梗 概
不可視の線
坂本達夫は23時のニュースを見ていた。妻子と両親は寝静まっている。今年は11月頃から大きな変異のないインフルとコロナの流行に加えて、AIDSに似た免疫異常が多いという情報が流れる。特殊清掃業に従事する彼にとっては、感染対策は日常業務であり、目新しい情報はないが、かえって考え事にはちょうどいい。昔からお腹が弱く、よくトイレに行くことが原因でいじめられていた。元々潔癖気味の母親に育てられたていたが、彼自身の潔癖症がひどくなっていき、普段の生活でもゴム手袋やマスクが外せなくなった。精神科で清掃業を勧められた当初は強い抵抗を示したが、他に就職する当てもなく、結果的に今の会社に入社した。働き始めると、常に防護をして、人との関わりも少ない特殊清掃の仕事はとても向いていて、気がつくと10年ほどで課長まで昇進していた。感染症の流行は幾度となく経験してきたが、仕事で馴染みの医師から妙な話を聞いた。「細菌の感染症で重症化する患者は、常在菌が通常の1/10もいないらしい」。それが、今の異常現象の原因かもしれないというのだ。外からの菌を防ぐ方法には自身があるが、体の中の菌が減るのはなぜなのか。そして、体の中の菌は汚くないのか?と考えてしまう。しばらく、働きながらなぜ清潔と不潔があるのか考える。なぜ自分は潔癖なのに、不潔とされるものをビニール一枚挟むと平気なのか。数週間後、WHOから常在菌の減少は、宇宙人による長期的な地球の無菌化計画が原因だったと発表され、「地球外因性常在菌無菌現象」と名付けられる。自分たちと共生している菌を持ち込むために、同じニッチを占める地球の菌を絶滅させようとしていた。また、移住先の星の菌を全滅させるのは、必ずしも実際的な意味だけではなく、宇宙人の社会の合意形成に関わる側面もある。ある意味では、地球人に近い清潔と不潔の観念を持っていて、それは、何かを行うための分類や儀式の一部である。また、日本政府からは、菌を保つために、健康な人の少量の大便を食べ必要が続ける事が必要だと発表される。お金があれば予防的に定期的な人工便移植を受けることもできるが、限られた金持ちだけの選択肢だ。坂本は仕事中に、健康な若年男性の自殺体の大便を手に取り、口に近づけてみるが、マスクで匂いも感じないのに食べることができない。父親が「地球外因性常在菌無菌現象」になったり、便の匂いをカットして、胃腸まで生きたまま届けるカプセルなどの技術進歩が起こっても、どうしても坂本は大便を食べることができない。子供が「地球外因性常在菌無菌現象」の症状を呈してきても、大便カプセルを食べさせることがどうしてもできない。そんなとき、母親が死ぬ。それを確認した坂本はおもむろにカプセルを飲み、手袋を外して残ったうんこを手に乗せる。母親が作っていた潔癖の規範が、その死によって消えて、普通の生活が送れるようになるのだった。
文字数:1200
内容に関するアピール
うんこを連発したのに、くすりともしなかった、だけどめちゃくちゃ面白かったという作品にしたい。ある一人が食えるかどうかという話にするが、実際にはそれぞれの結末を迎えると思う。それは長編で描きたい気もする。清潔と不潔の境目とはなにか?というのがメインテーマ。感染症対策などの生理的側面と社会における分類様式とつながる儀式的側面がある。手術室では、直線で清潔と不潔が分けられるが、そこを境に微生物や埃が消滅するわけではない。また、自他の境界とも強い関連を感じている。親密度と身体的距離の問題もあるだろう。技術的には、宇宙人が無菌化する方法や、経口で常在菌を維持する方法についてさらに検討していきたい。特に前者には、彼らがこの手段を選ぶ生理・社会構造が反映されているような気がしてならない。
文字数:341




