ハロー・イッツ・ミー

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梗 概

ハロー・イッツ・ミー

舞台は深宇宙を移動中の移民船団、どの船も危険なほど古び、移住可能な惑星を必死に探している。

ある日テレポート可能な距離に人が住めそうな惑星が現れた。奇妙な形の木々に覆われていたが森があり大気には窒素と酸素も。テラフォーミング技術者のテッドは、恋人ナオリの反対を押し切り探索テレポートを決行。

トッドの分子情報が惑星で再構成されようとする瞬間、雷が落ちるように大気が瞬き、テッドの意識は惑星の森に囚われ、残りの分子情報はもとの移民船のテレポートポッドまで弾き飛ばされる。そこで再構築されたテッドからは感情が消えていた(※記憶はある)

ナオリは戻ったテッドに違和感を抱きテレポート事故について調べ始める。

かたや惑星に捉えられたテッドの意識は暗闇の中、出口を探しナオリの夢に何度も入り込む。ナオリの夢につながる瞬間だけが、惑星に宿る暗い思念の闇からテッドを救っていた。

ナオリは徐々にテッドの窮状を理解。だが再構成された肉体、新たなテッドにも感情が生まれ始め、ナオリに好意を寄せるようになる。

ナオリは惑星に捕まったテッドの意識にだけ本物を感じ葛藤する。

量子もつれと脳の関わりが明らかになるにつれ、親しい者たちの脳波が何光年離れても干渉し合うことがわかり、それが惑星間通信に利用され始めていた。ナオリはそこに希望を抱き、ヒューマノイドに故人の感情を移植できると宣伝する葬儀社を訪れる。ナオリは、夢の中のテッドに彼の意識を採取しヒューマノイド移植したいと伝えるが、それでテッドが救われる訳ではない。

意識だけのテッドは絶望しつつあり、自分をコピーする許可を与える代わりに、この惑星の森ごと分解し自分を解放してほしいとナオリに頼む。

ナオリはテッドの意識を宿らせたヒューマノイドを手に入れ起動、一日を共に過ごした後すべてをアンインストールし姿を消した。

***

惑星の森はナオリに委託された葬儀社の量子操作で分解。惑星から解き放たれたテッドの意識は時空を自在に鳥のように飛びまわり、懐かしき移民船に別れを告げる。

彼は故郷、太陽系の辺境ヘリオポーズに引き寄せられていく。

荷電粒子の波が絡まり合い無数の磁気の泡が広大な空間を覆い、太陽からの波に揺れる場所でテッドはナオリの声を聴いて驚く。

彼女はヒューマノイドのテッドを殺したあと他の移民船へテレポート。その瞬間、彼女の意識は時空の狭間に放り出されてしまう。そして多くを理解したナオリは時空の狭間から未来を見通し、ここでテッドの訪れを待っていたのだ。

どんなテレポートでもオリジナルの意識は分離し時空をさまよう。テレポートは個人の死であり、もどきの誕生でしかないことを人々はテレポート後に知るのだ。

2人の意識は寄り添いながら、荷電粒子の泡の海にゆられていた。存在が消えつつあるのを感じたが太陽からの波は心地よく彼らは深い安らぎの中にあった。

文字数:1177

内容に関するアピール

タイトルはトッド・ラングレンの名曲「Hello It’s Me」から取りました。

すれ違う男女。でも男は遠くから、やあ僕はここにいるよとつぶやく、これはそんな歌がよく似合うお話です。

スタートレックで見慣れ、蝿男で危険を学んだ「転送」の世界ですが、ブライアン・グリーンの量子解説番組をみていたら…「出発地点で分子まで分解。それはそこに置き去りにし、再構築に必要な情報だけを転送、到着地点に溜まっている(別の人が置いて行った??)分子を使って復活する」シーンにびっくり。

転送前後の同一性について、長年もやもやしていたところもあり、ソラリスのように怪しい惑星を絡めながら、テレポート毎に何か大切なものが失われ、もどきが生まれる世界の恋人たちについて描いてみました。

抜け殻のような記憶と肉体を抱えたナオリとテッドがどうなるのか、続編も書く予定です。

文字数:365

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ハロー・イッツ・ミー

ーーハロー、どうしてる?

ああ、いまキミに会えたら…。

ナオリは懐かしい気配にほほえむ。

ーーハロー、トッド。わたしはここよ。

**

大雨が降り出しているらしい。

壁面いっぱいに広がり、ビービーがなるAI ” ジェーン ” に叩き起こされたドットは、巨大な宇宙船「テラノヴァ号」の船底に広がる農業区へむかっていた。

その雨の知らせは…遠くからきこえる…オスマン帝国の侵略の音…不吉なジェッディン・デデンようにトッドの胸をざわつかせていた。

ーーなんてことだ…ついこの間、ありったけの資材で…なんとか漏水をとめたばかりなのに…!

ドットが所属するホライゾン・リーパー・カンパニー(Horizon Reaper Co.)は、人類初の 「太陽系外」植民開拓団だ。

宇宙船の最高速度が「光速の1.1%」を突破した670年前、カンパニーは15隻の巨大宇宙船に植民希望者5000名をのせ「プロキシマ・ケンタウリb」に向けて出発したのだが…。

トッドは農業区へ移動するエレベーターの中でつぶやく。

ーーほんとうに真剣に考えたか…?この船団をつくった連中も、いま乗ってるボクらも…。ああそうさ、つくった奴らは1000年はかるく飛べるつもりで…。

トッドは首を横にふり、おち着きなく何度もパチパチと指をならし、

ーー何百年も ” 計算外 ” の厄災が、ボクらをたたきのめして…。そう、そうなんだ…”テラノヴァ号” は、どうしようもなくボロボロに老いぼれて…!

トッドは、冷たくふるえはじめた手をギュッとにぎる。

…むかしむかし、そう…航行450年目のことだ。

この船団は、めざしていた「プロキシマ・ケンタウリb」へ到着したんだ。でも…そこは「約束の地」なんかじゃなかった。

あれはおそろしい死の星だったんだ。地中からも空からも致死的な放射線が。気密服をズタズタにする凶暴な砂嵐も…。

偵察に出た小隊は…予想外の放射線に焼かれ、砂嵐に砕かれ、悲鳴のような声を最後に、誰とも連絡がとれなくなった。地上探査機もすべて壊れて動かなくなった。

「プロキシマ・ケンタウリb」の軌道上に集結していた船団は、この状況に凍りついたが、カンパニー全体が参加する「グランドチャット」で何日も、何日も話し合ったんだ。

ボクはその詳細な記録をよんだ。

のちに「プロキシマ合議」と呼ばれることになる、この歴史的グランドチャットではもちろん「地球への帰還」についても話し合われたが、意見は割れ、まったく埒があかず…

ああなるのは当然だった。もうあのときには…地球生まれは…とっくの昔にみんな死んで分解されちゃって。議決権者たちはもちろん全員、深宇宙生まれで。

1週間目の朝のことだ。のちにこの発言で歴史に名をのこすことになる機関区の光速技師セバスチャンのチャットが流れたんだ。

Sebastian FTL Engineer

これから450年もついやして…900年も留守にしていた集団が地球に戻る…?

そのとき、オレらを送り出した文明は、まだ続いているのか…?まさか。歓迎される…? まさか。

思いかえせ、この船団が飛び立った理由を。地球はパンク寸前だったことを。オレは思いかえす、養い親たちが子守唄がわりにきかせてくれた地球史を。

その歴史は…血生臭くて下等だった。文字が生まれたときから、強欲でずる賢く、好戦的な連中が殺し合っていた。戦争ばかりだ。本当に恐ろしい。

オレらはそんな地球を見限って、勇気ある旅立ちをしたんだ…!

旅立ち以来、この船団は高度な調和の中にある。なんて素晴らしいんだ。この450年間、殺人は一件もない。

思い返せ。初代が抱いた使命を。可能性にかけて飛び続けることがオレたちが生まれた意味なんだ…!

セバスチャンの言葉に船団全体からヴァイブレーションがわきあがる。

「植民可能な惑星にいきつく可能性はほぼゼロだ。地球に戻るべきだ」という現実的な意見もでたが、多くが生々しさを恐れ「とりあえず、このまま。さらに深宇宙へ」というプランに、すがりつくように流れた。

荒れて不穏な故郷より未知の、はるか未来のフロンティアへ。

「この世代はずっと船の中。オレたちに何が分かる?考えて何になる…?」

ーーボクらは…異様な楽観にすがりついてきたんだ。ああ、そうさここでは不吉な言葉は封じられ「臭い未来」は…。

トッドはエレベーターの壁にもたれかかり、天井にシミのように広がる腐食をみあげた。

ーーあのプロキシマ合議から220年、船団はただ無為に飛ぶだけだった。誰もイメージできなかった。いや、しなかったんだ滅びの未来を。

「この今」のことを…。

**

プゥンと音が鳴る。

最外縁の農業フロアについたのだ。

エレベーターからとびでたトッドは、農業区のあまりの惨状に言葉をうしなった。視界は豪雨のなかに白くかすみ、あちこちから飛沫がふりかかる。

ーーこれじゃあまるで…。

たちまちびしょ濡れになっていくトッドを、かけ寄ってきた白いアノラック姿のファーマーたちが取りかこみ、慌てておそろいのアノラックをかぶせた。

彼らはこのエリアの担当者たちだ。そのひとり、フィルが叫ぶ。

「トッドさん、腐りかけのバルブが、たぶん…全部やられました…!」

フードを押さえながらトニーも叫ぶ。

「外壁の…水量が急減…!そいつがここに降ってるんです…」

この水は、テラノヴァ号を凶暴な宇宙線から守ってきた「二重壁」の内側を循環していたものだ。それが漏れだして農業区に流れ込んでいる。この貴重な水は農業区や居住区もめぐる、この船の体液でもあった。

トッドはアノラックごしにバラバラと打ちつけてくる雨音をききながら、泣いていた。

ーーああ、もう降参です。わかりました…。あがいても無駄だと素直にみとめます。この船はもう終わり、そう終わりなんだ。中から腐っているんです。

でもお願いです…どうか、もうやめて、作物を痛めつけるのは…。

遠くにかすむ放送塔から、AIジェーンが何かがなっているようだったが、スピーカーに水がしみ込んだのか…雑音でにごり、雨音もひどくて、トッドには聞き取れない。

なみうつ水たまりに、もうすぐ収穫するはずのケール麦が倒れ、水草のようにゆれている。

頻発したトラブルのせいで、この農業船テラノヴァ号に…そして、このときのトッドはまだ知らずにいたが、ホライズン・リーパー・カンパニーの船団全体に食糧危機が訪れようとしていた。

**

トッドはびしょ濡れのまま自室にもどり、重たくはりついた服をすべてはぎとり、そのままベッドに倒れこんだ。

ーーボクはもう…。

夜勤明けでうとうとしていた恋人のナオリは、トッドの冷たさに驚いて飛び起きた。

「ああトッド、驚かさないで。死んでるみたい……!それに、その酷いにおいは何…?」

トッドはうめくようにいった。

「農業区が水没して、ケール麦が…うぅっ、ダメになったと思う。たぶん青芋もほぼ全滅だよ…」

ナオリは不吉な知らせに震えながら、氷のようなトッドの体を抱きしめる。

「ああ…。なんてことなの」

2人はしばらく抱きあっていたが、ヒーターが効いてトッドが泥のように眠りはじめるとナオリはそっと部屋をでた。

居住区の通路はダウンライトに照らされていたが、床はうす暗い。ナオリはすこし歩くと通路に放置された、支給品を積んだワゴンのハンドルに手をつき、苦しい息をはきだした。

ーー偶然みつけたのよ。あの恐ろしい資料を…! 巧妙に隠してあったけど…カンパニーの契約書の片隅にこっそり巧妙に忍びこませてあった。

わたしたちは…この船団に所属するものたちは…全ての人権を手放して地球を離れた。もう戻れないように巧妙に仕組まれて。人権放棄は死刑に等しい。

人狼の話を読んだことがある。罪人から人権を取りあげて、狼男として森に放つの。そしてその罪人は獣として狩られる…。

このカンパニーは…わたしたちの祖先は、たぶん…ああ、きっとそうだわ。プロキシマにむけて棄民されたのよ…。

入植計画なんて…最初から…。

資料センターのチーフになったばかりのナオリは震える手で、ワゴンから支給品のタオルを取った。

このカンパニーでは、服もタオルも全員が同じもの使っていた。特殊な光触媒の繊維がつかわれ、ほとんどの汚れは船内にあふれる通常の光で分解されていたが、

プロキシマ以来、カンパニー全体に悪質なカビが発生。そのプロキシマカビによる皮膚病の流行をおさえるため、ワゴンには紫外線消毒された再支給品がつまれていた。

ナオリは部屋に戻り、死んだように眠るトッドの泥臭い髪をタオルでふいた。

ーーこの船団は…巨大な石棺…。そしてついに、埋葬の土が降りはじめたんだわ…。

ナオリは泥水で重たくなったタオルを放りなげ、温かくなったトッドの背中にはりついて目をとじた。

涙ぐみながらうとうとする彼女の耳に、遠くからなにかの声が。

ーーハロー、ハロー、ボクだよ。この声がきこえるかい?

**

トッドは夢をみていた。

不気味な森。ぐねぐねと瘤だらけの巨木が枝を絡ませて密生している。

ーー濃密な大気だ。

ここは惑星のようだった。夢の中の星空は…何百年も早まわしで…ぐるぐると回転しながらとぶように過ぎているようにみえるのだが、地上の時間はスローモーションのように遅く進んでいた。

巨木はしなり、うごめき、落ち葉のように分厚く地上につもる無数の何かが、ゆるやかに飛びたち、羽ばたきながら空を舞う。ぬかるんだ地面は渦巻きながら泡だち、さらに森はうねっている。

ネバネバとした粘液でひかるツタが、呆然とたたずむトッドに這いあがってくる。

ツタはびっしりはえた根をのばし、トッドの体を穴だらけにしながら底冷えのするような何かを流しこんで……。

トッドは叫びながら起きたつもりだったが、目を開けてもあたりは真っ暗で生臭く、トッドは頭から泥水に沈みこんでいた。

でもなぜか息ができると気づいて、あらためてひどい悪夢からめざめた。 

**

プゥン、プゥンと呼び出し音がなっていた。アストロゲーターのノラの姿がホログラムで浮かんでいる。

そういえばだいぶ前、船団が濃い星間物質エリアにさしかかったとき、肥料に使うアンモニアを採取したことがあった。そのとき派遣されたのが、まだ平のパイロットだったノラだっだ。彼女は知的で頼りになる探査パートナーだった。

ノラは必死に何かを調べていた。

「トッド、やっとでたわね。いきなりで悪いけど…お願いが…あなた確か大気アナライザーを動かせたよね」

トッドはやけに冷えて痺れる頭をふった。

「ああ、ノラ。ちょっと待って…」

ノラはチラリとトッドをみる。

「大丈夫…?真っ青よ」

「うぅ…まだ、半分夢の中にいるみたいだ。酷い夢だったよ暗い森で泥沼の…」

ノラはぴたりと手をとめる。

「…その夢って…もしかして…」

ノラは指をこめかみに当て脳内イメージをモニターに写した。

「ああ…なんでここが…!さっきまでいたんだ。夢で…ここに」

ノラがパチパチと瞬きすると、何かの座標がしめされた。

「これは自由浮遊惑星、宇宙の放浪者よ。私たち、昨日まで何もない星間空間を飛んでいたはずなのに…突然現れたの、この船団の近くに」

ノラはこめかみを指先でもみながらつぶやく。 「わたしもみたの…昨日、トッドのとよく似た星の夢を」

トッドはまだポカンとしていた。

「この浮遊惑星の予知夢だったら…かなり面白いんだけど。 さてさて、この自由浮遊惑星だけど、われらの船団からかなり近いところにいるのよ。移住可能か、みにいくべきだわ。ねえ、トッド」

半覚醒のトッドの頭に、ようやくスイッチがはいる。

ーーああノラ、ノラ…!

「じつは…農業区が水没したんだ…。今期の収穫は壊滅的なんだよ…!」

ノラは息をのむ。

「じゃあ…。備蓄を食べ尽くしたら…酷いことになるでしょうね、私たち……。ああ、それなら…よけいに調べにいくべきだわ、今すぐに。なにか、肥料のたしになるものがあるかも。

この遊離惑星の報告、船団全体に…だいたいのリーダーに伝わってるはずなんだけど、誰も調査隊に名乗り出ないの。プロキシマ・ケンタウリbで調査隊が全滅したから、怖いのはわかるけど。

トッド、こちらは1人でも行くつもりよ。でも…一緒に来てくれたら…かなり嬉しいわ」

彼女はパチパチと何かを入力してからたちあがり「デッキで待ってる」といってログアウトした。

**

トッドはカンパニー全船の農業区とチャットした。船団全体で、大きな農業区が5つ、小さな農園はどの船にもあったが、テラノヴァ号のような洪水にみまわれなくても、致命的に老朽化した配管のせいで、カビやアメーバにやられたり、熱循環のトラブルで枯れたりして、ほぼ全ての地区の収穫量が激減していることがわかった。

トッドはうなだれたまま大気アナライザーを持ってデッキにいき、無言のままノラのポッドに乗り込んだ。めざす自由浮遊惑星までは0.1AU、ポッドで2時間ほどの距離にあった。

2人が乗ったポッドがテラノヴァ号の外にでると、宇宙線が網膜や視神経をつらぬき、小さなフラッシュがチカチカと瞬く。

ノラはにやりと笑い、

「ああ、せっかくの美顔が、電磁波で穴だらけだわ。戻ったら、スノーホワイト姫みたいにメディカルコクーンで眠って、取り戻さなくちゃ」

ノラの顔には大きな古傷が斜めにはしっていたが、あたたかな人柄がにじみでて美しかった。農業区の相互チャットで沈みこんでいたトッドは、ノラに元気づけられて口をひらいた。

「いや、こんな電磁波で血管が破れる前に、ボクらは餓死するんだよ。…でもなぜだろうな…太陽系外植民ができる、って思ったんだろう。あのとき地球で…」

パチパチとスイッチを入れ、着陸準備をはじめながらノラは毒づく。

「大昔、地球の北米と呼ばれた大陸にいくつか新しい国が作られたのよ。でもね、恐ろしいぐらい先住民を殺した果てに、どうなったと思う?結局、ほとんどが砂漠になっちゃったのよ。あの大虐殺のはてに採掘業者しかいない荒野が……こんな残虐と無惨に…誰が責任とれる? なにをしているか、誰もわかってないんだと思う」

ノラは着陸のために、ポッドの主翼をひらいた。

「でも…私たちも…まったく同じことなんだわ」

浮遊惑星が視界いっぱいに広がり、白く霞む大気圏に入ったとたん、まるで水面に叩きつけられたような衝撃がきた。自由浮遊惑星の大気はかなり濃く、ポッドは水中をゆっくり泳ぐように高度をさげていった。

トッドは、中間圏にさしかかったあたりで、大気アナライザーを起動した。この浮遊惑星の大気は…興奮したトッドが叫んだ。

「窒素と酸素がある…!ノラ、窒素と酸素があるよ!」

ノラがヒューと口笛をふいた。

「かなりやばいわね。それは」

トッドはアナライザーを食い入るように見つめている。

「ああ、なんてことだ、この白いモヤは水分だよ。ここにはたぶん植物がある。あるはずだ…」

ノラはウインクした。

「まだ何にもみえないし、とりあえず大気測って引きかえすつもりだったけど、こうなったら上陸しないとね」

ウイングを少し収納してポッドは急降下していく。地表近くになると、さらに視界はゼロ、濃霧で真っ白だったが、遠赤外線サーチでヘリポートぐらいの平面をみつけて着陸した。

完全防備でポッドからでると、気密服ごしに地熱が伝わってきた。

「母星の熱がないのに、ものすごく暖かいわ。ここに住めなくても、船を再生できるものが…」

「ああ、これだけ酸素があれば、あとは鉄や他の…」

そのとき、雷鳴がとどろいた。四方からチキチキと音がし、何かするどいものが2人の気密服をつらぬいた。あっ、と目を合わせたトッドとノラにそれは矢ぶすまのように襲いかかり、白い気密服が血飛沫で赤く染まっていく。

トッドの視界は赤く閉ざされ、暗転していくように意識が遠のいていった。

**

ふかい暗闇から目覚めると…。

2人はポッドの中にいて、テラノヴァのデッキに戻っていた。トッドは体中をなでまわし傷を確認したが、つるりと何もない。

ノラも不思議そうに手のひらをかえして傷をたしかめていた。

「何か……変だわ……。表面は無事にみえるけど…体のどこかに大穴があいて、冷気が流れこんでるみたい。わたしたち、霧の中で攻撃されて、血まみれに…。それから…?」

寒さにふるえるノラの顔は人形のようにこわばり、いつも人を元気づけていた、あたたかい光のようなものがすっかり消えていた。

「ああ、寄生虫が…這いまわってるみたいに、体中がムズムズする」

ノラは体を掻きむしりながら、検疫区を呼び出した。5分もしないうちに隔離カプセル「バイオ・コフィン」を飛ばしながら防疫班がやってきた。

ノラはトッドの腕をつかみ、

「絶対におかしいわ…感情が…消えたみたいに…何もかもが遠くて」

トッドも強烈な寒気の波とたたかっていた。

「冗談を…どういえばいいのか、まったくわからなくなった」

ノラはぎこちなく、口の両端をあげていたが、あきらめるようにホースのようにのびる隔離通路を歩いて、バイオ・コフィンに入っていった。

それがトッドがみた彼女の最後の姿になった。

**

トッドは検疫区のバイオ・コフィンの中で何日も、モルモットのように検査されていたが、一度も口をきくことなく、無表情のまま天井を見上げていた。

ーーノラ、記憶ニアル。ナオリ、記憶ニアル。カンパニー、船団ノ長イ旅、全部覚エテル。デモ、只ソレダケ。何カガ、消エタ。

ーー農業区、壊滅…。

トッドの目がパチパチと動く。ポッカリと抜けた感情の穴の奥で、かすかに何かがスパークしたが、それも寒気の波の中に消えていった。

**

ーーハロー、きこえるかい?ああ、君にみせたいよ。この世界を…。

ナオリは眠い目をこする。夢の中で何か大切なものをつかみかけたような、ふわふわと地に足がつかないような気分の、今朝の目覚めだった。

ノラからナオリに短い連絡入った。どうやら検疫区のコフィンから脱走したらしい。

テラノヴァの乗員たちは、水が引いた農業区に総動員され、腐った野菜を分離機にかけていた。

ナオリは、水でふくらみ嫌な匂いで発酵しつつあるケール麦を束にして、分離機に放りこむ。分離機は高速で回転しながら、粉砕分離を繰り返し、加工できるものと、土に返すものにわけていった。

泥と、ワラと、青臭いコケのような匂いがする。あの日々、農業区から戻ったばかりのトッドの…懐かしい匂い。ナオリは泣きそうになる。

ーー何度かコフィンに横たわるトッドのところへいって、シートごしに無表情のトッドに触れてみた。ああ、なんだろうあの違和感は。まるで異生物に触れるような…。

プゥンプゥンと音が鳴り、農業区の司令塔からAIジェーンががなりだす。今日の回収作業が終わったのだ。ナオリは手袋をはずし、エレベーターにむかった。

**

ナオリはパイロット居住区の訓練用に重く設定された重力の圧を押し分けるように通路を進む。

5分後にノラの部屋で落ち合うことになっていたのだ。部屋のドアは自然に開いたが、そこにノラの姿はない。

中に進むとプンと音がして、ノラのホログラムがあらわれた。

「ナオリさん、トッドからよくあなたの話をきいていた。 わたしとトッドは、急にあらわれた自由浮遊惑星の調査に…」

AIジェーンが突然がなりだす。

” 注意、注意、このホログラムは、感情が不自然に増幅されたフェイクです…!”  ナオリは眉間にシワをよせ、AIジェーンをワイプして黙らせた。

ノラの音声がよみがえる。

「…調査に行って、何かに襲撃されたの。

気がつくと、なぜか2人ともテラノヴァ号に戻っていたんだけど…隔離コフィンに向かうときに見たの。ポッドの片隅に脱ぎ捨てられた、ボロボロの…血まみれの気密服を。

あの遊離惑星で、雷がなったときに…感情がすっぽりぬけ落ちた感じがあった。心に穴があいて、冷気が流れ込んで、寒気が止まらなかった。

でも…検疫区に移されてから…今度は引き潮みたいに、何かがひっぱるの。残された理性まで、引きちぎるようにストレッチされていく。このまま理性まで引きぬかれたら、虚無にすいこまれる…」

ホログラムのノラは”霧吹き”を自分に向けていた。その分子結合を断ち切るボンド・ブレイカーは、死者や廃棄物に使われるものだったが、彼女はそれを自分にむけて稼働しようとしていた。

「ありがとう、来てくれて。トッドも苦しんでいるかも。わたしはあの恐ろしい虚無に引きずりこまれる前に、宇宙に還るわ…」

閃光がはしりノラの姿が消えた。生体信号が消えた部屋には、人ひとり分の何かが漂っていた。

だが、すぐに換気に吸い出されてテラノヴァ号の空気に拡散していき、ナオリが入ったときには何も残っていなかった。

浮遊惑星はすこしずつ船団に近づきつつあったが、ノラが分解した瞬間、吠えるような雷鳴がとどろき雲が渦をまいた。

**

ナオリは部屋に残されていたボンド・ブレイカー、分子を霧散させる「霧吹き」を持って、トッドの隔離コフィンへむかった。

エレベーターを3つ乗り継ぎ、検疫区が近づくにつれ、人だかりが。検疫区につながる通路が人々で埋まり、身動きがとれない。

そして、ナオリの視界にチャットが現れた。あの「プロキシマ合議」以来のグランドチャットが始まっていたのだ。

トッドがあらゆる壁面や天井に映り、拳をふりあげている。急に立ち上がり、雄弁に喋りはじめたらしい。周囲の話をあわせると、おそらくノラが分解した直後の時間に。

不自然にブーストされたパワーチャットにAIジェーンは警告を出そうとしたが、なぜか警告ランプだけが点滅し、音声は消された。

トッドのパワーチャットが響きわたる。

「居住可能な自由浮遊惑星が近づいている。すぐそこにあるんだ。そこには呼吸可能な大気がある。私とパイロットはそこに降り立ち、無事に戻ってきたのだ…!」

ナオリの目の前の壁に大写しになったトッドの瞳が。それはただ穴のように見ひらかれ、異界の深淵のように恐ろしかった。

ーーあれは、トッドじゃない。何かよくないもの…だ。

パワーチャットは、無為の未来を漂っていた人々をからめとっていく。

「大気アナライザーは、上陸の安全を保障した。670年の放浪がいま終わる。われらはプロキシマを厄災を忘れ、新たな母なる星、夢みた故郷に着陸するのだ…!」

トッドの虚無から涙が流れていた。

**

ナオリは部屋のベッドに倒れ込んだ。まだトッドの匂いが残っている。

ーーこの匂いは本物が残したものだ。

考えがぐるぐる巡っている。

ーーあれはトッドではない。危険なものだ…。わたしは…いまのトッドより死んでいったノラを信じるわ…。

ナオリのまぶたは鉛のようにとじ、闇に包まれていく。

どこからか声が響く。

ーーハロー、誰か。

それは、どこかトッドの声に似ていた。ナオリはおもわずそれに応える。

「わたしはナオリ、あなたは…」

ーーああ、キミに通じたんだね…!トッドだよ!浮遊惑星に捕まって地中に吸いこまれたんだ…! どこも真っ暗で。何か妙なものが渦巻いて…でもかすかな明るい光が。それに向かって必死に歩いたんだ。

「トッド、そこにノラは…?」

ーー気がついたらボク1人で。ノラは……たぶんここにはいない。はぐれてしまった。

「ノラも、あなたも、その星からテラノヴァに戻ってきてるわ」

ーーそれはありえないよ…!現にボクはここに……。

いや…まてよ…。

雷鳴が….。

「そのノラは、分解自殺したわ。でも遺言をみたの。感情を失い、理性まで引きぬかれそうだって。血まみれの気密服をみたって…」

ーーああ…ノラが。なんで……そうだ、襲撃されたんだ。無数のトゲにさされて…そして雷鳴が…。

トッドは自分がどうなったのか、ようやく理解しはじめた。どうやら自分のこの意識は…あの雷鳴にひき裂かれ、体を離れて…

ーーここの暗い渦巻きには、意識のようなものが満ちている。それがボクを通りぬけ、心を冷やしていくんだ。まるで、絶対零度の宇宙が流れこむみたいに。

そして、ルアーを投げるように、触手のような糸を放出している。その糸が向かう先に…。

ああ、なんてことだ、カンパニーの船団がある。 そっちにあるボクの体がみえるよ…その触手に食い尽くされて…糸をためる、胞子嚢みたいになってる。

ああ…なんてことだ。恐ろしい。いまわかったよ。光に向かって歩くことに夢中で、わかろうとしなかったけど…ボクは、ボクに擬態したその胞子嚢とつながっている。その思考がこちらに逆流するのがわかる。

ソイツは…ボクの願望を果たそうとしているんだ。…カンパニーはもうすぐ終わる。そのオンボロ船団は絶滅するんだよ。

浮遊惑星に吸い込まれたボクは…。ここにみんなを誘うフェロモンなんだ。そしてこれこそがボクの暗い願望なんだよ…。

ナオリは泣いていた。

「ねえ、トッド。わたしは見つけたの。恐ろしい書類を。ホライゾン・リーパー・カンパニーは、地球から棄民された集団なの。

契約書を調べたら、難民および移民収容所に戻らない、という条項が。地球上の人権も放棄させられている。戻る植民船を獣のように始末できるのよ。乗員募集なんて、たぶん嘘よ。移民や難民収容所から船団に移送されたんだわ。

プロキシマ合議も茶番でしかない。最初から地球に戻る道なんてないのよ…!」

トッドはうめいた。声は沈黙し、暗闇は沈みこみ、ナオリはさらに深い眠りに落ちていった。

**

数日後、トッドに率いられた、遊離惑星上陸派が動き始めた。船団全体でトッドに感応した協力者たちが機関区を占拠し次々と遊離惑星にむかいはじめたのだ。

この時点で、トッドのように触手に寄生された者たちがかなり増えていた。トッドやノラが持ち込んだものが大増殖したのだ。

うつろな顔をした集団が徘徊する船もあった。あちこちで壁や天井にびっしりと張りついた細い触手が…宿主になる獲物が通りかかるのを待ちかまえ、瞬く間に、船団の半数ちかくが餌食になっていた。

まだ理性のある者たちは、徘徊者をおそれ「遊離体」と名づけた。

自由浮遊惑星の大気圏内に入った船から、ポッドデッキの非常口をこじあけた遊離体たちが次々と飛び降りはじめた。バラバラと種のように落ちていく彼らがぬかるんだ地面に沈んでいく。

家族や友人が遊離してジャンプするのをみていた、まだ遊離していない何人かも親しい人の後を追い、一緒に飛び降りていった。

惑星は、人が沈んだ後のくぼみをふわふわの菌糸で覆っていく。

船内に残された遊離しない者たちは、着陸を試みたが、落ち葉の群れに襲われて空中爆発し、蝙蝠のように舞い飛ぶ群れがむさぼるようにその残骸を吸収した。彼らの意識のかけらは、そのまま落ち葉に吸い込まれていった。

多くの意識を吸収し、みたされた森がざわめいている。

ナオリは墜落するテラノヴァ号からポッドで脱出していた。反乱が起きる直前の夜に、ふたたび夢でトッドの声をきいたのだ。

ーーボクは役目をはたした。でもこの滅びには耐えられない。お願いだからボクを分解して。

「どうすればいいの?」

ーーボクは惑星のネットワークに溶けている。キミがきたらすぐわかる。キミからもすぐにわかるよ。

ナオリは成層圏から対流圏に突入し、その高さで旋回をはじめた。頭上がにわかに…ぽっかりと穴が空き、星あかりに照らされはじめた地表に白い巨樹のような何かが。

そのまわりを紙片のようなものが舞い飛び、チキチキと音をたてている。

ナオリが降下しはじめると、その巨樹がキラキラと胞子を撒き散らしはじめた。

ナオリはほほえみ、

ポッドの出口から身を乗りだし、その中心に、MAXに設定したボンド・ブレイカーむけた。

「さよなら、トッド」

「霧吹き」から放たれた光子、フォトンが稲妻のように大気を裂き、巨樹内の電子は吹き飛び、かき消されるようにすっと姿を消した。

反動でポッドの壁に叩きつけられたナオリは、墜落していくポッドの中で、なんとか霧吹きを自分にむける。龍がのぼるように…上空にむけて稲妻が走っていく。

しばらくすると何事もなかったようにゆるやかに、その大気の穴はうまっていき、浮遊惑星は長い休眠期にはいった。

この星の物語は、はるかに時間をこえ、また別の物語に引き継がれていくことになる。

**

惑星から解き放たれたテッドの意識は四次元を自在に鳥のように飛びまわっていた。

ーーああ、なんて美しいんだ。いろんな球体が次元をこえて重なっている。いまならわかる。時間の流れなんてどこにもなかったんだ。

エントロピーが崩壊する、その記憶のつらなりに物語が必要だった。

記憶は、時空に保存されて…ミミズのように…と言われていたけど…みてごらんよ。

記憶は圧縮されて、辺境でぼやけて…美しい球体になるんだ。

ボクらは最初から四次元からの観察者だった。その高次の眼差しがなければ、時間なんてつかめなかっただろう。

今という断片は、あっという間に飛び去っていく。過去の積み重なりも、未来のサイコロも…高次の眼差しが束ねた球体の…イマージュから来ていたんだ。

イマージュの中に時間はない。球体は飛び跳ねる。その瞬間は美しく光をはなち、よろこびに満ちあふれるんだ。

ーーああ、ナオリ。ここをキミにみせたいよ…。

トッドの意識に、ある球体がつながる。そこには、まだ見ぬ故郷、太陽系の記憶が圧縮されていた。

トッドはその記憶をほどいて、時空をひろげた。

辺境ヘリオポーズには、荷電粒子の波が踊るようにからまり、無数の磁気の泡が…広大な空間を覆っていた。

太陽からの波に心地よくゆれるこの場所で、場所でトッドはナオリの声をきいて驚く。

あの霧吹き、ボンド・ブレイカーの稲妻にふき飛ばされたあと、ナオリの意識も四次元の狭間に放り出されていた。

何がおきたかを理解したナオリは時空をほどいて、これから起きることを知り、ここでテッドの訪れをまっていたのだ。

ーーハロー、トッド。わたしはここよ。

ーーハロー、ナオリ。キミに会えてうれしいよ。

2人の意識は寄りそいながら、荷電粒子の泡の海にゆられていた。

ーーねえ、みてトッド。太陽が水素を使いつくして…赤色巨星に。予想以上にふくらんで…地球はもうないわ。

ーーああ、ほんとだね。地球に残った連中はどうなったんだろう。

ーー時空を解けばわかるわ。ほら、木星のまわりに少し。それから土星のところにも。太陽系に残っている人類はこれだけよ。

われらが太陽が…完全に冷たくなるまで、きっとこのあたりにいるでしょう。

そしてナオリはクスクスと笑いだす。

ーー彼ら、私たちと同じだわ。木星や土星の衛星は…見捨てられた流刑地よ。地球から追放されたんだわ。

トッドも笑う。

ヘリオポーズで味わう太陽からの波はここちよく、彼らの意識はもっと高次の次元にとけて消えつつあったが、2人は深いやすらぎの中にあった。

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