梗 概
竜と君と謝肉祭
二〇七四年、レオ=マケラは、空に舞う大型戦闘ドローンの群れによる爆撃の記憶を夢に見続けている。
その姿は黒い竜のようだ。
三年前、北日本某所で国境紛争に遭って日系の父を失い、母の姓を名乗り、日本から母の故郷フィンランドに移った彼は、どの国でも本物の国民として馴染めないと感じている。
レオは日本の大学での研究を活かして国際的な食品製造企業で培養肉事業に従事している。培養肉の課題は、強みである独特の味や風味を持つ高品質商品の安価な大量生産だ。だが、培養に必要な電力の価格は高騰し、培養肉への消費者の抵抗感も根強い。結果、植物性代替肉事業に投資は移り始め、レオの事業とキャリアは危機にある。
そもそも培養肉は本物に近づけるほど消費者を騙す印象が際立ってしまう。レオは、仕事にも、出自の悩みに似た矛盾を感じ始める。
一方、レオのパートナー“リン”は日本に住み、同じ企業で代替肉事業に従事している。リンはレオと対照的に多忙で順調なキャリアを歩み、レオと同じ移民二世だがレオと違って出自に拘りは無く、快活だ。それゆえ、リンとの交際にレオは気後れを感じている。レオは悩みをリンに打ち明けるが、彼女は逆にレオに問いかける。
「代替物や模造品が欺瞞? あなたが地球の裏から私に触れるのは良いのに?」
リンの言葉に、彼女の肉体を模していた触覚通信機器からレオは手を離す。二人の間に見えない距離が生まれる。
レオは自身のルーツを考えるため母の家を訪ねる。気候変動から内部を守り、人間一人を賄う植物食ベースの疑似生態系を確保したドームだ。母は菜食派だが、レオの訪問に乾燥肉や果実の発酵酒が食卓に並ぶ。レオは鹿の乾燥肉を食べる。しかし、子供時代の記憶にある天然素材料理の豊かさを感じられず戸惑う。
「肉は森から霊を借りるもの」
母の言葉は現実から乖離している。鹿はドーム外で森林保護のため駆除されただけだ。レオは培養肉や自分の出自に抱いていた違和感の正体に気づく。
本物とは所詮、揺れ動き、遠ざかる理想だ。だから永遠に成り代われない。
ならば別の理想を自ら創るべきでは? 自分や人が、価値を感じる食と生活とは?
そう考え、翌二〇七五年、レオは多民族化がさらに進む日本に戻る。
理由は二つある。一つは日本の生活や住人に今も残る、獣との共生感覚、食への強い拘り、妄想や創作への肯定感情と強い執着が、自分のアイデアを後押ししてくれると感じたからだ。
彼は『神話や創作上の生物の肉を創生した肉祭』を企画し、培養肉独自の価値を広め始める。盛況の会場で、巨大な竜や幻獣の肉を仲間達と汗だくで丸焼きにするレオに、その祭をリモートで共同企画してきたリンが近づき、笑う。
「理屈屋の獅子が肉を焼いてる。どうして戻ってきてくれたの?」
衣装である謝肉祭の仮面を外し、レオはもう一つの理由を言う。
「竜の肉を焼いて君と食べる。そんな人生が必要だと思ってね」
文字数:1199
内容に関するアピール
話の着想は2025大阪・関西万博で出展された培養肉です。
そこへ日本と日本人の構造的な変化や、人と獣、植物と肉、真と贋、異質と同質、虚構と実体という様々な対比構造が題材として吸い寄せられ、このような形になりました。情報過多だなぁ、と思いつつ、えい詰め込んでやれ、と思い切りました。
近未来の世界や人間の作品は苦手です。現実の事情が関係して、誰かを傷つけるか、明らかな嘘が生じやすく感じます。そのため「希望がある話にすること」だけは決めました。
「未来を予測する最良の手段はそれを実現すること」
そんな著名な経営学者、技術者、先達のSF作家の方々の言葉に、巨人の肩に寄生する羽虫のような私は思います。
「良き未来を実現する最初の手段はそれを言祝ぐことでは?」
善き時代に繋がる語り手となれればと願い、このSFを紡ぎます。未来の光の一粒となれますように。
皆様、宜しくお願いいたします。
文字数:384
竜の謝肉祭
~申し訳ありません。未完です。後日では講座に提出できませんが、書き上げてまいります。評価対象外としていただいて構いません。~
空を覆い尽くすような真っ黒な何かの群れが、夕景の空に拡がっている。
なだらかな穀倉地帯を見晴らすと、それらがゆっくりと、実際には恐るべき速さでこちらに近づいていることに気づく。
それらは鳥ではない。僕は既にそれを知っている。
遠目には、夕焼けに拡がる黒い染みのようだったそれが、粉を吹き散らすように大量の黒点となって近づいて来る。穀倉地帯に敷設された無人農作業用の自動運行列車が、狂ったように異音を生じて止まる。
疫病を巻き散らすようにそれらは行軍する。空に黒点達の唸りが響き渡り、各黒点同士のドップラー効果で生み出される多重奏の不協和音が耳をつんざき、僕は全身を震わせた。
大小様々な黒点たちは、いずれも鳥か蝙蝠のような大きな翼の形を持った何かだと見て取れる。しかし、そのどれにも翼の羽ばたきは見られず、遊びのある動きもなく、生物の群れに典型的な『各個体が共通のルールに従って振舞う』ことによって生じる“揺らぎ”が無い。中央集権的に管理され、統制された動きだ。
僕は、いつものように過去の光景を見ていることに気づく。
正確には、過去の記憶を元に捏造した夢だ。
まだ、大学で生物学のゼミに入ったばかりの自分は、当時そこまでの観察眼はなかった。ただ単純に恐怖に打ち震え、農場の中を逃げ惑っていた。
近くの農業機械の管理棟で火災が発生し、父親が消化しきれずに焼け死のうとしていたことも知らず、ただ恐慌をきたしていたのだ。
これは幻影であり、悪夢だ。
そのことに意識が向いてもなお、僕の目は覚めず、僕の視界には炎が拡がった。木材と畑の作物が焼ける匂いの中にべたべたと焦げ付いた何かの匂いが感じられ、自分自身の悲鳴が聞こえる。
浮塵子のような眷属を巻き散らす黒い染みが、炎を飛び越えて頭上に現れる。翼を持つ黒い小さな影達とは違い、それは巨大な威圧感を伴い、重低音を響かせて空を横切っていく。
悠然と飛ぶそれが、黒い、悪しき竜のように感じられた。
子供の頃に見た怪獣映画を思い出したせいだろう。それくらい、それまでの僕の人生とその巨大な黒い影には全く何の接点も無かった。
戦略無人爆撃機を直接見たのは、後にも先にもその時だけだ。
あまりの恐怖に寝小便を漏らしていないかと、目覚められない僕は心配になる。
嫌だ。やめろ。誰か助けてくれ。この悪夢から出してくれ。
切実にそう願うと、声が降ってきた。
――レオ、起きて。
◆
柔らかな声に呼び覚まされたように感じて、僕は寝台に身を起こした。
不快な寝汗で、背中にぴったりと寝巻が張り付き、心臓が激しく鼓動を打っているのが分かった。
反射的に腕時計を確認する。
――二〇七四年 七月二十一日 金曜日 六時二十二分。
二〇七四年。そうだ。二〇六六年ではない。ここは北海道じゃない。日本ですらない。ここには、あの災厄を乗り越えてますます機械化が進む北海道の穀倉地帯も、機械化した人間だかロボットだか見分けがつかない二足歩行者達が行き交う東京のような街並みも、存在しない。
ここは、ヘルシンキだ。半世紀前から緩慢な時間の中にあるような美しい街。
その中にある独身者用の社宅だ。白々とした陽光が遮光カーテンの向こうから漏れて、部屋の壁に僅かな光の軌跡を描いていることに、僕は心底うんざりした。
あの年。二〇六六年の国境紛争で父を失い、母が病み始めてから八年が経とうとしている。国に帰っても心が回復しない母の故郷に来て、二年目に入った。
しかし、日本での生活で確立された自分のバイオリズムは、白夜の生活を未だに受け付けない。
まるで、この国自体が僕を異分子として排除しようとしているようだ。僕の血の半分、日本人の部分が外部刺激になって、見えない無数の免疫細胞達が僕の身体をどこかに弾き出そうとしている。そんな妄想が浮かぶ。
僕は、軽い吐き気を感じて朝食を諦めると、適当にな服に着替える。
シャツの袖に腕を通した拍子に、腕時計に『重要』マーク付きの通知が届いていることに気づいた。送って来る相手は限られる。彼女か、……上司だ。
僕は、少し迷ってからそのメッセージを展開した。発信者によって音声は制限され、緑色の光の文字列が中空に浮かんだ。
『緊急案件につき、午前中に私の部屋まで来てくれ。直接話そう』
上司からのきな臭いメッセージだった。おそらく我々の事業継続に関する経営判断について、好ましからざる結果が届いたんだろう。
吐き気が一層強まり、何かが唸るような低音が周囲で響いている気がした
◆
件の通知への不安さえなければ、石畳の街並みを自転車で走る時間は、かなりの爽快感を感じられただろう。空は薄青に晴れ渡り、風はまだ熱を帯びず、路上や港に旅行客や休暇を満喫する住民が溢れるには早い時間だ。
本来、ヘルシンキは美しい街だ。
夏の陽光の中でも、夜の灯火の中でも、海からの風と人々の生活に調和し、本物の歴史的建造物が今も日常的に使われているこの街は、住んで一年以上経った今もなお魅力的で、見飽きるということが無い。
だが、一見伝統的で古びた石造りの道にも建物の壁にも、発電素材を備えた歩行用の建材が練り込まれ、美しい港を海岸上昇から防護するための造岸工事が営々と続けられてもいる。
まるで永遠にアンチエイジングを続ける老人のように。変化に抗うために自らを変化させている。
――ここでは、その場に留まるためには、全力で走り続けなければならない。
生物も街も同じだ。環境変化への絶え間ない適応。『赤の女王仮説』は登場から百年経っても健在だった。
そしてそれは、僕のキャリアについても言えるのだろう。
取り留めなく考えながら自転車を走らせていると、朝七時ちょうどにレンタルオフィスに着いた。
いつもより重く感じるバッグを背負い直し、会社が契約しているブロックに入り、一直線にボスが常用している部屋へ向かった。中高年になるまでフィンランドに適応してきた彼が、サマータイムのこの時期、ここで早朝から仕事をしていることは以前から知っている。
曇りガラス製のパーティション越しに僕の姿を認めたのか、少し驚いたように彼が顔を上げ、その禿頭で刻んでいたリズムを止めた。彼がどんな音楽を聴いているのかは知らない。この国は、歴史的に多くの人が不干渉主義に見える。
その点だけは、日本でこれまで過ごしてきた僕も助かっていた。
「通知で起こしてしまったかな?」
いえ、起きていました、と短く言って会釈した僕を、彼は招き入れた。
「昨日はエスポーまで出張してもらって悪かったね。本社の人間は喜んでいたよ」
彼はそう言ったが、フィンランド第二の都市であるエスポーまでは出張と言うほどでもない距離だ。街自体は緑と湖に囲まれて美しいが、どこか実験的で緊張感のある空気は、日本にいた際に大学間交流で訪れた筑波の研究都市を思い出させた。
「ネイティブの日本語を話す人間が対応すると、相手の印象が全く違うんだよ。昨日のゲストは、未だに化石的な日本の中小企業だったから、特にね。エスポー側のチームも君が来てくれて良かったと連絡を寄こしていたよ。高速音声翻訳で聞く限り、説明も正確だったと。よく勉強してくれているね」
「それは、安心しました。ひとまずは」
上司の言葉を受け止めつつ、この後の話題を想像して緊張した。
エスポーの大規模ラボでは、ビルの地下に大型のビール醸造タンクのような巨大なバイオリアクターが並んでおり、僕は現地の技術者と一緒に、日本から来た自社の幹部と他社の担当技術者をアテンドした。
訪問者達が注目していたのは、細胞を効率的かつ大量に培養し、成形していくための試験的な大型装置だ。ここのところ頻繁に、見学、視察を行う企業が増えており、昨日もその一社だった。各社と秘密保持契約を結んでいるとはいえ、少々度が過ぎる気がした。僕は添乗員ではなく、技術者として雇われているはずだ。
重低音で唸りを上げて稼働する十数メートルを超す銀色のタンク達。その中をわずかに粘性を帯びた大量の培地が流れる振動音が聞こえる。ごくまれに圧力調整のためのバルブから空気が動く鈍い呼気のように生じ、まるで機械仕掛けの生物の体内にいるようだ。
黒い竜のはらわたのようだ。
幻の低音が、身体の周囲を覆い尽くすような気がして、僕は咳ばらいをする。
「それで、本題は何でしょうか」
僕の一言に、上司が一瞬目を逸らし、暗転したディスプレイを見る。
そこに映っていた文言を脳内で諳んじているような表情だった。
彼は一つ息を吐いて言った。
「率直に言おう。残念なニュースだ。君……我々の超精密発酵型ビオミート技術は、凍結される見込みとなった。上からの事業方針の見直しで。我々の活動期限は、来年の三月までだ」
予想していたことだったが、ステンレスのタンクに頭を叩きつけられたような気分だった。それに、ある意味であながち間違いでもない。僕自身のキャリアを脅かしているのは間違いなく、あの巨大な銀のタンクなのだから。
僕は、たまらず口から反論が流れ出るのを抑えられなかった。
「事業計画の根拠が弱かったからですか? 明確な市場性も、技術的な実現性も見えているんですよ? 来年度から共同で発酵技術工房を作って、テスト生産をするつもりでパートナー契約を進めている企業だって既に……」
そこまで言うと、ボスが宥めるように首を振り、僕の発言を止めていた。
「会社全体としては、大規模廉価販売を戦略として方針づけるようだ。エスポーのラボを参考に、ポルヴォーに大規模プラントを建造する計画もある。そう聞いた。上は“上質で本物志向の培養肉”を追求するより、安価で高品質な代替加工肉を大量に売り捌くことにしたらしい」
不満そうに言う彼も、ある意味で僕と運命共同体だ。そのはずだった。
「さっき『見込み』と言われましたよね。何か、回避条件があるのですか。それとも、僕達は今日から揃って就職先を探すしかない?」
僕の質問に、ボスは苦々しい声で答えた。
「うん。確かに条件は取り付けた。ただかなり厳しいものだよ。事業を継続したければ、十二月末までに来年度の五百万米ドル以上の受注、もしくは投資の見込みを立てろ、と。それを達成しても、事業としては傍流になるだろう。私も……」
そこで上司は口をつぐみ、わずかに目を逸らした。
視線の先に暗転したディスプレイを見て取って、僕は、この男には次の食い扶持にあてがあるのでは、と直感した。
「……いや、それより、とにかく。レオ、君をここにリーダーとして誘ったのは私だからね。今回のことに私には責任があると思う。年内の予算とチームの人員は、君に好きに使ってもらって構わない。私も協力しよう。やれるところまで、やってみる気はあるかい?」
その言いざまに、僕の中に沸々と怒りが湧いて来るのが分かった。
チームのメンバーは僕の奴隷ではない。会社の方針を伝えれば、即座に次のキャリアを探しにかかる可能性の方が高いし、そんなメンバー達が真面目に仕事に精を出すとは思えない。一方的に夏季休暇を宣言されるか、退職を申し出られるだけだろう。
当然、僕も事情は同じだ。
それなのに、この男は僕に最後まで働きアリのように面倒ごとを処理させる気なのだ。細胞培養の研究領域で博士号を取得してからやっと社会に出てきた自分は「お勉強は優秀だが、そうそう次のポストが見つからない若造」だと値踏みされているのだ。こいつはそうそうすぐに逃げ出さないだろう、と。
自分の都合で、他人のキャリアを崖っぷちに追い込んだ挙句、店じまいを他人に押し付けようとするボスの厚顔無恥さと、同情を装った表情に、一層強い吐き気がこみ上げた。
ついでに、新しい市場を切り開こうとしない利益最優先の経営陣達の判断にも。
だが、それより腹が立ったのは、そんな人間達の非情さとリスクを見抜けなかった自分自身の浅慮と、足元を見られているこの状況そのものだった。
「チームがどこまで付いて来るかは分かりませんが、予算の執行権限を委譲してくだされば、やれるところまでやります」
上司が、僕の言葉に含まれた怒りに気づいたかは分からなかった。
内部に出す通知内容を送っておく。君のプランを提出してくれれば協力するから、と急に言葉少なになった彼をオフィスに残して、僕は自宅へ踵を返した。
そうかそうか、それも全部、僕に丸投げするのか。
そう思うと、とてもこの男と対面で働ける気分ではなかった。
――そのものの首を刎ねよ!
脳内で、赤の女王がヒステリックに騒ぎ立てる姿が浮かび、その声はなかなか消えなかった。紛い物を売り捌く摩訶不思議な世界でも、適応できなければ僕達は存在を許されないのだ。
◆
自宅から、リモートで働くチームメンバー全員に淡々と通知を送り、一人ずつとオンラインの面談を終えると既に昼を大幅に過ぎており、とても事業継続に向けた投資獲得または受注に至るプランを書き上げる気力は無かった。
何も食べていなかったことを思い出し、夏の陽光から逃れるようにして、殆ど光が入り込まないキッチンに向かった。
冷蔵庫には良く冷えたフルーツソーダがあったはずだが、一緒に入れていた合成肉主体のミールキットを見る気になれず、食器棚からグラスを取り出して水道水を飲み、戸棚に置いていたパンを切って齧った。
ミールキットは勤め先の福利厚生の一つだが、悪趣味だと思う。良くて体のいいモニター、あるいはモルモットになった気分だ。
――レオ、起きて。
唐突に、朝、夢の中で聞いた残響が、脳内にふと蘇った。
そうだ。彼女は、福利厚生のミールキットの企画者だった。おすすめはカシューナッツ風味と食感を忠実に再現したクランチ。
「今時、本物のカシューナッツを食べたことがある人がどれくらいいる?」
腕時計が僕の独り言を聞き取って何か情報を返そうとしたので、腕を振るジェスチャーで停止させる。
僕の言葉を本当に聞くべき商品企画者はここにはいない。
彼女は東京のオフィスで残業中か、週末の夜のささやかな憩いのひと時を過ごしている頃だろう。向こうには夏の大型休暇という概念はない。少なくとも彼女が勤めているこの会社には、存在しない。従って僕にも、休暇はない。
仕方ないのだ。古来より夏は生命を育むのにうってつけの季節だ。
それは我が“オルジェラン社”の培養肉事業においても変わりはない。
巨大なバイオリアクターで細胞を培養し、抽出し、水分量や密度を調整して栄養を充填し、フレーバーをつけ、任意の形に成形する。
その結果できる、合成たんぱく質の製品が僕らの売り物だ。ブロック肉や薄切りのベーコンやソーセージや、チーズのようなスライス状のペーストまでなんでもありである。
原料は、各種動物由来の細胞で、場合によって大豆由来の代替肉との混合製品になる場合もあり、宗教・思想的なニーズに対応するために“原料”を限定したラインナップも販売されている。
その材料はどこまでいっても有機材料であり、その培養を助ける電力もまた夏の豊富で安定的な光と風に大きく依存している。
その過程で、生命は一度も傷つかないし、痛みも感じない。
僕ら社員、つまり、人間以外は。
――レオ、起きて。
集中力を失ったことを自覚すると、無性に彼女の声が聴きたくなり、腕時計に目をやって彼女のステータスを確認する。この時間にしては珍しく通話可のグリーンが灯っていた。
何の気なしにコールをすると、すぐに繋がった。
「掛けてきてくれると思った」
前置き無しに、電子的に再現された彼女の声が耳朶を打つ。その声を直接聞きたいと思った。もう半年も会っていない。
良い大人が一年以上、地球の裏側にいて交際を続けられるというのはそれだけで恵まれていると言えた。
「今、“ハプトボット”に繋ぐから」
反射的に僕は、いやそれはいい、と言いかけた。だが彼女の厚意を止めるのも憚られて、僕もまた部屋の隅に放置していた“ハプトボット”を引っ張り出して電源を入れた。
身長一四〇センチメートル程度のクッション材で出来たマネキンのような、自立機能を持たないロボットだ。
その顔に内側から相手の顔が投射される様は、亡霊のようで気味が悪いといつも思うが、彼女にそれを言ったことは無い。
彼女の立体的な輪郭にボットの表面が変化していき、ボットの内部から光を半透過させる表面で彼女の顔貌が再現されると、気味悪さよりも安心感の方がようやく勝ってきた。
こうして、僕らは紛い物に慣れていく。
「大丈夫? 何か言った?」
「いや、リンの顔を暫く見れなかったからどうしていたか、と思って」
そんなことをレオが言うのは珍しい、とリンは思案する表情をする。
アジア系に特有の丸い顔に可愛らしい小鼻、そしてベトナムの血を引いていることを感じさせる意志の強そうな大きく濃い眉に浅黒い肌。
充分に知性と生命力が感じられ、とても一週間の業務を終えた顔には見えない。
リンはずばりと核心を突いてきた。
「私は相変わらずだけど、あなたは何かあったんでしょ。顔見れば分かるよ」
はっとして、自分の顔を自分で触れる。一日ずっと働きづめで恋人に見せるような顔ではなくなっていたかもしれない。
言葉と共に“ハプトボット”の腕と指が伸びてきて、僕の顔に触れた。柔らかいクッションの感触がしたが、彼女の滑らかな肌の感触はそこから思い出せなかった。
嫌悪感はない。僕の“ハプトボット”の胸部にあるカメラが僕の姿と動きを捉え、リンがいる日本の部屋に設置された“ハプトボット”に転送して再現している。
リンが感じ、触れているのは僕ではなく、“ハプトボット”に投射された僕の顔と、再現された輪郭だ。互いに一方通行な歪なコミュニケーションは代替食品を生きる糧にしている僕らにはお似合いかもしれない。
僕はそんな暗い思考を自分の中に収めると、培養肉食品事業の暗い行く末の方だけを彼女に打ち明けた。上司も既に見切りをつけて早々に身売りを図っている気配がすることまで含めて、だ。
些か情けないとは思ったし、彼女が所属する大豆をはじめとする植物由来の代替肉食品事業部門は極めて好調で、そこでマーケティング業務を進める彼女に自身の事業が窮地にあることを告げるのは、自身のプライドを自分で傷つけるような面もあった。
だが、彼女のマーケティングに関する知見が欲しいことも確かだった。僕はまだ諦めてはいない。だが、
「辛いね。……正直に言えば、私は、培養肉事業からあなたは抜けるべきだと思う」
「何だって?」
彼女の容赦がない言葉に、僕は面食らった。
学生時代から生物学の研究分野に進み、細胞培養技術を磨いてきた人間にその言葉は死刑宣告に等しい。
彼女は申し訳なさそうな表情になって僕に言った。ボスとは違ってその表情は本心からに見えたが、言葉は冷酷なほど心を抉った。
「ごめん。傷つけるつもりはないよ。信じて。でも、やっぱり消費者心理としても経済合理性の面から見ても、大量の電気を消費して『本物の肉に似せた培養肉』をデザインして、嗜好品として売り出すというのは、そうね、控えめに言っても、あまり有望な事業戦略とは思えないんだ」
「君は、高級レストランや、菜食主義者や、特定宗教に属する人達には培養肉に対する結構なニーズがあるってことは知ってる?」
僕は、一日使い尽くしてもう手持ちが少なくなった怒りと苛立ちの感情をさらに薄めるために、意識的にゆっくりと返事をした。“ハプトボット”が顔を捉えているから、引きつった表情にならなかったか不安で仕方なかった。
リンはあくまで僕に対して、適切な助言をしようとしてくれていた。
そのことは良く分かっていた。だが、それが受け入れられるかは別の話だ。
「もう人々はね、代替品に慣れ過ぎてしまったんだよ。代替品をいくら本物に近づけたって、本物にはならないと皆知ってしまっているし、本物であるように見せかける程、皆それを紛い物だと感じてしまう。この身体がこれ以上精巧になっても私にはならないのと同じ。人は精巧な贋物ではなく、代替可能性という機能を求めているんだよ」
僕は、彼女の言葉を発する紛い物の身体に向かって何も言い返せずにいた。
それは確かに僕自身が感じていたことだからだ。
”ハプトボット”を精巧にしても彼女にはならない。不気味な何かになるだけだ。
ミールキットに高級食材を詰め込んでも、本物の食材が持つ豊かさは再現できない。違和感が際立つだけだろう。
僕がしようとしていることは、それと同じなのか?
「ねぇ、レオ。フィンランドの生活はどう? 春に私が行った時は過ごしやすかったけれど、今は白夜でしょう。今度は、一度日本に戻ってきてほしいな。私だって、本当のあなたに会いたい。今のあなたは、とても不安定に見える」
「代替物に人間は満足すると言ったばかりじゃないか」
口をついて出てしまった言葉を僕はすぐさま後悔した。
「すまない、こんなこと言うつもりじゃなかった。つまり……」
「良いの。私が無神経だった」
すっと目の前の“ハプトボット”の腕が遠ざかり、彼女の表情も曖昧になった。
カメラから距離が離れたらしい。それが彼女の心まで離れてしまったように感じられて、僕は慄いた。
僕は“ハプトボット”に依存しているのか。
今しがた代替物に満足している人間を揶揄したばかりだというのに。
「私が思いつく限り、培養肉事業を短期間で立て直して、先行投資を取り付けられそうなプランを送るね」
「いいんだ、リン、すまなかった。疲れているだろうに、無理をしないでくれ」
「あなたこそ。気にしないで。私がそうしたいだけ」
それがその日の最後の会話になった。
◆
翌日、僕は母の家を訪ねるために自動運転車を乗り継いでいた。手元の端末で事業継続に向けたプランを練ったが、どうにもリアリティがないと自分でも思える内容で、埒が明かなかった。
リンから送られてきたメモには、僕自身が洗い出した投資を取り付けるための方策に目新しいものはなかった。
ベンチャーファンドへのピッチやアクセラレーションプログラムの活用、先行商品のプロトタイプを作成して、大手の食品流通会社にトップセールスを掛ける、古式ゆかしいクラウドファンディング、多国籍事業クラスタが提示する補助金事業への応募、……エトセトラエトセトラ。
彼女自身、あまり筋が良いとは思っていないのだろう。
――また何か思いついたら送る。あなたも思いつめないで。
そんな気遣いのあるメッセージが有難かった。
僕は最大限に感謝が伝わるよう、彼女が以前好きだと言っていたブーゲンビリアの鉢を注文して送り、手元の端末をオフにした。
母の実家は、クットゥラという、まぁ、村落と言って良い場所にある。
正直、交通の便も極めて悪いそんなところに住まないで欲しいと思っていたが、日本での戦災体験を機に夫を失い、菜食主義者で自然回帰の思想を持ってしまった彼女には何を言うこともできず、僕はただ健康管理システムのデータを日々通知してもらうことで妥協していた。
どこまでも続く針葉樹林帯を通る道を何気なく眺めながら、本物ってなんだろう、と僕はぼんやり考えていた。
子供の頃は、父と母がいて、北海道で生産性を改良した穀物を機械を使って育てていた。人間の都合で手を入れたとはいえ、あの頃には本物に触れている実感が確かにあった。
いつからだろうか。自分が紛い物にばかり囲まれているような気持ちになってしまったのは。
「早かったわね。ちょうど、近くでハンターが仕留めたヘラジカの肉を分けてもらったところなの」
到着した僕を母が出迎え、建物の中に手招きした。
何度見てもヘルシンキの街並みとは全く別の意味で見慣れることのない光景に僕はたじろぎながら中に入った。
建物、とこれを呼んでよいものだろうか?
二重構造になった大型のドームといった作りで、直径は十五メートル程度。高さは十メートル程度でやや扁平形をした旧型のグランピング施設みたいにも見える。外側の壁は透明な分厚いアクリル製で光だけを通し、内側は液晶技術を使った透過率を変えることが可能な壁面だった。
二重構造の内外の壁面の間には植物が繁茂しており、人間一人を支えることが可能な植物が水耕栽培されている。
まるで密閉式のビオトープだ。
勿論純粋に閉じた生態系が維持できるサイズでないことは分かっていたが、コンセプトが自己完結型の生活空間であることは明らかだった。
母は金持ちなのだ。遺族年金と補償金がたっぷりと手に入り、精神的なケアに使いきれなかった分の所持金をこの施設に使って、ここにすっかり引きこもってしまった。
母もまた、本物の世界と距離をおく人になってしまったように見える。
母にとって、僕は実感を持てる人間なのだろうか。そう考えると何となく気が滅入った。
~以降、未執筆~
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