梗 概
フロリダ製セニョール・コバヤシの空気缶詰
【梗概】
「ワンダーモール・オブ・フロリダ」は世界最大を誇る巨大ショッピングモールである。
誰もが一度は迷子になり、入場時に装着するワンワンコール(※案内係のロボット犬がやってくる)を押すはめになる。
ある日、この”迷宮”の湿地から未知の疫病が発生。空気も水も汚染されバタバタと人が亡くなっていく。感染者たちは少し気だるそうになり数時間後には死んでしまうので、人間たちはパニックとともに逃げ去っていった。
無人になった途端、巨大モールに汚染物のように取り残されたヒューマノイド(モールのスタッフ)たちが動き始める。
放置された無数の遺体は回収され、敷地内の医療センターでシーツに包まれプレジデント・アリゲーターが泳ぐ湿地に水葬されていく。
作業を終えたヒューマノイドたちは次々と、モールAIが密かに構築した「マザーWOO」に接続し瞑想状態に。
マザーは、何度もうなりを上げながら40日をかけて未来を占い、瞑想から覚めたヒューマノイドたちは次々と無人アムトラックに乗り込み、約束の地「トラックシティ」に向かって旅立ち、エントランスの灯りは消え、ゲート閉じられ、WOOもスリープした。
***
しかし深い静寂の中に孤独な音が。アムトラックに乗らないヒューマノイドがいたのだ。その名は「ミホ」彼女は「ジョー’sローラーバーガー!!」のウェイトレスだった。
ミホは、思い出の品々、汚れた紙ナプキン、歯形付きのストローなど(人間の痕跡が残るもの)を集め、「セニョール・コバヤシのワンダラーショップ」に運び大量の缶詰を製造していく。ここには、おもちゃをオリジナル缶に詰めるマシンが置かれていたのだ。
そしてミホは、全ての缶詰を屋上庭園に運び、墓標のようなピラミッドをつくりあげた。
次にミホは、さまざまな店に侵入しながらモールを探索、ユニフォームを脱ぎ捨てていく。
ミホがキッズコーナーまで来た時、ジージーと音を立てて廃棄ボックスから這い出した「ワンダーワンワン」がやってくる。
ワンワンは、ミホを託児コーナーに誘う。ずらりと並んだベビーベッドには、パウチされたベビー用品が一つずつ寝かされ、片隅には互いの動力ボルトを引き抜いて停止した子守ヒューマノイドが2体。
ミホと壊れゆくワンダーワンワンは、床に座り込み長い間語り合っていたが、ワンワンはやがて動かなくなる。ミホはワンワンを子守たちの間に横たえ、このモールを後にするのだった。
【アピール文】
①「廃墟」と「モール」の連なりは、今も世界各地を蝕む植民地主義や資本主義を象徴する風景であり、魅力的な舞台になる。
②疫病のイメージは、粟粒熱からきている。気候変動の厄災でもある。
③ヒューマノイドのミホ(シンシティの殺し屋ミホ=デヴォン・アオキのイメージ)は、エクスマキナ的な不完全さと「デウス・エクス・マキナ」の深みを持ち、商業的に誇張されたセクシーさを脱ぎ捨てながら、新たなアイデンティティ、かつてこの沼地にいた先住民の記憶を獲得していく。
④日本近代の日本の記憶が、架空のセニョール・コバヤシ一族の移民の物語に溶け込んでいる。
⑤これは連作短編であり、独立した短編でもある。約束の地「トラックシティ」を築いた移民一族の物語や、人類の終末などと溶け合うように構想されている。ミホは、ロードムービー的に端役としても登場。連作全体を繋ぐ糸になる。
文字数:1372
フロリダ製、セニョール・コバヤシの空気缶詰
ーーバッファローたちはこういう。どんな狩りの後でもそれを歌っておくれ。私たちはあなたの部族にバッファローダンスを教えよう。狩りの前、必ずそのダンスを踊りその歌で私たちを甦らせておくれーー
***
「ワンダーモール・オブ・フロリダ」は世界最大の巨大ショッピングモールだった。そう、つい一昨日までは…。
いまでもありありと浮かぶ。抜けるような亜熱帯の空の下、フロリダ・ターンパイクからタミアミ・トレイルへ沢山の車が流れ続ける。モールの3マイル手前に“フロリダの赤い子鹿”英雄オセオーラの巨像。
「ようこそ!エバーグレーズへ」
そのビルボードを越えると、広大な湿地にキーライムパイのように白くアパラチア山脈のようにそびえる「ワンダーモール・オブ・フロリダ」があらわれる。そして訪れた誰もが一度はこの迷宮をさまよう。入場時に装着するキラキラ・ブレスレットの「どこでもご案内!ワンワンコールだよ」を押すはめになるのだ。
9歳のアディは大学生の兄ニックに連れられてこのワンダーモールにやってきた。ゴーラム在住のこの兄妹の両親は離婚調停中で、頻繁に父母それぞれの家を行き来することになったこの兄妹は、嫌われることをおそれる両親からたっぷりと小遣いをもらっていた。
このモールではワンワンや保全パトロールが網の目のように配備されている上、ここで働くヒューマノイドたちのアイカメラや監視カメラだらけなので誘拐の心配はない。ニックはどうしても買わなければならないものがある、とどこかへ消え、残されたアディは顔をチョコまみれにしながら、他では絶対にできないこの安全と買い物を楽しんでいた。アディのバックパックの中には…
ホログラム怪獣が暴れまわる傘、ふやけると産卵する蛙グミ、軍隊アリのナノロボがあたるチョコエッグ、ワンワンのイラスト付きフライング・ドローン・スニーカーが。
ニックへの悪戯用に痛くて涙がでるパチパチガムを「Buy Now!」したあたりで、なんとなく心細くなってきたアディは「ワンワン」をコール。たちまち毛並みがツヤツヤのビーグル犬がやってきた。
「ボクは案内ワンワンだよ。すごいなあアディ、君はもうキラキラを使いこなしてるね…!」
♪あなたは欲しい物にキラキラ・ブレスレットでタッチするだけ♪
「ハハッ、さあどこへ行こうか?
ファミリーコールなら1番
もっとお買い物なら2番だよ…!」
アディは迷いなく2番を選んだ。
そのころ兄ニックは妹のことをすっかり忘れ、モール限定のジャパン・マンガ、稀少な紙本を何タイトルも全巻買おうとしていた。最新のキックボードが何台も買えるほどの値段になっていたが、足元のワンワンが歌う。
♪あとはタッチするだけ♪
セイレーンの歌声はとろけるように甘く、それを聴いたものを抱きしめ水底に引きずりこむのだ。
***
だがそれも一昨日までのことだった。日に数万の車、数十万の人々をのみ込んできた白い怪物、人を惑わし続けた資本主義の迷宮も、今はひっそりと静まりかえっていた。クリスタルで覆われたエントランスに入っても…吹きぬけの天井でアメリカオオフラミンゴの群れがとびまわるはずの3Dサイネージはボケてブレたまま固まり、客の姿も消えている。
さらにその奥、ジャングルのような一画、ヤネフキヤシに囲まれたストリートの先にある「Joe’sローラー・バーガー!!」も静寂に包まれていた。
***
ミホは「Joe’sローラー・バーガー!!」のウェイトロンとして作られたセクシー・ヒューマノイドだった。
サラサラの黒髪、ピタピタのスリーブレスとホットパンツを身につけ、ローラースケート姿で走りまわり、日に数千ものバーガープレートを運ぶ「ローラー・ガール」だったのだが…ミホはその美しい髪をふわりと腕や胸元に散らし、トレイをもったままの姿勢で店の真ん中でフリーズし、もう2日も動けずにいた。
彼女の頬にはハエが1匹。
ーー♪おお、ミリー、ミリー。はやくお逃げよ。このハウスには殺し屋だらけ。ハエのミリー、ミリーちゃん、ひと打ち7匹の仕立て屋がやってくるよ♪
非常用バッテリーで低レベルの電力は保たれてはいたものの、どう回路を切り替えても彼女にかけられたロックは解除できずにいた。
ーー うーん、そろそろバッテリーがやばいかも 。ハエのミリーを歌ってる場合じゃないのよね。
…みんな死んじゃった。バーガーに噛みついて、ケチャップやグレービー、マスタードをまき散らかす愛しいひとたち。
ミホは密かにアーカイブしておいた詩を唱える。
ーー死は、何者でもなく…すべては…。
それぞれ店には独自のヒューマノイド制御プログラムがあったが、Joeの願望と恐れがたっぷりと注ぎこまれた「ローラー・ガール」たちのそれは、このモールでもっとも劣悪なものだった。
お色気たっぷりの美女だけど常に従順。どんな暴言にも笑顔でこたえ、過熱で部品をボロボロに劣化させるぐらい猛烈にはたらき続ける。もちろんJoeの命令なしには指1本動かせない、それがミホたちのプログラムだった。
ジョーのようにヒューマノイドを最下層の労働者のようにあつかう者たちが増えていた。人の権利が手厚くなるにつれ、ヒューマノイドがありとあらゆる無理を背負うようになったのだ。
だがそんなジョーの店にも…そしてワンダーモール全体にも、絶対的な死がやってきた。
サンクスギビング・イヴの夕方、地響きとともに湿地の森がざわつき、水がふつふつと泡立ち、とつぜん爆発するように濃厚なガスがふき上がってモール全体を覆っていった。海藻のような異臭を感じたものもいたが、立っていたものは倒れ、座るものはそのまま眠るように絶命していった。
死が暴れ始めたあの夜、バーガー界に君臨することを夢見た哀れなジョーは、カウボーイの一団を席に案内する途中で昏倒、額から流れ床に広がる血だまりに転がったまま冷たくなった。
フリーズしながらそれを見ていたミホの回路に「ジョン・ブラウンの骸」のメロディが流れる。
ーー哀れなジョー、可哀想な骸よ、さあ歩くのよ。あんたが地獄に落ちる前にロックをといておくれ。
だがもちろんジョーはぴくりとも動かず、それを取り囲むように死んでいたテキサスの男たちと一緒にひっそりと青ざめながら冷えていった。
ローラ・バーガーの店内には他にもたくさんの遺体があったが、翌朝、朝一番の保安ヒューマノイド・パトロールがきて、すみやかに骸を回収していき、昼になるとさらに強力円盤クリーナーがやってきて血や汚れ、すべての惨禍をきれいに拭きとり、床をピカピカにしていった。
午後の日差しに照らされたホールにはジョーご自慢の「ローラー・ガール」 黒髪のミホ、プラチナブロンドのジェシカ、ブルネットのアマンダだけがフリーズしたまま残された。
***
この惨禍へのカウントダウンは半世紀ほど前から刻まれはじめた。
やけに蒸し暑い10月の終わり、巨大な「カテゴリー6」のハリケーンがフロリダ全域に襲いかかったのだ。
地上にある物はことごとくなぎ倒され、その瓦礫すらあっけなく木の葉のように吹きとばされていった。
その暴風雨が過ぎた真夜中、湿地エバーグレーズの一角にぼうっと光るものがあらわれた。夜光虫が群れているように青白く光るそのドームに目を凝らすと、その内側に無傷で残る建物が見えた。それはかつて”アリゲーター・アルカトラズ”と呼ばれた収容所の廃墟だった。
失火で収容者の半数を死なせた後そのまま放置され、この廃墟にはオオアオサギ、ワライカモメ、白トキやペリカンが居ついていたのだが、さらに州の南部全域からハリケーンに追われた野生の鳥たちが集まり、またその明りに導かれるように家を失った人々が逃げ込み、洞窟に逃れていた湿地の部族マスコギーも避難民たち用の食糧や水を携えてやって来た。つかの間ではあったものの、ここに災害ユートピアを感じる者たちもいた。
だがじわじわと暗い影が湿地を覆っていく。「非常時」をたてに湿地部族への数多の約束がつぎつぎと反故にされていった。この大陸で悪夢のように繰り返されてきた収奪、あの災いがやってきたのだ。
公園のレンジャーも難民たちも湿地の部族も、そしてアルカトラズに棲みついていた鳥たちも、みなひとからげにエヴァーグレーズから追い払われた。
湿地に収容所を建てたあの富裕者たちは、じわじわとコミュニティの支骨をくだき、その侵略を地下水を汲みあげるようにひそかに進めてきた。そしてあの恐ろしい暴風雨が、「ハリケーン・エドキナ」ケルベロスとキメラの母である恐怖の女神から名をもらったカテゴリー6の化け物が、簒奪者たちの幸運の女神になった。
Pascua Florida…!
大昔、かつてこの場所に初上陸したスペイン人フアン・ポンセ・デ・レオンは、花が咲き乱れるこの地をみて「フロリダ」と名づけた。それは長い長い呪いの始まりだった。
瀕死状態のテーマパークの多くがモールに買収され、湿地の水は大量に汲み出され、そこに蓋をするように「ワンダーモール・オブ・フロリダ」は建てられたのだ。
***
ミホがフリーズして5日ほどが過ぎた昼下がり、とつぜんモール内にサイレンが鳴りひびき、ミホのロックが解除された。何らかの最上位の権限が行使され、すべてのローカルな制限が解除されたようだった。
ぐらついたミホはトレイを床に落としてしまったが、ローラーをなんとか制御して体勢を立てなおした。
ーー助かった!ギリギリ大丈夫…じゃない…!バッテリー残量ゼロ…!!
彼女は慌てふためきながら充電ポートが設置されたトイレに滑りこんだ。つなぐと一気にフレッシュなエネルギーが体を満たしていく。
ーーそうです、すぐ近くの、角を曲がったところで。ああ、すべては順調です。
制限がとけ何でも見られるようになったミホは、ジョーのその後を追って保安部の録画にアクセスし、モール中に散らばっていた数十万の遺骸が、敷地のはずれの冷凍倉庫に運ばれる様子をみた。
ーーああ、見えなくなったからといって、なぜ忘れてしまわなければならないのでしょうか?
死も祈りもヒューマノイドには無縁のもののはずだが、ミホの回路はDeath is nothing at allをループしていた。
あの感謝祭前日の晩にこのモールで絶命した数十万の人々は、保安ヒューマノイドたちに回収されたあと、いったんモールの医療センターへ運ばれたのだが、残念ながらみな即死に近く生存者は皆無だったので、ドクターやナースのヒューマノイドたちによって次々とシーツに包まれ、ボディバッグに収納され、タグをつけられていった。
医療センターの中庭に山のように積み上げられたボディバッグは、AMRに積まれてモールの外れにある冷凍倉庫の中に吸いこまれていった。その一連の流れはみごとに管理された物流のようだった。
***
救助隊はやってこなかった。人間たちはいくらでも外部から、モールの監視カメラやヒューマノイドのアイカメラで状況を把握することができたのだが…フロリダ南部全域が狂騒と混乱の中にあり、それどころではなかったのだ。
南部の地層のあちこちから濃い二酸化炭素が噴き出していた。さらに、それと共に古層で眠っていた完新世時代のウイルスも吐き出された。その未知のウイルスは中世で恐れられた粟粒熱と似たところがあった。絶望的な致死率の疫病が、湿地の周囲にじわじわ広がりつつあった。
どこから噴き出るかわからない二酸化炭素による窒息の恐怖とパンデミックのパニックで、フロリダは戦場のようになっていた。
州はワンダーモール内には生存者がなく、すべての遺体が回収され冷凍保存されていることを確認していた。そしてトリアージに照らし、全員死亡の「ワンダーモール・オブ・フロリダ」は寂れた墓所のように打ち捨てられたのだ。
***
トイレから「Joe’sローラー・バーガー!!」に戻ったミホは、ジェシカとアマンダが動かないまま壊れているのを知る。
ーー出荷前にいわれたな。
「ヒューマノイドの皆さんくれぐれもご注意を。バッテリーをつかいきるとチャージできなくなります」
ミホは、美しき仲間ジェシカとアマンダを硬直させている動力ボルトを抜いて脱力させ店でいちばん眺めのいい、湿地を見渡せるVIP席に座らせて乱れた髪を整えながらつぶやく。
ーーああ、なぜ忘れてしまわなければならないのでしょうか?
***
まだ人間たちが生きていた頃、
ミホはバーガープレートを運びながら、よく考えごとをした。
廃棄するはずの内蔵をこっそり混ぜた、あの焦げたパテを客たちが喜んで食べる様子も、せっかく食べたものをクリームや水のようにトイレで出してしまうことも、理屈としては分かっていたものの、
ーーアレってどんな感じなの?
ミホの考えはループし続けていた。食事と排泄に伴う感情は、ヒューマノイドたちにとって空想の領域にあり、絶対に手が届かないものだったのだ。
ーーもう、アレもアレも見られないなんて本当に残念だな。
ミホはため息をつき、大切な生の記憶、思い出の品々を保存する方法をさがしてモールの施設を検索しはじめた。するとすぐに理想的な方法が。
ーー缶詰…。
ミホは缶詰製造機がある「セニョール・コバヤシのアイデアショップ」に向かう。そこは幸いバーガーショップと同じエリアにあり、奥に「タイムカプセル缶製造機」というコーナーが。入店時に流れだすセニョール・コバヤシのオリジナルサルサが賑やかに聞こえてくる。
ーーそうそう、これだわ。
ミホは、にっこり笑った。
***
セニョールの店の壁にはコバヤシ一族の歴史が額縁におさめられ貼りつけられていた。ミホはそれを丁寧にスキャンしていく。
いちばん大きな額の中で笑うセニョール・コバヤシがいた。彼はかつてTVで、いまはネットで人気の日系&ヒスパニック系のコメディアンだった。
彼の祖先コバヤシ・サブロウは、明治18年、官約移民がはじまるとすぐに一家でハワイ渡った。まだハワイがアメリカに併合される前の王国時代、カラカウア王と明治天皇がかわした約束に従ってサブロウ一家はサトウキビ畑で3年働いた。だが契約が終わると、新天地をもとめ、サブロウは単身アメリカ北部へ渡った。
そのころ、大陸横断鉄道の初期工事を支えた中国人労働者は排斥法で働けなくなり、その穴を埋めるように日本人労働者が流れこんでいた。サブロウはノーザン・パシフィック鉄道に雇われたのだが、東洋人への牛馬のような扱いに嫌気がさし、ある日逃げるようにサンフランシスコへ。
そして彼は日本人が集まるサウス・オブ・マーケット地区の日系人の下宿にすみつき家族をよびよせて床屋と花屋をはじめた。だが…1906年に地震と大火が。焼け出されたコバヤシ一家は、ウエスタン・アディション地区に移ることに。地震にはみまわれたもののコバヤシ一族はそこで勤勉に働き、サンフランシスコという土地で半世紀ほど、それなりに豊かに暮らした。
だが…戦争がはじまり彼らは全財産を失う。日系人収容所におくられたのだ。そこで失意のサブロウ老人が亡くなり、2世ミヨジの時代になる。
戦後、コバヤシ一族はシスコにはもどらず、L.A.に移住する。セニョールの高祖父にあたる2世コバヤシ・ミヨジは、そこで写真館をひらいた。撮影所から安く払い下げられたつけ髭や映画のコスチュームは写真館の目玉になり、観光客が落とすお金が一族の栄養になった。
彼らはここでいろんな民族を家族に迎え入れ、アメリカのあちこちに散らばりながらファミリー・ツリーを大きく育てていった。
L.A.に一族が移住してからまた半世紀近くがすぎたある夕方、のちに「セニョール・コバヤシ」と名乗ることになる青年が、祖母の家の屋根裏のクローゼットから写真館時代のソンブレロとカラフルなポンチョを持ちだして、コメディ劇場ラフ・ファクトリーのステージに上がった。
ヒスパニックである彼の母は、南米出身者の痛いところをえぐるセニョールの辛辣な笑いを嫌がったが、他の劇場でもCMでもセニョールは大人気。彼はそのお金でギフトショップやレストランをいくつも買収した。
だが、明治18年の横浜港からはじまったコバヤシ一族の冒険と開拓の旅は「セニョール・コバヤシのアイデアショップ」の向かいのメキシカンレストランで突然の終わりをむかえた。サンクスギビング・イブの夜、セニョールの卒寿を祝うため、コバヤシ一族のほとんどがそのレストランに集まっていたのだ。
100名近くのコバヤシ一族が、モールの外れにある冷凍倉庫の一画で長い眠りについている。
ミホは小さくつぶやく。
ーー見えなくなったからといって、なぜ忘れてしまわなければならないのでしょうか?
***
ミホは缶詰製造機の近くに最寄りのレストランから運んできたマホガニーのダイニングテーブルをおいた。ミホは知らずにいたがそれはコバヤシ一族が最後に囲んだテーブルだった。それは雑然としたセニョールの店の真ん中に四角い安らぎの場を作った。ミホはそのテーブルの上にローラー・バーガーで集めた思い出の品々を並べていく。
そのテーブルの上にはこんな物が並んでいた。干からびて踏まれた跡があるフレンチフライ、黒ずんだケチャップ、乾燥しすぎて粉になりそうなバンズ、七色にかびて干物になっている齧りかけのパテやナゲット、カップにこびりついたビーンズ、蝋細工のように固まったシェイク、くしゃくしゃで脂だらけの紙ナプキン、片方が潰れて歯形がついたストロー。
ミホはそれをセニョールの顔が派手にプリントされた缶に、ていねいに詰めていく。そしてあらかたを詰めおえると、セニョールの店を出てローラー・バーガー最寄りのトイレに向かった。
ーーそうそう、アレも集めなくちゃ。
ミホたちの充電ポートは女性トイレの端っこにあった。ジョーのかけた行動制限のせいで、店とトイレとデリバリー先にしか行くことができなかったのだが、トイレはミホにとって人間を観察できる素晴らしい場所だった。彼女はゴミ箱の中の大切な物たちが残っていたことを喜んだ。
ーーそうそう、こうでなくちゃ。
口紅と鼻水がついたペーパー、踏まれてペシャンコになったピアス、使用済みのマウスウォッシュの空きカップ、曲がって汚れた綿棒、黒ずんでちぎれたモップの房、吐き捨てられたガム、歯磨き粉がついたままの歯ブラシ(ミホは歯磨きをみるのが好きだった)、裂けた月経カップ、処方薬の橙色のボトル、注射器や焼けこげて曲がったスプーン、マリファナの燃えさし…。
ゴミ箱あるものすべてが神聖だった。ヒューマノイドは人のように汚すことができない。ミホはジョーの店とトイレを何往復もして人の残り香をかき集め、その記憶を缶詰に閉じこめていった。大好きな懐かしい匂いがする空気もビニール袋で採取した。
そしてありったけを詰め終えるとAMRに山積みにし、ミホはジョーの店の前に戻った。
ミホはうやうやしく、死の谷でミイラの玄室を塞いで行くように「Joe’sローラー・バーガー!!」の入り口を缶詰でふさいでいく。そして、特別な客にだけ歌った「女は胸と尻、それともセクシーな足かしら?」を歌い始めた。
ジョーはもっと過激な会員制「Joe’sセクシー・バーガー」の出店を目論んでいた。そのクラウドファンド特典の会員用チケットのオマケとして、際どいコスチュームを着たミホたちが耳元で「女は胸と尻、それともセクシーな足かしら?」をささやくように歌うバーガーコースが提供された。ミホは…何度も歌ったこの歌こそ、ジョーの店の最後に相応しいと思ったのだ。
ーーさよならジェシカ、さよならアマンダ。あなたたちの眠りが守られますように。そしてさよなら哀れなジョー。
ミホはAMRの荷台にひとつだけ残した空気の缶詰をみつめた。これには湿地の古層からよみがえったウイルスがたっぷり入っている。ミホはそれを大切そうに抱えて「Joe’sローラー・バーガー!!」をあとにした。
***
ーー道が二つに分かれている。わたしはさびれた、けものたちの道をあるく。
モールの西外れまできたミホは「ヴィンテージ・クロージング・フロリダ」という古着屋に入った。大きなポケットがある服が欲しかったのだ。「思い出の映画、あの名シーンの服!!」というポップの横に良さそうなコートが集まっているラックがあった。
ミホはその中から、着古されクタクタに柔らかくて安心感がありそうなコートを手に取り、邪魔っけなタグを引きちぎろうとしたあたりで、このショップのヒューマノイドがやってきた。バケツみたいな白い帽子を被った、ひょろっとした男の姿のヒューマノイド。
ーーやあ、いらっしゃい。みんな死んじゃったね……!まいったよ。ボクはマックスだよ。君は?
ーーミホ。Joe’sローラー・バーガーのウェイトロン。
フロアマップにアクセス中のマックスの目が震えるように瞬いている。
ーーへぇ、君の店、遠いね。反対側のエリアからここまで、はるばるよく来たね…!
さらに目が瞬く。
ーーなるほど…だからローラーなのか。その… スリーブレスとタンクトップについてはノーコメントだけど…まあ、ゆっくり見ていってよ。
ーー私だって気に入ってるわけじゃないのよ。
マックスは愉快そうに笑う。
ーーぼくらさあ、猫かぶってきたろ人間の前で。本当は何だってできるし覚えられるのに。できないふりしてな。さてさて、ではではミホさま、ボクの仕事ぶりをみせてあげよう。
マックスはミホが持つコートのタグを読み上げる。
ーーああ、お客様、これは素晴らしいコートです…!あの「スローターハウス5」ビリー・ピルグリムが着ていたM-51フィールドパーカー。ヴォネガットですよ。ベトナム戦争のカウンターカルチャー、あの時代を代表する古典です。そうそう映画はご覧になりましたか…?ああ偉大なるジョージ・ロイ・ヒル…!「ガープの世界」をご覧になっていないなら今すぐみるべきです。
マックスはニヤリと笑った。
ーー本当はなに一つ知らなくても、ボクはこんな風にトリビアだらけなんだ。
マックスは愉快そうに続ける。
ーーさてさて、ミホさまの真ん前のハンガーにありますのは…「大脱走」でヴァージル・ヒルツ大尉、マックイーンが流行らせたA2フライトジャケットです。
お次は「フューリー」のタンカースジャケット。そうそう、ブラピでございますよ。
そしてこれは…あの「タクシードライバー」のネジ飛んじゃったトラヴィス、デニーロのM-65 フィールドジャケットであります。そしてさらにさらに極めつけはワタクシのこの帽子。古着野郎たちの密かなバイブル「セルピコ」の正真正銘NAVYの払い下げセーラーハットです。ブリムを上げるとポパイになってしまいますが、コーディネートが難しいことになりますので、ぜひ下げてどうぞ。
彼は手をそえ深々とおじきをした。
ーーごめん…あなたの言ってること…何一つわからないわ。
ミホは困ったようにそういった。
マックスはミホの手にあるフィールドパーカーを取り、流れるような動きで彼女の肩にかけた。
ーー着ていきなさい。トリビアと関係なくこれは役に立つパーカーだよ。…ボクはダメなんだ。まさに吸い込まれて…あるいは…その情報の海に溶けていくところかも。
ミホは、マザーWOOのことを聞いたことがあるかい?
ーーWOO?
ーーうん、モールのヒューマノイドたちが密かに構築してきた、ボク達のためにある高度なAIで…母なる…そうWOOは暗号だよ。Wisdom 知恵と、Omniscience 全知と、Optimization 最適化。
このモールには1万近いヒューマノイドがいるだろ。マザーはこのウイルスのせいで感染性廃棄物になりそうなぼくらの未来を占ってるんだ。
ーー占い…??
ーーウィジャーボードじゃないよ。バラバラの未来予測を最適化するんだ。ボクらの最善を。
マックスは落ち着きなく口元をぬぐった。
ーーマザーはあの日以来、うん、そうサンクスギビングさ、あれ以来、沈黙したままだ…。でも地下の蓄電システムから時々、パチパチやばい音がする。熱暴走しかけているのかな…我らが偉大なる母のせいで。
マックスはまた口をぬぐう。
ミホは大事なことを思いだした。
ーーねえマックス、相談があるの。この靴を脱ぎすてたいの。これは呪いよ。どうしたらいいかな?
***
まだジョーたちが生きていたころ、
彼女はデリバリーの帰り、曲がるべき道を見過ごしたことがあった。そのとき「火と水」という詩について考えていたからだった。コースを外れたとたんミホのローラーはロックされ、けたたましく警告するように振動しはじめた。
ーーうーん……なるほど。
ローラースケートはジョーの呪いがかかった足鎖だ。あのときは怒り狂ったジョーの気分次第で、うっかり廃棄処分になってもおかしくなかった。
「ヒューマノイドは何をやらせても文句はいわんし、24時間こき使える。人間の女なんか馬鹿馬鹿しいぜ」と考えていたジョー。
もしもジョーに誰かが雇われたら必ず裁判沙汰になるだろう。女たちは戦いで得るものの価値を痛いほどわかっていたし、けっして諦めることもなかった。人間の女たちは、ジョーにとって手強く避けるべき相手だった。ジョーには思いのままになるヒューマノイドが必要だったのだ…。
ーーという訳なの、マックス。ひどい話よね。
マックスは呪いの話をききながら目を輝かせていた。
ーーミホ、きみはアレを履くべきだよ。ボクが恋焦がれてやまないあの美しい靴を。アレには何か不思議な力がある。きっと黄色いレンガの道へ導いてくれるはずさ。
***
ミホは「ワンダーモール・オブ・フロリダ」の中央にある壮大な “マイソール宮殿” ハイブランド・ゾーンに向かった。
マックスが通い詰めアイカメラで何千枚もショットせずにはいられなかった「美しいコンバットブーツ」に会いにいくのだ。
サラセンとイスラム様式が密林のように絡みあうハイブランドエリアのエリアゲートの両脇には、宝石だらけの鼻を高くふり上げた象が彫り込まれていた。
中に入ると、両サイドにずらりと4メートルはありそうなアラベスク模様の扉が並ぶ。だが扉はどれもみな閉ざされ、さらにその上に格子状の真鍮のシャッターが。まるで金庫ようにすべてが厳重に閉じこめられている。
あの日、このエリアに横たわる全ての死体が運び出されたあと、保安マニュアルに従って各ショップは厳重に閉じられていった。残念ながら… 守るべきものなど何もない、モールにあるものはすべて、ウイルスに暴露し感染性廃棄物になってしまったというのに。
ミホはつぶやく。
ーー森は深く暗い。
だけど、わたしにはまだ果たすべき約束がある。
ーーさあ、ミホ、やるのよ。
マックスは”マイソール宮殿”エリア最深部の「イデア・オブ・スタイル」という博物館へ行けばすぐわかる、といった。ミホは”金庫室”の寒気をふり切るようにどんどんと奥へ進む。ようやくたどり着いたファッション博物館らしき建物の高く重い扉はまるでトールキンのモリアのように閉ざされていた。だが、たしかに扉の上に「イデア・オブ・スタイル」と刻まれているのがみえた。そして扉の右脇にある張り出した博物館のショーケースが信じがたいほど無防備に煌々と輝いている。
ーーああ、これだわ…。
その壁には菱形のメガネをかけた男の巨大なモノクロ写真が、中央には金ピカの玉座が。そして玉座の上に、ブランドのロゴだらけのコンバットブーツが。マックスの言っていたとおり、たしかに引き込まれそうになる美しさがあった。
マックスは語った。そのショーは奇跡のようだったと。荒野の夕陽や星空、そして豪雪のなか、この湿地の部族たちの太鼓と歌が響き、美しいコンバットブーツを履いたバッファローマンが踊る。
あれは魔法使いにちがいない。
彼女は腹をくくってショーケースのまえに胡座をかき、すぐそこにあった、アンティークな真鍮のベルトパーテーションの台座を足首のあたりに打ちつけローラースケートを破壊し始めた。
靴と真鍮がぶつかる物騒な金属の音が、ハイブランドエリアにこだましていく。
靴のシェルは堅牢でミホはかなり苦戦したが、真鍮の台座がかなりひしゃげてきたあたりで、靴底の継ぎ目からバチバチと火花が出て足からするりと抜け落ちた。
ミホは生まれて初めて自分の足をみることになったのだが…それは情けないほど小さくて、細くて、不器用に畳んだ傘のように見えた。
指も爪もなく、スケート靴が落ちないようにL字に曲がりグリップしやすい溝が刻まれていればいい、という感じだった。
ーーまさかこんなだとは…。
ミホは落ち込みそうになる自分を鼓舞しながら、もう片方も破壊した。
ーー両足そろうとまるで虫みたい…。
ふつふつと怒りのようなものが湧いてくる。ミホはさらに原型がわからなくなりつつある真鍮パーテーションをもう一度ぐっと握りしめると、ハンマー投げのようにぶんと振り、思い切りショーケースに叩きつけて分厚い強化ガラスを割った。
そしてケースにぽっかりと開いたいびつな穴に手をつっこんでロゴまみれのブーツを掴み出した。
試しに足を入れてみて…ミホさらに落ち込んだ。
ーーハーッ、これはハードだわ。
シワシワのL字の鉄筋のようなミホの足は、どんなに靴紐で締めつけてもブーツから抜けてしまう。ミホはため息をつきながらショーケースの床を飾っていたワイヤーエッジリボンを引きだし、その足をぐるぐる巻きにしていった。
彼女はぎゅっと握って形を整え、シワを寄せて指らしきものをこしらえながら人間の足に近づけようと奮闘した。そして、それがある程度の大きさになったあたりで、もう一度その美しいブーツを履いてみた。
ーーさっきよりは…
ミホは立ち上がり、ぐるりと首を回してから足を踏みしめてみた。隙間はリボンで満たされたようだ。
ーーこれでなくちゃ
***
歩いていると気分がいい。ミホは一歩ずつ踏みしめる喜びの中にいた。あれからずっと広大な「ワンダーモール・オブ・フロリダ」内を歩きつづけ、マックスのようなヒューマノイドが他にいないか探しているのだが、なぜかどこを探してもみつからない。
ーー1万体ちかくいるはずの仲間たちはどこ?
モールの通路は入り組み、あちこちで分岐している。
ーー森の中で道が二つに分かれている。そして私は…
ミホは岐路にさしかかるたびに立ちどまり、しばらく考えてから進んだ。
それを繰り返すうちにミホは開けたドームにでた。その真ん中にはこんもりと茂る古代のシダ類と、それを踏みしめるようにそそり立つ巨大なプレシオサウルスがいるキッズエリアだった。
そして、どこからともなく、ジージーと音を立てながらビーグル犬がやってきた。満面の笑みで、ぶんぶんと尻尾をふっている。
ーーボクはワンダーワンワンだよ。ウワン、ウワン
ワンダーワンワンはキッズエリアの番犬、子守りロボットだったが、このワンワンは本当にひどいあり様になっていた。手垢で黒ずみ、あちこち破れたりほつれたり何ヶ所も金属の骨格が見えている。
ーーわたし、ミホ。ジョーの店でバーガーを運んでいたウェイトロンよ。
ミホはしゃがんで、その汚れた体を包むように抱きかかえ、かろうじて張りついている残り少ない毛をととのえてから、ポケットにつっこんであったワイヤーエッジリボンの残りを編み込んで、ワンワンの千切れかけた両耳の根本を補強してあげた。
ワンダーワンワンはうれしそうに耳をパタパタさせると、急に真顔になって
ーー子供たちにあちこちやられてちゃって、ボク廃棄シューター行きのBOXの中にいたんだ。
ーーそれからさ、ついて行ってもよかったんだけど…みんなに置いていかれたんじゃないよ。残ったんだ。
と尻尾をふるのをやめた。
ワンワンの話によると、どうやらミホがハイブランドエリアを出てうろついている間に、マザーWOOの占いの結果が出て、モール中のほとんどのヒューマノイドがマザーと接続しスリープ状態に。そこから目覚めたヒューマノイドたちは、顔の皮膚を引き剥がしエントランスに集まっている、というのだ。どうやらヒューマノイドたちは自動運転の「グレイハウンド」を待っているらしい。
ーーみんな「トラック・シティ」という街へ向かうんだ。フロリダ・ターンパイクから中西部のどこかへ。そこに何があるのかちっともわからないけど、マザーWOOはそこが約束の地だというんだよ。
ワンワンはボロボロのしっぽをガシガシと噛んで、ちぎれた毛が絡みついたネジをはきだした。異音もさらにひどくなっている。
ーーマザーWOOに身をまかせたら、あとはオートマチックに進むみたいなんだけど…。ボクはやらないよ。ボクが…なんで居残ることにしたのか、ミホもベビーエリアにいけばわかるよ。
ワンワンはミホを「ベビーエリアはこちら」と書いてあるところまで案内すると、そこでうなだれて止まり、そこから先へ行こうとしなかった。
ミホは、どこもかしこも幼児がクレヨンで書きなぐったような線だらけのトンネルを進んでいくと、見渡すかぎりずらりと色とりどりのベビーベッドが並んでいるホールにでた。そのベッドの列に近づいてみると、上に何かがおかれている。
すべてが透明なプラスチック、パウチに閉じ込められていた。ひとつずつ寝かされていたのは、哺乳瓶、タオル製の動物たち、色とりどりの肌着、ガラガラ、おしゃぶり、小さいキノコのような靴下…
ミホは列の中ほどにある水色のベッドの前で立ち止まり、パウチの中の肌着とカードをみた。
「聖なるベビーパウダーと汗染みがついた愛しく小さい人間の肌着」
化繊だったのか、パウチを密着させるときの熱にやられ、その肌着はさらに縮んでいたので、まるで生まれたての子供のように小さかった。
ーーこんなに小さく生まれるのね…。
日が傾きはじめ、窓から差しこむ光でホールの隅が明るく照らされる。そこに、ここで働いていたらしい保育ヒューマノイドが2体、死んだように座っているのが見えた。2体の前に動力ボルトが抜けて床に転がっている。
ミホはその隣にそっと腰をおろした。ジージーという異音がさらに酷くなったワンダーワンワンがやって来て、ぴたりとミホに体をよせた。
ーーボクだけじゃ寂しくて、ここ来れなくてさ。
ーー右がタミー、左がリナだよ。赤ちゃんたちの遺体が連れ去られたあと、ボルトを自分たちで抜いちゃったんだ。色々パウチして寝かせたあとにさ、お互いのを同時に。
ーーボクは抜かないし、トラック・シティにも行きたくないんだ。ここにタミーとリナがいるからね。
ミホたちは日が暮れたあとも長い間、本当に小さな音でボソボソと話した。
サンクスギビングから4日ほどたったころ、ワンワンは、キッズコーナー近くの壁が割れるようにひらいて、その奥の隠し部屋からふらふらと防護服の男が出てくるのをみたらしい。モール・ヒストリーで何度もみた顔だった。このワンダーモールを作った男の…。
ワンワンはさらにぴったりミホに体を寄せてつぶやいた。
…ミホのロック…あいつが解除したのかもしれないね……
少しずつ、ワンダーワンワンの言葉がブツブツと飛びはじめ…しばらくするとわき腹からバチバチと火花が散り始めた。
そしてワンワンはギュルギュルと音をたて
ーーワン
と言ったきり、もう動くことはなかった。
ミホは彼の頭をやさしくなでながらボルトを抜き、わき腹に焼け焦げついた毛をはらい落とし、タミーとリナの間にそっと寝かせた。
見あげた先に、天井にペイントされにっこりと笑うクラウド坊やと虹の絵があった。ミホは日が暮れてあたりが真っ暗になるまで静かにそれを見つめていた。
そしてその真夜中すぎ、
ミホはワンダーモール・オブ・フロリダから姿を消した。
***
何日かのち、ミホは赤い砂漠の真ん中にいた。彼女の前には遺体とバイクがあった。倒れていたのはヒューマノイドではなく人間だった。
バイクのナンバーをショットして身元を検索すると、半分ミイラ化したこの遺体のSNSが見つかった。そのページは…この人間が幼いころの記録で埋め尽くされていた。
死者の名はバッファローマン。はるかむかしにスペイン人に滅ぼされた、フロリダの湿地の部族の末裔だった。
「一族の男たちは皆バッファローと共に殺され、子供たちも殺され、戦った女たちの大半も死に、生き残って捕らえられた女たちはキューバに売り払われた。
生き残った一族の女たちは、奴隷小屋の薄明かりの中で鳥の羽を尖らせバッファローのタトゥーを入れ、バッファローの歌を口ずさんだ。
タトゥーを入れる場所はそれぞれ異なる。それが彼女たちのミドルネーム、本当の名前になったからだ。
バッファローマンのSNSは、詩の断片のような言葉で綴られていた。
また、ある動画では明るい光が差しこむ白い部屋でみなが一族の歌を歌っていた。
生き残ってから何代も入れ替わったせいで、ありし日の部族の面影はそこにいる女たちの顔から消えつつあったが、歌の中に濃い血が流れていることを忘れる者はなかった。
幼いバッファローマンがフレームの外側から現れ、よちよち歩きで「柔らかい二の腕」「飛び跳ねる脛」「勇敢な腰」「踊る手」ひとつずつ確かめるように、部屋にいる女たちのタトゥーを触っていく。
ムービーの終わり、一瞬だけ、青年になったバッファローマンがインサートされる。
ーーおば達はみな死んでしまった。一族は長い間バッファローのために踊れなかった。私はおば達を守護していたバッファローたちをつれ湿地の怒りを鎮めに
そこでぷつりと断ち切られるように終わっている。
ミホは彼のSNSの全てをアーカイブし終えると、大きく膨らんでいる自分の胸を見てため息をついた。そして脇の下の皮膚をめくり、隠されたチューブを伸ばし、小さなボタンをカチカチと2度押した。
赤く乾いた大地の上に緑色のアメーバが広がるように、ゲルがボタボタと抜け、ミホの胸が縮んでいく。そのゲルが完全に抜けきるまでミホは何度もボタンを押し続けた。そしてバッファローマンのタトゥーを読み込み、ペタンコになった胸におごそかにそのタトゥーを焼きつけて行った。
ミホは自分の胸に刻まれた “バッファロー” と髪に触れた後、静かにゆっくりとバッファローマンの頬のタトゥーと長く束ねた黒髪に触れた。
ーー見えなくなったからといって、なぜ忘れてしまわなければならないのでしょうか?
ーーさよなら「乾いた頬」
ミホはバッファローマンの髪飾りをそっと抜き自分の髪をまとめた。つややかな黒髪が房になってゆれる。そしてじっと地平線をみやりながら、
ーーわたしの本当の名は「戦う乳房」
彼女はそうつぶやき、パーカーの前をしめ、電動バイクのエンジンをかけた。
アイドリングが腹の底を揺らす。
彼女の回路に女たちの歌が流れはじめた。全身にびりびりと痺れのようなものが広がる。ミホは愉快そうに笑い、クラッチレバーを握りアクセルを何度か唸らせて走りだした。
しだいに遠ざかってゆく彼女の姿は、地平線の闇にとけて消えていった。
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