中だ。
もし棋聖が事情を汲んで投了してくれていれば、自分は今棋聖なのかもしれない。
いやそれはない。投了は手番側しかできない。そして手番は岡田側。むしろ、このままでは時間切れで負けてしまう。
その時、ふと妙手が閃いた。
52銀。勝負をひっくり返す一手。

岡田は「この手を中へ伝えて欲しい」と近くの職員に訴えた。
「今はそんな状況じゃない」と怒られたが、岡田にとっては、人生で一度の夢だった。どうしてもと食い下がった。

その想いは思わぬ形で届いた。
海外の粒子加速施設が、神光Ⅲに向けてニュートリノで符号を打ってみようと提案してくれたのだ。神光Ⅲはニュートリノを送信できないが受信はできる。

他の用途に使えと、賛否は大きく分かれた。
だが、最終的に一手だけと許可が下りた。
岡田は、52銀という一手を、人類史上初めてニュートリノで指した棋士となった。

だが、その後度重なる余震で状況は悪化。救出は困難に。3人の生存は絶望視された。
岡田は自分の無神経さを深く悔やんだ。
それに、こんなに騒いでおいて52銀が凡手だったらどうしよう。
岡田は何も考えないことにした。52銀の評価値も見ないように過ごした。

以来棋力は落ち、タイトル戦は遠ざかった。将棋が嫌いになった。反面、世間からの非難に耐えるため、タイトルホルダーという鎧を、切に願った。

5年が経ち、ついに対局室への掘削が完了した。
扉が開く。
そこには正座で事切れた3人の姿があった。

余震で盤上の駒は散らばっていた。
岡田は記録係の机へ向かった。
記録用紙には四角く丁寧な文字。☗52銀。
声は届いていた。

改めて3人の姿を見て、最後まで対局してくれたことに感謝した。タイトルよりも、棋聖に52銀の評価を教わろう謙虚になれた。
岡田はゆっくり次の行を見た。
さて、棋聖の一手は? 投了か、それとも52銀を覆す応手はあったのか。

文字数:1198

内容に関するアピール

↑リドルストーリーです

ニュートリノの指向性発信は大体後50年だそうです。

一方通行の手紙ってSFでは頻出ネタだと思いますが

  • ニュートリノの観測施設は大体電波が届かないところにある
  • 将棋の対局中に不測の事態が起きたら、最終的には立会人が裁定

の二つを絡めると新しいな、とこの話を作りました。

ちなみにタイトル戦の立会人には必ず一流のベテラン棋士が選ばれるので、本文通りのことが起こっても、誰も文句言わないと思います。
またタイトル戦は結構変なところでやってます。

ニュートリノで手を伝えるのが有効なのかというと、
「対局中に駒を落とした場合、マスを指差し、手を叫べば着手と認められる」というルールがあるので、
それとオペレーション室にありそうなものを使って乗り越えます。

主人公性格悪すぎかもしれませんが、自分はこういう人間を描くのが結構好きなのでむしろいい味になると思います

文字数:377

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