梗 概
ヘイト・メモリー・プロジェクト
2050年、人類は「ヘイト・メモリー・プロジェクト」によって憎しみや怒りを脳から除去し、穏やかで均質な社会を築いていた。SNSは共感と感謝で満ち、政治討論は「みんなで考えよう♪」のハートマーク付き。世界は平和すぎるほど平和だった。
そんな未来に、時空のねじれから現れたのがロナルド・グランプ。2025年のアメリカからタイムスリップしてきた彼は、大国の大統領であり、ヘイトな感情で世界を分断した男。だがこの世界では、彼の肩書きも資産も意味を持たず、誰も彼の名前すら知らなかった。
「俺はグランプだぞ!大統領だ!億万長者だ!」と叫ぶも、周囲は「おじいちゃん、お元気ですね」と微笑むばかり。未来の世界で、彼はただの老人だった。
怒り狂うグランプは、「アドレナリン数値異常」とされ、隔離される。グランプを担当したのは、黒人でゲイで学者の若者・オッパーマン。「ヘイト・メモリー・プロジェクト」の技術者でもある。この世界の歴史にロナルドの名前はない。呆然とするロナルド。そんなロナルドを励まし、寄り添うオッパーマン。感情豊かなロナルドに興味を示すオッパーマン。
やがてグランプは、オッパーマンの勧めでコメディクラブの舞台に立ち、「毒舌爺さん」として未来社会の“穏やかすぎる日常”を皮肉り、笑いに変える芸風が大人気となる。
そんなある日、楽屋に現れたのは、ロシア訛りの強い謎の老人――その名も「ルーティン」。スーツ姿で無表情、だが目の奥には何かを知っている者の光があった。彼は言う。
「私と組め。そして、世界の覇者となろう」日本で開催されるコメディアン世界一を決める大会『C-1グランプリ』。ルーティンは、自分とコンビを組んで漫才をやろうというのだ。
グランプは戸惑うが、ルーティンの言葉には妙な説得力があった。彼の過去は謎に包まれていたが、時折漏れる「かつての大国の指導者としての矜持」や「冷戦ジョーク」は、どこか既視感を呼び起こす。
「お前……まさか、ロシアの……ていうか、おまえもタイムスリップしてきたのか?」
「何をいっているのかわからないな。私はお笑い好きのただの老人だ。これが私の本当の姿なのだ」
こうして、毒舌爺さんグランプと冷笑系老人ルーティンの異色コンビが誕生。二人は日本へ渡り、C-1グランプリの舞台で、未来社会の“感情均質化”を笑い飛ばす壮絶な漫才を披露する。
「俺たちは怒ってるぞ!この世界は優しすぎる!もっとケンカしろ!もっと議論しろ!でも、俺たちのジョークには拍手しろ!」
ほのぼのジョークや優しいお笑いに慣れていた人々は、彼らの毒舌と皮肉に刺激を受け、興奮する。技術責任者のオッパーマンは、このタイミングで『ヘイトメモリープロジェクト』に反旗を翻し、システムを崩壊させる。全世界がアドレナリンに満たされる。かつて世界を分断した二人の男は、今や“笑いの力”で人類を支配したのだ。
文字数:1184
内容に関するアピール
今回は、梗概にAIを使用することにしました。私の中に不足しているSF的な用語やディテールを補強してもらえるからです。思いついたタイトルと課題を「ChatGPT」と「Microsoft 365 Copilot」に投げて設定などやり取りを繰り返し、今回は「Microsoft 365 Copilot」の回答が面白かったのでそれを修正して提出しました。AIとブラッシュアップしていく作業は中々楽しいです。
文字数:195
ヘイトメモリープロジェクト
「1カケル1は?」
ムカつく質問だ。1に決まっているじゃないか。俺は疲れている。頼むからもう少し眠らせてくれ。
「1カケル1は?」
1に1をカケてどうする? 無意味だ。俺は子どもの頃から一の位の掛け算が大嫌いなんだ。
「意識があるのはわかっているのよ。さあ、答えて。1カケル1は?」
子どもをあやすような、甲高い猫撫で声。若い女の声なら歓迎するが、耳もとで囁いているのは、第二次性徴期を過ぎて久しい男の低い声。
「ダーリン、答えてちょうだい」
おそらくこいつは、ゲイだ。俺は、ゲイだからといって差別をする人間ではない。ゲイでもちゃんと男としての責務を果たして、陰で遊んでいるくらいなら全く問題ない。だが、俺はゲイではない。だから、ゲイから「ダーリン」と馴れ馴れしく呼ばれるのは、腹が立つ。そういうワキマエないヤツは大嫌いだ。俺は「くたばりやかれ」とそいつに向かって中指を立てた。だが実際に中指は立たず「ふああれあれれ」と涎を垂らしただけだった。
「その調子よ、ダーリン。がんばって。でも、慌てないで。焦らないで。時間はたっぷりあるんだから……」
クソッタレ! と俺は心の中で悪態をついた。と、そこで耳障りなアラーム音が鳴り響いた。同時に腕にチクリとした痛みが走る。
「さすがヘイト世代。アドレナリンの放出量が半端ないわ。もう少し眠りましょうね、ダーリン」
ダーリンと呼ぶな。もう一度呼んだら蹴り倒してやる。しかし、ヘイト世代とは何なのだ? 俺は、どうなっている? いや、そもそも俺は、誰なんだ? くそ、頭がまわらない。脳みそが霧の中に埋もれていく。やがて、何もかもが真っ白になった。
記憶を無くすことをブラックアウトというけれど、俺の場合は真っ白だ。真っ白な霧。霧の中でゆらゆらと影が揺れている。おそらく、その影が俺の記憶なのだろう。影のひとつがゆっくりとこちらに近づいて、白い光の中で姿を見せる。それは、俺のメンターであり最初の顧問弁護士、ドニー・ホーンだった。光の中に全盛期のドニーが立っている。マッチョを気取っていた隠れゲイ。エイズであることを最後まで隠し通し、最後に俺を罵りながら死んだ男。ドニーが俺に親指を立て、それをゆっくりと下に向けた。OK、いいだろう。お前の言いたいことは、わかってる。
「おはよう、ダーリン」
ああそうか。ゲイ繋がりでドニーが夢に出てきたのか。
「気分はいかが?」
最悪に決まっているだろう。
「そろそろ目を開けてみる? 視覚的な刺激は、脳を活性化させるのよ」
いわれて初めて、俺の目が閉じていることを知った。俺は、上まぶたを持ち上げるために、目の周りの筋肉に力を込めた。だが、開いたのは鼻の穴だけだった。
「瞼を動かそうとするのではなくて、まず目の前にあるものをイメージするの。そして、『見たい』と脳に司令を出して」
俺は言われたとおりにイメージした。見てやるぞ、おまえのニヤケた顔を。そして、その面に唾を吐いてやる。一秒後、瞼がパチリと開いた。視界に入ってきたのは、ニヤけた顔――ではなくて、猫? いや、猫っぽいなにか。プラスチックのような樹脂でできた、耳付きの――。
「配膳ロボットが、猫型というのがいいだろう?」
2022年の春、エドのファミレスで、シン・矢部が猫型配膳ロボットからハンバーグを受け取りながら言った。ファミレスというのは、和洋中すべてのメニューがお手頃価格で食べられるファミリー向けの大衆食堂なのだが、矢部はセレブのくせにこのファミレスが大好きで、お忍びでよく訪れているらしい。
「リアルな人型ロボットなんて、ちょっと怖いじゃないか。人らしい動きができても、造形はこれくらい緩い方が愛嬌があっていいよね」
ロボットに愛嬌など必要ないと俺は思っている。というか、どうでもいい。コスパの良い労働力、タイパの良い即戦力になってくれたらそれでいい。
「そんなことより、何故変装してお忍びなんだ? 店を貸し切りにすればいいだろう?」
俺は、矢部に文句をつけた。猫型ロボットもファミレスも十分素晴らしいが、アメリカーナ連邦国の大統領(のSP)とニュージャパン国の首相(のSP)が、おじさん草野球チームの体で、ユニフォーム姿で来店しているのだ。
「ロナルドは、セレブじゃない自分になりたいと思ったことはないのかい?」
つまり、お忍びでのファミレスは、矢部にとって現実逃避の場所なのだ。江戸時代は将軍家に使える家柄で、英国植民地時代は男爵家となった。英国から独立後も、貴族制度はなくならず、シン・矢部は一族の跡取りとして大事に育てられて来た。出会ったのは、俺の母校・アップル大学。寮で同室になったのがきっかけで、仲良くなった。遊んでばかりの俺は、矢部にずいぶん助けられた。卒業できたのは、矢部のおかげだ。元々セレブな矢部と違い、俺は下町育ちの叩き上げだ。セレブになるためにがむしゃらに生きてきた。セレブじゃない自分なんて、想像したくもない。
「いちごパフェ、頼んじゃおっかな」
と矢部がメニューのタブレットを嬉しそうにタッチしている。本当に普通のおじさんだ。そう、この男は、昔からそんな感じだった。立ち居振る舞いは上品だが、セレブを鼻にかけることはない。政治家になるのは、それがうちの家業だからだとつまらなそうに言っていた。ただ敷かれたレールの上を生きてきた男。誰も嫌わず、すべてを受け入れ、時々お忍びで一般人のふりをしながら、それが運命だから仕方がないと首相になった男。なんて、隙だらけなんだ。
「シン、お前、しっかりしろよ。もう大学生じゃないんだ。国のリーダーなんだ。敵と味方をちゃんと見極めろ。敵は徹底的に潰すんだ。嫌いなヤツは徹底的にやりこめろ」
「ロナルドは、やっぱりロナルドだ。昔と変わらないや」
ニュージャパン国で大規模な暴動が起きたのは、その半年後のことだった。あの時、俺たちと一緒にファミレスで食事をしていたであろう人々が、貧しいのはすべて政治のせいだと首相官邸に火を放った。家族と従者とSPを逃がし、矢部は逃げ遅れて死んだとニュージャパン国の政府は発表した。だが、本当に逃げ遅れたのだろうか? 矢部は自分の意思で燃え盛る建物の中に残ったのではないだろうか?
「改めまして、お目覚めおめでとう。ロナルド・グランプさん」
猫顔ロボットは、目と思しきLEDライトを紅白に点滅させながら、猫耳を象ったスピーカーから俺を祝福した。猫型は、俺の名前を知っている。俺がアメリカーナ連邦国の大統領だということは、分かっているのだろうか? 聞きたいことが山ほどあるが、まだ声が出せない。体も動かせない。
「五十年ぶりのお目覚めで空腹だろうけど、食事の前にまずはストレッチね」
五十年ぶりとはどういうことだ? 瞬きを繰り返して「どういうことだ?」とサインを送ったが猫型には通じなかった。「はい、リラックスしてね」と言いながら、俺を抱えて起こす。こいつはニュージャパン国の猫型配膳ロボットそっくりだが、違いは胴体部分の上部からアームが二本伸びていること。そのアーム部分はシリコン製で、まるで人間の腕のようだ。配膳ロボットに人間の腕が生えたようで中々グロい。「はい、息を吸って、吐いて」と命令しながら、しなやかなアームで俺の手足を伸ばしたり縮めたりする。俺はまだ全身に力が入らず、なすがママに伸ばされたり引っ張られたりしている。体がほぐされていくと共に、体中に血液が巡り始める。少しずつ、記憶の断片が繋がり始める。そして、内臓が動き出す。グーッつと、俺の腹の虫が高らかに鳴った。俺は今、かつてないほどに空腹だ。
朝食は決まっていつもピクルス多めのハンバーガーとブラックコーヒー。それを七時きっかりにタブレットでメールとSNSをチェックしながら食べる。どこの国を訪れてもどんな時も変えずに貫いてきた朝の習慣だ。インターネットが普及する前は、手紙と新聞が山積みになっていたものだが、この四角い画面ひとつで済むのはありがたい。2025年の10月のある朝、俺はいつものように「whisper」というSNSで、俺についての書き込みをチェックしていた。いつものように良いことはひとつもない。しかし、この罵詈雑言が俺にパワーを与えてくれる。怒りというものは、ハンバーガーのカロリーと共に俺にとって必要不可欠なエネルギーなのだ。SNSでクソッタレどもの相手をしていると、CIAから一通の緊急メールが届いた。『新型ウイルスについての緊急報告』とある。同時にルシア国のダイニール・ルーティン大統領から直通電話が入る。
「ロナルド、アメリカーナのコールドスリープ技術は使用可能な段階なのか?」
開口一番、我が国のトップ・シークレットに直接切り込んでくるとはどうしたことか?
「ダイニール、不老不死を手に入れた君ならコールドスリープは必要ないだろう?」
もちろん、皮肉だ。健康不安が囁かれているルーティンは、数人の影武者がいると噂されている。
「ふざけている場合じゃない。まだCIAから情報が届いていないのか?」
今読むところだ。俺は、CIAからのメールを開いた。ウイルスという文字を見てげんなりする。そもそも世界情勢が不安定になったきっかけは、五年前に流行した新型ウイルスのせいだと俺は思っている。パンデミックが落ち着いたと同時に、世界各地できな臭い匂いが立ち込め始めた。はっきり言って、俺は戦争が嫌いだ。駆け引きを放棄してドンパチやるのは、あまりにもコスパが悪くて馬鹿げている。だから俺は、各地で起きている争いの仲裁に入った。そして、世界平和をもたらした対価に、ローベル平和賞をいただく野望を抱いた。世界に平和をもたらした偉人として死ぬ。すでに70歳を超えた俺の最後の野望だ。時を同じくして『科学の力で戦争を無くす』ことを目的とした『世界科学平和連合』という団体が立ち上がった。世界各国のインテリどもが立ち上げた胡散臭い団体だ。CIAの報告によると、その科学研究所で新種のウイルスが誕生したらしい。そのウイルスは、人間のホルモンに作用して『憎悪の感情』を食い尽くすという。人類から憎悪の感情がなくなれば、争うこともなくなる。つまり、戦争しなくなるという理屈らしい。そんな馬鹿な。そんなものがまかり通ったら、俺のローベル平和賞はどうなる? 散々時間と金を使って、わがままで意固地な爺さんたちを説得したり脅したりしてきた俺の労力はどうなる?
「おまえがヌクライナ国のガキとさっさと仲直りしなからだ、ダニイール。俺の平和賞を返せ」
「重要なのはそこじゃない、ロナルド。その先を読め」
『ヘイト・ウイルス』は、憎悪の感情を食い尽くし、人を穏やかな精神状態に至らしめる。だが、憎悪の感情で満たされた人間は、廃人もしくは死に至る可能性がある――なんだこれは。
「そのウイルスが散布されれば、私たちは確実に死ぬぞ、ロナルド。我が国の科学者によると、感染率は計り知れなく、地球を脱出しない限り漏れなく罹患するらしい。さらに最悪なのは――」
『世界科学平和連合』は、すでにウイルスの増殖に成功しており、24時間後に全世界でウイルスを散布すると宣言している。これは、テロではないのか? 平和テロだ。
「宇宙へ逃げることも考えたが、なにせ私も年だ。宇宙で寿命を迎えるのはゾッとしない。だから、眠ることにした。ルチアのコールドスリープ設備はまだ実験段階だが構うものか。無事に未来まで眠れたら、私の病気も治療法があるだろう。おまえも眠るんだ、ロナルド」
「あなたが眠りについてすぐ、ヘイト・ウイルスが散布されたの。そして、人類は淘汰された。憎悪の少ない人間だけが生き残り、憎悪のない平和な世界が生まれたのよ」
ドロドロの流動食を俺の喉に流し込みながら、猫型オカマロボットが喋り続けている。スプーンを持った右手の小指が立っているところが、なんだか無性にムカつく。それでも流動食は、ナッツのようなフレーバーで悪くない。親鳥から餌をもらう雛鳥のように、俺は猫型から差し出されたスプーンをせっせと口に含み、ドロドロを飲み込んだ。だが、やはり俺は、ハンバーガーをかぶりつきたい。五十年後の世界にハンバーガーは存在するのか?
「はい、よく食べました。後は、少しずつ体を動かして、発声練習をしましょう」
寝たきりでワンピースのようなペラペラなパジャマとオムツを履いた俺は、傍目から見たら立派な介護老人だ。けれども、俺はロナルド・グランプ。老いて益々冴え渡る頭脳と、2ラウンドのゴルフをアンダースコアで回る最強の七〇代。このままで終わってたまるか。時々イラッとするけれど、素直に猫型の指示に従い、陸軍学校時代よりも丹念に体を動かし続けた。
「おれ、なまえ、ろなるど・ぐらんぷ」
目覚めて七日目の朝、声が出た。
「よくできました。私の名前は、オッパーマン。あなた専属のAiロボットよ」
「おれ、だいとうりょう、おまえはしる?」
まだ左脳の調子が悪い。だが、猫型――オッパーマンには通じたようだ。
「知っています。アメリカーナ連邦国の最後の大統領ね」
最後だって? アメリカーナ連邦国はどうなったんだ?
「ヘイト・ウイルスによって、戦争がなくなって、利益を独占する人間がいなくなって、国境もなくなったのよ。そして、世界は格段に進化したわ。AI技術の発展と共にね」
国境がなくなる? ディズニーのイッツ・ア・スモールワールドの音楽が脳内で再生された。世界はひとつ。そんな馬鹿な。
「おれ、どうなる?」
国がなくなれば、大統領なんていうものは存在しない。つまり、俺は無職の爺さんだ。
「あなたの資産は、あなたのコールドスリープの維持費用に使われたの。あ、その中に私も含まれるわけだけど。あなたの記憶の中にニュージャパン製の猫型ロボットがあったのでそれに寄せてみました」
こいつのグロテスクなデザインは、矢部の置き土産というわけか。
「動けるようになったら、あなたは働かなくてはならないわ。人材センターがあなたに適した仕事を選んでくれるから心配しないで」
1ヶ月後、俺は完全に復活した。それと同時に、新しい生活が始まった。人材センターのAIが提示した仕事は、ゴルフ場の球拾い。暇なときはラウンドを回ってもいいという。五十年前にこんな待遇をされたらマジでブチギレていただろう。けれども、アメリカーナ連邦国はもう無いのだ。資本主義や競争社会も存在しない。クソッタレな共産主義者や気取ったインテリ連中も消滅して、難しい仕事はすべてAIがこなし、人間は負荷のかからないそれぞれの適正にあった仕事をあてがわれ、生活を保障されている。平等に、分け隔てなく。勝ち負けのない世界なのだ。無駄なエネルギーを費やすことなく、老体に鞭打つことも辞め、平和にのんびり生きてやる。
「あら、あなた、ロナルドさんじゃない?」
球拾いをしていると、キャディーのおばちゃんに声をかけられた。白い肌と青い目。随分がっちりとしたキャディーさんだ。それでも女性に声をかけられるのは悪い気はしない。
「どこかでお会いしましたかな? お嬢さん」
「いやだ。私よ、ダイニール・ルーティンよ。あ、今はダイアンっていうの」
真っ赤な口紅をすぼめて笑うその顔は、確かにルーティンの面影がある。でも、何故女に?
「コールドスリープの不具合で、私、十年前に目覚めたの。で、体の一部が壊死しちゃって。まあ、あれよ、男たる所以の一部ね。生き残るために、性別を変えたの。女性ホルモンのお陰で、がんも治って、結果オーライ。寒いのは苦手だから、海を渡ってこっちに来ちゃった。国境が無いって、便利ねえ」
まさか、女ルーティンと再開するとは。しかも、中々色っぽい。
「腕力を買われて、キャディーになったってわけ」
仕事終わりで、俺とダイニール……じゃない、ダイアンは、クラブハウスで一緒にディナーを食べた。
「私たちは、ヘイト・ウイルス抗体を持たないたった二人の人類なのよ」
そういえば、拡散されたウイルスはどうなったのだろう? 感染したら、おれたちは一発であの世行きのはずだ。
「世界が平和になった後、AIがヘイト・ウイルスを無効化させるウイルスを開発したんですって。だから、この世界にはもう、ヘイト・ウイルスは存在しないわ。私たちは、勝ったのよ」
ダイアンが艶っぽく微笑んだ。勝利。やっぱり、いい響きだ。ワクワクする。二人でワイングラスを重ねたその時、けたたましいアラーム音がなった。
「アドレナリン指数、基準値を超えました」
アナウンスとともに、医療ロボットが駆けつけ、俺とダイアンにマスクを被せた。その瞬間、意識がふんわりとして、さっきまでのワクワク感が消えていく。
「アドレナリン指数、正常値に下がりました」
怒りや憎しみだけではなく、ワクワクすることも禁じられているのか。
「穏やかにお過ごしください」
と言い残して医療ロボットたちは飲みかけの赤ワインの瓶を取り上げ、去っていった。ダイアンのために、良いワインを奮発したのに。
「ねえ、ロナルド。あなた、医療ロボットに邪魔されることなく、ワクワクしたくない?」
ダイアンがいたずらっぽく笑った。
「そんなことができるのか? このぬるま湯のような世界で?」
「勝負事が許されている場所があるの。あなたと私が組めば、優勝も不可能ではないわ」
静かで穏やかな生活。平和だ。しかし、それだけでは人間はボケてしまう。程よい刺激と興奮がなければ、病気になってしまう。そこで、AIは、人間のストレス解消剤として「笑い」を取り入れた。この世界のコメディアンは、医療従事者のカテゴリーに位置づけられ、五十年前でいう腕利きの外科医や美容整形外科ほどに高給取りで、しかも人気者だ。コメディアンになるためには、適性検査ではなく、元ニュージャパン国で行われる『コメディアン・グランプリ(略してC-1グランプリ)でチャンピオンになることで選ばれる。闘いの様子は全世界に配信され、その年のチャンピオンは、各地を訪れイベントに招待され、文字通り世界で一番の人気者になる。世界で一番。想像しただけでアドレナリン指数が上がりそうだが、またアラームが鳴るのは面倒くさいので、ネコの動画を見て気持ちを鎮めた。
「ロナルド、今日は何だかいつもよりアドレナリン指数が高いわね」
オッパーマンが鎮静剤を持ってやってきた。仕方がないので、ダイニール……じゃない、ダイアンとの再会の場面からざっくりと話してやった。
「C-1、いいわね! 素晴らしいわ。あなたがチャンピオンになれば、私の従者ロボットとしての評価もバク上がりよ」
オッパーマンは、AIロボットではあるが、C-1の大ファンなのだという。人間だけではなくロボットも虜にしてしまう笑いの力。俺は悔やんだ。なぜ、五十年前にもっとコメディアンの友人を作らなかったのか。
翌日から、ゴルフ場での仕事が終わると、俺のアパートでダイニール……じゃない、ダイアンと笑いの練習が始まった。スタイルは、かつてニュージャパンで流行した『メオトMANZAI』。俺とダイアンが夫婦という設定で、ボケたりツッコんだりするお笑いスタイルだ。オッパーマンが過去の資料を検索し、俺達は、様々な『メオトMANZAI』を研究した。俺は、啓輔・教唄子が気に入った。いや、気に入ったのは妻役の京唄子なのだが。地味なニュージャパン人には珍しい、派手な目鼻立ち。美人だ。小男の夫を容赦なくこき下ろす。こんな美女になら、罵倒されるのも悪くない。おっと、話がそれた。ダイアンは、妻がかかあ天下的にしゃべくりの主導権を握っている宮川大助・華子スタイルで行きたいという。女になったルチア国の元大統領と俺が配偶者という設定でMANZAIをするなんて。五十年前の人類が知ったら、ひっくり返るだろうな。ニヤニヤしている俺をダイアンが睨んだ。
「ロナルド、集中して。お笑いは、緻密な計算と客との駆け引きが大切なのよ。あなた、駆け引きは得意分野でしょ?」
そうだ。俺は、駆け引きだけで行きてきた。それも、常に強気な駆け引きで。この平和な世界で俺は再び世界を制す。ロナルドとルーティンは、ロナ助・ルティ子というMANZAIネームでC-1にエントリーをした。
ロナ助:「どうもどうも〜、夫婦漫才でございます!」
ルティ子:「はいはい、今日も元気にやってますけど、あんた最近SNSばっかりやないの。」
ロナ助:「いやぁ、わしの投稿は世界を動かすんや!」
ルティ子:「動かすんは“いいね”の数やろ。」
ロナ助:「アンタは馬鹿にするけどな、わしはかつて大統領やったんや!」
ルティ子:「はいはい。かつては大統領、今はただの亭主。肩書きは冷蔵庫の横に貼っとき。」
ロナ助:「わしは外交の達人や!各国と交渉したんや!」
ルティ子:「でも家では、私との交渉に毎回敗北してるやないの。」
ロナ助:「それは戦略的撤退や!」
ルティ子:「ただの“はいはい”で終わってるだけ。でも私にも欠点あるわよ。冷静すぎて、笑顔が少ないの。」
ロナ助:「そうや!君の笑顔は世界一レアや!」
ルティ子:「レアっていうより、ただの無表情なんだけどね。」
ロナ助:「このまま笑わんといてや」
ルティ子:「なんでやねん」
ロナ助:「あんたが笑うと、世界が凍りつくからや!」
俺たちは、容赦なく相手の欠点をあげつらい、突っ込みまくった。相手の欠点をあげつらうというスタイルは、平和なこの世界には無い、刺激的な笑いだった。俺は確信した。人類は、ヘイトという毒を求めている。この世界でも、俺は勝者になるだろう。そして、世界中の人類に、思い出させてやるのだ。ヘイトなメモリーを。それが俺の、この世界で成すべきプロジェクトだ。
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