やがて荒野はそこに

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梗 概

やがて荒野はそこに

主人公のユウキが妻を殺害した直後に「時間跳躍症」に罹ってしまい、意識だけが時間を超えて行き来してしまう状況で犯罪を隠蔽しようとする一日を描く。時間が前後しますが、主人公視点では連続した出来事です。

七時ごろ。会社員のユウキには雨子という妻がいる。雨子はかつてカルト組織に所属していた。現在は抜けて治療を受けながらユウキと生活していたが、雨子がかつてのメンバーと連絡をとっていたことが発覚。ユウキが問い詰めたところ口論になったはずみで雨子が死亡してしまう。今日は半年ぶりに二人の娘のシェリが家に来て誕生会を行う予定だった。雨子の殺害が発覚したらシェリが取り戻しかけていた日常が失われる。それを守るために死体の隠滅を決意する。怪しまれないように午前中で処理する計画を立てる。

十五時ごろ。ユウキが気がつくと午後になっていて車を運転している。端末に「時間跳躍症」だと言われる。ユウキは症状に焦り、事前の計画が何かで狂ったことを不審に思うが、死体の遺棄を完了する。

十三時ごろ。ユウキは気がつくと職場にいる。普段は全く意見の言えない上司を、貯めてきたハラスメントの証拠で脅して隙をつくり死体遺棄に向かう。

十九時ごろ。ユウキは気がつくと家にいる。念の為殺害の痕跡が家に残ってないことを確認。その後シェリが一緒に暮らしている祖父母と共にやってきて誕生会を行う。幸せな時間を過ごし、焦って死体を隠したがシェリのために本当に正しかったのか疑問を持つ。誕生会の終わりに雨子の友人が訪ねてきてその行方を問い詰められる。雨子の書斎に踏み入られてしまうが、そこから雨子の身の回り品などが消えていて、雨子は自発的に家を出たのだと友人を説得して帰すことに成功する。

九時ごろ。ユウキは気がつくと死体が片付け終わった直後の家にいる。雨子が自ら家を出たことを偽装するために雨子の荷物を物色していたユウキは雨子の書斎で日記を見つける。雨子がシェリをカルトに連れ込む計画を立てていたことが判明する。シェリを守るためにカルトを探る決意をするユウキ。書斎に残された資料の調査で午前中の時間を使ってしまう。

十七時ごろ。ユウキは気がつくと死体遺棄直後の森。雨子の日記にあったカルトの拠点に忍び込む。そこでメンバーたちが「最上の生贄」としてシェリを狙っており、その調達担当が雨子と誕生会に現れた男だと知る。ユウキは日記で知った情報を使って男を呼び出す。

二十四時ごろ。ユウキは気がつくと再び森。待っているとカルトの男がやってくる。その不意をついて尋問したユウキは男たちが実際にシェリを狙っていて諦める気がないこと知るが、男にも自らの雨子殺害を知られてしまう。ユウキは男を殺害する。

明け方。二つ目の死体を埋めているユウキ。シェリを守るために、自首をしたり元の生活に戻ることなく、カルトのメンバーを狩る決意をする。

文字数:1177

内容に関するアピール

場面がどんどん動くような状況を設定してみました。
この段取りを骨として、登場人物たちの心の部分と時間を越えることが人にもたらす影響をしっかり肉付けしたいです。また、跳躍が起こる時間間隔については一旦、二時間ほどで設定してみましたが、行動可能範囲やアクション数に合わせて実作の中で調整する予定です。主人公が未来の自分向けに的確な指示がだせない事情も深掘りしてより複雑な構成に仕上げます。

文字数:191

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やがて荒野はそこに

上間ユウトがその屋敷を訪ねた早朝には雨が降っていたが、それは五月の梅雨時期のR県としては当たり前のことで、つまりこの日はとりたてて特徴のない一日でR県のこの地域のほとんどの人は平凡な一日を送ることになった。しかし、上間ユウトはそうではなかった。
 ユウトはノッカーで玄関扉を叩いた。真鍮の獅子がくわえるリングを受け金にぶつける。金属同士の衝突で生まれた音が木製の扉に響き、扉に編まれた繊維神経がそれを感知して屋敷の主幹自動知性に来訪を伝える。自動知性はカメラの映像と扉の各種センサから来訪者の身元確認と脅威査定を済ませその情報を玄関ホールで待機する警備の人間に伝えた。それらの手続きは十秒ほどで行われたが、その間ただ立ち尽くすユウトは気が気でないという風で、やがて扉が開いた際もすぐには動き出せなかった。
 どうした、入れよ。
 そう中から声をかけられて、その声の主が顔見知りの警備の男だったことで少し緊張が緩み、ユウトはやっと屋敷に足を踏み入れた。男がそのままユウトを屋敷の主の書斎へ案内した。
 なあ、と歩きながらユウトは男に声をかけた。男は返事をしなかった。
 なあ、あんたってさ警備員なの?
 ユウトの問いかけに答えず男は廊下を進んだ。
 それともさ、あんたもその、組織の一員で最近たまたま警備の担当ってこと? ユウトは気にせず続け、男はやはり答えなかった。
 二人は目的の部屋の前に着き、振り返った男は初めてユウトと目を合わせた。そして仕草で入室を促した。ユウトはうなづき、体を扉に向けたが手を上げることができず、ただドアノブを見つめるばかりだった。
 入れ、と室内から声がした。
 その声は警備の男のそれよりもユウトにとって馴染みのあるものだったが、ユウトは動き出すことができなかった。隣からため息が聞こえて、視界の端から腕が伸びてドアノブを掴んだ。警備の男がユウトの代わりに扉を開けた。

書斎ではユウトと屋敷の主の二人きりだった。主の男は彼の祖父の代から使っていると言われる黒檀のペディスタルデスクに向かい、ユウトはその正面に少しねこ背になって立っていた。
 主の男はヘントナ健史という名前で、R県ウラオソエ市の全域に影響力を持つ非合法組織の王だったが、この地位も彼の祖父の代から引き継がれてきたものだった。ユウトの方はウラオソエ市の外れでクリーニング店を営み、彼の母親が立ち上げたその商売は安泰とは程遠いながらもなんとか今日まで生き延びていた。
 ユウトと健史は初等学校の同級生で、その縁は当初の二人の想像を超えて現在まで続いていた。ユウトのクリーニング店はこの数年、健史の組織の金庫の一つとして利用されていた。毎月どこかのタイミングで健史の組織の組員が店に訪れてユウトに現金の入ったケースを預ける。ユウトは預かっている間にできる限りケース内の金と店舗で使用する金を入れ替える。一週間前後で再び組員がケースを受け取りに現れる。そしてユウトは預かった額と入れ替えた額とその他の不審点について健史に口頭で報告する。これが健史から融資を受けて以来繰り返されていた。
 今月も助かった。帰っていいぞ、とユウトの報告を受けた健史がデスク上の書類に視線を向けたまま言った。健史はユウトが入室してから一度も顔を上げていない。
 いや、あの、とユウトが声を発した。
 健史は顔を上げなかったが、それまでより書類をめくる動作が少し抑えめになり呼吸は小さくなって、部屋にその日一番の沈黙が訪れた。
 あの、だからさ、そろそろこの役目から外してもらえないかなって。
 ユウトは沈黙から逃げ出すように早口でそう言った。
 役目?
 いや、このあれだよ。金庫番というか。先月で融資してもらった分は全部返したしさ。そうだろ?
 お前が返したのは元金だけだ。
 それは……でもさ、利息いらないって言ってくれじゃないか。その、『お役目』を果たせば元金だけでいいって。そうだよな?
 健史は返事をしなかった。再び沈黙。
 な、なあーー
 ユウト。健史がユウトの言葉を遮った。
 ユウト、分かるだろ?
 この時点で健史は完全に作業の手を止めていた。しかし、ユウトの方を見ることはせず、下を向いたままため息をついた。そして再び話し始めた。
 ユウト、確かにお前は初めの約束を守った。だけどそういうことじゃないだろ、と健史が言った。
 ユウトは言い返す言葉が出てこない。
 この世界はそういう風になっていないだろ、と健史が言った。
 ユウトは口を開いたが何も言えない。
 おれとお前はそういう風になっていないだろ、と健史が言った。
 ユウトは何も言えないまま口を閉じた。

屋敷を出る時も来たときと同じ警備の男が誘導した。来たときと逆向きに歩くだけだったが、今回ユウトは一階へ降りる階段の上で少し待たされた。階段を降りた先の玄関ホールからやっと二十歳になるかという若い女が一人出て行くところだった。二人の護衛を従えるその女は健史の妻で、話したことはないがユウトも何度か見かけたことがあった。女が玄関から出てユウトも階段を降りた。
 残念だったな。
 ユウトが屋敷を出る時に警備の男が声をかけてきた。
 だがまあ、あんただって本気で抜けれると思ってたわけじゃないよな、と警備の男は言った。
 これやるよ。うちの新製品だ。男がそう言いながら粉が入ったポリ袋をユウトに投げつけた。
 あの、ありがたいけど、僕はタイムドラッグやらないんだ。なんていうか、合わない体質みたいで。
 受け取ったユウトは中身を一瞥してそう答えたが、男はめんどくさそうに手を振った。ユウトはポリ袋を上着のポケットにしまって歩き出した。前庭につながるアプローチの途中で、護衛を叱りつける健史の妻を通り過ぎて自分の車に乗り込んだ。座席に身を沈め、数分動かなかった。それから先ほどのポリ袋を取り出した。きらきらと反射して光るその青い粉末はタイムドラッグと呼ばれるもので、健史の組織の主要な収入源だった。右脳の前頭前野付近を刺激することで<時感>を拡張する薬物。その独特な酩酊感から世界中で人気を高めていたが、WHOは現代人の間で急速に発達する時間認識感覚へ与える影響が未知数であると警鐘を鳴らしていた。ユウト自身、十年以上前の学生だった頃に一度試したが、三日間意識をなくし、その後三日間高熱に苛まれた。だからこれはユウトにとって二回目の『トリップ』だった。ユウトは雑にポリ袋を裂き開け、シートやコンソールに青い粉がこぼれるのも構わず袋を鼻に近づけて大きく吸い込んだ。一度の吸引でユウトの意識は急速に失われた。その最後の数秒、ほとんど喪失した五感の中で、前頭部の痛みだけがユウトに残った。何故かそれはひどく懐かしかった。

 

 

暗黒。

 

 

意識を取り戻したユウトがいたのはダイナーだった。ユウトはまず目の前のテーブルを見て、次に店内を見渡し、最後にウィンドウから外を覗いた。テーブルの上には手前側に食べかけのミートパイが、奥にはフライドポテトとジュースの入ったグラスが置かれていた。店内に十台ほどあるテーブルは半分が埋まり、カウンターにも二人客が座っている。ユウトのいる席とは店の反対側に外に面したウィンドウがあり、遠目に見ただけだったがこの店が面しているのは二七八号線だというのがわかった。
 ん、どうしたのおじさん。食べないの?
 女性の声がして、ユウトがその声の方に顔を向けると、ちょうど声の主らしい女がユウトの向かいの席に腰をかけるところだった。ユウトは女を見た。
 なに、どうしたの、と女が言った。
 声の主は女の子と形容する方がまだ正しいようななりだったが、身につけている服やアクセサリーはユウトでも分かるような高級品だった。その女の子は先ほど屋敷で見かけた健史の妻だった。
 いやあ、え、ごめんなさいえっと、とユウトが言った。
 は? まじでどうしたの急に、と女の子が言った。
 いやさ、あのね、君なんでここに……。というか僕はなんでここに?
 なに言ってんのおじさん、あんなことやらして。
 え、ええ。あんなこと?
 健史の妻はこの世界にまだ秘密というものが残されていたことにたった今気づいたという風な仰天の表情でユウトを見た。そして見つめるうちに何かに気づき、ユウトの襟元に手を伸ばしてそこについていた青い粉末を、その白く長い指で掬い上げた。
 なに、あんた常習? 女の子は聞いた。
 え? ああ。違うよ、さっきたまたま。すごい久しぶりだったんだよ。ああ待って思い出したら頭痛が戻って……。
 ユウトは頭を抱えた。
 すいません、少しいいですか。
 頭痛の向こう側で女の子の声がした。ユウトに話かけたのではなくウェイトレスに何かを頼んだようだった。ユウトは手で頭を押さえながらも顔を上げた。
 今、医療診断できる端末出してもらうから、と女の子が言った。
 私たちの情報端末は使えないからさ。足がついちゃう。
 ユウトはうなづいた。
 僕、タイムドラッグは合わない体質なんだよ。やっぱりやめとけばよかった。
 女の子は少し目を細めた。
 それか、むしろ合いすぎるのかも。
 え?
 そこでウェイトレスがやってきてリストバンド型の健康増進端末を差し出した。
 これおばあちゃんが使ってるやつであんまりじょうとうな奴じゃないんですけど、とウェイトレスは言いながらカウンターの向こうでドリンクを準備する年配の女性を示した。女の子は礼を言いながらユウトに目で指示してユウトは店員からバンドを受け取って手首に巻いた。
 お店出る時に返してくださいね。ウェイトレスはそう言って仕事に戻っていった。
 あの、これって……。ユウトが口を開いたが、女の子にハンドサインで黙らされた。数十秒後、電子音が診断の完了を告げ、ユウトがバンドの発光部分をタップすると診断結果のホログラム表示と音声による補足説明が再生された。
 大脳前方、特に近年は時覚野と呼ばれるようになった部位での異常活動が認められました、と合成音声が告げた。ユウトの手首上方にはホロで「時間跳躍症」と表示されている。
 うわあ、ほんとにあるんだそれ、と女の子が言った。
 ユウトは顔を上げて女の子を見た。
 稀にそういうのを発症する人がいるって聞いたことあったんだけどさ。都市伝説の類と思ってたよ、と女の子が言った。
 ……症者は当人の意思に関係なく、意識が時間を超越して行き来してしまうとされ、と合成音声は説明を続けていた。
 ……この症状を利用してサッカーの国際試合の結果をソーシャルスペース上で予言した事例は大きな問題となり……
 ユウトは頭を押さえていた手を離した。頭痛は無視できる程度までおさまっていたが、その目は驚愕に見開かれていた。
 思い出したよ、とユウトは言った。
 え? 女の子が聞いた。
 あの時もこんな感じだったんだ。三日間意識をなくしてたと思ったんだ、その間に見た夢だって。ユウトは誰に話すでもなく話した。
 ちょっと、と女の子がそれを遮りながら手を伸ばしてユウトの手首を掴んだ。
 あ、え? ユウトは驚いて朦朧とした感じがなくなった。
 しかし女の子はぎりぎりと掴んだユウトの手首を締め上げた。
 いた、いたたた、うわ君握力強いね。ユウトが小さく悲鳴を。
 ねえ、私にも分かるように話しなさい。わかった?
 わか、わかった。わかったから。ふう、ありがとう。ててて、いたいなあもう。
 早く。
 ああ、ごめんごめんね。えっとね前にも一度使ったことあるんだよ。
 タイムドラッグ?
 うん、そう。それでね、その時も体調崩して意識を失ったんだ。というか、そう思ってた。
 でも実際は違ったんだね。
 おそらく。あの時ね、朧げだけど父さんと話した記憶があるんだよ。
 お父さん?
 うん。僕の父は僕が幼い頃に姿を消しててほとんど覚えてないんだ。だけど、タイムドラックで意識を失ったあの時に会った気がするんだ。当時は熱にうなされた夢と混同してあまり気にしなかったけど……
 前回の接種時にも『跳躍』は起こってたかもってこと?
 うん。もしかしたら。
 この一瞬、二人の交わす視線は共犯者めいたものになった。
 ……会に及ぼす影響を考え、この診断結果は自動で最寄りの健康機関と保安局に送信されています。このバンドのユーザーは今後二四時間、公的機関の保護下に……
 バンドの合成音声に女の子は目を細めた。
 もう行こう、と女の子は言ってバンドの診断再生を停止し、カウンターに行って会計を済ませてバンドを持ち主の手に勝手に巻いた。ユウトは女の子に急きたてられるままに外に出て、指示された車はユウトのものではなかったが女の子の言うようにユウトのズボンのポケットにはその車のキーが入っていて二人とも乗り込みユウトの運転で発進した。
 さっきはさ、えらく慌てて店を出たね。二七八号線を北上しながらユウトは助手席の女の子に話しかけた。
 当たり前じゃん。この街で警察に情報が行くってことは健史に情報が行くってことなんだから。
 んん。それは……でも別にさ、君は彼のパートナーなんだからさ……
 ちょっと待ってだるいよおじさん。
 え?
 あーもう、それも説明しないといけないんか。てかおじさんはいつから『跳んで』きたわけ?
 え? ああドラッグを使ったのは君の屋敷を出て前庭に停めた車の中で……
 なるほどじゃあ知らないわけか。
 え?
 おじさんは私を誘拐したんだよ。
 は?
 ユウトは女の子の方を向いたが、その際にハンドルがつられてしまった。
 うわ、わ、ちょっと。ユウトは悲鳴を上げながらなんとか車を路肩に寄せ、ハンドルに頭を突っ伏した。
 ごめんね、ちょっと頭が追いついてない。
 無言の車内に外からのくぐもった音が入り込んだ。運転席の側からは二人を追い越す他の車の駆動音がして、助手席の側からは歩道を歩く人々の話し声が聞こえた。女の子はサイドウィンドウに頭をもたれかけて外に目を向けていたが、不意に笑い声を上げた。
 おじさん、誘拐の直後も似たような感じになってた。
 ええ、とユウトがゆっくり顔を上げたがまだ前を向いたままで女の子の方は見なかった。
 おじさんは人生変えたくてやったんでしょ。もっと自分を褒めたらいいのに、と女の子が言い、話しながらユウトの方に顔を向けたがユウトは返事をしなかった。
 おじさん、と女の子が言った。
 ん、とユウトは声を出した。女の子は腕を振り上げユウトの肩を殴った。
 あがぁ、とユウトが悲鳴を上げた。
 ちょっと今度はなに考えてるの。
 いやあ、どうにかして君を穏便にお返しする方法はないかなって。
 は?
 だってね、僕は不安なく暮らしたいだけなんだよ。それが誘拐なんてそんな……
 は?そのまま生きてたらどうにもならないから私のこと拐ったんだろ?そう言ってたよ。女の子はそう言いながらため息をつき、前を向きながらサイドウィンドウに再び頭を預けた。
 いや、まあそれもそうなんだけどさあ。
 ユウトはハンドル上に組んだ腕に頭を沈ませた。
 それにおじさん、私たちもう引き返せないよ。
 ユウトは返事をしない。
 おじさんが私を攫った時、私も護衛一人殺したもん。
 次の瞬間にはユウトは顔を上げて女の子を見ていた。女の子もユウトの方を見ていた。
 今なんて? ユウトは聞いた。
 私もきっかけがほしかったんだよ。あのクソオヤジのとこから逃げ出す機会が。
 ユウトは目を閉じて両手で顔を覆いながら脱力してシートに身を預けた。その一連の動作の緩慢さは国家や社会のような歴史あるものが崩れ落ちる壮大さを思い起こさせる何かがあった。
 ねえ、おじさん何してるの。
 しばらくユウトは答えなかったが、女の子も殴ってきたりせずに答えを待った。
 なにって、落ち込んでるんだよ。多分、とユウトはやっと答えた。
 おじさんはこうなる前の方が良かったの。あいつの言うこと聞いてる方が、と女の子は続けて聞いた。
 いや、あの状況が良かったとは思えないけど。
 じゃあ良いじゃん。
 よくないよう。
 おっさんクヨクヨすんなよ。今だったら少なくとも行動できるんだから、と女の子は再びユウトを殴ったが今度は痛くないくらいの強さだった。ユウトは体を起こした。それを見て女の子は続けた。
 少なくとも、今おっさんには選択肢がある。私がいる。
 ユウトは女の子を見た。
 私は健史の資金の現時点での隠し場所の三割は把握してるし、監視網の穴も知ってるし、あいつに不満を持ってる勢力とも連絡が取れる。
 ユウトは目を見開いた。
 言ったでしょ、きっかけを探してたって。できる用意は常にしてたんだよ。
 女の子は得意げにあごを上げた。
 私は弾除け兼ドライバーが欲しい。その代わりおじさんに人生を変えるチャンスをあげる。
 女の子が片手を差し出した。
 取引する?
 ユウトは目を閉じて深呼吸をして、再び目を開けた。その時点ですでに女の子の手を握り返していた。
 よろしくお願いします、そう言いながらユウトは自分の体に活力が溜まるのを感じていた。
 ああ、そうだ。言ってなかったよね私の名前。
 それから二人は自己紹介をした。女の子の名はマルガリータだったがリタと呼ぶことで落ち着いた。そしてリタから誘拐時の詳細を説明された。それがひと段落して次の行動について計画を練ろうという段階で、再びユウトは意識をなくした。

 

 暗闇。

 

ユウトは意識を取り戻した。そこは住宅街と公園の間にのびる道路で、ユウトはその歩道に立っていた。先のダイナーでの覚醒と違い、今回ユウトはある程度状況を把握していた。眠りから覚めた後に夢の内容を思い返すように、ユウトはここに至るまでの経過をぼんやりと理解した。それと同時に悲しみが湧き上がり、そしてすでに自分の方が涙で濡れていることに気がついた。
 ユウトの背後にはここまで乗ってきた車が停まっていて、そのそばにはリタが立っていた。ユウトは走り出した。背後からリタが何か呼びかけていたが気にしなかった。ユウトが駆ける先には交差点があり、そこを斜めに渡って2軒目の建物が燃えていた。二階建てのその建物の一階部分には看板がかかっていて、炎の中にあってもまだそこにペイントされた『上間クリーニング』の文字は読むことができた。そこはユウトがなんとか守ろうとしてきたクリーニング店で、より激しく燃える二階部分は母親と二人で暮らす家だった。
 ユウトとリタが盟約を結んで最初に進めた計画は『急所潰し』だった。それは二人の近親者の内、唯一市内に居住しているユウトの母親の保護が目的だった。動き出しは迅速だった。リタが健史の組員たちにユウトの所在の誤情報を流し、関心をユウトに向けつつユウトの自宅を囲う形で張られた捜索線を突破した。動きは悪くなかった。ただ二人は理解できていなかった。健史にとっても交渉カードになりうるユウトの母親と店に手をかけるとは思っていなかった。それは健史のような人間の行動原理が理解できていないということでもあったし、健史がどれだけユウトのことを侮っているかということでもあった。この点について、ユウトもリタも洞察が甘かった。
 いよいよ燃える炎の熱を感じるという距離まで近づいて、ユウトは雄叫びを上げた。それを聞いて、燃える建物に見入っていた男が振り返った。建物の前の道路に立つその男は、屋敷でユウトを案内したのと同じ人で、ユウトに気づいて即座に懐に手を入れた。これがユウトにとっては幸いした。男が腰に差した銃を取り出すより先に、走った勢いのままユウトが体当たりした。二人はもつれて倒れ込み、男の手から離れた拳銃が地面を滑った。男の上側に倒れていたユウトが一瞬早く動き出した。銃を奪い合う二人は炎を背景に一つの塊の影になり、銃声が響いて、塊の半分が崩れ落ちた。立っている方の影はユウトで、その手には拳銃が握られくずおれる男を見下ろしていた。
 足音が聞こえた気がして、ユウトは振り返った。その時点では誰もいなかったが、数秒後に視線の先、ユウトが立つ歩道に直行する形でのびる脇道の奥、燃える建物の陰になっていた場所からスーツの人物が飛び出してきた。炎の強すぎる明かりがその人物の容姿や体型を不鮮明にしたが、その手には銃が握られていた。そして、その時点でユウトも向かってくる来訪者の方向に自らの拳銃を向けており、その人物が次の一歩を踏み出す前にユウトは引き金を引いた。その人物は次の一歩を踏み締めきれずに倒れ込んだ。十秒ほどして、呼びかけるリタの声が聞こえてきた。ユウトは顔を上げて建物を見た。二階の通りに面した窓は既にガラスが砕けてなくなり、中から炎が吹き出していた。リタが追いつく前にユウトは意識を失った。

空白。

意識を取り戻したときユウトは車の中にいた。早朝の日差しの中をまばらに降る雨がフロントガラスを叩いてた。今乗ってるのはさっきリタに乗せられた知らない車ではなくよく見知った自分のもので、健史の屋敷から出るためにスライドゲートの方に車を進めているところだった。
 ああ、そうか過去に戻ることもあるのか、ユウトはそう呟いた。
 今度の覚醒はより鮮明で、この時点に至るまでの自分の行動を思い浮かべることができた。十数年ぶりに吸ったタイムドラッグの酩酊が覚めた後に、首元の粉末を払いエンジンをかけて車を発進させ、現在に至る。
 慣れてるきてるってことなのかな?
 そう呟きながら一度車を停める。
 十メートルほど先にリタが護衛と乗っている車がゲートが開くのを待っていた。ユウトはチラリとクラスタ上のデジタル時計に目を落とした。九〇秒後、ゲートが全開になりリタの車が発進する。ユウトはその数秒前からアクセルを全開に踏み込み、リタの車が十分な速度を得る前、ゲートから少し出たところで追突する。それで双方の車両が道から逸れて茂みの方に横滑りする。運転席から即座にリタの護衛が降りてくるが、既にユウトは飛び出して護衛に迫っている。近づきながら拾い上げた石で護衛を殴りつける。追突の衝撃で判断力の鈍っている護衛は避けきれない。ユウトが倒れ込む護衛に二発目のダメ押しをしていると助手席側から回り込もうとする足音に続けて銃声。ユウトが顔を上げるとちょうど二人目の護衛が倒れていくところ。すぐにボンネットに隠れて見えなくなる。乗って、とリタが叫んで声の方を見るとリタが助手席に乗り込むところでユウトも一人めの護衛を跨いで運転席に入り込み車を発進させる。ユウトはそれらの、これから取る行動を思い出すことができた。この一連の流れはリタから説明を受けたものだった。でもそれ以上に鮮明な、まるで過去に体験した出来事のようにはっきりと思い浮かべることができた。
 九〇秒後、ゲートが開いてリタの車は走り出したがユウトの車は停まったままだった。すぐにリタの車は道を折れて見えなくなったが、その間ユウトの脳裏に浮かんだのは炎だった。ユウトが願った日常を焼き尽くすあの炎だった。リタの車が見えなくなってしばらくしてユウトは自分の車を発進させた。ユウトは違う選択をした。人生が変わる可能性に、自分の道を切り拓くスリルに目を輝かせていたリタとは交わる未来は選ばなかった。

今回は跳躍にはほとんど『隙間』がなかった。記憶としてはほとんど綻びなく繋がっている。健史の屋敷から帰って、いつもの仕事をこなして少し遅めの昼食の時間。ただ『跳躍』した感覚だけがあった。なんとなく意識の繋がりはあの時点からだな、という感覚。さっきまでの行動は経験したというより記憶を認識したんだろうな、という感覚。でもそれもわずかな差異で、意識してないと見過ごす程度のものだった。
 何してんのあんた、早く食べなさいよ。
 食卓の向かいに座る母親が言った。
 あ、ああ、そうだね、とユウトは言ってテーブル中央に置かれた大皿から豚の缶詰肉とキャベツの炒め物を取り分けた。
 ほんとにあんたがそんなんだから、と母親が小言を続けていたがそれはどちらかというと口の運動に近くユウトも取り合わなかった。
 ユウトは自分の分をあらかた食べ終えて、ちらと母親を見てすぐに視線を下げた。そのあとは二人分の食器を下げながら通りに面した窓越しに道路から今いる建物につながるコンクリートの地面に目を走らせた。そこは歩道とユウトのクリーニング店の駐車スペースが曖昧な境界で存在する場所だが、もう一つの時間で自分が男を一人と男か女か性別もわからないうちに人間を一人撃ち殺した場所だった。その時間にいる自分はそこに立ってこの窓を見上げていた。
 食事を済ませたあとは天井に取り付けた投影機から昔の映画を再生させて母親が退屈しないようにして一階に下りて午後の仕事を進めた。客の対応に共同工場からの納品物の確認と整理などいつも通りの手順でこなしていった。

ユウトはホームセンターのバックヤードに置かれたソファに座っていた。センターテーブルの向かいに座る白髪に顎髭の老婆はこのホームセンターで長年パートをしている有名な女性でユウトも見かけたことはあったがこうやって差し向かいに話すのは初めてだった。リタによるとホームセンターの公にできない事業を取り仕切るのはこの老婆でユウトもそのためにここを訪れていた。それらのことがユウトには分かった。
 それで何が欲しいんだい、と老婆が聞いた。
 ショットガンを、とユウトは答えた。
 それだけでいいのかい?
 ちょっと待ってよ僕はこうならない未来を選択したはずだよ、とユウトは思ったが実際にそれを口に出すことはなく、家を燃やされたことで戦いを義務付けられた男の口ぶりで会話を進めた。
 弾はあるだけ。
 弾だけ? 戦争は一人じゃできないよ。
 わかってます。兵隊が十分に集まったらリタがもっと専門の人を連れてくると思う。他の銃の話はその人と。

カウンターに立つユウトが回収依頼を受けている得意先のリストを確認していると扉が開いて客が入ってきたためユウトは顔を上げながら、処分の手軽さから使い続けている紙の書類の束をカウンターの下にできるだけさりげなく隠した。入ってきたのは健史の屋敷でユウトを案内したスーツの男だった。
 あんたには悪いが、とスーツの男は話し始めた。
 今日の夜からまた『ケース』の番を頼むよ。
 え、ちょっと、ちょっと待ってよ今月の分はもう先週済んだはずだよ、とユウトは慌てて言った。
 ボスの提案でな。たまにはこういう風に意表をつくのも大事らしい。
 そんな。
 まあまあ、こっちも仕事でな。
 男が礼儀正しいふうを装って面白がっているのがユウトには分かった。なんだよこいつ、少しくらいは言い返さないと。僕はこいつを殺したことだってあるんだから、ユウトはそう思った。しかし実際にはそういうことを考えもしなかったかのようにユウトは男の指示を受け入れた。『ケース』を連続で引き受ける経営上のリスクも保安上のリスクも指摘せず、その分の補償も要求せずに笑いながら男の訪問をやり過ごした。

ユウトは健史の屋敷へ裏手の丘から接近していた。夕暮れに赤く染められた木々が生み出す影の中を早足で移動した。屋敷を囲うタイル屏の前までくると、それに沿って歩き曲がり角の手前で足を止めて息を殺した。ショットガンを構える。ユウトは過剰な緊張で体が動いてくれるか不安になった。しかし実際のユウトは全く落ち着いた呼吸のまま、数秒後に角の向こうから体を覗かせた健史の警備員を撃ち殺した。そして再び歩き始めた。歩調を先ほどよりも早めて屋敷の正面ゲートを目指す。今の銃声で屋敷の正面側の人員が薄くなることをユウトは知っていた。そこに残された二、三人の警備を撃ち倒して屋敷へ進む光景を見たことがあった。

ユウトのクリーニング店の駐車場に停められた車から組員たちが下りてきた。その内の一人はいつものスーツケースを抱えている。既に暗くなってるとはいえこの出入りが一目につくのは商売に不都合なだけではなく危険でさえあった。ユウトはそれを指摘して受け渡しの方法を変更させるべきだと分かっていた。しかし、それが実行できないことも分かっていた。ユウトが行き来する二つの時間の中で、それぞれのユウトはもう一方の自分から影響を受けているような行動は取れなかった。ユウトは二つの時間の経験から物事を考えても、実際に行動する際には片方の人生だけを生きているようにしか振る舞えないことが分かっていた。

屋敷の正面玄関の番部分をショットガンで破壊して扉を蹴り開けた。次の瞬間には屋敷の中の警備たちの一斉射撃が始まったが、それを知っていたユウトは一度前庭の方に交代して、屋敷に平行に匍匐しながら二階のバルコニーから身を乗り出した警備を撃ち殺した。
 店の奥での作業台にスーツケースを載せて三人の組員の前でそれを開いて数え始めた。ユウトは現金の扱いに慣れていたがそれでも時間がかかるし気疲れするこの作業に組員たちに気づかれないように抜けるようなため息を吐いた。この日の勘定は中々合わずに3回数え直すことになっていて、それもユウトを億劫にさせた。
 ユウトは警備の兵隊たちの死体が転がる玄関ホールを越えて二階へ続く階段を上った。組員たちが紙幣の数え間違いを指摘してユウトは最初の札束から作業をやり直す。死体を二つ踏み越えると廊下の終わりだったがそこで振り返ると一つ目の死体だと思ってたものが動いて銃を向けてきたがユウトはこの時点で発砲していたためそれはやはり死体でしかなかったし数え終わってみたら二度目の時も一度目と同じ結果でそこで初めて組員たちは自身のミスの可能性を探し始めた。

 

ユウトの時間認識感覚の拡散は止まらず、それは最終的に彼の生涯全体に及んだ。しかし分岐が起こったのはあの一度きりでユウトが生きる時間は二つより増えることはなかった。

 

ユウトはついに閉店を迎えることになってしまった『上間クリーニング』の看板を皺の増えた自らの手で下ろしながら、父親に駄々を捏ねてフェルトの人形を作ってもらい、敵対する幹部たちを殺して回った。リタの謀反から始まった抗争は、その初期段階で健史が殺されたことで終始リタの側が優勢にことを運び、その後五〇年間リタはウラオソエ市に君臨した。ユウトは終生リタの殺し屋として働いた。クリーニング店はR県の犯罪組織浄化作戦で健史が摘発されるまで金庫番の役目を解かれることはなく、ユウトの母親はユウトが50を過ぎた頃に他界した。
 た、たのむ。少し話を聞け、聞いて、聞いてくれよ。
 銃口を額に突きつけられた健史は涙を流しながら、つっかえつっかえそう言った。
 分かった、分かったから。早くしてくれる?
 健史の懇願するような視線の先にはユウトが少し猫背気味に立っていた。そこは健史の書斎で、同じ日の朝にユウトが訪れたのと同じ部屋だった。しかし今のユウトの口調には険しさや緊張感がなく、その立ち姿はリラックスすらしていた。また、その両手が構えたショットガンはデスクの前で跪いた健史の頭部をまっすぐに狙っていた。
 健史は言葉を継ぐことができなかった。
 ねえ、その、まだかなあ。
 ユウトが首を回して、つられて少し銃口が揺れる。ユウトは帰りたそうに振り返る。その視線の方向、書斎の入り口は健史からもユウト越しに見ることができた。普段と違い開け放たれた扉の付近には警備の死体が累々と転がっていた。部屋の中に横たわるもの、廊下との敷居を跨ぐように倒れているもの、廊下の壁にもたれて死んでいるもの。飛び散った血や家具の破片など破壊の痕跡がそれら死体と死体の間を繋ぎ、ユウトが辿った道筋を浮かび上がらせていた。
 数秒後、ユウトは視線を戻して健史の方を向いた。
 ごめん。ちょっともう帰りたいからさ、と言ってユウトは引き金を引いた。銃口から射出された十六発の散弾はその時点で時速一三〇〇キロメートル付近まで加速していたが、そのほとんどが健史の眉間付近にめりこんでいき、どこかの地点で進めなくなった。弾丸は止まった場所で与えられた運動エネルギーを炸裂させ、健史の顔面や頭部のどこかを破壊した。それらの反応が十六発分、人間の反応速度では知覚できない程度の時間差の中で連続して起こった結果、健史の頭部には後ろの方へ広がっていくでこぼこした空洞が生まれ、さっきまで健史だったものがそうじゃなくなり、血を吹きこぼしながら後ろ向きに倒れた。
 ねえ、またこういう映画なの?
 ユウトと母親は明かりを消した部屋の中でソファに並んで座り、ユウトが半年分のバイトの稼ぎをつぎ込んで買った投影機で映画を観ていた。二人の前方の空間で再生される映像では、荒野の中に建つ貧相な駅に三人のガンマンが現れて何者かの待ち伏せる場面が5分以上続いていた。
 ねえちょっとさあ、退屈なんだけど、と母親が言った。
 少し待ってよ、これから面白くなるから、多分。ユウトが答えた。
 せっかく高級投影機買ったんだから立体のやつとか観ようって。いつも2Dの映画ばっかでさ。
 これくらいいいやつじゃないと映像の向こう側が透けちゃうから仕方なかったんだよ。これでいいの。こういう映画が観たいの。
 ユウトが投影機を買って一週間、リビングでの上映会は既に三度目だった。
 ていうか母さん別に一緒に観なくていいよ。
 何言ってるの、こういうのは誰かと観るから楽しいんでしょ。
 そう言いながら母親は体をユウトの方に向け手を伸ばして首筋をくすぐった。
 ちょっと、うっとうしいって。
 ねえ、ユウト。
 母親はくすぐるのは止めたが、体はユウトの方に向けながら話した。
 バイト少し減らしてさ、うちのお店の方も手伝ってよ。
 ええ、なに大変なの?
 まあそういうわけでもないんだけど。
 そういうわけじゃないのかよ。
 でもあんたも卒業までに仕事覚えちゃいな。母さんができるんだからユウトなら簡単だよ。
 なんだよそれ。
 別に継いだりしなくていいから。でもさ、仕事覚えとくたらいつだって帰ってこられるでしょ。だからさ。
 ユウトはすぐには返事をしなかった。この時ユウトはいくつかのことを考えた。例えば母親と母親のくれた店を守れなかったことや、例えばこの店が母親と自身の人生を縛り付けてしまうことを考えた。しかしどれも口にはしなかった。実際のユウトはそのどれも意識をすることはなかった。ただ胸に不意に溢れた感情から気を逸らすために口を開いた。
 ああ、母さんほら、何か始まるそうだよ。
 ユウトの言葉に母親も視線を映画に向ける。
 投影画面にはハーモニカのメロディが流れ、三人のガンマンの向こう側に立つ一人の男が映されていた。

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