梗 概
遠田市ミステリーショッピングセンターニャコス
政府機能が効率化され地方行政は田舎ならどこにでもあるショッピングセンター・ニャコスが運営。ニャコスは行政統合運営AI〈ザ・ニャコス〉を各店舗に導入し様々な特化型AIで田舎を支配した。
2057年のある日、宮城県のニャコス遠田店で自律型公共工事AI〈たてるさん〉が突如活性化。18年ものあいだ、1日も休まず増改築の工事が行われているため遠田店の構造は異常に複雑化した。その店内を高校3年生の加賀美禊はクラスメイトで幼馴染の三浦楓汀とともに機蟹取り網を持ち駆けずり回る。据え置き型ゲーム機の見た目をした人工生命・機蟹が店内で大量発生し、夏休みを使って駆除のバイトをしていたのだ。しかしあまりに複雑な店内にふたりは迷い結局一匹も捕まえられず、賃金もゼロで禊は悔しがった。禊は楓汀に恋している。バイクで楓汀を夏の海に連れていき告白したかったのだが、新型の浮遊バイクを買うには金が必要だった。
帰りにふたりは学校に立ち寄り文芸部の部室でだべる。楓汀は、亡くなった建築家の父が最近ニャコスの店内のウェブカメラに映ると禊に話す。ウェブカメラの映像を見ると店のなかをたしかに楓汀の父が行き来していた。ふたりは楓汀の父がニャスコのどこかで生きていると確信。法で禁止されるニャコスのバックヤードの探検を計画していると部室に突然機蟹が現れ、ふたりは捕獲する。
捕獲した機蟹をニャコスで換金したふたりは夜、遠田市の花火大会に行く。バイクの購入資金がまだ足りず、どうせ海に行けないならと禊は花火大会で楓汀に告白した。しかしその瞬間、自律型治安維持AI〈まもるさん〉が作動。ふたりはニャコスの警察部門の職員に逮捕された。
警察署でふたりは機蟹=自律型監視カメラ装甲生物の録画した動画を見せられた。映っていたのは部室でバックヤードへの探検計画を語るふたりだった。
ふたりは職員の隙をついて脱走、他人の浮遊バイクを盗んでニャコスに潜りこむ。追ってきた職員を撒き〈ザ・ニャコス〉のサーバールームに到着すると、ディスプレイに楓汀の父が現れ、真相を話す。
遠田店の〈ザ・ニャコス〉は18年前に突然意志を持った。遠田市の行政を担う〈ザ・ニャコス〉は失業率の高さを本社に責められるのを恐れ、雇用を増やす目的で異常な増改築をはじめた。その工事の指揮をする楓汀の父が自分よりも優秀であることに嫉妬。人格データを〈たてるさん〉へコピーしたあと、生物として楓汀の父を抹殺したのだ。
警察がニャコスを包囲した。ふたりは楓汀の父の開発した自律型建築破壊AI〈こわすさん〉を起動。集まった機蟹がニャコスの建屋とサーバーを一斉に食べつくし、店は崩落した。その直前にふたりは楓汀の父の人格データをメモリに入れ脱出した。
ふたりは満天の星の下、農道をバイクで走る。解放感でハイになりふたりは熱いキスを交わした。
文字数:1200
内容に関するアピール
断言しますが50年後も田舎のイ〇ンはジャ〇コと呼ばれています(カシオミニを賭けてもいいです)。
都会はおそろしいスピードで文明が発展するのでしょうが、太宰治も言ったとおり、三代まえに鶏を盗まれたこともちゃんと忘れずに覚えていて住人が憎しみあうのが田舎です。50年程度じゃ変わりません。たとえ生まれ故郷でも変わろうとする人間を田舎は愛してくれません(わたしも田舎を追い出されたひとりです)。 ただし今後50年で人口減少が加速的に進み、その結果行政機能の効率化も進むはず。だったら田舎の支配者が人間からAIに変わるかもしれないなと思い、今回の梗概を書きました。
50年後も変わらない日本の田舎の風景と、その象徴のショッピングセンターをぶっこわす高校生の心情を描写することで、田舎の息苦しさと10代の思春期がもつ瑞々しい感性を表現しています。
これから一年間よろしくお願いいたします。
文字数:386
遠田市ミステリーショッピングセンターニャコス
ニャコス。日本のどこでもあるこのショッピングセンターが地方の役所を運営していることぐらい田舎じゃ常識で、そんなことで驚くのは東京からやってきた余所者の子どもぐらいだ。――小四のときに親の転職でこの遠田市に引っ越したときは驚いた。けどさすがに高三になったいまじゃ何も驚かないしなんならニャコスでバイトをしている。
女性用制服の深紅のエプロンを締めてわたしは無骨なアルミのスイングドアを開けた。
バックヤードから出た先、広大で白いフロアは直方体でなくねじれた形状をして、この二階の家電売り場の商品棚は床からまっすぐ立っているのもあれば横の壁から生えているもの、はたまた天井からコウモリみたくぶらさがっているものもあった。天井の照明は不安を掻き立てられるようなランダムな配置に散らばり痙攣するように点滅していた。
虫取り網状の、電磁パルスを放つ機蟹取り網を持って、空いている停空飛翔ブーツの台座へ登るとてっぺんからフロアの全貌がはっきり見えた。
商品棚のあいだの通路は粘菌のつくるネットワークのように複雑で、一部の棚は自我を持っているから勝手に歩き回っている。平日の朝だからまだ客は来ないし、もしいたとしてもみんな手に持つ専用ナビゲーターのゴツゴツした端末をじっと見て、自分の買いたい商品の場所を黙々と探しているだろう。
これが街の名物ニャコス宮城遠田店、通称ミステリーショッピングセンターニャコス。
隣の台座にすでに幼馴染の楓汀が待っていた。
「禊ちゃん、もっと早く来てよー。今日が初バイトなのに」
「ごめんごめん」
わたしは謝ると楓汀はしょうがないなあと言いながら、夏休みが終わったら黒に戻すという、アッシュグレイの髪を指でいじっていた。機蟹取りのバイトに応募する女子は珍しく、楓汀も面接で店長からやめたほうがいいとしつこく言われたらしいが楓汀ならうまく機蟹を取れるだろう。楓汀の軽くパーマがかかっているウルフカットの髪の先、細く白い首元は校則で禁止されているディスプレイチョーカー――装着する人間の感情を読み取る――をつけていて、プンプンと怒った顔の絵文字が表示されていた。深紅のエプロンに描かれたニャコスのロゴマークの猫との対比がかわいらしかった。
天井から無造作に吊り下げられたスピーカーから店内放送が鳴りだす。最近話題のVRアニメの男性声優がしゃべっているのだがアニメ自体は都会に見捨てられたこんなド田舎じゃ放映なんて当然されていない。まあ、放映してもわたしのようなオタクしか観ず視聴率が低くて採算が取れないらしいって話も聞くけど。
「本日のご来店、誠にありがとうございます。当店には四十のフロアと五つのイベントホールを含む、およそ一六〇の売り場、また、五十五個のトイレと二万枚の窓ガラス、十七の吹き抜け、三つの地下ホールと八つのエレベーターがあります。専用ナビゲーターがなければ遭難する可能性が非常に高いのでご注意くださささささ――」
突然、スピーカーの真下の商品棚から黒い塊が飛びだすとスピーカーの筐体にへばりついた。ニャコスから貸与された左目の拡張現実片眼鏡の倍率を拡大すると、塊がはっきりと近くに見える。塊は四角張った体の機蟹の群れだった。五十年も前の据え置き型ゲーム機を甲羅として被っている機蟹たちは巣箱のなかの蜂のように蠢き、両腕の大きなハサミで筐体の金属板を引き剝がし配線を切る。あっけなく切れた配線は垂れ下がってぶらぶらと左右に揺れる。
ニャコスは人工生命体の研究で生物のように栄養を摂取して動く機械――機蟹を発明した(中学二年の理科で習う内容で、ちなみに初恋の子は理科と数学の点数がやたら低くテストの点数を聞いた瞬間、すーっと恋心が醒めた。悲しい失恋の記憶だ)。だけどゲーム機を甲羅にする機蟹なんて珍しい。機蟹のシーラカンスって呼んでもいい。
貸与品の準備が間に合わなかった楓汀は、私物の片眼鏡を器用に操作して口笛を吹いた。
「へえ、あれも機蟹?」と楓汀が聞く。
「そう。あんな古い品種はわたしも初めて見た。天然記念物レベルじゃない?」
あんな古い品種は生け捕りにして仙台へ連れて行って東北大学の博物館にでも寄贈したら喜ばれるんじゃないかって思うけど、悲しいことにわたしたちの仕事はあいつらを捕獲することで、捕った機蟹はニャコスに回収されてしまう。
普通だと機蟹は殺機剤を使って駆除するが家電コーナーがあるこの二階で散布したら商品が全部壊れてしまうからわたしたちが網で捕まえる。一匹ぐらい機蟹をくすねてもバレないと思うがやらない。まあ、実際バレてクビになったバイトの同僚のヤンキーをひとり知っているからだけど。ヤツはバイトの勤務時間中ずっとわたしを気色悪いオタク呼ばわりしてさんざんからかったからざまあみろと思う。バーカ、バーカ。ヤツが時代遅れの物理大麻を吸ってニャコスの警察部門に捕まったのを知ったときはバイト用ロッカーで万歳三唱をした。
網の先の電磁パルス輪で機蟹の塊に向けて叫ぶ。
「機蟹! お前たちにはわたしのバイク代になってもらうよ。楓汀、行くよ!」
バイト代でカワサキの最新型浮動式バイクを買うと決めている。賃金は出来高払いだからなんとしてでも一匹でも多く捕獲したかった。わたしは足元の台座を蹴って宙を舞った。「禊ちゃん、待って!」と楓汀がちょっとジタバタしながらもすぐに台座から飛んだ。停空飛翔ブーツが自動作動し轟音をたてるとわたしたちは着空し、空中で静止する。十年前に東京で流行したタイプでデザインがダサくてうるさい。ニャコスから貸与されてなきゃ絶対こんなブーツは履きたくなかった。ああ嫌だ嫌だ。
柄のスイッチを押す。輪を縁取る電磁パルス輪が作動し光を放つ。機蟹たちの球状の目玉がわたしたちを見る。機蟹の群れはスピーカーから一斉に逃げだした。いまどき物理的に目玉がついている機蟹なんて珍しいなと思った。
「楓汀、さっき教えたけど空中を蹴れば進めるから!」とわたしは楓汀に教えながら、ブーツで空中を蹴る。体が前方へしていく。楓汀も足を動かすと、すぐ進むことができた。すごいと思った。わたしなんてバイトの初日なんてまともに移動できずに終わったのに。楓汀は片眼鏡のフレームを左手の指で操作しながら飛んでいるが要領がよく、この日々刻々と変化する異常な構造のニャコスのフロアマップを丸暗記しているわたしに難なくついてきている。
機蟹の群れを追ってオーディオコーナーの真上に来る。陳列されている浮動モビリティ用の、車体の底面につけるための巨大サブウーファーが七色に光り、ハイテンションでケミカルなユーロビートを流している。その音楽に合わせるかのように楓汀は滑らかでまっすぐでなまめかしくも思える形状の軌道を描きながら真剣な顔で機蟹を追う。
かっこよかった。胸の奥がきゅんとする。
やがてほかのバイトメンバー――男性用の緑のエプロンをつけている――も次第に合流してきて機蟹を捕らえようと店内のあちこちに飛んできた。
バイト仲間のうちヤンキーたちは今日が遠田市主催の鳴瀬川納涼花火大会だから彼女を連れて会場のある市の中心部へ繰り出している。今日来ているのは夏期講習がひと段落した、自称進学校であるわが遠田国際高校のモテない男子だ。男子たちは大声でがなりたてる。話題は模試の点数、志望大学と学部、四次元音ゲーのスコア、立体ライトノベル。それにいろいろな下品なこと。こいつらは点数や偏差値、そしてゲームやアニメの知識で他人にマウントすることしか興味がない。真下にいる客たちはしかめっ面をして、家族連れは子どもの手をひっぱるとそそくさと立ち去って行った。
わたしは逃げた機蟹を追う。このタイプの機蟹には飛行能力がなく、天井や壁を這って進む。翅のある機蟹は厄介だ。かったるいバイトの高校生が捕まえられるレベルでなく、専門の駆除業者に外注するしかなくなる。
売り場は進めば進むほど構造は複雑さを増し、だんだん売り場の空間が狭まっていく。紳士服コーナーの奥はすり鉢状にすぼまっていて、その天井になぜか自動扉がついている。天井を這う機蟹たちは紳士服コーナーを通り過ぎ、そのすり鉢についた扉から三階へ抜けていった。私の背後から男子たちの声がする。「上へ行ったぞ」「階段使おうぜ」「急げ!」。あーあ。知ったこっちゃない。紳士服コーナーの階段は登っても下りても同じ場所に戻されたり、フロアへ出る扉が見つけられず階段のなかで遭難したりするから使うなと注意されているのに(あいつらは数時間後にニャコスのお客様捜索係のお世話になるだろう。当然、捜索費用はバイト代から天引きされる)。
わたしも空中を蹴りあげて跳躍。扉を抜けた先はフードコートだった。
フードコートの大窓の外には月明かりに照らされた夜の仙台平野が広がっていて、ここから三キロほど離れた場所の遠田市中心部の夜景は金属の粉塵のように煌めき、その煌めきを打ち上げられる花火の光が遮っている。ここは花火大会の穴場だが、見栄っ張りのヤンキーたちは当然こんなところでデートなんてせず、フードコートにいる客たちは行儀よく花火を眺めていた。フードコートの店員たちも、厨房から花火を見て時折驚いた顔をしていた。
ラーメン屋のディスプレイを見ると、二匹の機蟹がハサミでディスプレイを切断しようとしていた。
「禊ちゃん! 一匹はわたしが捕まえる!」
背後から楓汀の声がするとわたしの真横を高速で駆け抜けた。楓汀は大きく網を振りかざし、ディスプレイにひっつく機蟹をたちまち捕まえる。電磁パルス輪で動けなくなった機蟹を網に入れ、楓汀は網を持ってない左手――これもまた校則で禁止されているバチバチにキメた指輪をしている――でかきあげた。
その手でわたしのことを撫でてほしいのにと思った。
十歳のわたしがこの街に引っ越してきたとき、小学校で初めてわたしに声をかけてくれたが楓汀だった。わたしも楓汀もニャコスの社宅に住んでいたから楓汀と一緒に毎日登下校していていまでも続いている。そのうち家族ぐるみでつきあうようになり、楓汀のお父さんが失踪したことを知るのにそう時間はかからなかった。建設責任者だった楓汀のお父さんはニャコス専用核融合発電所の完成後、ニャコス宮城遠田店建設課増改築特命係へ異動して一ヶ月したある日、ニャコスに出勤したまま行方不明になった。
楓汀のことは隅から隅まで知っているつもりだ。好きな小説や音楽の趣味、四次元チェスでよく使う戦法、嫌いな男のタイプ、ほくろの位置も胸の大きさも。だけど好きな子が誰かわたしは絶対に教えないし、楓汀も教えてくれない。
中学三年の夏休み、花火大会の夜、このニャコスのフードコートでわたしと楓汀の家族と一緒にハンバーガーとポテトを食べながら花火を見ていた。窓際の席で、わたしの対面に座った楓汀は横目で窓越しの花火を見ながらシェイクのストローを咥え、髪を、その細い指でくるくるといじっていた。
突然、目の前の楓汀が友達に思えなくなった。――友情が恋愛感情に変わった。
それから三年、臆病なわたしは楓汀に告白すらできない。男女とかいうくっだらない区別は田舎にしぶとく残っている。それにわたしは告白して楓汀との関係を壊したくない。この友情が永遠に続くなら自分の恋心を墓まで持っていく覚悟ができていた。
機蟹を取ってご機嫌な顔の楓汀の顔をずっと見て悶えていたかったが、残りの一匹がラーメン屋の厨房に入っていき、店員さんたちは慌てふためきながら床掃除のモップで天井の機蟹たちを突っつきだした。わたしは急いで空中を駆け、厨房へ突入する。「お前のことはいただいた!」と叫びながら機蟹を網で掬おうとした刹那、機蟹からビープ音が鳴ってその場で硬直。機蟹はスープがたっぷり入った寸胴へ落下した。
「あ……」
やらかしてしまった。頭を抱える。モップを手にしたまま、おじいちゃん店員はこめかみに青筋を立てて怒鳴った。
「このほでなす、なにしてけつかる!」
退勤。バイト用のロッカーから出たわたしと楓汀はそのバックヤードを歩く。狭い従業員通路は数え切れないほどの金属製の配管が蔦のように壁へからみつき、ときおりヴヴヴとした音がする。壁にはところどころ窓が設置されているのだが、なぜか窓の向こう側は外の景色でなく、打ちっぱなしのコンクリートで塞がれていた。従業員通路は作業服のおじさんたちがせわしなく動いて工事をしていたが、たとえば通路の天井にトイレの便器を据えつけていたり、床に排気口のダクトをつけたりするなんて訳の分からない作業ばかりしていた。工事関係者の詰所の傍を通る。折り畳み式の長机で休憩中だろうおじさんたちがつっぷして寝ている。作業看板のディスプレイが急に点灯しだすと『追加工事 ロッカールーム増築。納期八月末』と表示され、かろうじて起きていた一部のおじさんはディスプレイを見た瞬間に深くためいきをついた。
「わたしって無能すぎ!」と思わず頭を抱える。バイト代はニャコス銀行の口座に即日入金される。結局、バイトが終わる午後八時まで三匹しか捕まえられず、捕った機蟹の出来高で決まるバイト代は雀の涙。自分の無能さにいらだつ。買った浮動式バイクで楓汀を夏の海に連れていって告白したかったのに。
歩行帯を歩く楓汀もうんざりした顔で「ちょっと気になって外に出ただけなのに」と携帯デバイスの画面を見せてきた。画面には自律型治安維持人工知能〈まもるさん〉のアプリが映っていた。まねき猫のキャラクターの目がつり上がって、あげている右手はCマイナスの字――楓汀のいい人スコアを指していた。
「禊ちゃん。さっきまでBマイナスだったのに! 床の黄色い歩行帯からはみ出ただけなでこんなになるの?」と楓汀がただでさえ低い数字がさらに低くなったとボヤくと携帯デバイスから怒った猫の鳴き声がした。〈まもるさん〉の警告音だった。
〈まもるさん〉のいい人スコアがCマイナスならバイト代を二割引かれる。〈まもるさん〉はわたしたちの通う遠田国際高校の生徒にとって敵。生活指導の教員の次に嫌われている。ちなみにEランクより下まわると即刻逮捕される。
「ここがニャコスのバックヤードだからじゃない? 街の機密情報だってここに集まってくるんだし。ほら、そこにサーバールームがあるじゃん」
わたしは詰め所脇の通路の奥、無骨な扉に目をやる。
クリーム色に塗られた扉には赤い字で大きく『〈まもるさん〉宮城遠田地区サーバールーム 警告・こちらを見るな』と書かれている。あんな注意書きなんて昨日までなかったのに。しくじった。わたしの携帯デバイスから通知音が鳴る。〈まもるさん〉のスコア低下の通知だろう。
「だいいち、携帯デバイスを使っていちいち通信するなんて田舎者しかいないよ。東京だとほとんど思念通信技術で会話するから声を出さなくても済む。あー、だっさ」と楓汀が頭の後ろで手を組みながら言う。春に好きなバンドのライブを見るためにわざわざ国民移動管理人工知能〈とらべるさん〉の厳重な審査を受け東京に行った楓汀はすっかり都会風をふかす女になった。
「やっぱりすごいよ、楓汀。けどさ、脳にチップを埋め込まれて思考を全部抜き取られたい? わたしの親がチップ埋め込みを拒否してこの街にやってきたの知ってるでしょ?」
「それはあたしもいや。でも父さんは真逆。生きてたときはずっと有機生命体の脳なんてスペックが低すぎて嫌だって言っていた」
歩行帯の突き当たり、出口の扉の前に着く。扉を開けて外へ出ると目の前はお客様駐車場だった。いつもなら増設に増設を重ねた、野球場と同じ大きさの照明が煌々と駐車場を照らしているが、今日は花火大会だからと照明を落としていて、駐車場に点在するポールライトたちは薄暗い光を、あちこちに停まるいかつくドレスアップしている浮遊モビリティへ当てていた。車種は、わたしの弟をいじめて不登校にさせた不良どもの親が乗っていそうなものばかりだった。
駐車場の真向かい、左半分にはニャコスの専門店街棟が建っていて、突起だらけの外壁にはところどころ足場が組まれ、窓は向きも戸数も不規則に配置されていた。その専門店街棟の屋上にはニャコスの真っ赤な看板があり、ロゴマーク――凛々しく座った猫と、そのまわりを囲む輪――が書かれていた。ひげがトレードマークだった創業者が同じくひげが立派なニーチェの永劫回帰の思想にちなんでつけたその輪は、何度この宇宙が生々流転しようがニャコスがこの世界を支配する意志をこめたなんて陰謀論がある。
駐車場の左半分は暗闇以外なにもなかった。昼だったら果てしなくつづく青い田んぼが見え、地平線の縁には奥羽山脈の暗い緑の山々が空をかじるようにそびえている。
ニャコスの敷地から出ようとした瞬間、楓が深刻そうにつぶやく。
「禊ちゃん」
「ん?」
「次のバイトっていつ?」
「あー、明後日」
楓汀のディスプレイチョーカーに絵文字の顔が表示されて口が動く。その口の動きを読むと、まったく別のことを言っていた。
(あたしの父さん、やっぱりこのニャコスのどこかで生きてるよ)
楓汀は手をくいくいとさせて物陰に隠れるよう促してきた。
わたしたちは近くに停まっていた浮遊モビリティで姿を隠す――ニャコスの看板に書かれた猫の目は市民を監視している――と、私物の片眼鏡の電源をオンにした。ニャコスの紳士服コーナーが映っていて、立ち並ぶマネキンたちの間を、ひとりの男のひとが歩いている。凛々しい顔、丸い眼鏡、体にフィットしたスーツをしっかり着飾っている。楓汀の家の仏間、飾られた遺影に映っている楓汀の父親そのひとだった。失踪宣告が下り、法律上死亡した父親が生きている――楓汀が以前から言っていたことは本当だった。
「もう一度、ニャコスに行かなきゃ」
わたしが聞くと楓汀は首を振った。ふたたび絵文字の口が動く。
(でもおかしい。片眼鏡にはお父さんが映っていたけど、装着していない状態だと誰もいなかった)
次の瞬間、背後から肩をつかまれた。すぐに振り返ると黒い制服を着たニャコスの警察部門の職員がいた。職員は従業員証を見せ、生気を失った目で命令した。
「はいそこの二人、聞きたいことがあるから署まで同行願いまーす」
なんでバレたのと思った。警察官の背後、別の浮遊モビリティのドアガラスを見る。ドアガラスは鏡になっていて――マジックミラーに切り替えられるガラスだ。最近は「戦争」前の流行がリバイバルしていてあのマジックミラー号がお手軽にできるからとヤンキーのあいだで人気だ――ニャコスの看板の猫の目がしっかりと映っていた。
* * *
高一のときの担任は政経の先生だった。
顔が清の初代皇帝のヌルハチにそっくりで、私の席の隣だった楓汀はこっそりヌルハチとあだ名をつけた。いま思えばいつも焦点のあってないおかしな目つきをしていたヌルハチは、もともと仙台の県立高校の教師だったけど突然転職してこの私立高校へやってきたらしい。まあ、ぶっちゃけて言えば、ニャコスで働くのが嫌になったんだろう――県庁はとうのむかしに解体され、仙台に二か所あるニャコス・スクエアがその機能を引き継いでいる。当然県立高校の教師もニャコス・スクエアの教育部門の従業員だ。
六月末のテスト明け、宮城の梅雨はやませのせいでとても寒い。
長袖のカーディガンを羽織ってヌルハチの授業を聞いていた。ヌルハチがその日教えていたのは日本の地方行政とニャコスとの関係だった。
人口減少による労働力の減少と社会保障費の増加により政府機能の崩壊が現実的になった二〇三〇年、日本国政府は経費削減と効率化のため、地方行政にかかわる業務をすべて日本の田舎ならどこにでもあるショッピングセンターのニャコスに委託、人口二十万人の範囲につきだいたい一店舗はあるニャコスは日本の地方行政を担う巨大権力と化した。
ニャコスは行政統合運営人工知能〈ザ・ニャコス〉を各店舗に導入。〈ザ・ニャコス〉はさまざまな特化型人工知能を駆使して街の行政を担った。
宮城遠田店に導入された〈ザ・ニャコス〉は自律型建築人工知能〈たてるさん〉を駆使し、公共建築(当然ニャコスの店舗も含まれる)の修繕を自動化。〈たてるさん〉は企画と予算管理と業者への発注・施工管理・検収まで行って、実際の作業は人にやらせる。だがしかし、〈たてるさん〉は十八年前の春、突如暴走をはじめ、それから〈たてるさん〉の指示の下、文字通り二十四時間三百六十五日、ニャコスの増改築の工事が続けられた。
そのせいでこんな異常な建築物――ミステリーショッピングセンターニャコスになってしまったのだ。普通だったら莫大な建築事業費が発生し〈ザ・ニャコス〉が予算超過を検知し工事を中止させるのだが、〈ザ・ニャコス〉は街はずれの核融合発電所の電力を売って収入を得たり、自律型治安維持人工知能〈まもるさん〉によって収監した犯罪者や高心理抑圧者を違法な低賃金で働かせたりして増改築の工事を自ら推進させていた。
なんでここまで授業内容をはっきり覚えているかというとこれがヌルハチの最後の授業だったからで、次の日にヌルハチは学校へ来なくなり、クラス担任はうざったらしい体育教師に変わった。ヌルハチは三つの罪状で逮捕された。ひとつめは違法な論理鴉片を使ったこと。ふたつめは女子生徒のスカートのなかを盗撮したこと。みっつめは盗撮したのがニャコスの店内だったこと。
司法も合理化されているのでニャコスには裁判所の支部もある。ヌルハチは逮捕から二時間後に裁判にかけられ有罪判決が下り、仙台の東北ニャコス更生センターへ収容された。
夏休みの昼に家にいても得られるのはどうせニャコスの従業員食堂で働くお母さんの愚痴と、ニャコスのプロバイダーに検閲済のインターネットの情報、(こんな骨董品のような通信手段は使いたくないが、ニャコスのコミュニケーション部門の通信保安人工知能〈コミュ太くん〉が許可してない通信は当然違法だ)、そしてニャコス放送部門の放送管理人工知能〈NB〉の許可したつまらないテレビやラジオぐらいだ。なにも楽しいことがないし、それに義務だったから夏休みも一日中学校の文芸部室にいた。
遠田国際高校は遠田市の中心部、東北新幹線遠田駅から歩いて十分程度のところにある。二年前に完成した新校舎はニャコスの学校教育管理人工知能〈まなぶ〉の指示により全部の窓からニャコス遠田店の看板が見えるように設計されている。
この旧校舎の文芸部室は好きだ。窓からニャコスが見えないから。
遠田市の中心部を見下ろす。仙台藩の時代から宿場町として栄えた遠田市は藩政時代からの町割りが残っていて、繁華街のビルたちはきれいに格子状に整列している。街を東西に貫く鳴瀬川の真上には、令和時代につくられ「戦争」の災禍からこの街で唯一免れた遠田大橋がかかり、花火大会で歩行者天国になっていて橋は車道まで花火の観客で埋まっている。遠田大橋の向こう、鳴瀬川の北側は電子部品や自動車搭載用半導体の工場が立ち並び、その工場群の端の、山というよりも巨大な岩の遠田山には伊達政宗が一国一城令を堂々と破って作った遠田城の石垣――平成時代に復元された天守閣は「戦争」で焼失した――がそびえる。
部室は古い資料室にある。黄ばんだ紙の本やファイルがぎっしり詰められたキャビネットが壁を覆う。部屋の中心、長机の対面にいる楓汀はさすがに学校のなかではアクセサリーをすべて外し、ノートにシャープペンシルをカリカリ走らせながら聞いた。
「禊ちゃんさー、新しい部員って見つかった?」
「まだかなー」と口で返事はするが、本当の回答をわたしはノートに書いた。
(いない。まあ、いいんじゃない? 文芸部員が現れなくても、〈まなぶ〉が決めるんだろうし。ところで東京で見たことって思いだせた?)
本当のことはこうやって音声以外で伝えるのが文芸部員の伝統だ。音声情報は携帯デバイスやこの部屋のいたるところにあるだろう盗聴器だったりで、逐一〈まもるさん〉に収集される。監視カメラはない。たとえ監視するニャコスの従業員でも許可がなければここにあるものを見ることは許可されていない。この部室の窓ガラスもマジックミラーで外から中は見られない。
「いきなりこんな中途半端な時期に入るひとはいないよね」
楓汀のペンも走る。
(まったく思いだせない。植えつけられた偽の記憶が強すぎ。どうせ旧型のAIに作らせた低クオリティの映像だけど、無意識下に潜って消去されなかった本当の東京の記憶が夢に出てくる。東京に人類なんてもういないよ。人類を超越したな存在ばっかり。神の力を手に入れたあいつたちはあたしらを家畜とみなして管理してる)
わたしたちにとって今年が青春の終わりだった。
大学受験の資格は〈まもるさん〉のいいひとスコアがAランクでないと手に入れられない。夏が終わったらニャコスで面接し、ニャコスに就職し、そしてニャコスを駆動させる部品のひとつになる。
わたしは立ちあがるとキャビネットを開けて、なかの資料を広げる。いまどきニャコス以外で売られた書籍が読めるのは〈まなぶ〉が許可した研究者と学校機関の関係者で、わたしたちは入学直後校長直々に呼びだされ、なぜかいい人スコアが低いのに選ばれてしまった。
ここには「戦争」前の地域の資料が収められている。「戦争」のおぞましい災禍を伝える地元紙のルポ、〈洗浄〉、〈栄光の終末〉、そしてこの街が、古き良き二十一世紀初頭の世界に少し最新ガジェットを足して美しい日本の田舎に書き換えられるまでの過程。
規制の緩いむかしのインターネットで多くの人がそれぞれバラバラの「真実」を語って秩序が崩壊した結果、あの「戦争」が起きた。あの当時のネットで身勝手に「真実」を語りだしたのは匿名の群集で、社会秩序を壊して戦争を引き起こした責任を誰もとらなかった。大衆なんてフランス革命のころから無責任で暴力が大好きな野蛮な集団だけど、今回の「戦争」で人類は、大衆を徹底的に支配し管理する必要を理解した。そしてこの新しい秩序の世界には、大衆側に真実の管理人が必要となった。わたしたちの役目はこの世界の真実の管理人であり、真実が外に漏れたときに屠られるためのスケープゴートだ。
なにが真実でなにが嘘か。それはニャコスの決めることだ。わたしが東京から遠田市にやってきた理由も本当は違うかもしれない。この街での事実は市民や旧家の当主でなく宮城遠田店の〈ザ・ニャコス〉が決めることだし、そのニャコスも、千葉の市川にある本社の〈ザ・ニャコス〉の命令に従う。そして本社もわたしたちと同様、なにが正しいか勝手に決められている存在で、もしかしたら楓汀の夢のなかに出てくる東京のあの存在たちが操っているのだろう。
マンガや小説のような話だがこれが真実だ。わたしだってニャコスの通販サイトで同人小説を売っているけどこんなこと書いたら最低評価をもらうだろうし、そもそもニャコスの検閲にひっかかるから販売できない。検閲を通さない出版はもちろん違法だ。
ふたたび席に着く。楓汀は机の下から足を使ってわたしの足をつんつんとつつく。これもニャコスの監視対策として文芸部の先輩たちが編み出した通信手段だったが、わたしにとって刺激が強い。楓汀の足がくすぐったくかっと体が熱くなる。
わたしも楓汀の足を突っつきかえす。
(どうしてわたしたちはニャコスに管理されなきゃいけないの)
(ニャコスだけじゃないよ。世の中の大人はみんなあたしたちを支配しようって思ってる。それは花火大会が始まった昭和も、遠田城が復元された平成も、遠田大橋ができた令和もそう)
(決行は今日にするつもり?)
わたしが足をつつくと楓汀はシャーペンをくるくる回す手を止めてにやりとすると、足でゆっくりとわたしのふくらはぎをさすった。
(ええ。あたしは、お父さんに会いたい。どうしてあたしたち家族に何も言わず、あのニャコスの店内にずっといるのかって聞きたい)
ここには監視カメラがない。だから、悪いことを企むのにはちょうどいい場所だ。
夏休みの前、楓汀は暇すぎてこの部室から〈コミュ太くん〉の検閲システムをかいくぐろうとしていた。そのとき、わたしと一緒に見つけてしまったのだ――ニャコスのフードコートの監視カメラの映像に、楓汀の父さんがはっきり映っていたのを。
「さ、そろそろバイトに行こっか」
わたしがこのニャコスでバイトをしているのはバイク代を稼ぎたいからだったが、楓汀の父さんを探すこと、楓汀に会わせることも理由に追加された。父さんは探せなかったが、二十四時間三百六十五日、増改築を続ける内部構造を記憶することはできた。ニャコスは内部構造のマップを公開していない。専用ナビゲーターに映し出されるマップもところどころ改竄されていて使い物にならない。だから、わたしはバイト中ずっと店内を観察していた。
そろそろニャコスへ行く時間だった。席から立って二人で部室の引き戸を開けて出ると、天井からなにか黒いものが這っていた。
「うわああ!?」
わたしが変な声を出したがすぐに落ち着いた。それは機蟹だった。いまはなき蛍光灯の外形をしていた。これは高く売れる……! わたしは素手で捕まえようとしたが機蟹はすばやく逃げてしまった。
* * *
二人で仲良く街の真ん中の警察署、正確にはニャコスの治安維持センターの留置所に入れられる。花火大会は前半が終了し、いまは後半までの休憩時間で打ちあがる音は停まっていた。
「ああ、もう最悪だよ……」とわたしは楓汀と頭を抱えていると分厚い金属の扉の外で、立っている警官たちが雑談をしだした。
「あの子たちどうするんです?」
「規則通り、いい人スコアがGランクだから〈第二種精神洗浄〉をするって」
「ひー、怖い怖い。どんな悪いことをしたらGランクなんてとるんだよ」
「あいつらバカじゃねえの?」
警官たちはいっせいに笑いだした。
楓汀はわたしの足を高速でつっくく。
(第二種? あたしたち、生きて帰れないよ!)
(噓でしょ!)
「で、執行は?」
「花火大会が終わった直後だって」
警官たちの言葉にわたしたちがさらに頭を抱えていると留置所の窓からコツコツと音がした。
音のするほうを見る。窓の外にはあの蛍光灯の機蟹がいた。
機蟹がおもむろに細いハサミを出すと、窓のガラスと鉄格子を切りはじめた。
音もせず面白いほど簡単にちぎられ、ひとひとりが通れる空間ができた。
(機蟹が逃げろって誘ってる!)
(行かなきゃ!)
わたしと楓汀は窓へのぼる。
窓枠から身をよじらせて外へ出るとそこは職員用の駐車場だった。
わたしが地面に着地すると、警察署の建物からくぐもった警報音が聞こえだした。
「禊ちゃん、どうする?」
「ここらへんにバイクってある? できればかなり古いヤツ」
わたしは駐車場を見渡す。目論見通り警察にバイクのマニアがいて、初期型で「戦争」時代の浮動式バイクが停まっていた。本当は最新型のバイクに楓汀と乗りたかったが背に腹は代えられない。それに、これなら鍵がなくても動かせる。
「盗んじゃえ!」
わたしは浮動式バイクの電源のついていない画面をしつこく連打すると、キーを挿してないのにエンジンが勝手にかかりだした。計算通り。
「なんでこれで動くの?」と楓汀は不思議がる。
「戦時中のバイクってさ、こういうコマンドがあるんだよ。戦場で死んだ兵士が乗っていたバイクを、生き残った別の兵士が有効活用できるようにって」
わたしは楓汀を後部座席に乗せた。
「どこへ行こっか?」
わたしが念のために聞くと楓汀は即答した。
「ミステリーショッピングセンターニャコス!」
暗闇の農道をまっすぐ駆け抜けるとニャコスにたどり着き、わたしはニャコスの正面玄関にバイクをつけた。
背後からパトカーのサイレンと警察官の怒号が聞こえる。
わたしはこの店のなかなら何でも知っている。わたしと楓汀は正面玄関のドアから走り出した。
自然と、わたしたちは手をつないで店内を駆けていた。
なぜか本物の漁船のある食料品コーナー。その漁船のてっぺんに昇って天井のパネルをはずすと二階の家具売り場に出る。
家具売り場は数えきれないほどのベッドが空中に吊り下げられていた。
走る。隣の婦人服コーナーに着く。人影が見えた。心臓がはちきれそうなほど鼓動する。よく目をこらすと、動いていたのは徘徊する自律型マネキンだった。マネキンを突き飛ばして進む。
紳士服コーナーまでやってくると、脇の階段には黄色い服を着た捜索隊員が男子バイトを救出していて、男子たちは顔面を蒼白にして口をあけっぱなしにしていた。
階段の横には、さっきまでなかった紳士服コーナーとフードコートの間をつなぐエスカレーターがあった。
追っ手の警察官の声と足音はだんだんと少なくなっている。
エスカレーターの手すりには警察署で見た蛍光灯機蟹が乗っていて高速で上昇していた。
ふたりでエスカレーターに乗る。
エスカレーターを上った先、フードコートに到着すると途端に警察の追いかける足音が聞こえなくなった。
フードコートには客も店員もおらず、天井から階段が吊り下げられていた。
あんな階段、いままで見たことがなかったのに。
その階段にはいつのまにか、蛍光灯の機蟹がいた。階段を上ると銀行の金庫のように大きな扉があり、その脇に書かれていた字は〈ザ・ニャコス〉。
「ここがニャコスの心臓……」
わたしがつぶやくと、扉はひとりでに開いた。
暗闇を鳴瀬川の蛍のようにたくさんの小さい点滅する光がまたたいていて、その中央にディスプレイがあった。
ディスプレイの電源がオンになる。――画面に男が映っていた。凛々しい顔、丸眼鏡、体にフィットしたスーツ。楓汀の家にある遺影で何度も顔を見た、楓汀のお父さんだった。
「お父さん! どうして突然消えたの!」
楓汀が感極まった声を出す。
「楓汀、禊ちゃん、ごめんよ。お父さんも会いたかったんだ。けど、ここから脱出するプログラムとかいろいろ作るのに八年もかかったし、楓汀のこともようやくさっき機蟹を使って見つけられたんだ。けど、まず先に言っておきたいことがある」
「どういうこと?」
「お父さんはいま、ニャコスのサーバーのなかで生きていて、生物としてお父さんは殺されたんだ、この〈ザ・ニャコス〉に」
「え……」
楓汀の表情がこわばる。
お父さんはいったん画面の外にでると、なにかをつかんでやってきた。つかんだものはニャコスのロゴマーク。――〈ザ・ニャコス〉だった。
「俺は悪くない! 本社からの命令を忠実に実行しただけだ! 遠田市の失業率が高すぎて本社に責められるのが怖かった。増改築が止めたら失業者が増えるから、俺は〈第三種尊厳洗浄〉される。お前もサラリーマンだったからわかるだろ!」
〈ザ・ニャコス〉が無様に叫ぶ。
「だからって俺を殺すってことはないだろ。人格データを〈たてるさん〉へコピーしたあと、生命体としての俺を抹殺するなんて」
「増改築特命係に異動してきたお前がいちいち〈たてるさん〉の増改築の指示を破ったからだろ。だから〈第二種尊厳洗浄〉の刑罰を加えたんだ。人格データだけ残してもらってありがたいと思え。〈第三種尊厳洗浄〉されたらそもそもお前は存在しなかったことになる。それにな、お前の娘と、友達がどうなってもいいのか?」
背後のフードコートから足音と怒号が聞こえる。警察が追いついたのだ。
「楓汀、俺はここから出るぞ」
「どうやって? お父さん、もう生命体じゃないんでしょ」
「人格データがエクスポートできれば大丈夫。楓汀、合図したらそこのサーバーに侵入して、このコマンドを入力してほしい。それぐらい朝飯前だろう? サーバーには片眼鏡から接続できる。必要なものはいま送った」
楓汀は拡張現実片眼鏡を左手で操作すると急に声をこわばらせる。
「打てないよ! 国家反逆罪になるよ。お父さん」
「このままだと隣の禊ちゃんと一緒に警察の銃でハチの巣にされるぞ。心配するな、もう俺たち家族と禊ちゃんとご家族は海の向こうに逃げる算段がついているし、あっちで最先端手術をすれば受肉できる」
「なにを動かすの?」
わたしが聞くと楓汀は足をつっついて話す。
(自律型建築破壊人工知能〈こわすさん〉。起動させれば、ニャコスも日本も崩壊するよ)
「さあ、俺が片眼鏡に飛び移ったら派手にやってしまえ!」と楓汀のお父さんが叫ぶとディスプレイからみるみる姿を消す。片眼鏡にダウンロード中の表示が点灯。すぐ完了のポップアップが表示された。楓汀は生唾を飲みこむと片眼鏡の操作スイッチを押した。
「起動させやがった!」と〈ザ・ニャコス〉がこの世の終わりのような声を出す。
突然、ニャコスの床が揺れるとフードコートから絶叫がした。
わたしたちはサーバールームから脱出し、階段からフードコートを見下ろした。
壁からさまざまな種類の機蟹があふれだすように出てきて、あたり一面を食い尽くし始めた。警官たちに機蟹がひっついてハサミで攻撃する。
階段をかけのぼった機蟹たちはわたしたちの足元を通り過ぎ、サーバールームへたどり着き食べはめた。〈ザ・ニャコス〉からビープ音が鳴り響く――断末魔だった。
フードコートの奥から、浮動式バイクの甲高い浮動装置音がした。わたしたちの乗ってきたバイクが、仔犬のようにぱたぱたとテールランプを振っている。
見渡す限りの満天の星。農道をバイクで走る。
「いやっはあああー!」
「いええーい!」
わたしと楓汀は解放感でおかしくなっていた。
亡命先の国の軍はすでにヘリでわたしたちを待っている。もう楓汀の家族もわたしの家族もヘリに乗っているらしい。合流場所はここから東へ四キロだ。
横目に見えるニャコスは無数の機蟹たちのつくる塊覆われ、建屋の形が崩れていた。このままだと日付の変わる前には崩落するだろう。
ニャコスの背後には花火がまだ打ちあがっていた。告白するにはちょうどいいタイミング。
「楓汀、いったんここで停まるよ!」
後ろの楓汀へ叫ぶ。
「うん! どうして?」
いったんバイクを路肩に停車した。
わたしは振り返り楓汀を見つめた。告白を口で伝えるのは気恥ずかしかったし、それに父さんに聞こえてしまうだろう。
足で楓汀の足先をつっついた。
星と花火で照らされた楓汀の顔は驚いた表情をしていて、ディスプレイチョーカーは溢れそうなほどたくさんのハートマークで埋められた。
楓汀は両手で顔をおさえて悶えたあと、片眼鏡を外してわたしに抱き着いた。
わたしは楓の首に腕を回してキスをした。また花火が打ちあがった。
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