頂はどこにもあらず

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頂はどこにもあらず

いったいいつ感染したのだろう。起床して六階の自室から窓の外を見たら、雪で白くなっている山間の方から声が聞こえたような感覚がした。いや、感覚ではない。それははっきりとした招きだった。窓を開けるといよいよそれは強くなり、「あなたは登るために生まれた生き物なのだ」と、黄金の朝日を背負った三角形に言われている気になった。私は慌てて窓を閉め、厚手の紺のカーテンも閉めて、窓枠の上にガムテープを二枚重ねて貼った。それから、日曜でもやっている県内の感染症対策センターに電話をした。
「はい、長野登山症対策窓口です。感染のご相談ですか?」
「あの、今朝起きたら山の見え方が違ったんです。今までなんとも思ってなかったのに急に散歩がてら登りたいとか思ってしまって。これって登山症ですよね?」
「検査をしますので本日の午後四時以降にいらしてください。移動はタクシーをオススメします。なるべく下を向いて、山を視界に入れないように」
 ネット記事で読んだ流れそのままの案内をされ、電話は切れた。ひどく寒い。夜通し稼動していた暖房の熱気は先程窓を開けたせいで冷え切ってしまっていた。一瞬のつもりが五分以上も見ていたのだと気付いてぞっとした。

ハリガネムシは水中で産卵するために、寄生宿主であるカマキリを水好きにさせるという。二年前から日本でじわじわ始まった登山ブームについて、メディアは様々な理由をつけていたが、登山中の死亡事故と死者の姿は単なる無思慮な人々による社会問題では説明がつかなかった。気付いた頃には、人間に寄生する新種の菌類は山岳地方を中心に、多くの人の皮膚の内側に入り込んでいた。菌類は低酸素と低気圧を好み、人をそういう場所に誘導した。
 馬鹿か煙か、登山症の患者はひたすら高所に魅力を感じるようになる。高所にいる時間が長いと、菌は人の身体の中でその数を増やす。その繰り返し。
 リスクの少ない対処法が確率されるまでそう時間はかからないという医学界からの発表はあった。登山資格は厳粛になり、山の視覚表現は抑制された。しかし焚き火の周りで螺旋を描いてその身を焦がす羽虫のように、頂を目指す人は耐えなかった。
「よく言うだろ。そこに山があるからだって」
 問題化する以前にそう言った友人は、後ろめたい嗜好をごまかしているように見えた。それは私が覚えている彼の最後の言葉でもあり、度重なる登山によって嫌気性菌を体内で増やし続けた彼は、山頂付近で見つかった時に身体の内側が発酵していた。

「定職につかれていないのであれば、お引っ越しされることをオススメします。この土地は今のあなたの中にいる菌にとって天国のようなものですから」
 センターの職員は部屋の北にある、窓にかかった黒いフィルムにちらりと視線をやった。私は陽性だった。東西南北の方向感覚が妙に鋭敏になっている気がするのも、私の中の菌が持つ力なのだろうか。
 「登山症患者がどういう目で山岳を見つめるのかを、私はよく知っています。それは決して劇的なものではありません。教会で祈る人たちの眼差しが劇的ではないように」
 視界の悪くなる日没まで検査室の中で彼と話した。マスクをつけた彼はスキーが趣味だと言った。白い雪面と、そこを滑り降りる感覚が好きというだけだったのに、それが登山症の行動のように見られることが寂しいと語った。
「とにかく標高の高いところに行かず、あと無酸素運動を控えてください。何もしなくても菌は少しずつ増えていきますが、極端に増加させなければ、二年以内には対策が出るはずですから」

それから十年が経った。
 彼の言うとおり登山症は沈静化し、既に感染している患者の治療も難しくなくなった。なんでも、スキューバダイビングに何度か挑戦すれば強い水圧に耐えられず菌類は徐々に数を減らしていく、という治療法まである。
 だが私はいまだに自分の身体の一画を菌に間借りさせている。千葉の平地で職を見つけて働き始めて、この十年で一度も登頂に困るような高山を視界に入れていない。山というものが本当にあったのかすら疑わしくなっているほどで、次に見るときがあるのだとしたら、それは死ぬ時に違いない。
 死にたくなったら山へ行こう。
 私の友達とその同胞たちが、身体の内側で生命を増やし続けたあの場所へ。
 そこにはたくさんの仲間がいる。一人残らず同じ理由で斃れた仲間達が。そう考えると、私は楽しみでたまらなくなるのだ。一体その場所は、私の目にどんな風に映るのか。
 なんのために生きているのか、なんのために働いているのかを誰も教えてはくれない。けれども今の私はなんのために死ぬのかが分かっている。増えて、増えて、生きるためだ。
 山は生き死にを果たす聖域で、残った問題はいつそこに行くかだけだった。それは人生にいつまでも意味が与えられているということで、ともあれ私のような人間にとっては幸福でしかなかった。

文字数:1996

内容に関するアピール

美しさ(アピール文でしか言えないのでたくさん言います)を文章上で表現するには視覚的なインパクトだけでは足りず、そこに物語という名の観念的な尊さで共感してもらう必要があると思っています。風景や美術品に対して言葉を尽くしても、それが美しいものとして上映されるかは読者の想像力に委ねられるし、そして実物のない事象に対する人間の想像力には限界がある。フラッシュフィクションでその問題を乗り越えるのは難しく楽しい課題でした。

今回は低気圧・低酸素・強紫外線を好む菌類に寄生された人間が、無意識に山を美しいと感じる話を書きました。そして、その寄生体による感性の変化を受け入れ、いつか寄生体の望みを叶えようとする人のことを書きました。「自分の人生がなんのためにあるのか」という問いに答えてもらえる感動に近いものが物語にはあるのではないか、そしてそれは人間じゃなくても変わらないのではないかと思ったりします。

文字数:395

課題提出者一覧