アンドレの脳みそとヒデのキラーパス
フットボールにおいて、何よりも重要なのは”空間認知能力”である。空間を正しく認知できなければ、ボールを蹴ることも、止めることも叶わない。適切なスペースを見つけ出し、そこへ正確にボールを送り届ける。それは脳みそが織りなす魔法なのだ。
“天才”と呼ばれるフットボーラーたちは、例外なくこの能力に長けている。
FCバルセロナで活躍したアンドレ・イニエスタはそのことを誰よりも理解していた。彼は幼少期から、自分の才能の源泉は足ではなく、脳にあると直感していた。その直感を確信に変えたのは、ある日本のテレビ局だった。局はスウェーデンのケロリンスキ研究所と協力し、アンドレを脳科学の観点から分析したのである。
数秒間だけ見せられたフィールドの映像から、全選手の配置を完璧に再現してみせたアンドレに、世界は驚愕した。番組はそこで幕を閉じたが、研究所は独自にアンドレの脳の解析を続行していた。
やがて研究所は、頭頂葉の特定部位に刺激を与えることで、空間認知能力を飛躍的に拡張できることを突き止める。最初の被験者は、所長アンデシュ・ルーベルの息子、オスカルだった。
後にバロンドール賞を手にするオスカルは、まさに「北欧のイニエスタ」だった。170センチという小柄な体躯、特筆すべきはスピードの欠如。そんな彼がスウェーデンをワールドカップ優勝に導き、アシスト王に君臨できたのは、紛れもなく、拡張された空間認知の賜物だった。
オスカルと、その幼馴染である長身ストライカー・ベルグ。その他、代表メンバーの多くがストックホルム郊外のブロマポイカルナというクラブの出身だったことから、彼らは「ストックホルムの魔法使い」と称えられた。スウェーデン代表はかつて”無敵艦隊”と恐れられたスペイン代表をも凌駕するパスサッカーを展開し、世界を魅了したのである。
オスカルが繰り出すパスは、まるでシュートのような鋭いインフロント・キックだった。一見すれば受け手を無視した速さのパス。しかし、ベルグもまたその軌道を予知していたかのように、すでに空白のスペースへと走り込んでいるのだ。ベルグのトラップやシュートは平凡そのものだったが、チャンスの数で圧倒し、大会の得点王になった。実はベルグを筆頭に、代表の主力の多くがオスカルと同じ研究所で同様の処置を受けていたのだったが、世界がそれを知るのはまだ先のことだった。
ヒデ•ナカタは、かつて「キラーパス」の使い手として名を馳せたフットボーラーだ。かつての同僚ショージ•ジョーが「パスが速すぎてトラップするのが怖い。彼とはやりたくない」と漏らすほど、殺人的なパスを繰り出す。味方ですら反応できないことが常だった。ヒデは現役時代、しばしば孤独な夢想に耽っていた。自分と同じビジョンを共有できるフォワードがいたら……。
ヒデは、スウェーデン代表のパスワークを複雑な心境で見つめていた。彼らは、まさにヒデが夢見た理想のフットボールだった。
だが、スウェーデン代表の栄光も長くは続かなかった。優勝した翌年、主力選手たちが脳外科手術を受けていたことが発覚する。オスカルが涙ながらにメディアに暴露したことが発端だった。
「この脳みそは何もかもが見え過ぎている。もう耐えられない」
オスカルの空間認知は異常に進化した結果、日常生活に支障をきたしていた。
周りに飛び交う小さな虫。道路を突き進む車。街中で自分に指差すサポーター。それらが一挙に襲ってくるイメージ。見たくないもの全てが見えてしまう。すると、視界に入るすべてを蹴り飛ばしてしまいたくなるのだった。しかし、常にそこにボールがあるとは限らない。やり場のないストレスを、彼はなんとかフットボールで発散しようとしたが、限界だった。もちろん、サポーターの頭をボールに見立てて蹴飛ばすわけにはいかなかった。オスカルはバロンドールを返上し、現役を退いた。世間が「脳のドーピング」と糾弾する中、ヒデは静かにオスカルのことを想っていた。
たとえそれがドーピングのおかげだとしても、同じビジョンを共有できる仲間のいるオスカルが羨ましくて仕方なかった。キラーパスの先に、迷わず走り込んでくれる誰かがいる。ヒデは激しく嫉妬した。
遠い昔、引退を決意して臨んだワールドカップのブラジル戦。終焉を告げる笛が響く中、ヒデはセンターサークルに仰向けに倒れ込み、ただただ放心していた。久しぶりに、ヒデはその時の感情を鮮明に思い出していた。そして、オスカルもまた、かつてのヒデと同じように、ストックホルムのグラウンドで虚空を見つめるているのだった。
文字数:1864
内容に関するアピール
「美しい」と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、サッカーのパスワークでした。パスを繋ぐには、出し手と受け手が同じビジョンを共有し、寸分違わぬタイミングで呼応する必要があります。自分の放ったパスに受け手が応え、狙い通りに動いてくれた時の快感。また、それを外から眺めた時、私は何よりも「美しさ」を感じるのです。
かつて、中田英寿という異質な選手がいました。受け手が受けやすいようスピードを殺したパスを出すのが常識だった時代、彼は「キラーパス」と称される鋭く速いパスを出し続けました。それは単に勝つためだけでなく、信念が込められた表現だったように思うのです。
最終的に、彼はワールドカップで孤立し、周囲に理解されぬままピッチを去りました。妥協して周囲に合わせる道もあったはずです。それでも彼が鋭いパスを出し続けたのは、その先に、彼にしか見えていない「美しいサッカー」があったからだと思うのです。
文字数:390


