Inner Urge
生まれた時代が遅すぎた。サムはずっとそう思っていた。ジャズが既に燃え尽きた時代。パーカーもコルトレーンも、もう生きていない。
サムはニューヨークのジャズクラブを渡り歩き、10代でグラミー賞を取った鬼才。世間的な評価とは裏腹に、才能が故に誰と演奏しても満足できない。彼は孤独を感じていた。
「あと百年早ければな」
そう漏らしたサムに友人は言った。
「なら作ってやるよ。百年前の連中」
翌週友人は音源を生成するソフトウェアを作ってきた。レコードを掘り尽くし、データを食わせ、巨匠の音色やタッチ、癖までコピーして、録音が無いはずの曲もその巨匠として演奏が流れた。しかしサムは言う。
「でもこれじゃ会話が出来ない」
対話の中で変化し、予想外が生まれ、互いの意志がぶつかり次の一音が決まる。
夏の終わり、友人は無骨な機械をガレージに運び込んだ。ピアノ、ドラム、ベース、サックスと一体化した四体のロボット。演奏から意図を汲み取り、次の返答をリアルタイムで生成する機構が組み込まれている。サムは思わず唸った。ガレージで、エヴァンスが鍵盤を撫で、チェンバースが床を震わせる。最も憧れたジョー・ヘンダーソンが眼の前にいるようだった。夢にまで見た伝説との対話がそこには生まれた。
彼はガレージでロボットたちとの演奏に沈み込んだ。皮肉にも機械との演奏にのめり込むほど、観客は彼を分からなくなった。喝采は減り、席は空いていった。それでも深く潜った。機械仕掛けの伝説たちは自身の問いかけに応えてくれる。そして「もっと来い」と言う。
その冬、突然致死性の高いウイルスが世界に広がった。ニューヨークは最初に崩れた。人々は街を離れ、店は次々とシャッターを下ろした。ジャズの名店も次々と消え、最後に残っていたヴィレッジ・ヴァンガードも閉店が決まった。
ジャズの歴史と共にあった場所が消えることが耐えられなかった彼は店ごと買った。死にゆく都市でジャズクラブを買うのは狂気だった。ロボットを友人とステージへ運び込む。オーナーは鍵束を渡し、ありがとうとサムの手を握って街を去った。
「そのうち街の電気も切れるから」
友人は店の発電設備を整えた。ここに残ると決めたサムへの餞別だった。最後のバスに乗る友人を見送った。もう人類は助からない。どこへ行っても同じなら、生きている内にもっと遠く、深くへ。サックスを手に取り、残りの命を全て吹き込め続けた。もう一人ではない。伝説たちは最後まで付いてきてくれる。
やがて百年ほどの年月が経った。
プロキシマ・ケンタウリ系に住むセラ人は、豊かな資源を求め、地球を得るためにウイルスを送り込んだ。彼らの長命を考えれば、戦争より安全で効率的な方法だった。しかし既にウィルスで人類は消えたはずだったが、ある一地点から人間活動に近いパターンの振動が発せられ続けている。
二人のセラ人士官が調査に向かう。ひび割れた道路に船艇を降ろし、暗い街を歩く。闇に包まれた通りに、ぼんやり赤いネオンで “Village Vanguard” の文字が浮かぶ。
中では薄く灯った空間が広がり、ステージが眩しい照明に切り取られ。四台のロボットが置かれている。中央にはレコードプレイヤー。しばらく沈黙の後、レコードが独りでに動き始め、サックスを鳴らし始める。それに呼応して機械たちも動き出す。
音の振動を意味から切り離して捉えるセラ人にとって理解を超えた体験だった。二人はステージ上で起こる振動の奔流に釘付けになり、演奏が終わると機械に向かって思わず手を叩いていた。一人の士官が白骨を見つけた。手には曇った輝きのサックス。もう一人の士官はレコードを手に取り、手書きの文字を読んだ。
“Inner Urge”
彼らはレコードと四体のロボットを母星へ持ち帰り、未知の文化はセラ人を熱狂させた。次第に「他の演奏も聴きたい」という声が高まった。セラ人はそこで人類を安易に消したことを後悔したが、解決策は簡単だった。地球で採取できるDNAからバンドを蘇らせれば良い。セラ人の技術では難しくは無かった。ただし彼らの尊厳のため、蘇生は一晩だけと決められた。
気がつけば、サムは立っていた。
薄暗い空間で自分に向かって突き刺すような照明。
胸には相棒のサックス。眩しくて観客の顔は見えないが、ざわめきとグラスの音、仄かな人の香りが満員を教え、期待の熱が伝わってくる。
振り返ると、黒人のドラマー。若いベーシスト。眼鏡の白人ピアニスト。
そして隣から同じサックスを持った男が歩み出てくる。思わず目を疑う。心臓が跳ねる。最も憧れ、夢にまで見た男だった。つまりこれは夢なのかもしれない。だが、夢でも良い。こんな瞬間を待ち続けていた。
男はサムに目配せをする。
ああ、そうだ。ふと我に返る。
静かに目を閉じて、自分の内から湧き上がる衝迫を掴む。
そして、リズムに乗せる。カウント。
「1, 2…」
深く吸い込んだ息を音に込めた。
文字数:1998
内容に関するアピール
ジャズSFです。タイトル『Inner Urge』は Joe Henderson のアルバム名・彼の曲から。
私にとっての美しいは「極限の追求」と「それに対する畏敬」だと考えました。そして全ての苦労が報われ、それまでの意味がオセロのように一気に反転し、最後に肯定的な意味を持つような瞬間こそが美しく、そういった話を書きたいと思いました。前回の円城塔先生の講義を受けて、2,000文字の中でも出来るだけ展開を発展させようとしてみました。
書きながら浮かんだ質問がありまして、一文一文の表現を完成品として磨いていく作業はどのように進めたらいいのでしょうか。一旦全体の話の筋を書き終えた上で、何度も読み直しながら、まだ磨けそうな部分を一つずつリッチにしていくイメージでしょうか。もしよろしければ、講評の際に伺えますと幸いです。
文字数:353


