梗 概
オートノモス・リハビリテーション
沿岸都市の再開発区で、無人の建設3Dプリンターが突如にして稼働を開始した。夜ごと低くうねるような振動音が響き、その翌朝には、見慣れぬ街並みが路地の奥に現れている。古い木造商店街のようなそれは、防災と環境保護の観点から木材の使用が全面禁止されて久しい時代には、本来あり得ない光景だった。行政は『自動補修プログラムの誤作動』と説明したが、都市工事に携わる者たちの間には、別の名が囁かれた。かつて中断された都市の自己修復計画AR計画(Autonomous Rehabilitation)の再起動である、と。
主人公の青年は、再開発区で働くゼネコン所長の父と二人暮らしだ。十数年前に亡くなった母は、AR計画の立ち上げに関わった大建築家だった。しかし、彼女の唱えた『自らの歴史を思い出す建築』という思想は、資源と効率を重視する国家方針と対立し、計画から外された。父はその理念を遠ざけ、以後、家で母の話題が語られることはなかった。
無人建築は、渦を巻くように拡大し始める。異なる時代の街区を継ぎ接ぎのように重ね合わせ、かつて存在したはずの街並みを再現する。だが、結果できた街はどの記録にも存在しない。かつての都市計画図、観光雑誌、SNSの写真など。プリンターが参照するのは実際の歴史ではなく、『もっとも頻繁に参照された過去』で、無人建築は統計的に復元しているにすぎなかった。既視感だけが不気味に渦巻く光景を人々は「懐かしい」と口にしながら受け入れていく。
父親から聞かされたAR計画の話をきっかけに、青年は母の残したノートを手にとり、成長し続ける街の中心へと向かう。内部は、時代の異なる建築様式が層状に堆積した迷路だった。中心部には母が最後に設計した〈図書館〉の図面をもとに構築された巨大なデータ群があり、壁面には都市の歴史記録が絶え間なく投影され、欠損部分を補うように更新を続けていた。
図書館の奥に小さな部屋があった。壁も床も完全な木材の風合いを持っている。青年は思わず足を止める。それは彼が幼い頃に母と過ごした、記憶の底に沈んでいた部屋の再現だった。木の香りを知らない世代であるはずの自分が、その空間に不思議な懐かしさを覚えた瞬間、青年は理解する。
AR計画とは、都市がかつて存在したかもしれない姿を、統計的な記憶の集積から無限に再構築する装置なのだ。
都市は人々の記録と欲望が生んだ類型的な過去を参照し続け、膨張するように増殖してきたのだ。そこには母の思想の残滓が、微かに息づいていた。
やがて無人建築の成長は止まり、街は深い静寂に包まれた。住民たちは安全のために街を離れ、父も避難していった。青年はしばらく廃墟となったこの街にとどまることにした。人工素材が再現した木の壁に手を触れながら彼は思う。
この街は誰の記憶にもない。だが、すべての時代の断片を宿す最も人間的な構造なのかもしれないと。
文字数:1200
内容に関するアピール
建設用3Dプリンター技術が進んだ未来を思い描きました。現在も社会実装される段階ではありますが、いまのところ階段やベンチなどの小さくて単純な構造を造るのに使われるのが一般的です。本作ではさらに大きな構造物の構築が可能となった世界を想定しており、土工・鉄筋、型枠の組立て・コンクリート打設・養生・仕上げの各工程をプリンターが役割分担するように建設します。リアリティは低いですが、うまくはったりができたらなと。
アイデアとしてはル・コルビュジエの「無限発展の美術館」から着想を得ています。彼の構想では渦巻き状に増築できる建物を思い描いており、実現例として国立西洋美術館が代表です。本作では建築や街が3次元方向にどんどん膨張するようなイメージです。
巨大建築が登場するSFといえば柞刈湯葉「横浜駅SF」やレナルズ「反転領域」等の先行作品も多いので改めて読みどう差別化できるかしっかり考えたいです。
文字数:395




