梗 概
水中家族
「今から殺します」と言う誰かの映像。
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カスタマーサポートの三好透は、クレーム対応の前に、青い錠剤「アビス」を口に含む。意識が沈み、自身を水中越しに客観視するような感覚。我に返った時には仕事は終わり、断片的な記憶だけが残っていた。
アビスは自我を乖離させる薬だ。服用中、脳は経験則でオートで働き、傍目では普段と判別がほぼつかない。苦痛な時間を早送りでやり過ごせるため、精神負荷の強い現場で密かに広まりつつあった。
ある日、在宅勤務中の透はアビスを服用したまま意図せず5歳の娘と接してしまう。慌ててログを確認(服用中はウェアラブルカメラ推奨)すると、安全に育児をこなし、娘も楽しそうなことに驚く。育児中のアビス服用は批判の的だが、ワンオペ育児が続き疲弊した透は、家でもアビスに頼り始める。
そんな折、著名な小児科医の妻が、メディア出演の際にSNSでアビス服用の疑いをかけられ炎上。取り乱し服用者を罵倒、娘にもきつく当たる妻に、透は育児の大変さを知らないからだと反論、大喧嘩に。しかしこれで膿が出たのか妻は昔の穏やかさを取り戻し、夫婦仲は改善する。
家庭が軌道に乗り、また服用中に娘の成長を心から実感できなかったと感じた出来事もあって、透は苦労して断薬に成功する。
翌月、海水浴中に娘が砂で作った家族像が、妻だけのっぺらぼうに見えた。不審に思って調べると、大喧嘩した後日に妻が自ら処方したアビスを大量服用していたことが判明。過剰摂取で脳が損傷を受け「意識自殺」に陥っていた。傍目には普通だが、意識は今後数年間は沈んだままと診断される。妻の態度変容は意識自殺によるものだった。透はそれに気づかなかった自身の浅はかさに絶望する。
妻のログには服用間際の独白が撮影されていた。そこで妻は、仕事と家庭の両立に病み、炎上時につい手を出したこと、すると服用中の自分のほうが目の前の人に誠実で、自身の存在意義を見失ったと語る。そしてアビスは単なる逃避ではなく、未来の不安や過去の執着といった文脈から人を解き放ち、今を大切にする本来の自分を取り戻してくれる薬だと言う。だから「偽りの私を、今から殺します」と。この事件を機にアビスは社会問題化し、販売中止・入手不可になる。
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透は家族で海へ出かけ、カメラを起動。いつか戻ってくる妻の絶望を減らすため、娘と妻の時間を記録する。
だが撮影中に娘と話すうち、のっぺらぼうの砂人形は妻ではなく、「(アビスを断った後の)苛立った怖いパパ」を表現していたと判明。アビス服用中の透を娘は好んでいたことを知り透は戦慄するが、しかしそれを含めてパパなのだと自分に言い聞かせるように語る。
アビスの消えた世界で、透の目には人々が以前に増して殺伐に映る。一方で意識自殺中の妻は穏やかだ。その歪さに撮影を止めたくなりつつも、透はあるがままの視界を撮る。そして懐に手を入れ、断薬時に飲み残していた錠剤の束を握り締める。
文字数:1200
内容に関するアピール
胃カメラが怖い。それで先日の胃カメラで鎮静剤を利用したところ、知らない間に検査が終わっていた。しかも目覚めた後も、しばらく歩いて移動したり、医師と会話したりしていたらしい。その間の記憶はほとんどない。
それ以降、日常生活で鎮静剤があればいいのにと思う場面が増えた。あるとき子どもと公園の砂場に3時間いた際、仕事で疲れていて、思わず鎮静剤があればと考えた。そしてその発想自体に恐怖を覚えた。
これからも生活を続けるために仕事をしているのに、それと引き換えに、本来はより大切なはずの「子との今の生活」を殺してしまっているように感じたのだ。
実作の際は、現実社会にアビスがあるとどう生活が変わるのか?をリアルにイメージすることを目指したい。アビスを服用した育児は直感的には悪だが(そして乳児とかは流石に危険すぎだろうが)、それによってもし子の目線ではより幸せな時間が過ごせるなら、果たしてどうだろうか。
文字数:395




