ルエダ

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ルエダ

1.

 岩陰で圭史は海を眺めていた。今、海は摂氏50度超の灼熱を受け煌めいている。あと20分もしたら、一年で最も垂直に近い角度から太陽光が降り注ぐ。夏至。一年で一番昼が長い日だ。
「すみません」
背後からの声に圭史は振りむいた。薄緑色のつるりとした肌と長い手足。光合成シリコン型アンドロイドアバターだ。珍しいな、こんなところで。梅雨の明けきらない季節、島は光合成アバターの聖地となる。ただ通常主が好むのは華やかな繁華街、アバター向けの視覚刺激が増殖しているエリアだ。まあ、主にも事情があるだろう。
「すみません、この近くの海でできるだけ深い場所って、どの辺でしょう」
「そうね・・左にしばらくいくと海触洞がある。そこかな、魚は少ないですよ」
指をさしながら圭史は説明した。
「ダイビングしたい訳じゃないんです」
傾げた首にあわせてペンダントが揺れる。丁寧な物言いに親しみを覚え、圭史はきいてみた。
「案内しましょうか。でも、何しにいくんです?」

 怜の住むコロニーには、夏至の日に瑪瑙を海に沈める17歳の儀がある。そして今年、唯一かつ11年ぶりの該当者が怜だった。
「瑪瑙は届けます」
ユタの声が聞こえる。コロニーの絶対的存在であるユタに、怜はあったことがない。そもそも生きているのだろうか。とはいえ、自分もほかの人にとっては同じような感じか。
「必ず正午に」
部屋に届いたのは瑪瑙のペンダントだった。つい昨日のことだ。

 足場の悪い岩場を離れ、肩に水が浸る位置まで移動してからゆっくり水を掻くと、ひやりとした潮流と生ぬるい潮流が交互に身体に纏いつく。後ろをみるとアバターは黙々とついてきている。なかなか上手い泳ぎだ。海触洞に着くと圭史は手前で待つことにした。
「何かあったら声かけて」
アバターは頷いて、中に入っていった。

2.
 洞窟に入ると一挙に彩度が低下し、視野の調整に手間取る。天井の穴から光が差し込む範囲は安定的で、海中も30m程度まで確認できそうだ。怜は頭から思いっきりダイブし、しばらく下降することにした。水の抵抗はほぼなく視界は透明度の高いエメラルドグリーン、その遥か彼方に漆黒を捉える。まるで地球の裂け目だ。ここにしよう。怜は瑪瑙を握りしめてから首の後ろのフックを外し、指をそっと開いた。
 30cm…50cm… 1m…静寂の中、瑪瑙がゆっくりと落下していく。
 2m…5m…10m…左方奥で海蛇の群れが緩やかにうねり、しばらくするとその影響を受けるように瑪瑙が横に流される。見ているのはすでにただの藻なのかもしれない。それでも闇に吸い込まれていくその影を、怜は見続けずにはいられなかった。
 その時遥か頭上方向から強い陽光が差し、視界の彼方に青碧色が煌めいた。怜は息をのんだ。さっきまで身に付けていた瑪瑙だ。瑪瑙は強く弱く輝きを放つ、まるで呼吸しているように。
何が見える?ユタの声が聞こえる。全身が引き吊り込まれる感覚のなかで、怜は眼を凝らした。

 立ち込めていた霧雨が消え、一帯の空気が光の残像で満ちている。また、来てしまった。小走りにきたせいで息が荒い。少年は廃屋の前にいた。この奥の小部屋には青いマリア像が置かれていて、その足元で昨日白猫がうまれたのだ。呼吸を整えてから重い扉を開き、少年は身体を忍び込ませる。静かに、静かに・・。痩せ細った親が生まれたての子猫を嘗めているのを、少年はしゃがんで眺めていた。でも、子猫は昨日より小さくなっている気がする。少年は不安になった。これは食べてるんじゃないか。
「暑いから、熱を逃がしてるんですよ」
突然声がして少年はひっくり返った。
「驚かせましたね」
青年はしゃがんで少年の両手を握り、立ち上がるのを手伝った。暖かい手だ。
「中にはいって。大丈夫」
青年に続いて少年は薄暗い部屋にはいった。怒られるかと思ったが、青年は何もいわなかった。
「ずいぶん痩せてしまった。授乳は難しいかもしれません」
白猫を抱き上げた青年の、青碧色の眼が揺れてみえた。
「わたしはルエダといいます。また会いましょう」
その後少年が、青年と白猫に会うことはなかった。

 何が見える?ユタの声が聞こえる。
また会いましょう。ルエダの声が耳の奥に響く。光は徐々に薄らぎ、漆黒だけが残る。

 ルエダ。
 その名前が八重山キリシタン事件として知られる1624年の出来事で、斬首刑となった宣教師と同じであることを怜は知っていた。そしてその首が、この近海に捨てられたことを。

ニューロンスーツのチャックを下ろすと怜は上半身を起こし、ゆっくりと立ち上がった。そして寄生者の抜けたアンドロイドが水中を漂い、その後自ら泳ぎだす瞬間を思い浮かべた。陸に上がり、街ですれ違う日を思い浮かべた。気づくことができるだろうか、だと嬉しい。長い髪をくるりと纏め、怜は4年ぶりに外に出た。夏至。一年で一番昼の長い日。太陽は高く、今日の日はまだ永遠に眼前にあった。

文字数:1999

内容に関するアピール

最初に決めたのは海底の漆黒を場面に入れ込むことでした。自分にとって”美しさ”とは、”恐ろしさ”に近しい気がします。

文字数:53

課題提出者一覧