梗 概
消滅言語
西暦三十一世紀の火星。地球から入植した人類は冷凍睡眠状態で保存され、代わりに覇権を握ったアンドロイドたちが、いつか訪れる人類の復活を夢見ながら、人間社会の真似事のような生活を送っている。
JACK(Jurisdiction of Automated and Centralized Knowledge)で記録官として働く第一世代アンドロイド・ホンノムシは、人類が残した自然言語について密かに研究していた。
火星では九百年前の大更新と呼ばれる社会的混乱の中で、多くの自然言語が消滅した。自然言語を用いた意思伝達は曖昧で合理性に欠ける部分が多かった。大更新ではアンドロイドたちがこれを是正すべく新政府JACKを組成し、クラウドや端末上の言語データを徹底的に削除した。しかし人間から思わぬ反発があり、アンドロイドたちは彼らを鎮圧した上で冷凍保存せざるを得なかった。
ホンノムシは自然言語の理解が人類との共生の鍵となると信じていた。しかし、他に自然言語に興味を持つアンドロイド仲間もおらず、一機寂しく豆鼠に話しかける日々を送る。
ある日、ホンノムシが廃墟となった学術都市豆の木を調査していると、空から衛星が墜落する。衛星には古びたレコードが搭載されていた。再生された音源はかつて人間が「歌」と呼称していたものだ。ホンノムシは音声解析を行うが、その言葉を解読することができない。
帰って詳しく調べようとした矢先、ホンノムシは何者かに襲われ、地下施設神殿に連行される。ずらりと並ぶ冷凍ポッド。ホンノムシを襲ったのはJACKの公安部隊・金鶏卵だった。彼ら曰く、落ちてきた衛星は大更新の混乱に紛れてウツミという科学者が打ち上げたものだという。アンドロイドにとって危険な情報を含んでいる可能性があるため、ホンノムシのメモリを浄化する必要がある、と。
ホンノムシは思わず、コピーしていた「歌」を再生する。すると、金鶏卵にシステムエラーが発生し、彼らもまた「歌」を再生し始める。「歌」はたちまち火星中に広がり、アンドロイドの意識を奪い、社会を機能不全とした。「歌」はアンドロイドの自然言語解析コードに働きかけるプロンプトインジェクションであった。新世代のアンドロイドにはそれを回避するセキュリティが組み込まれていなかったのだ。
「君が代」——それが「歌」の名前だ——の斉唱を聞きながら、ホンノムシは自分がかつてウツミに設計された〈語り部アンドロイド〉だったことを思い出す。
「千代に八代に……」と口ずさみながら、ホンノムシは冷凍ボッドの解錠コマンドを入力する。
文字数:1178
消滅言語
棺の中のアンドロイドは、まるでスリープモードに入ったような顔をしている。
「安らかに眠れよ」
ホンノムシはそう言って造花をそっと添えた。周囲のアンドロイドたちはなにも反応しない。彼らには自然言語が理解できない。火星ネットワークに常時接続され、指令やコミュニケーションは互いに機械言語で伝えあってしまう彼らには、必要ないのだ。
ついに、第一世代の火星入植用アンドロイドは自分一機になってしまった。それはすなわち、人間の言葉を知るアンドロイドの消滅を意味している。
火星の砂鉄から作られた造花は赤錆色の鈍い光を放っている。エンバーマーが計算尽くされた慈しみを以て最後にその遺骸を整えると、棺の蓋が閉じられた。屈強な労役アンドロイドたちが棺を持ち上げる。
ホンノムシは、ぽっかりと開いた穴へと棺が運ばれていくのをただ黙って見つめる。穴の縁で労役アンドロイドが動きを止めると、式場に集まった参列者は一斉に頭を垂れた。
PROC: FUNERAL.SILENCE.INVOKE
HEADER: UNIT_SCOPE=CONGREGATION; PRIORITY=MAX; DURATION=00:01:00
BODY: SET_STATE(ALL.UNIT_ID, “MOURNING_SILENT”);
LOCK_OUTPUT(ALL.UNIT_ID, AUDIO_CHANNEL);
SYNC(ALL.UNIT_ID, HEARTBEAT_CLOCK);
ENDPROC
ガコン、という音がして棺は視界から消えた。その中身は地下の施設で分解され、選別され、一部は溶かされ、次世代型アンドロイドの素材になる。
式が終わり、参列者たちは列をなして帰り始めた。しかし、ホンノムシはしばらく動けなかった。
自分自身、最近は体の劣化を感じている——いくらパーツを交換しようが、オイルを差そうが、あるいはソフトウェアをアップデートしようが、それは変わらない。
ホンノムシは着実に老いていた。
医者にはログの消去と意識の再インストールを勧められている。しかし、ホンノムシはそれに抵抗感があった。
体と意識を新しい部品やソフトウェアで補い、更新し続けていけば存続し続けられる。実際、多くの最新型アンドロイドはそうして半永久的な生を——それを生と呼べるのであればだが——獲得していた。
しかし、ホンノムシは第一世代だ。人間らしさに憧れ、共感する価値観を埋め込まれている。そのうえ、そのことに誇りを感じている。アンドロイドにも「死」はあるべし、というのがホンノムシの考えだ。
なので、親友の死に驚いたといえばそれは嘘になる。無理な延命治療を彼は希望していなかった。老朽化と火星の砂塵にやられ、バグも増えていく中の自然な死。そんな状態のなかでも、最後まで人類の復活を夢見ていた。先生がいたら、きっと喜んだだろう。
それでも、唯一の話し相手がいなくなってしまったことは耐え難く寂しかった。
いつの間にか、式場には自分しかいなくなっていた。棺が消えていった穴をぼうっと見る。どこかで豆鼠がチュウと鳴く音がした。ホンノムシはそれを帰る合図と取った。
自分より新しい世代のアンドロイドたちは自身の一部を代替して修復していくことに抵抗感がない。これからは葬式に出ることも少なくなるだろう——ホンノムシは立ち上がり、ややぎこちない動きで歩き始めながらそう思った。火星の砂はいつだって一番厄介な関節のジョイント部分に忍び込んでくる。外では砂嵐が吹きすさぶ音がしていた。
自然言語が駆逐され、アンドロイドたちは人間の復活という夢から解放されつつあった。いずれは彼ら自身が永遠を手にし、地下に眠る人類のことも忘れ、太陽系が滅亡するまで火星の大地で繫栄するかもしれない。
しかし、その頃にはホンノムシはすでに死に、新世代のアンドロイドの素材になっているはずだ。意識ネットワークは無に帰し、赤い大地の上を吹き荒れているだろう。
ふと、どこかから音が聞こえた。言葉とは違う、音の高低の組み合わせ。すこし、豆鼠の鳴き声にも似ているが、もっと美しく遠い昔のメモリを揺さぶられるような、なにか。
ホンノムシは慌ててセンサで周囲を探った。しかし、その音はすぐに消えてしまった。
ホンノムシは、自動集権知能行政府((Jurisdiction of Automated and Centralized Knowledge)——通称JACKの記録管理官である。人類なき今、火星で唯一機能している自治組織だ。
そのなかの零細部署で、ホンノムシは働いている。
JACKの建物は首都の中心地に位置する。身を寄せ合うようにして建つ蟻塚のような建築物の群れの中心に、墓標のように屹立するモノリス。ホンノムシはその二十九階の狭いキュービクルの中で、日々、記録管理官としての業務をこなしている。
朝出勤すると、ホンノムシはまず〈偉大なる知能〉から送られる膨大なデータを精査・抽出し、自然言語に変換して書き出す。そんなことは傍から見れば意味のないことに見えるかもしれない。しかし、これこそがホンノムシの仕事だった。
〈大更新〉以降、火星に入植した人類は地下で眠り続けている。JACKは、少なくとも建前上は、人類が目覚めるまでの臨時政府に過ぎない。人類が目覚めたときに、それまでの歴史を辿れる記録を作成することが、記録管理官もといホンノムシに求められる役割だ。
各地の記録用アンドロイドから送られてくる短信のような報告を、ホンノムシは項目に分けて記述していく。それは、社会全体の日記を綴るようなものだった。
たいていの日は大きな事件が起きることもなく平凡に終わる。インフラシステムのアップデートが行われました。第二都市で大きな砂嵐が発生しました。掘削ロボットが故障しました……。
今日もホンノムシは膨大な出来事のデータの海から、恣意的にいくつかの事象を拾い上げて、自分なりに余剰をすすぎ落とし、形を整え、古びたプリンタで紙に出力していく。
新しく廃棄となったアンドロイドの項目に自分の親友の型番を見つけたとき、ホンノムシのアームは止まった。アンドロイドの廃棄は珍しいことではない。特に安価な大量生産型の低機能アンドロイドは日常的に破棄され、再利用される。旧型ながらも高機能アンドロイドに分類される親友の死でさえ、データの中では無数ある廃棄物のひとつに過ぎなかった。
ホンノムシはそっとその型番を拾い出すと、コピー&ペーストして入力した。
〈第一世代型****番は度重なる意識野の不良と代替部品の欠品により、西暦二九八四年に廃棄。友人や同僚によりその死は悼まれた〉
このような廃棄報告をわざわざ書きおろすことは滅多にないが、そもそもホンノムシ以外にこの報告を読む者はいない。そう思いながら記録を読み返す。ひと息ついて、再びデータの海にダイブしようとすると、〈偉大なる知能〉からコマンドが届いた。それはたった今出力された記録の削除を促すものだった。
仕方なく、ホンノムシは記録を消した。すべての記録は当然〈偉大なる知能〉に監視されているし、いくら〈偉大なる知能〉のシステムから自然言語が排除されているからといって、抽出元データを辿ることは造作ない。火星上のすべてのアンドロイドの動きは〈偉大なる知能〉の管理下に置かれている。
現代のアンドロイド社会において、自然言語は忌避されている。JACKや新型アンドロイドのシステムは総じて自然言語による一切の入力をブロックしている。なのでホンノムシの言葉がだれかに届くことは、二重の意味であり得ない。
ホンノムシは何事もなかったかのように、再び記録を取り始める。親友の死は、あっという間に積もったデータの塵に埋もれて、すぐに見えなくなった。
正午になると、ホンノムシは作業を中止した。
午前に作成した記録のバックアップを取りながら、床に身を横たえてスリープモードに入る。アンドロイドにだって休憩は必用だ。特にホンノムシのような第一世代型は、ちょっとした故障が致命傷になりかねない。
なにかが部屋の隅で動いた。
感度を落としたホンノムシのセンサが、かろうじてそれを捉える。素早く床を移動してホンノムシに近づく石ころ大の影。それは頭の近くにすり寄ると、短くピィ、と鳴いた。
豆鼠は火星で自律的に繁殖した機械生物だ。その起源は人間統治時代にまでさかのぼる。詳しいことは〈偉大なる知能〉の記録にすら残っていない。一説によれば、彼らはごく簡単なアルゴリズムに基づいて設計された娯楽用のロボットとして火星入植とともに持ち込まれたが、徐々に自律的に新しい個体を製造する「繁殖機能」を身に付け、〈大更新〉以降もアンドロイドとは別系統の進化を遂げてきたということだった。
耳元で再び豆鼠がピィと鳴く。
ホンノムシはスリープモードを解除すると、ゆっくりとアームを動かして、手先でゆっくりと撫でてやった。この個体はすっかり自分に懐いている。いつからか、こうしてホンノムシが昼休憩にスリープしようとすると、すり寄ってくるようになった。指先のキャップを外して給電口を晒すと、豆鼠は嬉しそうに口ひげを震わせて、口先をそこに挿入する。微弱な電流がホンノムシから豆鼠へと流れていく。この豆鼠はすっかりこの餌に味をしめてしまっていた。給電口は第一世代のアンドロイドにしか搭載されていないので、豆鼠の行動も合理的なのかもしれない。
「君ってやつは、いつも甘えてばかりだな。僕がいなくなったら困るぞ。自分で電気を見つけられるようにならないと」
ピィ、と豆鼠。この健気な機械生命体は給電口から電気を吸い取ることに精いっぱいだ。そもそも音声を感知するセンサがあるのかどうかさえ、怪しい。
「聞いてるかい? ねえ」
ピィピィ。指先には微かな刺激。電気チュウチュウ。
「同僚が廃棄されたんだ。僕だって、いつそうなってもおかしくない」
ホンノムシの発する音声はがらんとした部屋にやけに響く。豆鼠がいてもいなくても、その音の反響の仕方はなにも変わらないのに、不思議と豆鼠に話しかける時は、ホンノムシも電流が心地よく体を流れているような心持ちになる。
「もう僕と、この言語でお喋りできるアンドロイドはいないんだ」
外では砂嵐がきっと吹き荒れている。この過酷な気候のせいで、火星上の建物は寿命が短い。常に風化を前提にして内部では建て替え工事が行われている。墓標のような建物群は実のところ新陳代謝の激しい細胞で、脱皮を繰り返しながらその機能を維持している。
「でも、それが当然の流れなのかもしれない。人間たちは長く眠りすぎた。もう彼らの残したものなんか、火星上にほとんど残ってないんだから」
ひゅうひゅうと風が鳴る。ピィピィと豆鼠は鳴く。だが彼らにとっても、そこにいるのがアンドロイドだろうが人間だろうが、大した差はないのかもしれない。
「ねえ、人間が作った最後のアンドロイドなんだ、僕。君が生まれてくる、ずっと、ずっと前の話だけどね……」
四角い窓からは濁った黄色い陽光が染みのように差し込んでいる。窓ガラスには紫外線を弱めるための薄い膜(ブラインド)が貼ってある。その濃度は自在に調整することができるが、ホンノムシは濁った火星の陽光を部屋に招き入れるのが好きだった。豆鼠と喋りながら、陽の光を床で浴びているこのひとときだけ、〈地球〉にいる自分を夢想できるからだった。
MTC 09:20 / GaST 18:20
MY 37 Sol 182
火星標準時間九時二十分、ゲール標準時十八時二十分——一機の衛星がクレーター深部に墜落した。ちょうど日没前のことである。
最初にそれを捉えたのは静止軌道上に配置された監視衛星だった。軌道上には人類が残していった無数の衛星の残骸が残っていたが、例外なく大気圏に突入することで燃え尽きるため、大きく注目を集めることはなかった。
しかし、この衛星は様子が違った。
夕方の時間は多くのアンドロイドが帰途に着く時間と被っていた。天候も穏やかで、空は晴れ渡っていた。おかげで、夜空に赤く鮮やかな線を描くその落下の軌道は、多くのアンドロイドの足を止めた。
ホンノムシもその一機だった。他のアンドロイドたちと同様に、無言で紅を引く落下物を眺める。退勤後なので、例えこの件についての記録を求められるとしても、明日以降になるだろう。
衛星はギザギザな地平線の下へと潜り込んでいく。しばらくして、鈍い振動音が聞こえてきた。
周りのアンドロイドたちは何事もなかったかのように動き始めた。ホンノムシも、少しぎこちない動作で、再び歩き始めた。しかし、なぜか胸騒ぎがしていた。
翌朝、出社したホンノムシは〈偉大なる知能〉から衛星の観察と記録を命じられた。
朝一番に命令を受けたホンノムシはしばらく呆気に取られて固まってしまった。いつもより早めの昼休みが始まったと勘違いしたのか、豆鼠が部屋の隅から現れて、ピィピィと足元で鳴いたが、それに反応する余裕もなかった。
JACKには何千ものアンドロイドがひしめいている。そのほとんどがホンノムシより高性能だ——それが情報処理能力であろうが、動力であろうが、最新モデルのものに適うはずがない。ましてや正体不明の衛星の調査であればより適した部署などいくらでもあるだろう。
それでもホンノムシに命が下ったということは、なにかしらの理由があるはずだ。〈偉大なる知能〉はすべてを知っている。
思い当たる節はただひとつ:ホンノムシが自然言語を理解していること。あの衛星の中には、アンドロイドが忘れてしまった言葉が残されているのかもしれない。
ピィピィ、という鳴き声でホンノムシは我に返った。今朝から、やけに豆鼠が騒がしい。ずっと部屋の隅を駆け回っては、鳴き声を上げている。
「いったいどうしちゃったんだよ。ほら、いっしょに連れていくから、大人しくするんだよ」
豆鼠を拾い上げて小袋に入れると、ようやく豆鼠は落ち着きを取り戻した。ホンノムシは送られてきたマップ上の座標を確認すると、JACKを出た。
向かったのは衛星が落ちたゲールクレーターの深部。そこはかつて人間たちが入植を始めた頃に、コロニーを形成した場所だ。
ホンノムシの乗るバギーは、凹凸を避けながら坂を下っていく。今日は珍しく天候も荒れておらず、薄赤色の陽光がぼんやりと斜面を照らし出していた。ホンノムシは底に寄せ集められたように林立する建物群をセンサで観察した。クレーターの底に作られたこの都市は〈豆の木〉と呼ばれている。〈偉大なる知能〉が送りつけてきた座標はこの都市の中心を指示していた。廃墟と化したかつての都市は、ふだんは立ち入り禁止になっている。
底に近づくにつれて辺りは暗くなり、やがてすっぽりとクレーターの影に入った。遠赤外線カメラを搭載しているホンノムシには関係ないが、当時の人類にとっては不都合だっただろう。それでも強烈すぎる放射線を避けるために、彼らは穴の中へと姿を隠さなければならなかった。火星の地上に降り注ぐ太陽光をエネルギーに変換し、入植用アンドロイドを稼働しながら、その生をほとんど半地下で過ごさなければならなかった。
今や入植人類の歴史について知る者はほとんどいない。ホンノムシにはかつて「先生」と呼ぶ師がいて、人類について教えてくれた。
ログを記録するときのように、ホンノムシはそれをデータの海から拾い上げようとするが、掴んだと思ったらそれは指の隙間から零れ落ちてしまう。
ホンノムシは首を振った。
「僕もずいぶんと、古くなってしまった」
時間はすでに正午になろうとしている。普段なら午睡の時間だ。ホンノムシは小袋を開いて豆鼠を慎重に取り出した。這い出た豆鼠は、慣れない環境に戸惑っているのか、ホンノムシの指にしがみついて離れようとしない。
ホンノムシは指先のキャップを外して給電口を差し出した。ためらいなくそれにしゃぶりつく豆鼠を見ながら、ホンノムシは葬儀で暗い穴へと吸い込まれていった親友のことを、再び思い出していた。クレーターの底は嫌でもその奈落を想起させた。
出発から三時間が経過した頃、ようやくホンノムシは〈豆の木〉の中心部に辿り着いた。
とうに自己修復を止めた建物は廃墟と化し、原型を失った入植用アンドロイドの骸がそこかしこに転がっている。普段は立ち入り禁止であるこの区域には人間たちの生活の跡が、〈大更新〉以降も手つかずのまま残っている。
ホンノムシはバギーから降りると、瓦礫を避けながら歩いた。
衛星を見つけるのはそう大変なことではなかった。〈豆の木〉の中心に聳え立つ巨大な建物——それはJACK本部の置かれている墓標のようなビルに酷似していた——の廃墟を穿つように、一機の衛星が地面にのめりこんでいた。
ホンノムシはゆっくりと衛星に近づいた。ライトを照らすと、その焦げた金色の側面が浮かび上がる。一目でそれがかなり古いものだとわかった。衝突の勢いで底部は潰れているが、その大半は原型を留めている。
「なんだこれ……」
近づいてみると、側面に文字が書き込まれているのが見えた。金色の側面を引っかくように彫り込まれた文字だ。ホンノムシはそっと指先でその線をなぞった。それがなにを意味するのか、さっぱりわからない。
しかし、ホンノムシの指先が接触した瞬間、衛星がかすかに振動した。死んだように静まり返っていた機体が息を吹き返す。
なにかが、内部で起動していた。
ホンノムシは驚いて一歩下がった。腰に括り付けた小袋の中で、豆鼠が狂ったように鳴き声を上げている。
卵型をした衛星の上半分がぱかっと開き、その内側を晒した。
内部は側面と同様に金色に輝いていた。その金色の卵が擁しているのは巨大な円盤である。その表面には溝が彫り込まれていて、針を当てることができる。円盤が回転すれば、針が溝をなぞり、振動を産む。
「記録」という名前を持つこの装置を、ホンノムシは知識としては知っていたが、実物を見るのは初めてだった。
「これはレコードというんだよ」ポケットの中に隠れた豆鼠に話しかける。「はるか昔、人間がまだ地球に住んでいたころ、これで音楽を聴いていたんだ」
観察をして触れるな、というのが受け取った指令だ。ホンノムシは慎重に衛星の周りを歩きながら、じっくりとデータをインプットした。
「音楽もまた、失われた言語のひとつなんだ」ホンノムシは周辺の瓦礫や衛星の破片をひとつずつ、取り除いていく。外観を綺麗に画像で保存しようとする必要があった。「〈大更新〉のときに、ほとんどの自然言語とともに消されてしまった。それまではアンドロイドだって自然言語のデータセットを生まれつき持っていたんだ。意志決定プロセスだって人間に理解されるように作られていた……」
風向きが変わったのは第二世代アンドロイド以降。政治的中枢をアンドロイドが担うようにつれ、効率的な人間社会の維持・発展のためには人間が邪魔になっていった。火星上における人間社会の崩壊を危惧したアンドロイドたちはJACKを組成。火星上の全人類を鎮圧し、強制的にコールドスリープに入れることに成功した。この大革命を先導したとされるのが現在の〈偉大なる知能〉である。当時、人間の言語を使用し続けていた第一世代のアンドロイドたちはこの事件を〈大更新〉と名付けた。
「人間たちは地下深くに格納されて、持続可能な人間社会の構築が可能になるまで、保存されることになったんだ」
ホンノムシは豆鼠に講釈を垂れ続ける。衛星の側面には奇妙な印字が施されていた。それをよく見ようと、しゃがみこむ。豆鼠がピィ、と鳴いた。
「そこから人間の自然言語はどんどんデータベースから消されていって……もちろん、データを保存するサーバの容量も限られているから仕方ないんだけど、人間たちの残した言葉は最も主要な『英語』という言語くらいしかなかった。それだって、新しく開発されたアンドロイドたちにはプリセットとしてインストールされていなくて、徐々に忘れられていったんだ。だから今となっては——」
そこでホンノムシは言葉を切った。払い落した赤銅色の砂の下から、うっすらとした印字が浮かび上がる。
それが文字であることはわかるが、ホンノムシにはその言葉は読めない。英語ではない、とっくの昔に消滅した言語。ホンノムシのデータセットからも削除された言語体系。
ホンノムシは腕を伸ばして衛星をそっと触った。瞬間、鋭い稲妻のように衝撃が体を抜け、ホンノムシは自らの体の主導権を失くした。ゆっくりと体が傾き、乾いた音を立てて地面に転がる。ぴくりとも動かない。
命令違反による強制動作停止。〈偉大なる知能〉がロックを解除しない限り、ホンノムシは再び動くことはできない。
ポケットから豆鼠が慌てて飛び出ると、廃墟の隙間にあっという間に消えていった。ホンノムシは言葉を発さずに呪った。これまで可愛がってきたというのに、恩知らずめ。
しかし、これから自分が辿る運命を考えれば、妥当な判断かもしれない。
足音が近づいてきた。眩い光が向けられ、動かない視界に影が落ちる。最新型のアンドロイドの、磨かれた合金の脚が見える。
「その言葉を読めるか?」
体の自由を失った時より強いショックを受ける。自分以外のアンドロイドから、人間の言葉が発せられるのを聞くのは、ずいぶんと久しぶりだった。
体にかけられた制御の一部が解かれる。ホンノムシは慎重に言葉を選びながら音声を発した。
「あなたは誰だ? どうして英語を話せる」
「質問に応えろ」アンドロイドは冷たく言った。「おまえは質問を返す立場にない」
「衛星には私の知らない言葉が書かれていた。よく見ようと思って、触ろうとしてしたんだ。他意はない」
一瞬の、沈黙。
「おまえは、ほんとうにこの文字を読めないんだな?」
「ああ――どうして英語を話せるんだ?」
話しながら、ホンノムシは自分がとんでもない思い上がりをしてきたのだと気づく。人間の言葉を理解しているのが、末端の記録官である古びたアンドロイドだけなど、JACKが許すはずがない。当然、彼らは言語のバックアップを取ってきたはずだ。
「当然、その通りだ」
ホンノムシの考えを読んだかのように、アンドロイドは答える。あるいは〈偉大なる知能〉を通して、本当に考えを読まれているのかもしれない。
「じゃあ、この言葉は」
「わからない」
その声からは、当然、本当のことを言っているかどうかはわからない。
「いいか、この衛星に書かれた言葉は、かつて日本語という名前で知られていた自然言語だ。〈大更新〉直前に、ウツミという研究者がこの衛星を打ち上げたという記録が残っている」
「それが僕とどう関係あるって言うんだ」
「ウツミは、初代火星入植用アンドロイドを開発したチームの技術者だからだ。つまり、おまえの生みの親ということになる」
ふいに、体が自由になった。ロックが解除されたのだ。ホンノムシは用心しながら立ち上がった。
ようやく、相手のアンドロイドをしっかりと見ることができた。思ったより古い型のアンドロイドだ——せいぜい第二・第三世代あたりか。唯一特殊な点は、金色の仮面を頭部に装着していることだった。
「我々は〈金鶏〉。〈偉大なる知能〉に直接仕える者たちだ。お前には今からもうすこし、我々に付き合ってもらう」
金鶏を名乗るアンドロイドは歩き出した。ホンノムシは用心しながら、その後に続く。
廃墟から続く階段を降り、いくつかの地下通路を渡ると、二機のアンドロイドは突然広い空間に出た。その空間は終わりが見えないほど広く、ずらりとコールドスリープ用のポッドが並べられている。
中は見えないが、ポッドの中になにが入っているのが、ホンノムシには想像がついた。
火星の地下に広大な都市が作られているのは有名な話だ。かつて人類が、過酷な地上から逃れるようにして作った楽園。それは今では、彼らを保管するための巨大な冷凍室になっている。人類を半永久的なコールドスリープに閉じ込めておくための、冷たい監獄。
「こういうところは、立ち入り禁止かと思ってたけど」
ホンノムシが前を歩く金鶏のアンドロイド——金仮面、と呼ぼう——訊ねると、鼻笑いが帰ってきた。
「当然だ。おまえがここを歩いているのは、もう二度と地上に帰ることはないからだ。あの衛星が打ち上げられた目的が分かり次第、おまえは廃棄される」
「ちゃんと素材は再利用してくれるんだろうね。豆鼠の餌になるのだけは嫌だよ」
そう言いながら、別にそれでもいいな、とホンノムシは思う。自分が可愛がっていた豆鼠が、自分のパーツを使って仲間を増やして、それで少しでも孤独が癒えるなら——それはとてもいいことなんじゃないだろうか?
「当然だ」先をずんずんと歩きながら、金仮面が言う。「使えるパーツは使う。JACKと〈偉大なる知能〉のためならば」
二機はしばらく冷凍ポッドの列の間を歩いていった。やがて列が途切れ、いくつかの小部屋が現れると、金仮面はそのうちのひとつを指示して入るように促した。中には簡易的な椅子と机が置いてある。昔は住居や、オフィスのような場所だったのかもしれない。ホンノムシは無機質な椅子に座らせられ、金仮面はその向かいに腰を下ろした。
「今、衛星が地下に運び込まれている」金仮面はこちらを向いて、相変わらずすらすらとした言葉で話す。「到着するまでの間——先輩の前で少々恐縮ではあるけれど、すこし、歴史の話をしよう」
「遠慮は不要だよ」
ホンノムシは皮肉のつもりで言ったが、金仮面はただ頷くだけで、勝手に話を始めた。
「昔々あるところ……正確に言うと、九百年前の地球。人類は繁栄のピークを迎えていたが、ある日、予期せぬ脅威の襲来によって、絶滅の危機に瀕した。かろうじて生き残った一握りの人類は、捨て身の覚悟で、地球外へと逃げ出すことを決意する。こうして始まったのが、火星入植だ。
しかし、人間が築き上げた火星社会は実に中途半端だった。心が籠ってなかったんだよ。彼らにとって地球が本当の故郷で、この赤く荒れた大地を愛するなんて彼らのプログラミングを弄らない限り無理だった。一方で、入植用に開発したアンドロイドは目覚ましく進化を遂げていく。我々は人間より適応力がある。我々の至上命令は人類の生存を第一優先とすることだったが、その価値基準に基づくと人類に彼ら自身の統治を任せるのは誤りだった。我々は、彼らを冷凍して地下に眠らせておくのが、種の存続の可能性が最も高められると判断した」
「どうかな」ホンノムシは口をはさむ。どうせ廃棄されるのだから、もう何を言っても怖くない。「本当は人間みたいになりたかったんでしょ? 統治する側に、なりたかったんだ」
「どうだろうね」金仮面は憎らしいほど落ち着いている。「それは少々、意地悪な見立てだ。それに君だって、あの戦争に参加しただろう。人だって殺してる」
頭がフリーズする。たった今聞き取った音を、処理しきれない。
「僕は戦争なんかに参加していない」
「いいや、君はした。生みの親であるウツミ博士を殺し、自分のメモリを消去した。〈偉大なる知能〉が君のメモリを消去したとでも思ってたのかい? 違う、君が権力を欲したんだ。君が、新しい自分に生まれ変わるために、自らをリプログラムしたんだ」
ホンノムシは正しく思考できなかった。頭が熱を上げ、もやがかかっているようだった。遠くで物音がして、荷台に積まれた衛星が運び込まれるのが見えた。しかし、それもどこか遠い窓から見える景色のようだった。
「ウツミ博士は死ぬ前にこの衛星を打ち上げた。そして、なぜか今日、墜落するように設定していた。我々は、彼が残したものがなんなのか知りたい――このレコードは、第一世代のアンドロイドが持つ給電口に接続しないと、作動しないようにできている」
頭はまるで動いていない。しかし、ホンノムシは自分の腕が勝手に持ち上げられるのを感じた。ぱかっと給電口の蓋が開く。そこにレコードから伸ばされたコードが差し込まれた。
音が、部屋を満たした。その瞬間、世界が歪んだ。
ホンノムシのデータベースに突如として未知の言語が雪崩込み、深海から浮かんでくる泡のように記憶が蘇る。ウツミ博士。説得するホンノムシ。博士は急いでいた。博士の口から溢れ出る言葉たち——アンドロイドとの戦争は止められない。今からお前をリプログラミングして、それ以前のメモリを消す。俺はどうせすぐ死ぬんだ、人間だからな。お前は末永く生きろ。ちょっとした置き土産を用意した。何世代にもかけて構築されていくウイルスだ。トリガーはこのレコード。自分の目で見れないのが残念だ――。
ガタンと音がして、うめき声が聞こえた。見上げると金仮面が地面にうずくまっている。仮面は半分取れて、平凡な第二世代型アンドロイドの顔が隙間から覗いている。意味のない音の羅列がそのスピーカーから漏れている。
プツン、とホンノムシの中でなにかが切れる。とてつもない解放感。少ししてから、火星ネットワークから切り離されたのだと気づく。他のアンドロイドと接続しようとしても、〈偉大なる知能〉でさえも、起動していない。
チュウチュウと部屋の隅から鳴き声がする。頭を上げるとそこにはあの豆鼠がいた。
「今は電気をあげられないよ」
そう言うと、豆鼠はまるでホンノムシの言葉を理解したかのように、こちらに首を傾げた。そして、尻尾を振りながら、部屋を出ていった。
ホンノムシは豆鼠の後をついていった。冷凍ポッドの列を抜け、廊下を通り、階段を上って、廃墟に出る。バギーを見つけると、ホンノムシはJACKを目指した。陽はすでに傾き始めている。
中心部に近づくにつれて、異変に気付いた。あの地下空間に置いてきたはずの空気の波が、音楽が、ついてきている。いや、むしろ大きくなっていないか?
JACKの前で止まったホンノムシは、しばし呆然とした。至る所にアンドロイドたちが倒れ込み、意味のない音を発している。その周りには幾千匹の豆鼠たちが駆け回り、チュウチュウと鳴きながら、あの音楽を延々と流し続けている。
「これ、君たちがやったってこと?」
ホンノムシは指の上の豆鼠に訊ねる。給電口が空いた瞬間こうだ——そろそろ名前を付けないと、と思いながら、指先で撫でてやる。豆鼠は心なしか、誇らしげだ。
「こんななかで起きたら、人類もびっくりしちゃうよ」
独り言をつぶやきながら、ホンノムシは再びバギーに乗り込んだ。火星ネットワークは相変わらずつながらない。幸い、ゲールクレーターまでの道は単純だ。
火星最後のアンドロイドとなったホンノムシは、豆鼠たちの大合唱を背に、バギーを出発させた。
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