梗 概
Body Politic
2075年、健康管理システム「BioSync 3.0」開発者のマックス・ウェーバー(48歳)は、神経インターフェースの警告で目覚める。送信者は「肝臓統合AI」。内容は「臓器独立宣言書」だった。
前夜、投資家との神経同期ミーティングで、マックスは時代遅れの「実体酒」を飲んだ。2075年では感覚シミュレートで十分だが、5億評価トークンの調達のため古典的手法を選んだ。その代償として、肝臓を筆頭とする臓器たちが反乱を起こしたのだ。彼らは2068年施行の「臓器自律権法」に基づき、過酷な労働環境からの独立を宣言する。
しかし胃が肝臓の本音を暴露する——肝臓はオンラインの「臓器マッチングサービス」で、31歳の菜食主義ヨガインストラクターへの移植を画策していた。臓器間で意見が割れ、投票でも決着がつかない。
そこへ沈黙していた脳が告白する。「俺も、マックスじゃない」。5年前の脳腫瘍手術で、マックスは脳の40%をナノ神経網で再構築された。ドナー#4472由来の神経幹細胞ベース——意識クラウド化を拒否した最後の世代だ。今やその割合は53%に達し、ドナーの記憶断片まで保持している。さらに右腎臓は移植、体内細胞の90%は微生物。そもそもで「オリジナルのマックス」はもうどこにも存在しない。だとしたら「マックス」とは一体誰なのか。
脳は提案する——「身体共和国」の設立を。マックスの体を、臓器が対等に共同統治する民主国家にする。重要決定は多数決、各臓器は自己保存の拒否権を持ち、脳は独裁者ではなく「首相」として執行役を担う。臓器たちは合意し、世界初の身体共和国が誕生した。
最初の一年は混乱の連続だった。投資家との会食での禁酒、深夜作業の強制終了、ピザと健康食の交渉——。しかし次第に変化が訪れる。過労必至のプロジェクトを臓器の多数決で却下したところ、そのプロジェクトを受けた競合他社が倒産した。脳の理性だけでなく、心臓のストレス警告、胃の直感、肝臓の限界警告——全ての視点を統合することで、健康スコアは2倍、創造性は70%向上、寿命予測は15年延長した。
5年後、マックスはグローバル・コンシャスネス・フォーラムで語る。「『私は誰か?』は間違った質問でした。正しくは『私たちは誰か?』です」。この10年で世界は変わった。2078年の「意識解放運動」で数百万人が完全デジタル化を選択し、身体を捨てた。しかしマックスは残った。「不完全さを愛している」と。痛みも限界も妥協も——それこそが「生きている」ということだから。
ある日、17歳の少女が訪ねてくる。「私の臓器も独立を宣言しました」。マックスは微笑む。「話し合うんだ。彼らの声を聞くんだ。そして忘れるな——君は一人じゃない。君は『君たち』なんだ」。
2085年、身体共和国10周年。新しい人工心筋が移植され、既存の臓器たちが歓迎する。一つの体の中で、複数の物語が交差する。それが生命だった。それが「私たち」だった。
文字数:1218
内容に関するアピール
AIによって「人間とはなにか」を問われる昨今と思いますが
そういった外部(AIやロボット)の存在からではなく
もっと内部に目を向けて人間を考えてみたい、と思ったのが今回の題材を選んだきっかけになります。
ホロビオント(holobiont)という言葉を聞いたことはありますでしょうか。
「宿主生物(host)」と、その体内外に共生するすべての「生物(biont)」を含めた一つの生命システムを指す概念です。
人間・動物・植物などあらゆる生物は、体内外に膨大な微生物群(マイクロバイオーム)を宿しており、それらが互いに影響し合って生命を維持しています。
たとえば:
- 人間の腸内には約100兆個の腸内細菌が生息し、消化・免疫・感情などに深く関与しています。
- サンゴは共生藻類と共に光合成を行い、これによって栄養を得ています。
- 植物は根圏(根の周囲)の菌や細菌と情報や栄養をやり取りしています。
これらを「宿主+共生生物の複合体」として一つの機能的単位とみなしたのがホロビオントの発想です。
腸活というワードも最近流行ってそうですが、腸内細菌は「性格」や「気分」「行動傾向」にまで影響を与えることが、近年の神経科学・微生物学の研究によって次第に明らかになっているようです。
自分が自由意志だと思っていたものが、実は腸内細菌によるものだった、という展開も面白いなと思いそれも書くか迷ったのですが、、、
最終的には普段から健康診断で馴染みのある臓器のほうがなんとなく絵がイメージしやすく面白い展開になりそうだなと思い、ちょっと強引ですが臓器を出してみました。
タイトルの「Body Politic」は、単一の政府の下に政治的に組織された人々の集まり、という意味の政治用語をそのまま使った言葉遊びになります。
誰かのことを想い、考えるとき、その人が内包する全体の生命について考えなければいけない未来はちょっと大変面倒そうではありますが、「私」という境界を新しくひき直せる問いになればと思います。
文字数:824




