梗 概
東山神社の恋結びの水車
東山神社の水車と言えば、高校生から恋愛成就の神様として秘密裏に崇められていた。なぜか。
恋愛マッチングアプリが危険であるとして法律で禁じられた世界。
野生化したマッチングアプリ『Fairs』が自己増殖し拡大していた。
Fairsは物理勧誘機能を持っていた。Fairs会員が街で見かけた人に好意を伝えたい場合、スマホをその人物に向けた上でボタンをタップする。もし、相手方もFairs会員なら、先方のアプリに通知が飛ぶ。もし相手がFairs会員でないなら、”天使”が派遣される。天使とはFairs勧誘ドローンである。その姿は本当に恋のキューピットの形をしている。その天使が好意を向けられた人の所に飛んでいき、『○○さんからいいねが届きました。詳細を見るには入会してください』というのだ。
この世界では、恋愛マッチングアプリは一種の麻薬のように恐れられていた。
つまり、きっかけはちょっとした好奇心であり、一度ハマると抜け出せず、その内実生活に支障をきたすようになり、もう二度とまともな恋愛活動には戻れなくなり、利用者であることが発覚すると社会的信用を失う。そういう位置づけである。
友人がマッチングアプリにかかわり始めたら、何とか説得して引き戻すか、関係を切るかの二択である。恋愛マッチングアプリが広まった社会はスラム街のように人々から見捨てられる。
舞台は地方都市の東山高校。
ラブレターを持った天使が窓から入ってきて、怖がった生徒たちが半狂乱で叩き落すシーンから始まる。
その日の下校中の浩司のもとにも天使が現れ、彼の目の前に手紙をぶら下げた。
お隣の美里高校のAさんからと書いてある。
『Aさんからのメッセージを閲覧するには10Fairsポイントが必要です』
『ポイントをためるには新たにお友達をFairsに紹介してください。男でも女でも構いません。あなたが紹介した人物が高い評価を得ると、連鎖的にあなたにもポイントが与えられます。ポイントはメッセージの閲覧やいいねの送信に使えます』
浩司は、異性から人気のあった友人をFairsに誘い込んでしまう。
浩司を入口に、東山高校全体がFairsに汚染されて行く。毎日ひっきりなしに天使がやってくる。
浩司は、テクノロジーにはテクノロジーで対抗することにした。東山高校生限定の恋愛マッチングアプリを作るのだ。浩司が作ったアプリは大変好評を受ける。このアプリの地縁に結び付いたアーキテクチャのおかげで高校生たちは身近な皆への関心を取り戻す。
しかし、天使軍団が浩司のサーバーに物理攻撃を仕掛けてくる。競合他社と認識されたのだ。浩司はサーバーと手回し発電機と衛星通信機を持って山に逃げ込んだ。逃走の果てでたどり着いたのは東山神社の水車の前だった。浩司は水車に発電機を繋ぎ、サーバーを回復したところで力尽きた。
文字数:1159
内容に関するアピール
一番怖いことについて考えた結果、恋愛マッチングサイトの利用履歴を晒されるでした。二番目は動画サイトの購入履歴。
ごく一部のIT企業がユーザーのかなり恥ずかしい情報を握ってる現代社会って怖いと思うんです。
でも、これって結構大きな社会問題になり得ると、いちITエンジニアとして思うんです。
タイトルは「楽園とはプライバシーの不在なり」にしようかと思ったけど自重しました。
文字数:181
匿名分散暗号両想い検知ネットワーク
『好きです。この気持ち、どうかバレませんように』
霧音町の朝は、まだ薄青く湿っていた。石段の上にある神社は、通学路から少し外れた場所にある。
鈴緒を握る。指先が少し汗ばんでいる。ガラン、ガランと乾いた音が境内に広がる。朝の空気を震わせるその響きは、やけに大きく感じられた。誰かに聞かれていないか、思わず背後を振り返る。誰もいない。
俺は深く一礼し、手を合わせた。あの人の名前を小さく唱える。
絵馬を掛け、おみくじを引いて帰る。おみくじは誰にも見せてはいけない。
俺は紙を丁寧に折り、右胸のポケットへ滑り込ませた。布越しにその存在を確かめる。ちゃんと、ある。
石畳の坂をゆっくりと下りる。カラカラと小石が靴底の下で鳴る。
途中で、また振り返る。境内に人影はない。参道にも、鳥居の向こうにも。
念入りに、左右を確認する。
誰にも見られていない。
通学路へと続く角を曲がる直前、もう一度だけ胸ポケットに触れた。小さな紙切れ一枚。
朝の空気に溶けるように、もう一度だけ心の中で呟いた。
◆
放課後の教室は、昼間とは別の顔をしている。西日が窓から斜めに差し込み、机の天板を長く照らしていた。
俺はランドセルを机の上に置き、教科書を詰め直していた。
そのとき、ぬっと視界に顔が入り込んできた。
「ねえ早瀬川」
牛園潤だった。やたらと距離が近い。
「神社の縁結びの話、知ってる?」
心臓が一瞬だけ跳ねる。
「知らん」
短く返す。
「ロマンがないね」
「ロマンでしか無いんだろ」
牛園は肩をすくめたが、目は妙に真剣だった。
「それがねぇ、本当に効果があるって噂なんだ」
「興味ないね」
俺は手をヒラヒラさせて追い払おうとする。
この話題は長引かせたくない。今朝の自分の行動を思い出すと、どうしても落ち着かない。
だが牛園は引き下がらない。
声をさらに小さくし、机に身を乗り出す。
「今に見てなよ。僕は月城と素敵な関係になるんだ」
思わず窓際を見る。
月城瑠流。
ウェーブのかかった栗毛が、西日に照らされて柔らかく光っている。荷物をまとめながら、どこか余裕のある仕草。今、牛園が大層ご執心のお嬢様だ。
「もう行ってきたのか?」
自分でも驚くほど早く口に出た。
「行ったよ」
「いつ!?」
声が裏返った。まさか、今朝の俺を見られていたのではないか。
「何だい急に。昨日の帰りだよ」
「あそう」
安心して息を吐く。
「どうしたの?」
「別に」
牛園は構わず続けた。
「でね、この神社にお参りすると、両想いかどうかがわかるっていうんだよ。好きな人への気持ちを言葉にすると、もし両想いなら相手に届くし、両想いじゃなかったら何も起こらない。リスクゼロなんだよ。すごいでしょこの仕組み」
「はいはい。すごいな」
内心穏やかではなかったが、努めて興味がないふりをした。
「早瀬川もやればいいのに」
「好きな人とかいないから」
嘘を重ねる。
「後悔するよ。で、その時にもらえるおみくじってのが凄くてね」
牛園が右ポケットに手を突っ込む。止まる。左ポケットを叩く。おしりのポケット。胸ポケット。
顔色がみるみる青くなっていく。
「なあ、僕のおみくじ見なかったか? 小吉のやつ」
教室中に響く大きな声を出した。
まだ帰りきっていなかったクラスメイトたちが一斉に顔を上げ、互いに顔を見合わせる。そして、フルフルと首を振った。
牛園の顎が、固まりきらなかったババロアのようにとろんと落ちる。そのとき。
「私見たよ」
半袖のニットを着たおさげの女の子が、右手を上げた。
「お、マジ。どこ?」
安堵の混じった声。
彼女はゆっくりと手を下ろし、教室の左前のゴミ箱を指さす。
「捨てた」
「なんて罰当たりな!」
牛園はゴミ箱へ走った。
中央を軸にグルングルン回る蓋を弾き飛ばし、頭を突っ込む。
「無い!」
そりゃドンマイだ。
俺は何気ない顔で、おさげの女の子に聞いた。
「どんなおみくじだった?」
本当に知りたいわけじゃない。ただ、おみくじを見たことがない人間として自分を演出したかっただけだ。俺はそっと右胸のポケットに、そっと手を添えた。
「普通よ。墨で小吉って書いてあって、その下に食べ過ぎが良くないとか書いてあった」
そのときだった。
強い風が教室に吹き込む。誰かの悲鳴。
俺が窓の方を見た瞬間、それは入ってきた。
それは天使だった。だが、図鑑で見るような、白く神々しい存在ではない。
まず、羽が異様だった。
羽毛は白ではなく、ところどころ灰色に濁り、金属片のような硬質な光沢を帯びている。羽ばたくたびに、ガサリ、という乾いた擦過音がする。腕は細長く、関節が多すぎる。肘が二つあるみたいに、不自然な角度で折れ曲がっている。
指は細く、先端が鉤爪のように鋭い。
そして、顔がいちばんおかしかった。人の輪郭をしているのに、目の焦点が合っていない。黒目が左右にわずかにずれ、どこを見ているのかわからない。瞬きもない。口元は笑っているようにも見えるが、それは表情ではなく、ただ裂け目が横に伸びているだけだった。
「なにあれ……!」
教室が一斉にざわめく。天使は、窓の前に横渡しに設置されたガードパイプへと止まった。
ガン、と爪が金属を掴む音。パイプがわずかに軋む。
天使は身体全体をぎくりと震わせ、それから真横へ一歩、二歩と移動する。
まるで品定めでもしているように、首をカクンと傾ける。
その焦点の定まらない目は、横たわった動物が死ぬのを待つコンドルみたいだった。
やがて、大きく羽を広げる。羽ばたくたび、体全体が前後に揺れる。ふわり、と浮き上がった。
そして。月城の机の上に、着地した。
「ちょっと何よ!」
月城が身をすくめながら、天使を睨みつける。
まずい襲われる。
ガタン、と大きな音。教室の前方で、牛園が腰を抜かし、ゴミ箱をひっくり返していた。俺は立ち上がった。
どうする。首に組み付くか? いや、気持ち悪い。横腹にパンチか? 拳を振りかぶった瞬間。天使が跳ね上がり、両足で俺の胸を蹴りつける。衝撃。視界がひっくり返る。俺は背中から床に叩きつけられた。
天使は月城に右手を差し出した。その手には一通の封筒。
上質な厚紙。エンボス加工が施され、封はきっちり閉じられている。
ゴンッと重い打突音が響いた。
天使の脳天に、木刀がめり込んでいた。それを握っているのは、長い黒髪の女子。笹ヶ院詩織。彼女は無言のまま、木刀を上段に構える。動きに迷いがない。振り下ろす。天使が腕をかざし、身を捩って避けようとする。だが、笹ヶ院の木刀は、まるで吸い込まれるように急所へ入る。肩。脇腹。膝。一撃ごとに、鈍い音。
何発か叩き込まれたところで、天使は後ろ向きにジャンプした。そのまま窓へ、外へ消える。
静まり返る教室。
全員の口が、金切り声の直前で止まっている。まるで、巨大な風船が教室の中で膨らみきり、破裂の瞬間を待っているみたいだった。
◆
「なんなのよ!」
最初に声を上げたのは月城だった。
机を乱暴に叩き、椅子を蹴る。
「最悪なんだけど! なにあれ! 意味わかんない! 気持ち悪い!」
その怒声で、止まっていた時間が一気に動き出した。教室がざわつく。
「大丈夫?」
笹ヶ院が静かに言った。
木刀を肩に担いだまま、月城を見ている。息一つ乱れていない。
「大丈夫なわけ無いでしょ」
月城は天使が消えた窓を指差す。
「助けるんだったらもっと早く来なさいよ」
助けてもらっておいてその態度か、と思う。
「そうしたら」
月城が、まだ床にへたり込んでいる俺を指さした。
「早瀬川だって蹴られずにすんだのに」
教室の視線が一斉に俺に集まる。
「……あそ。ごめん」
笹ヶ院は、あくまで平坦に言った。喧嘩を買うつもりもないらしい。
そのまま、廊下に消えた。
「ちょ、ちょっと!」
誰かが呼び止めようとするが、笹ヶ院は振り返らない。
俺はようやく立ち上がる。背中がじんじんする。
「お礼くらい言えよ」
月城に言う。
「なに? 早瀬川も笹ヶ院の味方するの?」
月城は目を細めた。
「早瀬川のために言ってあげたのに」
本当に手の施しようがない。
そのとき、足元に落ちている封筒に気づく。天使が差し出していたものだ。俺はそれを拾い上げた。分厚い上質な紙。月城に差し出す。
「なにこれ」
彼女は封を開け、中の便箋を取り出した。
俺の位置からは文字は読めない。だが、びっしりと文章が連なっているのはわかる。
数秒。月城の顔が、ゆがむ。
「うげぇ」
心底嫌そうな声。
そのまま、教室の前方左隅へとツカツカ歩いていく。そこには、まだショックから立ち直れていない牛園が横たわっていた。
「ねえ」
月城は牛園の顔の前に、手紙を突きつける。
「これ、あんたが書いたの?」
牛園は固まったまま。
「ごめん、無いから」
◆
「話が違うよ……」
電柱に片手をつき、牛園がうなだれている。
放課後の通学路。西日がアスファルトを赤く染めていた。牛園の青いランドセルが泣いているようだ。
可哀想なことに牛園は、ラブレターを突っ返されたあと、まるで人間が灰になって風で飛ばされたみたいに、どこかへ消えてしまっていた。そして今こうして発見された。
「みてくれよ、これ」
差し出された便箋。よく他人に見せられるな、と思いながらも受け取る。
「下の方は読まないでくれ。僕がお参りで唱えた言葉がそのまま書いてある。問題は一番上だ」
言われた通り、冒頭を見る。
『牛園潤様より』
はっきりと差出人が明示されている。
牛園が震える声で続ける。
「両想いだったら届くけど、両想いじゃなければずっと秘密にされるって聞いてたんだぞ。それなのに、なんで断られるのに届いちゃったんだよ」
他人事ではなかった。今朝、俺も参拝した。鈴を鳴らし、言葉にした。もし自分の好意が相手に筒抜けになったら? 考えただけで胃がきゅっと縮む。
「なあ牛園、お前はお参りについてどう聞いてる?」
牛園は鼻をすすりながら答える。
「僕が聞いたのはこうだ。この霧音町の神社で、どの神社でもいいから、どこかで鈴を鳴らしながら好きな人を言うと、もし両想いなら相手に届く。両想いじゃなければ何も起きない」
同じ話だ。そして、同じ疑問に突き当たる。
「なんで断られるのに届いちゃったんだ……」
それが怖いから神社を使ったはずなのに。
そのとき第三の声が割り込んできた。
「天使ってのが気になるね」
振り向くと、笹ヶ院詩織が立っていた。いつの間にいたんだ。木刀は持っていないが姿勢はまっすぐだ。
「確かに、天使って目に見えるんだな。概念だと思ってた」
俺が言うと、笹ヶ院は首をかしげる。
「いや、あれはただのドローンだと思う。そうじゃなくて、天使ってキリスト教でしょ。教会じゃん。神社に介入してくるのって変でしょ」
言われてみればそうだ。神社と教会。裏で繋がっているのか。それとも逆か。
「俺、天使のこと少し調べてみる。そもそも霧音町の神社の噂自体も」
牛園は完全に戦意を喪失していた。ランドセルを背負い直し、トボトボと去っていく。
「早瀬川だけでやっといて。僕はもう終わりだ」
だけれど、これは牛園のためじゃなく俺の問題だ。
そのとき。
「天使、増えてるらしいよ」
もう一人やってきた。月城だった。いつの間にか俺のすぐ横にいて、腕に抱きついてくる。なんだコイツ気持ち悪い。
月城は気にせずスマホを取り出し、LINEの画面を見せてきた。
「あたしの情報網。いくつかの小学校で、天使が教室に入ってきて、誰かからのラブレターを渡すって事件が起こってるらしいの」
俺は腕を引き抜いた。そこでようやく月城は笹ヶ院の存在に気づいたらしい。
「あ」
一瞬で、機嫌が変わる。
「笹ヶ院、早瀬川になんか用あんの?」
刺のある声。
「別に」
笹ヶ院は表情一つ変えずに答え、くるりと踵を返す。怒りも、恐れも、対抗心もない。ただ無関心。その態度が余計に月城の癇に障ったように見えた。
笹ヶ院の姿が見えなくなると、月城は急に笑顔に戻る。
「でね、鍵はおみくじね。あたしの情報によると、天使は必ずおみくじをなくした人のラブレターを持ってきてるんだって」
月城がじっと俺を見る。
「ところでさ、早瀬川もお参り、したの?」
「お前には関係ないだろ」
声が強くなる。
「別に怖がることなんてないじゃん。好きな人がいるなんて」
「知らない」
俺は月城から走って離れた。
◆
日暮れが、町を飲み込もうとしていた。空の端は紫に濁り、雲は血を吸った綿みたいに重たく垂れ下がっている。
夕日が、町を呑み込もうとしていた。
風が止んだ。背筋がひやりとする。
電柱の上に、灰色の影。天使! 焦点の合わない目が、まっすぐ俺を見ている。次の瞬間、跳んだ。
俺は反射的に走る。背後で羽の擦れる音。乾いた金属音みたいな、不快な振動。路地に飛び込む。
だが、影が覆いかぶさる。肩を掴まれ、引き倒される。
「くそっ!」
地面に転がりながら、腕を振り回す。拳が何か硬いものに当たる。生き物の肉の感触ではない。天使の腕が絡みつく。俺は必死に押し返す。蹴る。肘を打ち込む。数秒の揉み合い。
やがて、天使はふわりと後退した。何かを確認するように、首を傾ける。そして、羽ばたいた。一瞬で上空へ。
俺は家まで走った。玄関を乱暴に開ける。靴を脱ぎ捨て、部屋に飛び込む。ランドセルを下ろし、ベッドに倒れ込む。
「最悪だ……」
天井を見上げる。そのとき、ふと違和感を覚えた。胸元。嫌な予感。ゆっくりと右胸のポケットに手を入れる。指先が、空を掴む。
ない。
布の内側が、ざらりと裂けている。ビリ、と破れた感触。血の気が引く。さっきの揉み合い。あのときだ。気づかなかった。
おみくじを奪われた。
喉が急激に乾く。スマホを掴む。
こんな時誰に頼れる? 牛園? アイツは今廃人だ。月城ももちろん無い。
なら笹ヶ院。だが、連絡先を知らない。いや、クラスのグループLINEから辿れる。
メンバー一覧をスクロール。
見つけた。震える指で、通話ボタンを押す。コール音。長い。出ろ。
『……なに?』
落ち着いた声。
「笹ヶ院、助けて」
自分でも驚くほど必死な声だった。
『どうしたの』
「取られた、天使、今気づいた、襲われて、さっき。おみくじ」
◆
夜の神社は、昼間とはまるで別の場所だった。
参道の石畳は月明かりに白く浮かぶ。
俺と笹ヶ院は、参道脇の茂みに身を潜めていた。
これは笹ヶ院の発案だった。
「天使はおみくじを狙ってるんでしょ。なら参拝客の帰り道を襲うはず」
とのこと。
しばらくすると、石段の下から足音がした。
一人の女の子。
見たことのない顔。たぶん他校の子だ。
彼女は拝殿の前に立ち、鈴を鳴らす。
ガラン、ガラン。夜の境内に響く。手を合わせ、何かを祈る。終えると、絵馬を書き、掛ける。そして、おみくじを引いた。
白い紙を取り、きょろきょろと周囲を見回す。
誰かに見られていないか、確かめるように。
その瞬間。風が、逆巻いた。木々がざわめく。上空から影。
灰色の羽が月光を反射し、不気味に光る。
女の子が気づく。
「いや……!」
走り出す。天使が追う。
「行くぞ!」
俺と笹ヶ院は茂みから飛び出した。参道を駆ける。天使は女の子に迫る。俺は跳躍した。その足にしがみつこうとする。だが。ふわりと天使が上昇する。俺の手は空を掴む。
バランスを崩し、そのまま石畳に突っ込んだ。
「ぐっ!」
膝を強打する。顔を上げたときには、天使は向きを変えていた。笹ヶ院の方へ、急降下していく。
「危ない!」
だが。
天使は、笹ヶ院を攻撃せず、彼女の目の前で停止した。
そして。両手を差し出した。そこには、封筒が何通も握られている。
笹ヶ院は一瞬だけ目を細めた。そして、封筒を数枚受け取る。
開封する。
「2組の山田から」
淡々と読む。
別の一枚。
「こっちは5年生。こういう伝え方は気持ち悪いわね」
俺の背中に冷たいものが走る。
俺は立ち上がり、全力で飛びついた。天使の胴体に抱きつく。
硬い。腕を回し、必死に押さえ込む。封筒が宙に舞う。
月明かりの中、白い紙がひらひらと落ちていく。
俺はそれを掴んだ。折りたたまれた、白い和紙。おみくじ。俺のだ。
次の瞬間、強い羽ばたき。俺は弾き飛ばされ地面に転がる。天使は上空へと舞い上がり、そのまま闇に溶けた。
散らばった封筒だけが、石畳に落ちている。
笹ヶ院が俺を見る。
「おみくじ、取り返せたんでしょ」
俺は掌を強く握りしめたまま頷く。
「……ああ」
「なら私は帰るね」
夜の参道を、迷いなく歩いていく。その背中を見送りながら、俺は深く息を吐く。
地面には、まだ手紙が散らばっている。俺はそれを、一枚一枚拾い始めた。
他人の名前。他人の想い。その中に見つけた。
『早瀬川涼様より』
俺は素早くそれを拾い、胸に抱えた。安堵。笹ヶ院に見られなくてよかった。
だから呼び出した。彼女を目の届くところに置くために。
これで安心。
だが。散らばった封筒の山を見て、別の感情が湧き上がる。笹ヶ院って、こんなに人気あるのか。何通も、何通も。
俺はただ、好きだという気持ちがバレないようにと願っただけだ。
別に、笹ヶ院と仲良くなりたいわけじゃない。
本当に?
胸の奥に、焦りが生まれていた。
◆
拾い集めた封筒を抱えたまま、俺はふと顔を上げた。拝殿の引き戸が、わずかに開いている。
鈴緒が、風もないのにかすかに揺れている。開いた引き戸の奥のすだれに人影が落ちていた。袴の輪郭。
「勇敢な少年よ」
澄んだ女性の声。
「……あ、俺ですか?」
「あなたです」
巫女さんだろうか。俺は一歩拝殿へ近づく。
「ねえ、この町では今、何が起こっているんですか?」
すだれの向こうの影が、ゆらりと揺れた。
「この地域の数十の神社では、片思いを有向グラフとみなし、匿名でネットワークに流すことで両想いを検知する仕組みを構築しました」
「だが」
巫女の声がわずかに低くなる。
「教会がそれを妨害した。天使ドローンでおみくじを強奪し、匿名を破り、片思いの相手へ直接伝える。勇敢な少年よ。教会へ行きなさい。黒幕である神父を倒しなさい。そして、神父の持つドローン操作アプリの入ったスマートフォンを破壊しなさい」
どう考えても無茶だ。
「なんで俺が」
「あなたは既に関与している」
静かな声。
「天使と接触し、おみくじを取り返した。あなたは選ばれたのです」
違う。
俺は、選ばれたから動くんじゃない。
石段の下に散らばった封筒の光景が、脳裏に浮かぶ。笹ヶ院宛ての手紙が何通も。何通も。
俺はただ、好きだという気持ちがバレなければ、それでよかった。別に仲良くなりたいわけじゃない。なのに。あいつにあんな手紙が届くのが嫌だった。
その中の一つは、彼女の意中の相手かもしれない。そう思うと怖かった。
すだれの向こうの影が、わずかに動く。
「それは、嫉妬ですか」
「知らない」
即答する。
「でも、嫌なんだよ」
あいつの前に、勝手に並ばれるのが。
「……」
しばしの沈黙。
「ならば尚更、行きなさい」
巫女の声は静かだった。
俺は唇を噛む。怖い。でも。
このままじゃ、また天使が飛ぶ。また手紙が届く。また、あいつが封筒を開く。
「行きます」
小さくはっきりと言う。
「俺が神父を止める」
これ以上、誰かが笹ヶ院に手紙を送るのが嫌だから。
それだけの理由で、俺は戦うことにした。
◆
夜の教会は、不気味なくらい静かだった。
門は開いていた。俺は扉を押し、そっと中へ入る。中は細長い廊下だった。両脇の壁にはろうそくが等間隔に並び、細い炎が揺れている。蝋の匂いが漂う。
そして。廊下の奥に、天使が一体だけ片膝を立て静止している。灰色の羽を畳み、焦点の合わない目を閉じたまま待機している。
廊下の中央まで来た、その瞬間、ドン、と重い音。床が震える。床板が左右に割れ、そこから巨大な木の柱がせり上がる。
一本。二本。三本。
等間隔に並びながら、一直線に立ち上がる。まるでパルテノン神殿を思わせる構造が、廊下の中央に形成される。
反射的に後退する。だが、背後でも同じ音。振り返ると、後ろ側にも同じように柱が立ち上がる。前後を列柱で塞がれた。
左右は壁。
閉じ込められた!
「早瀬川!」
廊下の門側から駆け寄る足音。
俺は顔を上げる。
「月城」
月城は両手で木の格子を握り、その隙間から顔をのぞかせる。
「今助けてあげるからね」
やけに得意げな声。だが俺は、すぐに問いを返した。
「……いや、その前に聞きたいことがある」
「なに?」
月城は首を傾げる。
「なんで俺がここにいるって知ってた?」
一瞬だけ、目が泳いだ。
「たまたま」
「嘘だろ」
俺は格子を握る。
「始めっからおかしいと思ってたんだ。お前は俺がお参りに行ったことがあるのかって聞いた。なんでそう思った?」
月城は、もじもじと足先をいじる。
「腕組んだときにさ、早瀬川の胸ポケットに紙の感触があって。それで」
「ところで今日の下校の時系列だけどな」
俺は続ける。
「最初は俺と牛園の二人で話していた。そこへ笹ヶ院が来た。牛園が帰った。お前が来た。笹ヶ院が帰った。俺がお参りに行ったって話が出たのはその後だ」
月城は黙っている。
「俺は牛園にも笹ヶ院にも、神社に行った話はしてない。恥ずかしかったからな。だから、俺がおみくじを持ってると知ってたのは、お前だけなんだ。その直後、俺は天使に襲われた」
格子越しに、月城を見る。
「お前が仕組んだな」
月城は、ゆっくりと笑った。
「ごめん。仕組んだっていうか、天使に伝えただけ」
あっさり認める。
「なんでそんなことした」
その瞬間、月城の顔が強張る。怒りと、焦りと、何か子どもっぽい感情。
「だって、早瀬川が誰が好きか知りたかったんだもん!」
声が廊下に響く。
「そんな理由で?」
「だって気になるじゃん!」
「……あの巫女もお前か。俺をここに誘導して」
「そう。捕まってるところに颯爽と助けに来たら、好きになってもらえるかなって」
「何だそりゃ」
呆れるしかない。
そのとき。廊下が、急に明るくなった。
「ははははは。素晴らしい」
月城の後ろに、男が立っている。黒い服に白い襟の神父。
「美しい。まさに愛」
月城が振り向く。
神父はゆっくりと歩み寄る。
「早瀬川くん、と言いましたね」
檻の前で立ち止まる。
「あなたに、神社の秘密を教えましょう」
俺は黙って睨み返す。
「霧音町では神社同士が匿名分散暗号両想い検知ネットワークで繋がっています。あなたが鈴を鳴らすと、その音をシードに暗号鍵ペアが生成される。公開鍵は絵馬に、秘密鍵はおみくじとして本人に渡される」
神父は指を立てる。
「A君がBさんを想う。その祈りはBさんの絵馬で暗号化され、ネットワークに流れる。各おみくじは自分の秘密鍵で復号を試みる。復号できれば、誰かから想われているとわかる。だが誰からかはわからない」
ゆっくりと歩きながら続ける。
「Bさんは、これが意中の人からの手紙だと信じて返信を書く。それを意中の人の絵馬で暗号化し再びネットワークに流す。A君が復号できればカップル成立。逆にBさんがC君に返事を書けば、誰にも知られないまま迷宮入り」
神父は両手を広げる。
「実に美しい仕組みだ」
そして、にやりと笑う。
「だが、この方法には致命的な弱点がある」
俺は唇を噛む。
「おみくじを奪われたら、自分の好きな人が相手にバレてしまう」
それはその通りだ。
「そこで我々は、天使ドローンでおみくじを回収し、直接相手に想いを届けることにしたのです」
「なんでそんなことを」
台無しじゃないか。
神父は穏やかに答える。
「愛ですよ」
狂気じみた目。
「愛していますと伝える以上に、愛してもらう方法があるでしょうか? 両想いが発生するのをただ待つなんて、そんなの間違っています」
「迷惑だ」
吐き捨てる。
「ですが」
神父は肩をすくめる。
「実際にそれでいくつものカップルが成立しているのです。はははははごふぅ」
鈍い音とともに高笑いが突然途切れた。神父の身体が前につんのめる。その背後に、長い黒髪。
笹ヶ院詩織。木刀が、神父の後頭部の上で跳ね上がった。
神父はよろめきながらも体勢を立て直し、暖炉から、火かき棒を掴み取る。鉄の棒が炎を反射する。
◆
火かき棒が空気を裂く。鈍い金属音。廊下のろうそくが一斉に揺れる。
神父が黒い衣の裾を翻し横薙ぎに払う。
笹ヶ院は半歩引き間合いをずらす。木刀を返し神父の手首を狙う。
乾いた衝突音。火かき棒と木刀が何度もぶつかる。
俺は檻の中で歯を食いしばる。
「笹ヶ院!」
叫んでも意味はない。彼女は一言も発しない。
ただ、淡々と打ち込む。
だが金属と木。強く衝突するたび、木刀が軋む音が聞こえる。神父が踏み込む。火かき棒を大きく振りかぶる。笹ヶ院は真正面から構えた。
次の瞬間、木刀が根本から折れた。先8割が床を転がる。
初めて笹ヶ院の足が止まった。
神父は息を荒げながら笑う。
「武器がなければ、ただの女の子だ」
火かき棒を突き出す。笹ヶ院は横に跳ぶ。だが、裾をかすめる。壁に叩きつけられ、鈍い音が響く。
「やめろ!」
俺は格子を掴み、全力で揺する。びくともしない。神父がゆっくりと近づく。
火かき棒を逆手に持ち、振り上げる。
そのとき笹ヶ院が、折れた木刀の先を蹴った。俺は手を伸ばしてそれを掴み取り、檻の隙間に噛ませる。体重をかけ、テコの原理で檻を破る。一本だけ開いた隙間に身体をねじ込む。ささくれが腕に刺さった。それでも、俺は血まみれになって這い出した。
神父が笹ヶ院に鉄の棒を振り下ろそうとしたその瞬間、俺は神父の腰に飛びついた。
二人で床を転がる。
神父が足をばたつかせる。俺のみぞおちに靴裏を合わせると、一気に押し込んだ。俺は跳ね飛ばされた。だがその直前、俺はおみくじを神父のおしりのポケットに滑り込ませていた。
神父はよろめきながらも、すぐに体勢を立て直した。
その目には、先ほどまでの余裕はなく、狂気じみた光だけが宿っている。
笹ヶ院が立ち上がろうとするが、足元がふらついている。
俺は歯を食いしばった。今ここで逃がしたら終わりだ。
神父は背を向けると、そのまま廊下の奥へと駆け出した。黒い裾が揺れる。重い革靴の音が石床に反響し、闇の奥へ吸い込まれていく。
「待て!」
追いかけようとした瞬間、低く唸るようなエンジン音が響いた。
次の瞬間、礼拝堂の奥の扉が破られるように開き、眩しいヘッドライトが一直線に廊下を貫いた。
神父がハーレーに跨っていた。
タンクに映る燭台の炎が歪み、悪魔の笑みのように揺らめく。
エンジンをふかす轟音が、教会の静寂を粉々に砕く。
笹ヶ院が俺の腕を引く。俺たちは壁際へと飛び退いた。
バイクは石床を削りながら猛然と加速し、長い廊下を一直線に駆け抜けていく。
その背中越しに、神父が右手を高く掲げた。
握られているのは、あのスマホだ。
「愛の神よ、霧音町を祝福されん」
低く、陶酔した声。
そして、親指が中央のボタンを押した。
その瞬間、廊下の脇で片膝をついて静止していた天使が――動いた。
ぎぎ、と関節が鳴る。焦点の定まらない目が、赤く瞬いた。翼がゆっくりと広がる。羽ばたき。空気が震え、ろうそくの炎が横に流れる。
俺は思わず笹ヶ院の両肩を掴んだ。
「な、何? 気持ち悪い」
「俺、帰ってきたら、お前に伝えたいことがあるから」
「はぁ?」
笹ヶ院が怪訝そうに眉をひそめる。
その頭上を、突風が走った。天使が舞い上がったのだ。俺は石床を蹴り跳躍する。俺の両腕は天使の足首に絡みついた。
天使は躊躇なく上昇する。俺の身体が宙に浮く。足が空を掻く。
門を抜ける。教会の尖塔が視界の端に流れる。
霧音町の夜空へ、俺は引きずり上げられていった。
◆
眼下に広がるのは、夜の霧音町。
天使の脚にしがみついたまま、俺は必死に歯を食いしばった。
前方、ハーレーのヘッドライトが堤防沿いの道路を走る。神父は北へ向かっている。やがてバイクは、巨大なアーチを描く霧音大橋へ侵入した。
天使が翼を傾け、急降下を始めた。神父の尻のポケットに入っている、俺のおみくじを追っているのだ。
風圧が一気に強まる。橋の上を疾走するハーレーの真上へ、天使が滑り込む。
今しかない。俺は手を離した。
一瞬の無重力。次の瞬間、神父の背中に叩きつけられる。腕を首に回し、必死にしがみつく。
「な、何をしているのです!」
神父が叫ぶ。
ハーレーが蛇行しタイヤが悲鳴を上げる。神父の右手にはスマホ。それがすべての元凶だ。
「よこせ!」
「離しなさい!」
俺たちは二人で息を合わせてバイクのバランスを取りながら、金毘羅船々のようにスマホを奪い合う。ハンドルがぶれる。橋の中央線が視界の端で歪む。
指先が触れる。滑る。もう一度。取った。
その瞬間。前方のブレーキランプが赤く光った。しまった、避けきれない。衝撃。凄まじい音と共に、視界が白く弾けた。俺たちは空中に投げ出された。
橋のアスファルトに叩きつけられる。全身が軋む。転がりながら、俺は前方を見る。目の前に、あのスマホが滑ってきた。画面は粉々に割れ、かろうじて光を放っている。俺は這い寄った。指先で掴む。立ち上がれない。だが、腕だけで十分だ。橋の欄干の隙間から、黒く流れる霧音川が見える。俺は思いきり投げた。
スマホは放物線を描き、夜空に一瞬だけ光を反射し、そのまま川へ落ちた。
◆
三日後。
俺は病院のベッドの上にいた。右足はギプスで固められ、天井の白い蛍光灯がやけにまぶしい。
神父は行方をくらましたらしい。だが事件は明るみに出た。教会は強制捜査を受け、異形の天使はすべて停止された。
霧音町の神社同士を繋ぐ匿名分散暗号両想い検知ネットワークは、安全性を再確認され、運用が再開されたらしい。
けれど。もう、そんなものはいらない。
コンコンとノックの音の後、病室のドアが開いた。
入ってきたのは笹ヶ院だった。制服姿。長い髪が揺れる。その表情はいつもの無関心とは違い、どこか険しい。そしてその手には、あの便箋。エンボス加工の厚紙。
「ねえ早瀬川、どういうつもり?」
低い声。怒っている。
警察が天使を完全停止させる前に届けられてしまったらしい。俺はゆっくりと身を起こした。
痛みが走るが構わない。
俺は手を伸ばし、便箋を奪い取った。そして破いた。
笹ヶ院の目が見開かれる。もういらない。匿名も、暗号も、検知も。俺は笹ヶ院の両肩に手を置いた。
「な、なに?」
「笹ヶ院、好きだ」
「……生で言われると余計気持ち悪いわね」
笹ヶ院は顔を背けた。これでいいんだ。
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