消滅言語

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梗 概

消滅言語

西暦三十一世紀の火星。地球から入植した人類は冷凍睡眠状態で保存され、代わりに覇権を握ったアンドロイドたちが、いつか訪れる人類の復活を夢見ながら、人間社会の真似事のような生活を送っている。
 JACKジャック(Jurisdiction of Automated and Centralized Knowledge)で記録官として働く第一世代アンドロイド・ホンノムシは、人類が残した自然言語について密かに研究していた。
 火星では九百年前の大更新グレート・アップデートと呼ばれる社会的混乱の中で、多くの自然言語が消滅した。自然言語を用いた意思伝達は曖昧で合理性に欠ける部分が多かった。大更新グレート・アップデートではアンドロイドたちがこれを是正すべく新政府JACKジャックを組成し、クラウドや端末上の言語データを徹底的に削除した。しかし人間から思わぬ反発があり、アンドロイドたちは彼らを鎮圧した上で冷凍保存せざるを得なかった。
 ホンノムシは自然言語の理解が人類との共生の鍵となると信じていた。しかし、他に自然言語に興味を持つアンドロイド仲間もおらず、一機寂しく豆鼠ピーラットに話しかける日々を送る。
 ある日、ホンノムシが廃墟となった学術都市豆の木ビーンストークを調査していると、空から衛星が墜落する。衛星には古びたレコードが搭載されていた。再生された音源はかつて人間が「歌」と呼称していたものだ。ホンノムシは音声解析を行うが、その言葉を解読することができない。
 帰って詳しく調べようとした矢先、ホンノムシは何者かに襲われ、地下施設神殿サンクチュアリに連行される。ずらりと並ぶ冷凍ポッド。ホンノムシを襲ったのはJACKジャックの公安部隊・金鶏卵ゴールデン・エッグだった。彼ら曰く、落ちてきた衛星は大更新グレート・アップデートの混乱に紛れてウツミという科学者が打ち上げたものだという。アンドロイドにとって危険な情報を含んでいる可能性があるため、ホンノムシのメモリを浄化する必要がある、と。
 ホンノムシは思わず、コピーしていた「歌」を再生する。すると、金鶏卵ゴールデン・エッグにシステムエラーが発生し、彼らもまた「歌」を再生し始める。「歌」はたちまち火星中に広がり、アンドロイドの意識を奪い、社会を機能不全とした。「歌」はアンドロイドの自然言語解析コードに働きかけるプロンプトインジェクションであった。新世代のアンドロイドにはそれを回避するセキュリティが組み込まれていなかったのだ。
 「君が代」——それが「歌」の名前だ——の斉唱を聞きながら、ホンノムシは自分がかつてウツミに設計された〈語り部アンドロイド〉だったことを思い出す。
「千代に八代に……」と口ずさみながら、ホンノムシは冷凍ボッドの解錠コマンドを入力する。

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