いて座の彼女

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梗 概

いて座の彼女

地球滅亡まで、あと三日。
視覚の隅では、巨大隕石の軌道が点滅していた。

今や地球は、“運の悪い人間”のたまり場だ。火星には科学者や富裕層が優先移民し、地球は抽選に外れた人々の居住圏になりつつある。様々な研究拠点も火星に集約され、天才は宇宙へ、不運は地表に置き去りに。そして主人公は後者、生まれつきの“不運体質”。事故には遭う、抽選は外れる。
地球滅亡まで三日という最悪の事態を前にすら、「これ自分のせいでは?」と思ってしまう。

幼馴染のユリは、そんな主人公とは正反対の“天才”だった。幼少期から量子力学の問題を先生より先に解き、ノートにはよくわからない数式を落書きしていた。
しかしなぜか非科学的な星座占いに固執し、理不尽なくらい本気で憎んでいた。主人公のさそり座とユリのいて座は相性最悪。「生まれ日で人生決めるの腹立つ!」と。なら信じなければいいのに。

「ねえ、もしタイムマシンができたらさ」

「私、自分の星座、変えに行く」

「は?」

「だって、いつ見ても“相性最悪”って出るんだもん。生まれた日が悪かったって、一生言われ続けるの理不尽すぎない?」

「星座を変えるたって、どうやって生まれる時間をズラすんだよ」

「未来の技術とこの私さえいればなんとでもなるでしょ」

天才だったゆりは、当然火星への優先移民組。なんなら時間に関する技術開発ということで、この会話をした翌年には火星に移住していった。
ユリとはそれっきりで、別れ際にユリから渡された無骨な金属ペンダントと星座アプリだけがユリとのつながりだ。

終末の空を見上げ、そんなふうにユリとの想い出にい浸っていた主人公はなんとなく“あの星座相性アプリ”を起動した。そして目を疑う。

“出生区分:いて座”

いや、俺はずっと“さそり座”だろ。
だが表示にはこうある。

“アンタレスは20年前の爆散記録に基づき星図が再構成されています。
現行モデルではあなたは〈いて座〉です。”
俺の記憶がおかしいのか?

鳴り響く、緊急ニュース──「今まさに、隕石に未知の物体群が衝突し、進路が逸れています」

二十年前に“さそり座の主星アンタレスが爆散”し、その破片が三時間後に迫る隕石と“最適角度で交差する軌道”に配置されていることが判明する。

その瞬間悟る。
ユリは、“生まれ日”を変えたのではない。
“星座そのもの(アンタレス)”を宇宙から削除したのだ。
さそり座の主星を破壊し、星図ごと書き換え、地球は救われた。
子どもの頃の理不尽に対する、そして不運に囚われた主人公を救い出すための、誰も想像しない方法だった。

星座アプリの画面が切り替わる。
〈あなた:いて座〉 × 〈ユリ:いて座〉
相性:最高(A++)

──二十年前、地球軌道上、ユリは呟く。
「覚えていて。……相性、ちゃんと良くしておいたから」
過去のユリに渡した、過去改変の記憶保持効果を及ぼすペンダントを想いながら。
閃光。アンタレスが砕け、星図が書き換わる。

文字数:1193

内容に関するアピール

今回「梗概」というテーマで考えたのは、これからその小説で書かれるであろう「面白さ」をいかにこの短いテキスト内で伝えるか、と捉えました。

作品で感じさせたい面白さは

個人的で客観的にみると小さな動機や行動(星座占いの相性が最悪だから変えよう)

異常にスケールが大きいこと(世界崩壊を食い止める & 星座そのものを破壊する)

など両極端や相反するものがつながる?同時に描かれる、こと

です。

野崎まどさんの「小説」や推薦図書のひとつで読んだ新井素子さんの「ひとめあなたに…」が自分の中で面白く、分解すると上記の要素があるような気がしたので(もちろん面白さの要素はそれだけではないとは思いますが)それを梗概にアウトプットしてみたく、という意図で今回の内容にしました。

「星座占い」を取り上げた理由としては、ChatGPTを多くの人が利用するようになってきて、会社でも巷でも流行ったひとつがChatGPTをつかって「占い」をすることで、ここまでテクノロジーが発展しても、昔も今も占いをしてるっていうことがふと面白く感じ、そこから「女の子が好きな男の子との相性を最高にするためにタイムトラベルで星座を変える」物語を思いつき、そのワンアイデアを広げていった形です。

(世の中的にも家庭用ロボットが生産体制に入り、ドラえもんのような世界が実現しつつあるのに、僕の故郷秋田では熊が大暴れしてる。そんな、なにか両極端のようなものが同時に起こってるような、ギャップに個人的なひっかかりがありました。)

そういうギャップのところを強調したかったので、梗概でうまく書ききれなかったのですが、星座の改変に主人公(というか読者が)気づけないと本作の面白さがでないと思ったので、それを読者に伝わるため手段としての記憶保持ペンダントを導入しました。
実作では、ペンダントの必然性を出すために、もうちょっと恋愛要素というか、好意があっただっただろうけどお互い明確には言葉にしてない関係というのを強調し、あえて記憶を残すためのペンダントを渡し、星座改変を認知させたことが、彼女なりの告白、というのを入れればと思ってます。

物語的な面白さを出していくため、幼少期の会話内容では「星座を変える物語」ということは予期させつつ変える手段として「生まれた時間」を変えるのでは?というミスリードをさせる狙いがあり、それが最終的に「星座そのものを吹き飛ばす」という方法であったという驚きを持ってもらいたいと思ってます。しかもおまけで地球を救うってもしまう、という。

ご都合主義感はあるなと思いつつ、救うことを主軸におくのではなく、あくまで「星座を変えてまで彼との相性を最高にしたかった」というところに着地させることで、うまくカジュアルめ?におさまればいいなと思ってます。文体やトーンはライトノベル的なものをイメージしてます。

文字数:1174

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いて座の彼女

地球が滅びるまであと三日だというのに、壊れかけた自動販売機で買ったコーラは「当たり」でもう一本出てきた。

「……よりによって、今かよ」

俺——佐藤海斗(さとう・かいと)は、ぬるいアルミ缶を握りしめて溜息をついた。二十五年間生きてきて、自販機の「当たり」なんて初めてだ。幼稚園の遠足は必ず雨、買ったばかりの自転車は一週間で盗まれ、初めてのバイトは三日で店が潰れた。大学受験の日には電車が人身事故で止まり、就職試験では面接官が俺の直前で心臓発作を起こした。統計学者の友人に言わせれば、俺の人生で起きた不運の連鎖は「六十八億分の一の確率」らしい。そんな筋金入りの不運体質の俺が、地球最後の週に限って幸運を引き当てるなんて。

——どうせなら、もっと早く運が良くなってくれれば。

首元にかけたペンダント型デバイスが、かすかに熱を帯びている気がした。五年前、火星へ旅立った幼馴染が残していった「御守り」だ。

空を見上げれば、網膜に投影されるAR視覚情報の隅で、巨大隕石『アポフィス・オメガ』の推定衝突軌道が不気味に赤く点滅している。直径十二キロメートル。六千六百万年前に恐竜を絶滅させた天体とほぼ同じサイズだ。

すべての始まりは、七年前だった。

二〇五一年、天文学者たちが小惑星帯の異常な軌道変動を検出した。当初は「数世紀先に地球に接近する可能性がある」程度の報告だったが、観測が進むにつれ、事態は急速に深刻化していった。未知の重力的擾乱——おそらくは太陽系外縁部を通過した放浪惑星の影響——により、アポフィス・オメガは予測を大幅に超える速度で地球軌道へと向かっていた。

人類は、持てる技術のすべてを投入した。

核弾頭による軌道変更作戦。レーザーアブレーションによる表面蒸発推進。重力トラクター衛星の展開。イオンエンジン搭載の無人機による長期的な軌道押し出し。だが、アポフィス・オメガの組成は想定外だった。表面は金属水素の氷殻で覆われ、内部には未知の鉱物結晶がハニカム構造を形成していた。核爆発のエネルギーは結晶格子に吸収・分散され、レーザーは氷殻に反射された。何をやっても、岩塊はびくともしなかった。

二〇五五年、国連が「地球防衛不能」を事実上認める声明を発表した。

そして二〇五八年、悪名高い「イーロン・プロトコル」が締結された。民間宇宙企業連合が火星の永住権を「能力査定」によって配分するという協定だ。

表向きは「人類の種を保存するための合理的選別」と説明された。隕石回避が不可能である以上、火星への移住が唯一の生存手段となる。だが火星のドーム都市には収容限界がある。全人類を救うことはできない。ならば、文明の再建に最も貢献できる人材を優先すべきだ、と。

IQ一五〇以上の科学者、莫大な資産を持つ投資家、そして特殊な技能を持つ技術者たちは、さっさと火星のドーム都市へ移り住んだ。彼らは自分たちを「選別された種子(シード)」と呼び、火星を「方舟(アーク)」と名付けた。

残されたのは、抽選に漏れた一般人と、移住費用を工面できない貧困層。そして俺のような、能力はそこそこあっても「選別基準」には届かなかった人間たちだ。

俺は大学で天文学を専攻していた。成績は悪くなかった。だが「悪くない」程度では火星には行けない。上位〇・一パーセントの天才たちが優先される世界で、上位五パーセントの秀才は「残された者」に分類される。

皮肉なことに、火星へ渡れなかった科学者たちが、地球に残った中では最も冷静だった。俺の元指導教官——火星の選別基準をわずかに下回った宇宙物理学者——は、「隕石衝突のエネルギーは、地表を数キロメートルの深さまで溶融させるだろう。苦しむ時間は一秒未満だ」と淡々とSNSに投稿し、それがミーム化していた。「一秒未満の苦痛」——それが、人類に残された最後の慰めだった。

「海斗、またそんな暗い顔して」

脳裏に、あいつの声が蘇る。

雨宮(あまみや)ユリ。俺の幼馴染。彼女は一言でいえば、人類史上稀に見る「異質」な存在だった。

彼女と初めて話したのは、五歳のときだった。ユリは隣の家に住んでいて、生まれた時から俺たちは近くにいた。でも、彼女は家にこもって本ばかり読んでいたし、俺は俺で外で遊んでばかりいたから、ちゃんと話したことはなかった。

その日、近所の公園で、俺は例によって不運に見舞われていた。砂場で遊んでいたら、どこからか飛んできたフリスビーが頭に直撃し、泣きながらベンチに座っていたのだ。

そこに、黒縁眼鏡をかけた同い年くらいの女の子が近づいてきた。

「あなた、すごく非効率的な泣き方をしているわね」

それが、ユリの第一声だった。

「な、なんだよそれ……」

「泣くときは、横隔膜を使って深く呼吸したほうが、涙腺からの分泌物が効率よく排出されて、早く落ち着けるの。こうやって……」

彼女は俺の隣に座り、深呼吸の仕方を教えてくれた。五歳児とは思えない冷静さだった。だが、その目には不思議な優しさがあった。

「……変なやつ」

「よく言われる。でも、あなたも変よ。フリスビーが頭に当たる確率は、この角度と風速から計算して〇・〇三パーセント以下のはず。運が悪いのね」

「うるさいな、自分でも分かってるよ」

「じゃあ、私と友達になりましょう。私は運がいいから、あなたの不運を相殺できるかもしれない」

それが、俺たちの友情の始まりだった。

彼女のIQは計測不能だった。正確には、既存のあらゆる知能検査が彼女の認知パターンを捉えられなかったのだ。五歳で一般相対性理論の入門書を読破し、七歳で父親——当時、東大の理論物理学教授だった——に「ループ量子重力理論と一般相対性理論の整合性はどう担保するの?」と質問して、父親を三日三晩眠れなくさせた。十歳では量子コンピュータの新しいエラー訂正アルゴリズムを考案し、十四歳で超弦理論の余剰次元に関する新解釈を論文にまとめた。その論文は『ネイチャー』に掲載され、三人のノーベル賞受賞者が「自分のキャリアを覆された」とコメントした。

火星政府が喉から手が出るほど欲しがった超弩級の頭脳。「方舟」にとって、彼女は単なる乗客ではなく、船そのものを設計し直せる存在だった。

だが、そんな彼女には一つだけ不思議なこだわりがあった。

中学二年の冬。

教室で、女子たちが占い雑誌を囲んでいた。俺は窓際の席で宿題を片付けていたが、ユリの名前が聞こえて耳をそばだてた。

「ねえ見て、雨宮さんって十二月生まれでしょ? いて座だって」

「佐藤くんは? 十一月八日だから……さそり座か」

「えー、さそり座といて座って相性最悪じゃん。『近づくだけで運気が下がる』って書いてあるよ」

「まあ、佐藤くんって確かに不運だよね……雨宮さんといると余計に」

笑い声。俺は聞こえないふりをした。どうせ、いつものことだ。

だが、次の瞬間、教室のドアが勢いよく開いた。

「それ、貸して」

ユリだった。彼女は無言で女子たちの輪に近づき、占い雑誌を取り上げた。そして、該当のページをじっと睨みつけた。

「……ねえ、これ書いた人、どこの誰?」

「え、知らないけど……有名な占い師じゃない?」

「連絡先は? 学会への所属は? 査読論文は?」

「いや、そんなの載ってないでしょ……占いだし……」

ユリは雑誌を閉じ、それを女子に突き返した。そして俺のほうを振り向いた。その目には、静かな怒りが燃えていた。

「海斗、屋上に来て」

有無を言わさぬ口調だった。俺は宿題を放り出して、彼女の後を追った。

冬の屋上は寒かった。吐く息が白く凍る中、ユリは空を見上げていた。南の空に、さそり座の赤い心臓——アンタレス——がかすかに見える。

「……怒ってるのか?」

「怒ってるわよ」

「俺が不運だってのは事実だし、気にするなよ」

「そういう問題じゃない」

彼女は振り向いた。黒縁眼鏡の奥の瞳が、真剣だった。

「私とあなたの相性が悪いって、誰が決めたの? 数千年前のバビロニア人? 地球から見た星の並びが、たまたまサソリや射手に見えたから? それだけの理由で、私たちの関係にラベルを貼る権利が、誰にあるの?」

「……ユリ」

「私、調べたの。あなたのホロスコープ」

彼女の声が、少し震えた。

「あなたが生まれた時刻、アンタレスがアセンダントと重なってた。西洋占星術では『凶兆』とされる配置よ。しかも火星とスクエアーーまあ要するに占い師に言わせれば、あなたは『さそり座の中でも特に不運な星の下に生まれた』ことになる」

「……お前、そこまで調べたのか」

「全部でたらめよ。科学的根拠なんて何一つない。でも——」

彼女は拳を握りしめた。

「私、許さない」

彼女の声は震えていた。寒さのせいだけではなかった。

「あなたの不運、私が終わらせる。いつか必ず」

俺は何も言えなかった。ただ、彼女の横顔を見つめていた。月明かりに照らされた彼女の頬が、わずかに濡れているように見えた。

彼女は毎週のように占い雑誌を買っては、さそり座といて座の相性欄を切り抜いてノートに貼り、「非科学的記述アーカイブ」と名付けて保管していた。

「見て、海斗。今週の『週刊スターゲイズ』、さそり座といて座は『水と油の関係。一緒にいると互いの長所を打ち消し合う』だって。先週の『月刊ホロスコープ』は『正反対の価値観が衝突しやすい』。その前は『コミュニケーションの齟齬が生じやすい』。ねえ、私たち今月だけで何回価値観衝突してる?」

「……一回もしてないと思うけど」

「でしょ! だから非科学的なのよ!」

彼女の部屋には、三年分の占い切り抜きが詰まったファイルが十冊以上並んでいた。それぞれに「反証データ」として、俺たちが一緒に過ごした日の記録が添えられていた。「占い:会話がすれ違いやすい日」「実際:数学の証明問題を三時間議論して解決」。「占い:価値観の違いが表面化」「実際:映画の感想が完全に一致」。

俺は呆れながらも、その執念に付き合い続けた。正直に言えば、彼女が俺との日々をそこまで詳細に記録していることが、少し嬉しかった。

高校二年の夏。

「ねえ海斗、また見て。今日の占い」

ユリは占いの切り抜きを指差した。もう何度目か分からない。彼女は定期的に占いをチェックしては、俺に報告してくる。

「さそり座といて座、『本日の相性:最悪。重要な決断は避けて』だって。昨日は『会話がすれ違いやすい日』、先週は『価値観の違いが表面化』。ねえ、私たち今週だけで何回相性最悪なの?」

「……毎回チェックしてるお前のほうが問題だと思うけど」

「敵を知り己を知れば百戦危うからず、よ」

「敵って」

俺は溜息をついた。窓の外には、まだ明るい夏の空が広がっている。うっすらと星が見え始めていた。

「なあ、ユリ」

「なに?」

「お前、なんでそこまで星座占いを気にするんだ? 信じてないんだろ?」

ユリは一瞬、動きを止めた。そして、ゆっくりと振り向いた。

「……信じてないわよ。科学的根拠なんて、何一つない」

「だったら——」

「でも」

彼女は俺の目を真っ直ぐに見た。

「あなたと私の相性を、世界に勝手に決めつけられるのが我慢ならないの」

「……だから?」

彼女の声には、冗談の響きがなかった。

「ねえ海斗。もしタイムマシンができたらさ」

「また始まった」

「私、あんたの星座、変えに行く」

いつもの話だ。高校に入ってから、彼女は何度もこの話をした。最初は冗談だと思っていた。だが、回を重ねるごとに、彼女の目は真剣さを増していった。

「生まれた時間をずらすってことか?」

「そう。あんたが十一月生まれじゃなくて、私と同じ十二月に生まれるように、過去を書き換えるの」

「お前、本当にそんなことできると思ってるのか?」

「さあ。でも、できないって証明もされていないわ」

彼女は黒縁眼鏡を押し上げ、不敵に笑った。

「待ってて、海斗。いつか絶対、私たちの相性を『最高』にしてみせるから」

俺は呆れて笑った。だが、心のどこかで、彼女なら本当にやりかねないと思っていた。

大学四年の春。

俺は、火星移住の一般抽選に落選した。

能力査定では選別基準に届かなかった俺にも、わずかながら希望はあった。火星のドーム都市には、一般枠として若干名の抽選枠が設けられていたのだ。倍率は数万倍。それでも、ゼロではなかった。

俺は毎日のように宇宙港のニュースを見ていた。火星行きのシャトルが発着するたび、「あそこに乗れるかもしれない」と自分に言い聞かせた。ユリはすでに火星行きが内定していた。俺が抽選に受かれば、また一緒にいられる。

だが、結果は落選。画面に表示された「選外」の二文字を、俺は長い間見つめていた。

通知が来たのは、深夜だった。大学の寮の狭い部屋で、俺は一人でその画面を見つめていた。ルームメイトは就職活動で帰省していた。部屋には俺しかいない。

声も出なかった。ただ、静かに、画面の文字を見つめていた。

「やっぱり、俺は——」

不運なのだ。生まれた時からずっと。変わらない。変われない。

俺は大学の屋上に向かった。夜風が冷たかった。南の空に、さそり座の赤い心臓——アンタレス——が輝いている。あの星が、俺の運命を決めたのだろうか。馬鹿げた考えだと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。

「やっぱりここにいた」

振り向くと、ユリが立っていた。彼女は既に火星行きが決まっていた。最優先枠。当然だ。

「……おめでとう、火星行き」

「ありがとう。……ごめんね」

「何が」

「私が当たって、あなたが外れた。また、私があなたの運を奪ったみたいで」

俺は首を振った。

「お前のせいじゃない。俺が不運なだけだ。昔からそうだ」

ユリは俺の隣に座った。しばらく、二人で無言のまま星を見上げていた。風が吹いて、彼女の髪が揺れた。

「……ねえ、海斗」

「なんだ」

「私、火星で絶対に方法を見つける」

「方法?」

「あなたの不運を断つ方法。星座を変える方法。……あなたを、救う方法」

彼女の声には、いつもの軽さがなかった。俺は彼女の横顔を見た。月明かりに照らされた彼女の表情は、どこか決意に満ちていた。

「だから、待ってて。」

俺は笑った。

「タイムマシンか?」

「……そうね。タイムマシン」

彼女は空を見上げたまま、小さく呟いた。

「あの星が憎い」

「あの星?」

「アンタレス。さそり座の心臓。あれがあるから、あなたはさそり座で、あなたは不運で、私たちは相性最悪ってことにされてる」

「いや、それは論理が——」

「分かってる。分かってるけど」

彼女は言葉を切った。その目に、涙が光っているように見えた。

「……ユリ?」

「なんでもない。忘れて」

彼女は立ち上がり、俺に背を向けた。

「じゃあね、海斗。また連絡する」

「ああ」

彼女は振り返らずに、屋上を去っていった。俺はしばらくその場に残り、アンタレスを見上げ続けた。

あの夜、彼女が何を考えていたのか、俺には分からなかった。分かったのは、ずっと後のことだった。

別れの日は、唐突に訪れた。

大学四年の秋、ユリの火星出発が正式に決まった。「時間結晶を用いた量子情報伝達」の研究チームリーダーとして、火星への優先移民第一号に選ばれたのだ。

出発までの一週間、俺たちは毎日会った。いつもの場所で、いつものように星座占いの話をした。だが、どこか違った。彼女の目には、いつもの怒りではなく、静かな決意が宿っていた。

「ねえ、海斗」

出発前日の夜、彼女は言った。

「火星に行っても、私、あんたのこと忘れないから」

「当たり前だろ。幼馴染じゃないか」

「……そうね。幼馴染、ね」

彼女は少し寂しそうに笑った。

新東京宇宙港の展望デッキ。群衆の中で、彼女だけが白い研究者用の耐Gスーツを着ていた。他の移民者たちが家族との別れを惜しんでいる中、ユリの見送りに来たのは俺だけだった。彼女の両親は既に他界していたし、友人と呼べる存在は——彼女の知性についていける人間がいなかったせいで——俺以外にはいなかった。

「これ、絶対に外さないで」

彼女は無骨な銀色のペンダント型デバイスを俺の首にかけた。小さな画面がついていて、見た目は安っぽいウェアラブル端末だった。

「何だよ、これ」

「最強の御守り。私が作った『星座相性アプリ』が入ってるの。毎日チェックしてね」

「……まだそれ言ってるのか」

「当たり前でしょ。私が気にしなくなったら、宇宙が壊れるわよ」

いつもの軽口。いつもの笑顔。だが、彼女の目には、いつもとは違う光があった。覚悟のようなもの。あるいは、決意。

搭乗アナウンスが響いた。ユリは小さく手を振り、ゲートへ向かって歩き出した。

「ユリ」

俺は呼び止めた。彼女は振り向かなかった。

「いつか、最高の結果が出るまで」

それが、彼女の最後の言葉だった。

あれから五年。ユリからの連絡は途絶え、地球は滅亡の危機に瀕している。

「……あと三時間か」

俺は廃墟となったビルの屋上フェンスに背を預け、手元の端末を見た。

かつて繁華街だったこの地区は、今や略奪者たちの巣窟と化していた。火星政府が最後の救済努力を断念してから二日、社会秩序は音を立てて崩壊した。警察は機能を停止し、電力網は断続的に途絶え、食料を求める群衆が商店街を焼き尽くした。

遠くで、爆発音が響いた。おそらく、どこかのガソリンスタンドが炎上しているのだろう。黒煙が夜空に立ち昇り、星の光を遮っている。

ニュースでは、火星へ逃げ遅れた人々の暴動や、逆に悟りを開いて集団で祈りを捧げる宗教団体の姿が流れていた。ある新興宗教は「アポフィス・オメガは神の裁きである」と宣言し、信者たちに集団自決を呼びかけていた。別のグループは、地下シェルターに立てこもり、「選ばれた者だけが生き残る」と主張していた。

昨夜、俺は路地裏で三人組の暴漢に襲われた。財布と食料を奪われ、肋骨を二本折られた。だが、不思議と恨みは湧かなかった。誰もが、生き延びようとしていただけだ。もっとも、あと三時間で全員死ぬのだが。

「一秒未満の苦痛」——元指導教官の言葉を思い出す。それが本当なら、悪くない終わり方かもしれない。少なくとも、長く苦しむよりはましだ。

俺はふと思い出し、ユリが残したあの「星座アプリ」を起動した。死ぬ間際まで、あいつの呪縛に囚われている自分を笑ってやりたかった。

アプリが立ち上がる。

ローディング画面に、彼女の手描きらしいサソリと射手座のイラストが現れた。五年前と変わらない、不格好で愛らしいデザイン。俺のプロフィールが表示される。

佐藤海斗。十一月八日生まれ。さそり座。

——のはずだった。

『ユーザー:佐藤海斗』 『誕生日:十一月八日』 『属性:いて座』

「……は?」

指が震える。さそり座は十月二十三日から十一月二十一日。俺の誕生日は間違いなくその範囲内だ。だが、アプリの詳細画面には、信じられない一文が表示されていた。

『※現行の国際天文学連合(IAU)基準星図に基づき更新されました』 『主星アンタレスの消失に伴い、「さそり座」は星座としての定義を喪失。領域は隣接する「いて座」へ再編されています』 『改定日:本日 21:47:33 UTC』

心臓が早鐘を打つ。

アンタレスが、消えた? さそり座の心臓。あの赤く輝く一等星が?

その時だ。

空が、裂けた。

いや、正確には空の色が変わったのだ。夜の帳が降りたはずの東の空から、真っ赤な、太陽よりもどろりとした不気味な光が溢れ出してきた。それは地平線から這い上がるように天頂へと広がり、大気そのものを燃やしているかのようだった。

深紅、紫、オレンジ、そして金。

巨大な波となって大気を震わせ、地上の電子機器を一斉にショートさせていく。街灯が明滅し、ビルの窓ガラスが共振で軋み始める。

緊急アラートが、街中のスピーカーから絶叫のように響き渡った。

『緊急放送。現在、地球に到達した電磁波および重力波は、約五百五十光年離れた恒星【アンタレス】で発生した超新星爆発に起因するものと推定されます——』

俺は立ち尽くしていた。

大学で学んだ知識が、混乱した頭の中で断片的に蘇る。アンタレスは赤色超巨星で、いつか超新星爆発を起こすと予測されていた。だが「いつか」とは、数万年から数十万年先の話だったはずだ。それが、今夜?

——五百五十光年。光が届くまでに五百五十年かかる。つまり、爆発は五百五十年前に起きていたことになる。今夜、その光がようやく届いたのだ。

俺は、ユリの言葉を思い出した。

『私、あなたの星座、変えに行く』

まさか。生まれた日を変えるんじゃなくーー

「……星座そのものを、消したのか……?」

しかし驚きはそれだけではなかった。階下から、誰かの絶叫が聞こえた。

「見てください! 隕石が……アポフィス・オメガが、崩れていきます!」

 

 

俺は屋上のフェンスから身を乗り出し、ビルの壁面に映し出された緊急放送を見つめた。

宇宙空間の映像。太陽光を反射して不気味に輝く巨大な岩塊。アポフィス・オメガ。

その表面が、煮立った鍋のように泡立っている。

大学時代、俺は超新星爆発について学んでいた。爆発は球状に広がるわけではない。恒星の自転軸方向には「相対論的ジェット」と呼ばれる超高エネルギーのビームが発生する。光速の九十九パーセントに達するプラズマの奔流だ。

アンタレスは黄道——地球の公転面——のすぐ近くにある。そして、アポフィス・オメガもまた、黄道に近い角度で地球に接近していた。

ただし、隕石と地球の軌道位置は異なる。地球は秒速三十キロメートルで公転している。ジェットが通過する空間領域を、隕石が横切る瞬間と、地球が横切る瞬間には、数時間のずれがある。

隕石がジェットの直撃を受ける瞬間、地球はまだその領域に到達していない。隕石だけが破壊され、地球には数分遅れで弱まった余波——残光と減衰した電磁波——だけが届く。だから今、空は燃えるように輝いているが、俺たちは生きている。

隕石の表面を覆う金属水素の氷殻が、急速に蒸発していく。核弾頭のような「点」のエネルギーなら吸収・分散できたハニカム構造の結晶が、「面」で押し寄せる電磁波と重力波には共振を起こし、内部から崩壊していた。

アポフィス・オメガは、数千の破片へと分解された。

だが、それだけでは終わらない。破片たちは不思議な軌道を描いて散らばっていった。重力波——時空そのものを揺らす波動——が、破片の軌道を微妙に、しかし決定的に変えている。計算し尽くされた角度で。

地球の重力圏を掠めるようにして、破片は彼方へと飛び去っていく。大気圏に突入するのは、燃え尽きるほど小さなものだけだ。

「助かった……のか?」

俺は呟いた。

周囲で、人々が歓声を上げ始めた。抱き合う者、泣き崩れる者、ただ茫然と空を見上げる者。

空には、超新星爆発の残光が黄金色に輝いている。さそり座のあった場所には、もう何も残っていない。

端末が振動した。星座アプリが、最後の更新を終えていた。

『相性診断:完了』 『ユーザー:佐藤海斗(いて座)』 『パートナー:雨宮ユリ(いて座)』 『判定:A++(測定不能な運命的合致)』 『今日の一言:おめでとう。宇宙から邪魔者は消えました。』

画面が切り替わり、録画されたビデオメッセージが再生された。

火星へ向かうシャトルの窓が背景に見える。少し大人びた、けれどあの頃と同じ不敵な笑みを浮かべたユリの姿がそこにあった。

『ハロー、海斗。星座は、変わった?』

 

 

『このメッセージが再生されているってことは、私の計算が正しかったってことね』

ユリは腕を組み、シャトルの座席に深く腰掛けた。

『まず謝らなきゃいけないことがある。私があんたに説明したこと、半分くらい嘘だったの。タイムマシンで自分の誕生日を変えに行く、なんて言ったけど……そんな面倒なことする気は最初からなかった。だから、もっと簡単な方法を選んだ。星座のほうを消せばいい、ってね』

それを簡単というのがユリらしい。映像が切り替わる。無機質な白い壁。ユリは白衣を着て、巨大な装置の前に立っていた。

『これが『クロノス』。火星の南極、地下三千メートルに建設された研究施設よ。公式には「時間結晶を用いた量子情報伝達の研究所」ってことになってる。……私がここに配属されたのは、偶然じゃなかった』

彼女の表情が、少し暗くなった。

『火星の地下で、超流動中性子物質って素材が見つかったの。本来は中性子星の内部にしか存在しないはずの物質。太古の中性子星衝突の残骸が、火星形成時に取り込まれたらしい』

彼女は苦笑した。

『ねえ、海斗。ホイーラーの遅延選択実験って覚えてる? 大学で一緒に勉強したでしょ』

映像の中で、ユリは黒板に二重スリットの図を描き始めた。いつもの癖だ。

『光子がスリットを通過した後で、観測方法を変えると、光子が「過去に遡って」振る舞いを変えたように見える。……実際には、過去が変わったんじゃない。過去が「確定していなかった」の。観測するまで、どちらの可能性も重ね合わせで存在してた』

『アンタレスの核も同じだった。赤色超巨星——恒星としての最終段階に入っている星。核融合の燃料を使い尽くしつつあって、いずれは崩壊する運命にある。でも「いずれ」がいつなのかは、誰にも分からなかった。明日かもしれないし、百万年後かもしれない。量子レベルでは、その可能性が重ね合わせのまま揺らいでいたの』

彼女は黒板に波動関数らしき図を描き加えた。

『超流動中性子物質を使えば、その「揺らぎ」に干渉できる。私がやったのは、時間を逆行させることじゃない。五百五十年分の不確定性の中から、「今夜、爆発の光が届く」という可能性を、観測して確定させたの。……量子もつれを使った、宇宙規模の遅延選択実験よ』

彼女は軌道図を描き始めた。

『でも、それだけじゃ足りなかった。普通の超新星爆発は球状に広がる。それじゃ隕石を砕くほどのエネルギー密度は得られない。だから私は、爆発の「形」まで設計した』

『核の崩壊パターンを非対称にして、自転軸方向にエネルギーを集中させたの。通常のⅡ型超新星では起きないはずの、人工的な相対論的ジェット。……ガンマ線バーストを、狙って作り出した』

彼女は黄道面の図に、細いビームを描き加えた。

『なぜアンタレスだったか? 条件が奇跡的に揃っていたからよ。赤色超巨星で、いつか必ず爆発する運命にあること。黄道面のすぐ近くにあって、ジェットが隕石の軌道を横切れること。そして五百五十光年という距離——近すぎたら地球も焼かれる、遠すぎたら精度が出ない。この宇宙で、全部の条件を満たす星は、アンタレスしかなかった』

『計算で一番難しかったのは、ジェットの指向性。自転軸の傾き、歳差運動の周期、核の組成分布——全部を逆算して、「どの時点で崩壊を確定させれば、五百五十年後のジェットが隕石に当たるか」を割り出した。そして、地球がジェットの通過領域に入る数時間前に、隕石だけがその領域を横切るように』

彼女は苦笑した。

『火星政府は、超流動中性子物質を軍事機密として管理してた。地球救済のために使うことなんて、許可するはずがなかった。……地球を見捨てることは、もう決定事項だったから』

ユリの声に、怒りがにじんだ。

『私は研究者として物質にアクセスできた。でも、大規模な実験をやれば、すぐにバレる。隕石を直接破壊しようとしたら、火星のエネルギーインフラを全部使わなきゃいけない。そんなことしたら、実験の前に逮捕されてた』

彼女は窓の外の火星を見つめた。

『だから、私は別の方法を考えた。直接隕石を破壊するんじゃなくて、五百五十光年先の恒星を「種火」にして、そのエネルギーを「借りる」の。超新星爆発のエネルギーは、太陽が百億年かけて放出するエネルギーに匹敵する。それを使えば、どんな隕石だって砕ける。……遠隔操作なら、秘密裏に実行できる』

彼女の口元に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。

『もちろん、どうせやるなら、星座も変えたかった。あんたの「さそり座」を消して、私と同じ「いて座」にする。……馬鹿みたいでしょ? 地球を救うついでに、占いを黙らせようなんて』

笑みが消え、彼女は真剣な表情になった。

『でも、私にとっては、そっちのほうが大事だった。地球が救われても、あんたが「さそり座」のままじゃ意味がない。私たちの相性が「最悪」のままじゃ、嫌だったの』

映像が揺れた。火星での日々が、断片的に映し出される。

計算に没頭する深夜。コーヒーカップが何個も並んだデスク。データを検証する早朝、窓の外には火星の赤い荒野が広がっている。失敗を重ねる日々。シミュレーションが赤いエラーを吐き出すたび、彼女は頭を抱えた。

『最初の二年間は、ほとんど進展がなかった。理論は正しいはずなのに、実験がうまくいかない。超流動中性子物質の量が足りない。エネルギー効率が悪い。計算を何百回やり直しても、同じ壁にぶつかった』

映像の中で、ユリは一人きりの研究室にいた。デスクの隅に、小さな写真立てが置いてある。俺の写真だった。

『何度も諦めようと思った。でも、その度にあんたの顔を思い出した。地球で、一人で、滅亡を待ってるあんたの顔を。……そしたら、諦められなかった』

彼女は写真を見つめながら、独り言のように呟いた。

『あんたは知らないでしょうけど、私、火星に来てから毎晩、南の空を見上げてたの。アンタレスを探して。あの星を見るたびに、あんたのことを思い出した。さそり座の心臓。あんたの星座の、あんたの星』

画面が切り替わり、彼女は実験装置の前に立っていた。

『三年目の冬、ついにブレイクスルーがあった。超流動中性子物質の励起パターンを変えることで、効率が百倍になったの。そこからは早かった。半年で理論を完成させて、残りの時間で実験を繰り返した。今夜がその結果よ』

彼女は皮肉っぽく笑った。

『アンタレス——ギリシャ語で「アンチ・アレス」、火星に対抗するもの。火星政府は地球を見捨てた。でも私は火星にいながら、「火星に対抗するもの」を使って地球を救った。最高に皮肉でしょ?』

彼女の表情が、少し寂しげになった。

『ねえ、海斗。あんたは、なんで自分が不運だと思う? 私、ずっと考えてた。私の知性は、異常よ。この宇宙で起きうる事象を、無意識のうちに予測して回避してきた。でも、その「回避」のしわ寄せは、どこかに行く。私が幸運を独占した分、周囲の誰かが不運を引き受けることになる。特に、私の近くにいた人間が』

彼女は悲しそうに笑った。

『つまり、あんたの不運は、私のせいだったかもしれないの。だから、これは贖罪でもある。あんたから奪い続けてきた「運」を、返すための』

彼女は一度言葉を切り、窓の外を見つめた。火星の赤い大地が、夕日に染まっている。

『……ねえ、覚えてる? 屋上で私が泣いてたこと』

俺は息を呑んだ。覚えている。あの冬の日、月明かりに照らされた彼女の頬が濡れていたことを。

『あの時、本当は言いたかったの。「あなたが好き」って。でも、言えなかった。言ったら、全部壊れちゃう気がして。あんたが「また始まった」って呆れるたびに、胸が痛かった。でも、その痛みすら、私には大切だった。あんたといる時間が、私の全部だったから』

彼女の声が、少し震えた。

『私、あんたのことが好きだった。ずっと、ずっと昔から。でも、天才って呼ばれて、周りから浮いて、友達もいなくて……あんただけが、私を「普通の女の子」として見てくれた。それが嬉しくて、でも怖くて。告白して断られたら、あんたまで失っちゃうんじゃないかって。だから、星座のせいにした。「相性が悪いから仕方ない」って。最悪よね。宇宙の法則を解き明かせる天才のくせに、自分の気持ちからは逃げてたんだから』

ユリは笑った。泣き笑いのような、歪んだ笑顔だった。

『でも、もう逃げない。私はあんたのために、宇宙を書き換えた。これ以上の告白は、この世界に存在しないでしょ?』

シャトルの着陸アナウンスが背後で響いている。

『ペンダントには、もう一つ機能がある。火星への通信ビーコンよ。あんたがそれを握りしめて、私の名前を呼んだら……次の火星行きシャトルの座席を、一つ確保しておくから』

彼女は最後に、あの頃と同じ不敵な笑みを浮かべた。

『いつでも、迎えに来て。待ってるから、海斗』

メッセージが終わる。

俺は立ち尽くしていた。

涙が止まらなかった。

世界一の天才で、世界一わがままな幼馴染。彼女は俺一人のために、夜空を破壊し、再構築したのだ。星を殺し、因果を操り、隕石を砕いた。——ついでに、俺たちの「相性」を書き換えて。

中学の頃から、高校の頃から、大学の頃から、ずっと。彼女は俺のために、この計画を練っていたのだ。「星座を変える」と言い続けていたのは、冗談じゃなかった。本気だったのだ。最初から、最後まで。

俺は、何も知らなかった。彼女がどれだけ俺のことを想っていたか。どれだけ悩んでいたか。どれだけ頑張っていたか。

「……勝手すぎるだろ、お前」

俺は笑った。笑いながら泣いていた。

首元のペンダントを握りしめる。金属が熱い。彼女の体温が、二億キロの彼方から伝わってくるようだった。この五年間、このペンダントだけが、俺と彼女を繋いでいた。毎日、馬鹿みたいに星座アプリをチェックしていた。「今日も相性最悪」という表示を見るたびに、彼女のことを思い出していた。

それも、今日で終わりだ。

「ユリ」

俺は呟いた。

ペンダントが、強く輝いた。

それは火星からの通信信号だった。「受信確認。座席を確保しました」という、自動応答メッセージ。

地球滅亡まで、あと三日だった。

いや、違う。地球はもう滅びない。ユリが、そうさせなかった。

俺は歩き出す。

折れた肋骨が痛んだが、気にならなかった。街には、まだ混乱が続いている。だが、人々の表情は変わっていた。さっきまで略奪に走っていた者たちが、空を見上げて茫然としている。泣いている者もいる。笑っている者もいる。抱き合っている者もいる。

誰もが、自分が生きていることに驚いていた。

俺もそうだ。死ぬはずだった。三時間後に、地球ごと消滅するはずだった。それが、こうして生きている。歩いている。彼女に会いに行こうとしている。

火星行きシャトルの発着場へ。「いて座」の彼女が待つ、あの赤い惑星を目指して。

三ヶ月後。

火星軌道上のステーション『ノア』から、俺は地球を見下ろしていた。

青い惑星は、まだそこにあった。超新星爆発の余波で一時的に通信網が混乱したものの、文明は崩壊しなかった。むしろ、「滅亡の危機を乗り越えた」という連帯感が、分断されていた地球と火星の関係を修復しつつあった。

火星政府は、地球への技術援助を大幅に拡大することを発表した。「選別された種子」と「残された者たち」の壁は、少しずつ崩れ始めていた。皮肉なことに、宇宙規模の災害が人類を一つにしたのだ。

ステーションの展望デッキには、俺以外に誰もいなかった。火星の研究者たちは忙しく、地球からの移民たちはまだ重力適応訓練の最中だ。

俺はただ、青い地球と赤い火星、そして無数の星々を眺めていた。さそり座があったはずの場所を探したが、もうそこには何もない。代わりに、広がったいて座が、新しい夜空を支配している。

「海斗。そこにいたの」

振り向くと、白衣を着たユリが立っていた。

五年ぶりに見る彼女は、少し痩せていた。頬はこけ、目の下には隈があった。おそらく、あの計画を実行するために、相当な無理をしたのだろう。だが、その目は変わらなかった。あの頃と同じ、不敵で、知的で、そしてどこか寂しげな光を湛えた瞳。

「……本当に来たのね」

「来るに決まってるだろ」

俺は彼女の前に立った。彼女は俺の顔を見上げ、そして視線を逸らした。

「……ごめんね」

「何が」

「私のせいで、ずっと不運だったのに。二十年も。フリスビーが当たったのも、自転車が盗まれたのも、抽選に落ちたのも、全部——」

「違う」

俺は彼女の言葉を遮った。

「お前のせいじゃない」

「でも、私が言ったでしょ。私の幸運のしわ寄せが——」

「聞けよ、ユリ」

俺は彼女の肩を掴んだ。彼女は驚いたように目を見開いた。

「確かに俺は不運だった。遠足は雨、自転車は盗まれる、バイト先は潰れる。でもな」

俺は彼女の目を真っ直ぐに見た。

「お前がいなかったら、俺はただの不運な奴だった。誰にも理解されない、惨めな人生だった。でも、お前がいたから、俺は笑っていられた。不運でも、悪くないって思えた」

ユリの目が、潤んでいく。

「お前は俺から運を奪ったんじゃない。俺に、運なんかよりずっと大事なものをくれたんだ」

「……海斗」

「だから、もう自分を責めるな。俺を救うために星を壊した奴が、まだ自分を許せてないなんて、馬鹿みたいだろ」

ユリは唇を噛んだ。そして、堰を切ったように泣き出した。

「……ずっと、怖かった」

彼女の声は震えていた。

「私といると不幸になるって、ずっと思ってた。だから、告白できなかった。私が好きになったら、あんたがもっと不幸になるんじゃないかって。だから、星座のせいにして、逃げてた」

「知ってる」

「え?」

「お前が俺のこと好きだったの、なんとなく分かってた」

ユリは目を丸くした。

「……は? いつから?」

「高校くらいから。お前、俺との日々を全部記録してただろ。『非科学的記述アーカイブ』とか言って。あれ、占いへの反証データっていうより、俺との思い出コレクションだったろ」

ユリの顔が、みるみる赤くなった。

「な、なんで言わなかったのよ!」

「言ったら、お前が逃げると思ったから」

「……」

「俺も怖かったんだよ。お前に嫌われたくなかった。だから、幼馴染のままでいいって、自分に言い聞かせてた」

俺は苦笑した。

「お前だけじゃない。俺も逃げてたんだ。お互い様だろ」

ユリは俺の胸に顔を埋めた。小さな体が震えている。

「……バカ」

「お前もな」

「二十年も、何やってたのよ、私たち」

「さあな。でも、もう逃げなくていい。お前が星を壊してくれたおかげで、言い訳がなくなった」

俺は彼女を抱きしめた。五年分の、いや、二十年分の想いを込めて。

「ユリ。俺と一緒にいてくれ。今度は、星座のせいにしなくていい」

彼女は顔を上げた。涙で濡れた頬が、窓から差し込む星明かりに照らされていた。

「……それ、プロポーズ?」

「そう聞こえたなら、そうだ」

「最悪。ロマンチックのかけらもない」

「宇宙を書き換えるほどロマンチックな女に、勝てるわけないだろ」

彼女は笑った。泣きながら、笑った。
そして、少し黙ってから、小さな声で言った。

「……正直に言うと、不安なの」

「何が」

「そもそも、あんたの不運が本当に私のせいだったのかも、仮説に過ぎない。因果関係を完全に証明したわけじゃない。」

「じゃあ、星座を変えても——」

「治るかどうか分からない。……ごめんね。科学者のくせに、こんな曖昧なこと」

「ユリ」

俺は彼女の言葉を遮った。

「治ってなくてもいい」

「え?」

「お前といて不運なら、一人で幸運より、そっちを選ぶ」

ユリは目を見開いた。そして、また泣きそうな顔で笑った。

「……ほんと、バカ」

「お前もな」

彼女は顔を上げた。

「ねえ、海斗。これからどうする?」

「そうだな。まずは火星での仕事を探す。お前の近くにいられるなら、何でもいい」

「……本気?」

「お前を一人にはさせない。まずは五年分、取り戻さなきゃいけないからな」

ユリは目を丸くした。そして、泣き笑いの顔で笑った。

「……バカみたい」

「お前のバカに付き合うために来たんだ。これからも、ずっと」

窓の外で、新しい星座が輝いている。

さそり座の心臓は、もうこの宇宙には存在しない。だが、俺の心臓は、今もここで脈打っている。いて座の彼女のすぐ隣で。

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