白い砂浜

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白い砂浜

 海岸に飛行機が不時着した。<時隔飛行士>のクサナギは機体から出て真っ白な砂浜に降り立ち、最初に見えた建物に向かった。そこは<亡骸海岸管理事務所>の看板がかかり、老人が一人デスクについていた。
 おやまあ。どうされました、と老人は言った。
 工具が必要でさ、とクサナギは用件を伝えた。

 クサナギは修理を始めた。老人から借りたツールキットは年季が入っているが知らない技術が使われていた。被弾の影響で想定よりも遠くに跳隔してしまったらしかった。しばらく彼は損傷箇所と格闘した後で、手にしていた工具を砂に叩きつけた。そこに老人が軽食を手に様子を見にきた。
 苦戦されてますね。
 戦いはもう終わったよ。これは俺じゃ直せない。
 そうですか。専門の人を呼びましょうか?
 クサナギは首を横に振った。飛行士は跳隔先で地上に降りるのを許されない。技術者を呼ぶと記録が残るし、それが露見したら飛行士資格を剥奪される。クサナギは飛ぶのが好きだったから、これ以上の危険は冒せなかった。
 はあ。大変なんですね、と老人はうなづいた。
 そうなんだよ。老人の口調にクサナギも力が抜け、軽食を受け取った。それを食べながら、老人の質問に答える形で時隔飛行戦闘について説明した。戦闘はあくまで基準時間を中心に行われること。外刻ーー基準時間の外の時間ーーへの累積滞在可能時間が決められていること。
 そういう話で一息ついたクサナギは事務所の看板を思い出した。
 <亡骸海岸>ってなに? 問いかけながら他に人のいない砂浜を見渡した。
 ああ、お伝えしてませんでしたか。ここはお墓なんです。
 墓?
 そう。ここは<忘却葬>の埋葬先です。ここに埋葬された人は世界の誰からも忘れられるんです。実際は逆の手順ですが、とにかくその人たちの骨が、いま我々が踏んでいるこの砂です。
 これ?
 ええ。
 クサナギは顔をあげた。打ち寄せる黒い海と向こうに広がる淡い緑の森に挟まれて砂浜の白さはそれ自身が光そのものであるかのように混じりっ気がなかった。老人はこの亡骸海岸の役割を語った。ここに埋葬され、忘れられることを願った人々のことを話した。
 よければ君も働いてみますか?
 ここで?
 君の今の仕事とここの仕事は少し重なるところがあるようですから。
 そうかな? クサナギは困ったように笑った。そして少し考え、首を振った。
 おれの居るべき場所はやっぱり空だよ。
 それを聞いた老人うなづいた。そして、この海岸への近隣空港からの道順を説明した。
 覚えました? 老人が聞いた。
 最初クサナギはその意図がわからなかった。
 ではもう一つヒントです。老人はそう言って振り返り、事務所に隣接する倉庫を指した。
 あのサイズ、ちょうど君の機体が収容出来ると思いませんか?
 ああ、とクサナギは声をあげ、すぐに「帰還後にやること」を頭に刻んだ。そして二人は倉庫に向かった。その中には古びているが丁寧に整備された時隔戦闘機があった。
 お待ちしておりましたよ。老人が言った。

 

 暗闇の迫る空。そこはもう基準戦闘時空域で、クサナギは敵機から執拗な追撃を受けていた。不時着で外刻滞在時間を使い切り跳隔が行えないことが致命的なハンデだった。しかし彼は笑みを浮かべた。
 加速して上昇。フェイトをかけて反対へロール。急旋回で敵機の背後につく。しかし敵機は炎の軌跡を残して姿を消す。緊急退避の跳隔。警戒しながら針路を戻す。敵が二機現れ、同一の識別番号。一機だけで数的有利を作る時隔戦の基本だが、先ほど退避で消えたやつがこの攻撃に参加している。一度の跳隔で防御と攻撃を兼ねる悪くない手。
 そうこなくちゃ、とクサナギは呟いた。そこからの記憶は曖昧だった。希薄になった意識で彼は飛んだ。敵に反応し、重力に抗い、やさしく引き金を引いた。

 ここを終着点とする人たちは命を探していたのだと私は思います。人間は生きている間にいろんな意味を持ってしまう。それに抗おうとしたのですよ。

 揺蕩うクサナギの意識は、あの砂浜の老人を脳裏に描いた。ストールとピッチアップ、機首を戻して敵の背後に。その間も老人は語り続けた。

 人類はいろいろな方法で命を探してきました。スポーツや宇宙開発などがその例でしょう。不可能に挑むとき、その人は人間でなくなるんです。もっと空っぽの存在になる。その真空のことを自由と呼ぶのでしょう。

 敵機がときおり勝手に消える。跳隔ではなく、過去の機体が撃墜されて存在できなくなる零時間撃墜。時隔戦闘空域で起こる因果律のエラー。ある瞬間までそこにあった命が、過程を経ずに次の瞬間に消滅する。
 自由の中でだけ感じられる命がある。ここに眠る人々も同じものを目指したんでしょう。人間としての歴史を全て捨て、ただ砂になり痕跡だけを残す。それで見つかる彼らだけの光がきっとあったんです。
 命か。クサナギはそう呟いた。そして飛び続けた。

文字数:1998

内容に関するアピール

 今回の制作の中で、私は純粋なものを美しいと感じることを知りました。例えばいつもの帰り道はただの道路や通行人の連続ですが、踏んだ落ち葉の感触や雨に反射する信号機の明かりなど、小さなきっかけで景色として立ち上がる瞬間があります。それまで「車が走るための道路」や「忙しそうな通行人」など記号として存在していたものたちが背負わされた意味から解き放たれ、ただそこに存在する物質の組み合わせとしての気高さを取り戻すことがあるように思います。
 そういう、ものごとが純粋さを取り戻す瞬間を目指して執筆しました。

文字数:248

課題提出者一覧