梗 概
幽霊の証明
西暦2045年。「改正個人情報保護法」の施行により、「殺人」という概念が消滅しかけていた。被害者も加害者は匿名化され、事件の背景にある感情や物語は、プライバシー侵害として徹底的に隠蔽された。殺人の方法も動機も表に出ることはなくなってしまった。
そんな中、谷中霊園で行われていた「連続殺人」も記号として処理されていた。
大手新聞社の記者・工藤一平は、無力感に苛まれていた。仕事は警察発表を右から左へ流すだけ。事件を追おうとしても、デスクには止められる。
そんな工藤の元へ、一通の手紙が届く。差出人は不明。中には、谷中霊園での犯行現場の地図と、短いメッセージが入っていた。
「本物の死を見たくはないか。今夜、谷中にて待つ」
工藤は記者としての本能を刺激され、罠を承知で深夜の霊園へと向かう。待っていたのは、井上洋司と名乗る老人だった。
「私が谷中の殺人鬼だ。君を選んだのは、君が『死』を直視しようとしていたからだ」
井上は自身が犯してきた罪とその狂気的な動機を語り始める。
彼は「死後の世界がないこと」を極端に恐れていた。死ねば意識は消え、無になる。その恐怖から逃れるため、彼はある仮説の”実証実験”を行っていた。
「幽霊が存在するなら、死後の世界はあるということだ。霊魂は不滅だという証明になる」
その証明のために、彼は人を殺し続けた。無念、怨恨、恐怖――それらを極限まで高めて殺せば、被害者は化けて出るかもしれないと、信じて。
だが、実験は失敗だった。
幽霊を作れなかったという事実は、死後の世界が存在しないという絶望的な証明にしかならなかった。井上は、最後の賭けに出た。
井上は懐から刃を取り出し、工藤を見据える。彼が求めたのは、生きた人間の脳裏に焼き付く「トラウマ」としての記憶だった。強烈な観測者がいて初めて、魂は現世に留まれると結論付けたのだ。
「見ろ! そして書け! 私がここにいた証を!」
井上は工藤の目の前で、自らの喉に刃を突き立て、横薙ぎに切り裂いた。鮮血が舞い、老人は絶命した。
当然、事件が表に出ることはなく、井上は完全に「無」となった。だが、工藤の中で、あの夜の光景は消えていなかった。
工藤は取材を始めた。記号として処理された被害者たちがどんな人生を送っていたのか。遺族に聞き込み、警察から井上の凄惨な手口の裏を取り、なぜ井上がそこまでして幽霊を求めたのか……。
工藤は書き上げた記事を大量に印刷した。
彼は高層ビルの屋上へ駆け上がり、眼下に広がる街へ向けて、その紙束を放り投げた。
『谷中霊園の殺人鬼の正体』
道行く人々は空を見上げ、舞い落ちる紙を手に取る。鮮血にまみれた老人の最期の写真と死の物語が描かれている。無数の紙が東京の空を埋め尽くす中、工藤は確信する。井上は、自身の命と引き換えに、伝説としての幽霊として生き続けることを選んだのだと。
文字数:1165
内容に関するアピール
現代社会では実名報道の是非が議論されていますが、その匿名性を極限まで加速させた未来を想像しました。
過度なプライバシー保護を突き詰めた結果、人の死が単なる記号として処理される世界。「不快なニュースは読みたくない」という感情は理解できますが、存在する死や事件を「なかったこと」にする社会は、一種のディストピアです。
その社会的な歪みの象徴として、「幽霊になろうとした殺人鬼」を描こうと思います。
文字数:194




