東京遷宮

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梗 概

東京遷宮

ある日、東京が大移動を始めた —

2075年、急激な気候変動とインフラの老朽化により、あらゆる建築物にバイオナノマシン「常世とこよ」が埋め込まれる。生きた家が人々を守り、生活を記憶する社会基盤となった。各地域の建物同士は、菌糸ネットワークを模した地中ネットで密に接続され、いくつもの相互監視的なムラ社会が誕生。それらを管理局が統制することで、東京は成り立っていた。
代々続く宮大工の家に生まれた宮代聖一は、伝統的な技術を活かせないまま、ナノ建築の保守作業で生計を立てている。「常世」を拒否した父親のせいで村八分にされ、家庭崩壊した過去を持つ聖一。変わりたいと願うが、家には亡くなった母親の暗い記憶が宿っており、聖一を精神的・物理的に呪縛していた。

突如、東京に異変が起こる。生きた家たちが、時速1kmで一斉に西進を始めたのだ。管理局はこれを、定住を拒否する遊牧民族「天女」のサイバー攻撃だと断定。「常世」の強制停止を試みるも逆効果で、建築物たちは散り散りの方角へ進み始め、東京が切り裂かれていく。そして聖一の家だけが、動きを止めた。母の記憶に縛られた家は変化を拒み、取り残されたのだった。

混乱の中で聖一は、街が自らの意思で移動していることに気づく。「常世」のない家で育ち、宮大工の技能を継いだ聖一には、まるで建物の声が聴こえるような、常人離れした感覚が備わっていた。
都市はどこかへ向かおうとしている。だが管理局に妨害され、引き裂かれている。街の悲鳴に聖一は激しい頭痛を覚え、その痛みを取り残された自分と母にも重ねる。聖一は都市と自らを解放すべく、街の中心部へと向かう。

そこで聖一は「天女」のリーダーを名乗る謎の少女に出会う。自由奔放な態度に翻弄されつつも、彼女の導きによって聖一は「常世」の中枢へ入り込む。そして都市という巨大な家の構造を読み、材木の重心を探るように、「常世」の調律を行なう。
調律の過程で、この大移動が暴走ではないことを聖一は悟る。これは蓄積された膨大な記憶によって深い傷を抱えた都市が、記憶という穢れを洗い流し、生まれ変わるための「式年遷宮」の儀式だった。行進を止めるのではなく、先導することを聖一は選ぶ。
衝突寸前だった建築物たちは、まるで一つの群れのように調和を取り戻し、聖一の家も再起動する。地平線を滑るように巡礼する街を眺めながら、少女は満足げに仲間の元へ去って行った。「天女」にとっては、移動そのものが祝福だったのだ。

5日間かけて富士北麓に辿り着いた家たちは、樹海に広がる地中の菌糸ネットワークと接続し、記憶の穢れを落としていく。この遷宮によって聖一は母の呪縛から解放され、また母自身の魂も救われたように感じる。そして新しい土地に根を張る家で、引き続き暮らすことを決意する。それは放浪を続ける天女とはまた異なる、「変化によって不変を保つ」という宮大工流の解放の形だった。

文字数:1197

内容に関するアピール

ヌーの大移動は、百万頭を超える群れが、数百kmを移動する現象だ。ヌーが旅を続けることで草原の生態系は守られ、踏み締められた土壌は豊かになる。川渡りでは数十万頭が溺死するが、その死骸さえも川の貴重な栄養分になるという。
翻って人類も、その歴史の99%においては移動を続けてきた。ほんの1万年前に始まった定住は人類を急激に繁栄させたが、一方で環境破壊や格差を生み出し、生物としての遊動性を喪失させた。

そこで50年後の未来では、再び「移動」への揺り戻しが起き、定住と移動のあいだくらいの生活へと(半強制的に)シフトするのではないか。全く新しい住まいの形が現れるのではないか。そんな想像から、どこか日本的・神話的な姿を帯びながら、移動する都市の群れを書きたいと思いました。

なお作中の「天女」は実在するボーダレスな民族・ロマをイメージしており、実作化の際は既成概念の外側にある象徴として描く予定です。

文字数:394

課題提出者一覧