竜星群の夜

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梗 概

竜星群の夜

 かつて、地球には人類が繁栄していた。人類は二足歩行によって知能を進化させ、この星の支配者として君臨し続けた。しかし2075年、人類は滅亡した。地球外生命体〈竜〉によって--。

 宇宙から飛来したその地球外生命体は、人類が夢想し続けてきた伝説の生き物「竜」に酷似していたため、発見当初からそのように呼称された。チタン合金のような鱗、鋭いかぎ爪、大きな翼。〈竜〉は頭部から噴射する高圧ガスの燃焼によって、宇宙空間を移動する。形や色、大きさは様々だが、どれも美しく、恐ろしい。彼らは突如として太陽系に現れ、集団で地球を襲った。〈竜〉には知性があった。彼らはテレパシーで意思疎通し、人間に交渉を求めた。無駄な戦いは避けたい、と彼らは通達した。抵抗せず地球を差し出してほしい、と。

 西洋伝承学者のドレーク・ロバーツは国連の〈竜〉解析チームに招待され、彼らの生態を解き明かすように命じられる。ドレークは元妻や息子との関係が破綻し、研究成果も注目されず、人生に倦んでいた。ドレークは調査を進めていくなかで、〈竜〉がかつて地球に棲息していたという事実に辿り着く。〈竜〉は渡り鳥のように宇宙を周回し、その都度適した環境に住みつく漂流民であった。彼らは水と炭素を必要とし、新しい星に移り住んではその星の資源を喰い尽くしていた。かつての恐竜の絶滅も〈竜〉の襲来に起因するものであった。〈竜〉は資源としての人類の数がピークに達する時期を見計らい、この星を再び刈り取りに来たのだ。

 歴史的経緯と必要性から移住根拠を示された人間に、もはやなす術はない。ドレークは無駄な抵抗は止めて〈竜〉に対して無条件降伏をするよう、国連に進言する。一部の国は忠告を聞かずに〈竜〉を攻撃するが、反撃にあって殲滅される。ドレークは恐怖心を抱きながらも高揚感を覚える。彼が追い求めていた竜のロマンがそこにはあった。ドレークは人間が滅びても構わないと考えている自分がいることに気づく。

 一方、ドレークの息子であり若きアクティビストであるランスは〈竜〉に対する徹底抗戦を世に訴えかけ、〈反乱軍〉を組成する。人類は〈反乱軍〉と〈竜〉に寝返った〈竜星軍〉に分かれ、争いを繰り広げる。〈竜〉の力を借りた〈竜星軍〉は戦況を優位に進めるが、〈反乱軍〉は古代から地殻で眠り続けていた〈古代竜〉を覚醒させ、味方につけることで、反撃に出る。〈古代竜〉はかつての大移住の際、置き去りにされた犯罪者・被差別者の〈竜〉であり、新世代の〈竜〉に憎悪を燃やしていた。

 戦局が混迷を極める中、ランスは〈竜〉の背に乗って父のドレークを討ちに来る。迎え撃つドレークは〈反乱軍〉から「人類の反逆者」と呼ばれるが、気にしていなかった。

 決闘の末、ドレークはランスに刺され、地上へと堕ちていく。見上げる恰好となったドレークが最後に見たのは、流星群のように満天に降り注ぐ、〈竜〉の増援だった。

文字数:1199

内容に関するアピール

 人類の覇権は、長い地球の歴史の中で見るとまだまだ短いです。50年後の2075年は、世界人口がピークを迎えると予測される頃。人類を敵とみなす地球外生命体にとっては脅威ですが、人類を資源と見なす地球外生命体がいれば、またとない好機となります。〈竜〉はまさにそのタイミングで地球を刈り取りに襲来します。主人公のドレークは人生に倦んだ中年の学者。子どもの頃から夢に見た想像上の生き物が目前に現れることで、種の繁栄と存続が自分にとって意味を持つのか、疑問を抱くようになります。一方、息子のランスは人類滅亡に抗うことが自分の使命だと信じて疑いません。ふたつの異なる思想は最後に決闘という形でぶつかり合います。

 「かつて、地球には人類が繁栄していた」― 物語は、老いた語り部の〈竜〉のモノローグから始まります。火炎と光線が行き交う、SFファンタジー・スペクタクルをご堪能ください。

文字数:384

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竜星群の夜

ドレイク・ロバーツは花火の音で目を覚ました。ぼやけた視界にオレンジ色の照明が揺らぐ。思わずうめき声が出た。またソファで寝落ちてしまったらしい。
 体を起こすと、電杖ワンドが床に落ちた。一瞬、拡張画面が明るくなり、読みかけの論文が浮かんで消える。無理な態勢で腕を伸ばすと脇腹に激痛が走った。二回目のうめき声とともに、またもや外から花火の音がする。
 寝ぼけた頭で、はたして今日はガイ・フォークス・ナイトだっただろうかと首を傾げ、いやそんなはずはないと思い直す。手探りで、ソファ脇のローテーブルから眼鏡を拾い上げた。びりびりと痺れる脇腹をさすりながら、電杖ワンドの拡張画面を表示させる。2075年10月26日午後11:07。花火の時期にしてはまだ早い。
 では、いったいこの音はなんだろう?
 ドレイクは脇腹をなるべく刺激しないように慎重に部屋を横切った。オックスフォードの街に借りているこの小さな部屋は、彼が愛してやまない竜に関する蔵書で埋め尽くされている。妻と一緒に住んでいた頃は、この時代遅れのコレクションについて毎日のように小言を言われたが、彼女が去った今、咎める者もおらず、この部屋のエントロピーは増大を続けている。それが幸せなことなのか、ドレイクにはわからない。
 本の山を掻き分け、跨ぎ、すり抜け、どうにか窓に辿り着く。埃っぽいカーテンを開いた瞬間、ドレイクの頭から脇腹の痛みは吹き飛んだ。
 それは、ガイ・フォークス・ナイトの花火より素晴らしい光景だった。陰鬱とした空を、色とりどりの流星が切り裂いている。柔らかいビロードにかぎ爪を立てるように。
 不可解なのは、地上から流星を迎撃するように地響きを立てて打ち上げられる飛翔体だ。ドレイクが花火と勘違いしたのはどうやら、この飛翔体の発射音らしい。しかし、まさか本物のミサイルなわけはない——居眠りをしている間に、第三次世界大戦が始まったわけでもあるまいし。
 夢の続きを見ているような気分で夜空を見上げていると、電杖ワンドからベルの音がした。拡張画面に浮かんでいる番号は見覚えのあるものだった。
 ドレイクは通話ボタンをタップした。
「もしもし?」
「こんばんは、ロバーツ教授」
 スピーカーから聞こえるかしこまった声は、ユービーム教授のものだ。ユービーム教授は、ドレイクが所属するオックスフォード大学歴史学部の学部長である。長身の暗い顔をした男で、どんなに親しくなっても同僚を下の名前で呼ぶことのない堅物だ。学部内で爪弾き者にされているドレイクは、ユービーム教授の擁護に何度も救われてきた。
「夜分遅くに失礼。少々、気がかりな訪問者が大学に来たものでね」
「気がかり、な?」
 外ではドーン、ドーンと豪快な音が続いている。地上から打ち上げられたミサイル(ドレイクはそれがどう考えてもミサイルなのだという結論に至った)のひとつが、流星に衝突するのが見えた。流星は眩い閃光を放ち、狂ったように軌道を変えて西の地平線へ堕ちていく。少し間を置いて地響きがした。
「そうだ。連中はまさに今、君の家に向かっている」
 ユービーム教授の声はいつにも増して暗い。普段から葬式の喪主のように話す男だが、今日は迎えに上がった死神そのもののようである。
「止めようがなかったんだ。君が大学にいないことを知ると、事務局から君の個人情報をまるまる奪い取っていった」
「そんなの犯罪じゃないですか」ドレイクは思わず抗議する。「なんですか、そのチンピラみたいな連中は! いますぐ警察を呼んだほうがいい」
「警察は無意味だ。申し訳ないが、どうやらすべてが無意味になるらしい」ユービーム教授はそこで言葉を切った。「寝てたのかい、ロバーツ教授?」
 ドレイクは咳払いをした。先ほどから痰が絡んで仕方がない。
「ええ、どうやら、うとうとしてしまったようで」
「だったら、起こしてしまってすまなかった。君にとっては悪い寝覚めになるだろう。しかし、たいしたことはない。もうじきこの世は終わるのだから」
 まるで街角のチープな占い師のようなことを言って、ユービーム教授は電話を切った。「おやすみなさい」と挨拶する時間も与えられなかった。ドレイクは悪態を吐いてキッチンへ向かった。ワインの栓を開けてグラスに注ぎ、一気に飲み下す。
 その瞬間、玄関の呼び鈴が鳴った。
「酔っぱらう暇もくれないってか、え?」
 玄関に向かいながら、ドレイクはぶつぶつと文句を言った。なにか自分だけが知らない悪戯を仕掛けられているような気分だった。
 扉を開けると、スーツを着た三人の若い女が立っていた。ひとりは金髪で、もうひとりは燃えるような赤毛、そして最後のひとりは月光のような銀色の髪をしている。
 三人とも、まったく同じ顔をしていた。
「こんばんは」「ご機嫌いかが?」「こちらは上々」
 彼女たちは歌うように挨拶をすると、返事も待たずにドレイクの脇をすり抜けて部屋に入っていく。ドレイクは呆気に取られて彼女たちの後ろ姿を見つめた。三人とも、まだ大学を出たばかりの若さに見える。
 三人はめいめい、高さがちょうどいい本の山を見つけると腰かけた。
「西洋伝承学がご専門のドレイク・ロバーツ教授ですね?」
 金髪の女が口を開く。きびきびとした口調で有無を言わせない雰囲気がある。ドレイクの苦手なタイプだ。
「いかにも、そうだが……」
「私たちはあなたをスカウトしにきました。周知の通り、現在我々は地球外生命体からの攻撃を受けています。貴殿の助けを借りたいのです」
「なんだって?」
 三人の女は「やれやれ」「それ見ろ」「だから言ったでしょう」という顔で目配せし合った。外では相変わらずミサイルが唸りを上げて飛び立っていく。
 金髪が話す速度を落とした。まるで老人に語り掛けるように。
「ロバーツ教授。ニュースには関心がないのですか?」
「関心がないわけじゃない」ドレイクは思わず自己弁護するように言った。「ただ、最近はチェックする暇もないんだ——読まなきゃいけない論文、書かなきゃいけないペーパー、出席しなきゃいけない会議。まったく、嫌になるね」
「じゃあ喜ぶんだな。論文もペーパーも会議も、全部おさらばだ」
 赤毛の女が口を開いた。蛇の動く刺青リビング・インクを首筋に入れている。そのせいで、細くて白い首の周りを常に細い紐が這っているように見える。
「いま、人類は絶滅の危機に瀕している。ニューヨーク、パリ、北京、東京、ニュー・デリー……世界中で大都市が一斉に攻撃を受けて、その都市機能を失っている。ロンドンもじきに陥落するだろう。この片田舎のオックスフォードだって、安全とは言えない」
 赤毛の女の言葉を裏付けるように、外でなにかが地面に衝突する凄まじい音がした。建物が揺れ、電気がチカチカと明滅する。
「待ってくれ」ドレイクはほとんど喘いでいた。「君たちはつまり——この流星のように降り注いでいるものがすべて地球外生命体で——しかも我々を攻撃していると?」
「だからそう言ってんだろ」と、赤毛が呆れたように言う。
「無理もないです」
 銀髪の女が慈悲深い眼差しを向ける。彼女は三人の中で一番優しそうにドレイクを見ていた。ほとんど、憐れんでいるようでもあった。
「NASA、ESA、CNSA、いずれの機関も事前に彼らを捕捉することはできなかった。観測できたときには、すでに手遅れ」
「そんな」
 ドレイクはゆっくりとソファにくずれ落ちた。
「……どうして、俺なんだ」
「ようやく本題に入れそうですね」
 金髪は電杖ワンドを取り出すと、こちらへ差し出した。拡張画面には古典的な西洋竜が写し出されている。
「ロバーツ教授、あなたは竜の専門家ですね?」
「ああ、まあ、正確に言うと西洋史学の中の、伝承を専門にしている。竜だけではなくて——」
「これが、あれなのです」
 金髪は画面を指差してから、窓の外を指差した。折よく、雷が落ちるような音がし、窓ガラスが弾け飛んだ。電気が消える。ドレイクは幼子のように頭を腕で抱えた。
「我々を攻撃している生き物は、竜に酷似しています——地球外生命体〈竜〉。それが今日からあなたの研究対象です」
「申し訳ないが、あなたには今からいっしょに来てもらう」
「我々としても心苦しいのですよ」
 暗がりの中から、投げかけられる声。それが誰のものなのか、ドレイクにはもうよくわからない。部屋がぐるぐると回る。金、銀、赤。まるで小さなソーラー・システム。
「——せいぜい大人しくしていてください」

北海ドッガーバンクに浮かぶデルタ・ノクティスは、二十一世紀半ばにNATOが建設した海洋浮遊型海軍基地である。
 三角錐を逆向きにした無骨な黒色の構造物は、ちょうどピラミッドを逆さにしたような形をしている。海面に浮かぶ正三角形の各頂点には、浮力と機動力を担う球形の巨大ブイが付いており、自律的な航行を可能にしている。
 その三角錐のちょうど先端——海底に最も近い狭小な部屋で、ドレイクは頭を掻きむしっていた。
「情報が少なすぎる!」
 喚き散らかすと、隣にいた銀髪のサジタリウスがすかさずその肩に手を置く。
「苛立ちを覚えるのも無理はありません。急にこんなところへ連れて来られたのですから……」
 ロンドンの自宅からデルタ・ノクティスまでの行程は拉致と呼んで差し支えのないものだった。道中に得た情報といえば、三人が三つ子であるということと、彼女らの名前くらいであった——金髪の仕切り屋がレオ、赤髪の不良がアレス、銀髪の穏やかな調整役がサジタリウス。
 基地に着いてからの待遇はお世辞にも手厚いものとは言えなかった。ドレイクはてっきり、人類を救うための選りすぐりの研究者として歓待されるのかと思っていたが、事務的に部屋と端末をあてがわれただけだった。遅れて自宅と大学の資料本が届き、それだけで小さな部屋はいっぱいになった。
 ドレイクは再び端末の画像と向き合った。そこには不明瞭な〈竜〉の画像がいくつも浮かんでいる。爬虫類のような頭、かぎ爪、翼、しっぽ。口から噴き出す炎。どこからどう見ても、人間が古来より夢想してきた竜の姿だ。
「それより、例の件についてはまだわからないのか?」
 ドレイクが苛立ちを隠さずに聞いた瞬間、ドアが開いた。金髪のレオが、澄ました顔で入室する。
「遅くなりました。ランス・ロバーツとエイミー・ジョーンズの生存確認が取れました。ランス・ロバーツはケンブリッジ大学の寮内におり、エイミー・ジョーンズはリッチモンドの自宅にいるようです」
「……よかった。よかった」
 ドレイクは骨ばった指でゆっくりと頭を抱えた。己の老いてきた頭蓋はぞっとするほど軽い。
 通信が各地で断絶するなか、安否確認は難航していた。ランスともエイミーとも色々あったが、まずは無事でほっとする。
「離れても、家族のことは気になりますか」
 サジタリウスがそっと訊ねる
「当然だ。零れたミルクを嘆くのは愚かだが、そのミルクの有難さを忘れるのはさらに愚かだからな」
 レオは相変わらずの仏頂面で、
「オックスフォードの部屋にも、飾っていましたね。息子さんが小さい時の写真」
「ああ、フェンシングの大会で金メダルを獲ったときの写真だろう。習い事は片っ端からやらせたんだ。エイミーは反対したが、私はやって正解だったと思っている。おかげで信念を曲げない子になった。今はケンブリッジで海洋学研究をしているよ」
 最近、学内の妙な政治活動に熱を上げているのが気がかりだったが、それについては黙っていた。もう父親が口を出す年頃でもない。
 実際、エイミーと離婚してから、ランスと話す機会はぐっと減ってしまった。前回話したときがいつだったか、明確に思い出せないが、どうせいつものように一方通行のコミュニケーションだっただろう。
 思わずネガティブな思考に逸れていく。ドレイクは話題を変えた。
「ところで、ユービーム教授は? 彼の安否も確認してくれるとのことだったが」
「クリストファー・ユービーム教授についても安否の確認が取れました」レオが事務的に答える。「彼は、ロンドンにいる家族と連絡が取れないということで、オックスフォードから向かうそうです。やめたがほうがいい、と忠告したのですが」
「ロンドンはそんなにひどいのか」
「すっかり制圧されてますね。通常兵器は〈竜〉に効かないわけじゃないが、どうも人を食う様子が拡散されているようで、前線の兵士の士気低下に繋がっているそうです」
 ちょうどそのとき、赤髪のアレスが入室した。話が聞こえていたらしく、
「そりゃあそうだ、人の首がいちごみたいにプチプチもぎ取られる映像が溢れていたら戦う気もなくすだろう」
 三つ子が揃い、いよいよ部屋は空間に余地がなくなった。ドレイクは仕方なく壁際に寄る。
「〈竜〉は発声するのか?」ドレイクは訊ねた。
「体の構造的には発声してもおかしくないんだが、今のところノーだ。その代わり、テレパシーで思考や感情を直接伝えることができるそうだ」と、アレス。「すでに各国が交渉に奔走しているが、向こうの要求はどれも抽象的でわかりにくい」
「〈竜〉も交渉などせず、全員殺せばいいじゃないか」
「いえ、それはいくら〈竜〉といえども大変でしょう」ドレイクの悲観的な意見に、サジタリウスが首を振る。「〈竜〉の総数は多くて数千体、少なく見積もれば千体に満たないと考えられています。武力のみで人類を制圧するのは困難です」
 レオは腕を組むとドレイクの端末を覗き込んだ。
「あなたの意見を聞かせてもらおうじゃないですか、ロバーツ教授」
 ドレイクはなにも書かれていない画面を隠そうとした。なんとなく、大学院で指導教官に進捗を確認されたときのような居心地の悪さを感じる。
「……まあ、考えていたことならある」ドレイクはおもむろに口を開いた。「神話における竜は自然・災害・悪の象徴だ。特にキリスト教社会では二元論的文脈に落とし込まれ、英雄に討伐されるパターンが多い。生物的に自然と蛇を恐れるように、我々は社会的に竜を恐れるように刷り込まれてきたわけだ」
「つまり?」と、レオ。
「つまり——〈竜〉ははるか昔から、人類の中に恐怖の種を植え付けるため、神話に自らを織り交ぜて来たんじゃないか? 彼らが地球に降り立った時、条件反射的に我々が降伏するようにね」
「面白い仮説ですね」レオは考え込むように金髪を弄び始める。「ですが、得体の知れない未知のフォルムの方が恐怖感を覚えるんじゃないでしょうか? それに、仮にこの世に存在する竜にまつわる伝承が〈竜〉によって仕込まれたものだとしたら、伝承の中で竜が討伐されているのはおかしいでしょう」
「その通りだ」
 ドレイクはあっさりと白旗を上げて降参した。
「まあ伝承学というのは曖昧なものだ……さあ、そろそろ私を一人にしてくれ」
 三つ子を追い出してから、ひとつ奇妙に思っていることがあったことを思い出す。〈竜〉が声を発しない、という話についてだった。ケルト神話や北欧神話では、竜の鳴き声は嵐や災害の前触れ——いわば凶兆として描かれてきた。「吠える」「鳴く」「唸る」というのは地球上の生物にも共通する威嚇手段である。テレパシーがあるとはいえ、声帯を有する生物がそれを活用しないのは妙だ。
 〈竜〉はいったいどうして、沈黙しているのだろう?

竜の集合名詞は〝雷鳴〟である。
 どこのだれが使い始めた表現かはわからないが、ドレイクはこれをいたく気に入っていた。A thunder of dragons. 空気を割らんばかりの轟き。何百、何千もの美しく恐ろしい生き物たちが織り成す絶望の重奏——。
 ドレイクは激しく雨の打ちつける天球グラス・ドームを見上げた。
 デルタ・ノクティスの天井には、三角形に内接する円のように、開閉式の透明なガラスのドームが張られており、北海の夜空を展望することができる。晴れているときは星空が綺麗に見えるらしいが、今夜は天気が荒れていた。海はさらに荒れている。時折、どおん、どおんと巨人が太鼓を鳴らすような音が響く。それが機構内のなんらかの拍動なのか、迫りくる遠雷の音なのか、ドレイクにはわからない。〈竜〉の羽音かもしれないと妄想しながら、まったく恐ろしく感じていないことに我ながら驚く。むしろ、そうであってほしいと願ってさえいる。
 デルタ・ノクティスの展望台には自分しかいない。ドレイクはベンチに腰掛けていた。電杖ワンドの拡張画面を表示しても、メッセージは一件も現れない。元妻とランスとは未だに連絡が取れていない。
 仕方なく、ここ数日の〈竜〉に関する調査の進展について考える。
 まず、〈竜〉は地球上の生物と同様に骨格、循環機能、呼吸機能を有していることから、近しい環境の惑星からやってきたと考えられていた。人間、家畜、植物、果実を幅広く食すことが確認されており、現在はひたすら、都市部の食料を食い荒らしている。
 彼らの旺盛な食欲が、長い星間飛行による一時的なものなのか、あるいは生来のものなのかは判然としない。しかし、一部の専門家は〈竜〉が故郷の惑星の資源を食いつぶしてしまったがために、地球にやってきたのではないかと指摘している。まるで、作物を食い潰すイナゴの大群のようだ。
 それにしても、〈竜〉は地球環境に適応しすぎている。水があり、大気があり、生命が宿っている惑星を探すことが、どれだけ大変なことか。しかも、〈竜〉たちは高度な科学技術を(少なくとも見かけ上は)使用せずに、地球まで航行した。これは異常なことである。
 帰巣本能、という言葉がドレイクの頭をよぎる。渡り鳥は年間で最大8万キロメートルの距離を飛ぶ。その際、鳥たちは方位磁石や地図を使わずに、精確に航路を確定させている。
 仮に同様の本能で〈竜〉が地球に飛来したのだとしたら、とドレイクは考える。
 まず、〈竜〉はかつて地球に棲んでいた、と仮定せねばならない。その場合、〈竜〉は渡り鳥のように、ふたつ以上の惑星間を、かなり長い周期をかけて移住していることになる。移住の理由としては、資源の枯渇。彼らにとっては焼き畑農業のような方法で惑星を順繰りに燃やし尽くしていくことが合理的になる。地球が食い尽くされてしまった時代——それは2.5億年前のペルム紀末の大量絶滅か、6600万年前の恐竜の大絶滅か、あるいはもっと前か。いずれにせよ、その後には生命のない、焼け野原の時代が訪れる。いわば畑の休耕期間。
 〈竜〉が地球という畑を放置している間に、人間という雑草が繁茂してしまった。しかし雑食である彼らにとってはむしろ好都合だ。人間の畜産だって彼らの食料を増産する行為になっていたのだから。
 そして、〈竜〉は地球に戻ってきた。ちょうど食料資源が今世紀最大規模に膨れ上がったタイミングで。
 ぼんやりと思考を巡らせていると、目の端でなにかが動いた。同時に、どん、という鈍い音がする。
 天球グラスドームの上を、ゆっくりとなにかが滑り落ちていく。ドレイクは瞬きをして焦点を合わせた。雨垂れが叩きつける強化ガラスに、黒い水滴のようにずるずると力なく頂点から落ちていく、喪服のようなスーツを着た体。白い顔からは、わずかに残された血が弱弱しく跡を残している。
「ユービーム教授……?」
 ドレイクは思わず立ち上がった。目と目が合う。しかし、目が合う前からそれが死体だとわかっていた。
 北海の荒波へと落ちていくかと思われた死体は、しかし、途中で重力に抗うように止まった。ガラスの向こう側から、なにかが、強力ななにかが、その肉体を透明な曲面に押さえつけていた。
 ユービーム教授の細い、細い肩から、巨大な爪が生えたかのように見えた。ガラスが割れ、雷鳴とともに、爪が天球グラスドームの中へと差し込まれた。

天球グラス・ドームに〈竜〉が侵入したという報せは直ちに全職員に共有され、厳戒態勢が敷かれた。第一発見者のドレイクは保護されてすぐに中央戦略室へ連れていかれた。
 ドレイクが部屋に入ると、それまでおしゃべりに興じていた人々は一斉に黙った。ドレイクのあとから、レオ、アレス、サジタリウスの三人も入ってくる。
「一人にしてしまってすみませんでした」
 レオが耳打ちをしてくる。
「我々の不手際です」
「しかし、趣味が悪いぜ。知り合いの死体をわざわざ手土産に持ってくるなんて……」アレスは気味悪そうに言う。「猫のお遊びじゃないんだから。おい、教授——大丈夫か?」
「顔が白いですよ」と、サジタリウス。
 ドレイクは無言で示された席に座ると、水を一口飲んだ。まだ頭が混乱していた。ざわざわとした雑音が室内と脳内を満たしている。
「ロバーツ教授。大変なことを経験されたあとにすみませんが、いくつか質問をさせてください」
 議長が口火を切った。
「さきほど、あなたは天球グラス・ドームから侵入した〈竜〉と接触しましたね。間違いありませんか?」
「ええ、間違いありません」
「なにかコミュニケーションは交わされましたか?」
「いいえ。ただ、かぎ爪で頭部を触られただけです」
「今回、デルタ・ノクティスは初めて〈竜〉の襲撃を受けました。この理由に心当たりはありますか?」。
「脅しです」端的に答える。「我々がここで戦略を練っているということを、彼らは知っています」
「〈竜〉はあなたと接触した後、特に破壊行為も行わずに去り、現在、基地上空を旋回しています。〈竜〉になにか伝えましたか?」
「いいえ。コミュニケーションは取っていません」
 さっきも言っただろ、とアレスが小声で毒づくのが聞こえた。しかし、その声もどこか遠くに感じる。
「ロバーツ教授。この中で〈竜〉と接触した唯一の人間として、もしこの場でなにか伝えたいことがあるとすれば、ぜひお願いします」
 ドレイクは時間をかけて水を飲み干すと、口を開いた。
「我々人類は、〈竜〉に対して抵抗せずに、降伏すべきです」
 周りからぶつぶつと疑念と反駁の声が上がる。「臆病者」「死にかけたんだ……」「かわいそうに、当然だろう」——言葉の断片が、ガラスのようにドレイクを刺す。
 ドレイクは諦めずに、もう一度、声を張り上げる
「彼らには移住の歴史的根拠があるのです。〈竜〉はかつて、地球に棲息していた」
 今度は怖いくらいに部屋が静まり返る。隣では、三つ子がぽかんと口を開けている。気が狂ったようにでも見えるのだろう。
 しかし今伝えなければ、とドレイクは思う。裏付けなら誰かが後からやってくれるだろう。彼らを前に話す機会は、これが最初で最後だ。
「〈竜〉は恐らく、我々の想像をはるかに超える長寿の持ち主です。彼らは特定の星に棲むと、その星の資源を食い尽くしてしまう。そして資源が枯渇すると、また食料が十分になるまで、他の星へと移住する。移動には相当な時間がかかりますが、彼らは冬眠のような状態でこれを耐え忍ぶことができると推測します。航路は帰巣本能で彼らの脳内に埋め込まれている」
 〈竜〉に触れられた瞬間、ドレイクの脳内には原色で塗り固められたような映像がとめどなく流入してきた。人間の想像を絶する悠久の時。望郷の想い。色鮮やかな熱帯と、無色透明な氷雪。
「〈竜〉には地球に移り棲む正当な理由があります。人類は、彼らと共生することを目指すべきです」
 ざわめきが次第に膨らみ始める。怒りと嫌悪に満ちた顔が、風船のようにあちこちで膨らむ。ドレイクはそれらが弾けないことを願った。
 議長は片眉を上げてこちらを見ていた。
「ロバーツ教授、あなたは自分が言っていることをわかっていますか? 人類の裏切り者と呼ばれても仕方ない発言ですよ?」
「そう思われても結構です。これが私の考えなので」
「それでは結構。会議はこれまでです——どうぞご退出を」
 周囲の参加者がドレイクを部屋から追い出そうと、慌ただしく立ち上がる。三つ子たちがその動きを妨げようとドレイクを囲んだ。しかしドレイクは座ったままでいた。まだ頭がぼーっとしている。
 今度こそ、間違いなく雷鳴の音がした。天井が割れ、ドレイクは咄嗟に机の下に飛び込む。粉塵と海水があちこちで噴き出し、人々が悲鳴を上げる。
 巨大な赤い竜が、天井の割れ目からこちらを覗き込んでいる。その口ひげは自らの吐く灼熱の息に揺れ、黄金の瞳はしかとドレイクを捉えた。目が合った瞬間、ドレイクは自分の意志が伝わったことを知った。
 ドレイクは竜の背に乗り、デルタ・ノクティスを見降ろしながら、北海の空へと飛び立っていくところを想像した。肌を切り裂く風と、東の水平線に見るであろうアプリコット色の朝陽を想像した。手の下の、チタン合金のような硬い、硬い鱗を想像した。
 連れていってくれ、とドレイクは念じる。
 〈竜〉は脚を天井の隙間から差し込み、ドレイクを摘まみ上げる。
「クソったれ!」
 見下ろすと、アレスが電杖ワンドを取り出していた。まるで剣のように構えたかと思うと、バチバチと空気の灼ける音がし、青白い刀身が現れた。最近流行っている、護身用の違法レーザーカスタム。アレスはそれを勢いよく投げつけた。首を狙って放たれた一撃は、〈竜〉が機敏にかわしたことで、ドレイクの肩に当たる。
 空気が割れるような咆哮が上がる。ドレイクはそれが自分の口から発せられたのだと錯覚した。だが、違う。焼けるような痛みで歪んだ視界の中、〈竜〉が大きく口を上け、叫び声を上げるのが見えた。前脚が振られ、アレスの体が部屋の反対側へ突き飛ばされる。海が大きく揺れていた。〈竜〉は低くかがみこむと、天井を突き破るようにして、不格好に飛び立った。
 ドレイクは片手で肩の傷口を抑え、もう片方の手で必死に〈竜〉にしがみつきながら、再びその咆哮を聞いた。

ランス・ロバーツはイギリスの地図を見ながら、やっぱり竜に似ているな、と思った。
 スコットランドが頭、エディンバラあたりが喉で、北アイルランドが翼。ロンドンはちょうど竜のお膝元になる——抱え込まれた宝箱、といったところか。
 その宝箱も、今やすっかり荒らされてしまった。
 父であるドレイク・ロバーツが地球外生命体〈竜〉陣営に寝返ってから二ヶ月が経とうとしている。近隣のロンドン、バーミンガム、マンチェスターの三都市はすべて〈竜〉の支配下に置かれているが、幸いこの静かな大学都市は平穏を保っている。おかげで、ランスは大学の仲間たちと密かにレジスタンスを組織し、その勢力を拡大することができていた。皮肉なことに、「人類初の裏切り者」となった父を持つことは、ランス自身の知名度を上げることに貢献した。今では若きレジスタンスの代表として密かに名を馳せている。
 なによりも今ほしいのは、武器だ。軍を味方に付けることができないのなら、いくら賛同者の数が多かろうが、〈竜〉に対抗することはできない。
 そう考えていたところで、ちょうど昨日、耳寄りな情報が転がり込んできた。
 話によると、国連の〈竜〉対策チームから、三人の奇妙な若い女性がケンブリッジを訪ねて来たらしい。彼女たちは見た目がそっくりで、並ぶと三連星のように見えるとのこと。ランスにはどういう意味かさっぱりわからない。しかし、彼女たちが話した内容には興味をそそられた——〈竜〉に対抗する手段を見つけたかもしれない、というのだ。
 その概要だけ聞いて、ランスはその三人組に会うことを決めた。場所はお気に入りの大講堂。なんとなく地図を眺めながら、ランスは約束の時間を待つ。
 正午きっかりに、講堂の扉は開いた。
「時間がない」ランスが腰を上げる暇もなく、金髪の女が歩み寄ってきた。「私はレオ、赤がアレス、銀がサジタリウスです。国連の〈竜〉対策チームから来ました」
「あんまり父ちゃんに似てないな」
 アレスと呼ばれた女がじろじろとランスの顔を覗き込む。その首元では動く刺青リビング・インクの蛇がするするととぐろを巻いている。
「そうでしょうか。私には面影が見えますが……」
 銀髪のサジタリウスが手を差し出す。ランスは仏頂面でそれを握り返した。
「親父がご迷惑をおかけした。あいつは人類の裏切り者だ」
 ランスがそう言うと、レオは軽く首を傾げた。
「さあどうでしょう、たしかにロバーツ教授は私たちを裏切ったかもしれませんが、〈竜〉の意図に最も近いところにいるのは彼です。それに、彼は図らずも人類に希望の光を投げかけています」
「どういうことだ」
「〈竜〉に対抗するには、こっちも〈竜〉をぶつけるしかないってことだよ」アレスが目をキラキラさせながら言う。「つまり、こちら側にも〈竜〉を味方に付ける。それが、人類に残された唯一の道だ」
「だが、人類の味方につく〈竜〉などいるわけがない。こぞって地球を征服しに来ているんだぞ」
「いや、各地で竜伝説が残っているということは、人類が文明を築いたあとにも、一定数の〈竜〉が地球上に残っていたはずなんだ」
「竜は神話で悪の象徴として描かれてきました」サジタリウスが静かに引き継ぐ。「洞窟の奥や山奥に、時として呪われた存在として、時として財宝の番人として、世界の片隅に押しやられた存在。彼らが取り残された地球外生命体〈竜〉だったとしたら?」
「一部の〈竜〉は地球に残り続けたということか」
 ランスは思わず身を乗り出していた。手の下の世界地図が歪み、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国が、飛び立つ直前の竜のように重心をぐっと低くする。
 レオは短く頷いた。
「ええ。そして、彼らは今も地球のどこか、地殻の奥深くで眠っている——私たちはそう確信しています。彼らを、味方につけなければなりません
 かなりの希望的観測だ、とランスは思う。しかし、それくらいしか生き残る道がないのも事実だ。
「問題は、仮に眠れる〈竜〉が見つかったとして、目覚めさせる手段がわからないことだ」レオがランスをまっすぐ見据えて言う。ここからが本題なのだ。「なにか考えはないか?」
 ランスはしばし黙り込んだ。ドレイクが〈竜〉の背に乗って飛び去っていく動画は何度も見ていた。初めて〈竜〉が声を発したのがあの時だった。そして時を同じくして、ドッガーバンクだけでなく、イギリス近海のプレートが異常な振動を繰り返していたことも確認している。
「鳴き声、じゃないかな」ランスは慎重に切り出す。「〈竜〉は明らかに声帯を有しているし、いくらテレパシーで互いに意思疎通が可能だとしても、威嚇行為としても吠えないのは不自然だ。もしかしたら眠っている〈竜〉——〈古代竜〉としよう——を目覚めさせる条件は、彼らの鳴き声なのかもしれない。あのとき、〈竜〉が声を上げたのは、親父と感覚が繋がっていたからだ。人間は〈竜〉に比べて圧倒的に痛覚に対する耐性が弱い」
「つまり、捕獲した竜を人間と接触させて、感覚共有まで導いてから、人間側に痛みを感じさせなければいけないということか」アレスはなぜか嬉しそうに唇を歪めた。「なかなか複雑でサディスティックだ」
 金髪のレオが、ふいに立ち上がった。
「ランス、申し訳ないですが、あなたには今からいっしょに来てもらいます」
 急な展開に、ランスは慌てた。
「いや、待て。レジスタンスが……」
「お父様に、復讐したくありませんか? 人類を裏切ったお父様に」
 サジタリウスにそっと割り込まれて、ランスはたじろいだ。
 昔、父がまだ家庭に関わっていたとき、幼いランスにフェンシングの稽古をつけてくれたことがあった。その日の汗の匂い、陽射しの照りつき、足元の芝生の柔らかさがふと蘇り、ランスは胸が締め付けられるような思いがする。
「……したい」
 ランスはつぶやいた。
「我々も心苦しいのですよ」
 サジタリウスがそっと囁く。ほとんど悪魔的な慈悲深さで。

すっかり日が暮れたロンドンの街には〈竜〉が蠢いていた。テムズ川沿いには黒くぬらぬらとした鱗が月明かりに反射している。ときたま、〈竜〉があくびをすると、ぽっとオレンジ色の光が灯った。ドレイクはそれを世界で一番美しい光景だと思った。
 ドレイクは〈竜〉の背中に乗って上空を旋回している。彼をデルタ・ノクティスから連れ出した赤い〈竜〉だ。竜の背中は硬く、つるつるしているので非常に乗りにくい。ドレイクは専用の鞍を作り背骨に沿って生えている棘の隙間に設置することで体を固定していた。
 ドレイクは夜空を見渡した。今晩は星がよく見える。〈竜〉が地球に現れたあの夜のことを思い出す。あれから、ずいぶん時間が経ったように感じられる。
 遠くから雷鳴のような轟きが聞こえてきた。ドレイクは〈竜〉の背中を撫でた。刹那、〈竜〉の目から見た世界の映像がドレイクの脳内に流れ込む。はるか遠く、西の空に、こちらに向かってくる黒雲のような生き物の群れ。彼らの背中には人間が乗っている。
「来たな……バカ息子」
 その先頭を飛ぶ〈古代竜〉の背中にランスの顔を見つけて、ドレイクは思わず悪態を吐く。 しかし、ランスはそんなドレイクに構わずロンドンの群雲を突っ切ってやってくる。どうやら正面から向き合わなくてはならないらしい。今度ばかりは。
「行くぞ」
 ドレイクが促すと、〈竜〉は旋回をやめ、迫りくる〈古代竜〉を迎え撃つように滑空した。地上の〈竜〉たちも次々と飛び立ち、後を追う。数百体の〈竜〉の飛翔は大地を激しく揺らし、地盤を崩していく。眼下でゆっくりとタワーブリッジが崩れ落ちていった。続いて、より地味なロンドン橋が驚くほど静かに黒い水面に沈んでいく。
「ロンドン橋落ちた、落ちた、落ちた、ロンドン橋落ちた、マイ・フェア・レディ……」
 ドレイクは口ずさみながら、静かに笑った。ロンドン橋は約二千年もの間、何度も建設と破壊を繰り返してきた。しかし、今度ばかりは再建されることはないだろう。
 半壊したセントポール大聖堂を右手に、蛇行するテムズ川に沿って〈竜〉は体を斜めに傾ける。
 ドレイクと〈古代竜〉たちの距離が近づいていく。残り数百メートル、というところで〈古代竜〉の群れは止まった。
 先頭の〈古代竜〉がビッグ・ベンの上で羽ばたき、その崩れかけた時計台に座り込む。その鱗は白く、砂礫のようにうっすらと茶色がかっていた。薄闇のなかで〈古代竜〉は岩石の塊にも、巨大な猫にも見える。大きさはドレイクの〈竜〉よりやや小さい。他の〈古代竜〉たちは少し離れたウェストミンスタ―宮殿跡の影で、静かに待ち構えている。
 ドレイクの乗った〈竜〉はビッグ・ベンの上を旋回した。背後では、数百体の〈竜〉が同様に空中で羽ばたき、控えていた。ドレイクの視線は背中にまたがったランスの姿を捉えた。その手には青白く燃える剣が握られている。アレスが使ったのと同じ、高圧レーザーの刃だ。
 ドレイクは声を張り上げた。
「時代遅れな仲間たちを連れて、何の用だ?」
 暗闇のなかでも、ランスの顔が歪むのがはっきりと見えた。
「あんたには言われたくないね、親父」
 〈古代竜〉は今にも飛びかからんと身を屈めている。ドレイクとランスが互いに黒目を判別できるほど近づいた刹那、ランスがなにかを投げてよこした。ドレイクは反射的にそれを受けとる。カスタム済みの電杖ワンド。根元のスイッチを入れると、チリチリと閃光が走り、青白く輝く刀身が現れた。
「最後の稽古だよ」再び上昇する〈竜〉の背中で、ドレイクはかろうじて息子の声を拾った。「人類の裏切り者め!」
 ドレイクの脳裏に記憶が蘇る。リッチモンドのこぢんまりとした自宅。その庭の青々とした芝生。練習剣を握ったランス。まだ小さいランス。汗で額に張り付いた髪、子ども特有の汗の匂い、心地よい熱気。
「望むところだ」
 ドレイクが叫んだのと、〈古代竜〉が塔から飛び立ったのは同時だった。ドレイクの乗る〈竜〉が口から炎を噴射し、〈古代竜〉はそれを交わしながら、猫じゃらしに飛びつく猫のように、ドレイクたちを空から叩き落そうとする。
 上に飛べ、と念じるまでもなくドレイクは上へ、上へと引っ張り上げられる。〈古代竜〉はすぐ足元まで迫っている。ドレイクは剣をひっこめて、〈竜〉の背中にしがみつくので精いっぱいだった。
 痛み。焼けるような痛み。ドレイクは一瞬、足がもぎ取られたと錯覚した。しかし、自分の足を見ても異変はない。
 短く太い悲鳴を聞き、ようやくそれが〈竜〉の痛みであることに気がついた。〈竜〉の痛みがドレイクの脳内に流れ込んできたのだ。
 振り返ると、〈竜〉の右脚にぱっくりと切り口が生じていた。滝のように黒い液体がどくどくとあふれでている。剣を誇らしげに振り上げるランスが目に入る。すれ違いざまに切られたのだ。
 怖れよりも先に怒りが生まれた。まるで自分自身が傷ついたかのように、ドレイクの胸の内に憎しみの炎が熾る。意識が溶け合い、ドレイクは〈竜〉の一部となり、〈竜〉はドレイクの一部となった。空を駆け昇りながら、ふたつの息が揃う。
 〈竜〉と人間は一矢となってはぐれた霧雲を突き抜けた。
 ドレイクは呼吸もせずに、ただ星空の合間に漂う虚空を見つめながら、剣を握り直した。レーザーのチリチリと灼ける音が下へ、下へと零れ落ちていく。
 ちらりと、地上へと視線を落とす。
 ドレイクたちに続いて飛んでいた〈竜〉の一群が、ウェストミンスター宮殿跡の影に群がる〈古代竜〉たちに突っ込むところだった。A thunder of Dragons. 幾千万の雷鳴が轟くような音を立てて怪物たちが衝突する。
 咄嗟に〈竜〉の動きを感知して——あるいは、それは自らの意志だったのかもしれないが——ドレイクは空いている手で鞍を握り直す。〈竜〉は宙でくるりと一回転する。世界がひっくり返り、ドレイクの瞳にはまん丸の月が映る。そして再び明かりのない、暗がりの異形と堕ちた星々が這いまわる地上へ、急降下。阻むのは〈古代竜〉と、驚き瞠目するランスのみ。
 気づけばドレイクの口からも咆哮が迸っていた。過去がすべて霧散していく——伝承も社会も、当然その上に構築された自らの人生も、〈竜〉の原始的な壮大さと美しさの前では全く以て些末であり、くだらないことであった。その思考を最後に、ドレイクは意識を手放して〈竜〉のそれと一体化した。
 空中で急旋回した〈竜〉は上昇中の〈古代竜〉と激突した。かろうじて組み合いながら、二体の巨大な生命体は地上へと堕ちていく。ドレイクはなにも考えずに〈竜〉の背中にしがみついている。と、手に燃えるような衝撃が加わった。
 切れたのは、〈竜〉の前足か、ドレイクの手か? それすらも判別ができない。
 ぼうっと見上げると、目の前にはランスがいた。いつの間にかドレイクの騎乗する〈竜〉に飛び乗っていたらしい。しかし、その姿はどんどん小さくなっていく。いや、そうではない。ドレイクが落下しているのだ。
 〈竜〉は組み合った〈古代竜〉の片翼を食い千切り、後ろ足で相手を突き放す。人間が死んでも問題はない。彼の知識や経験はすでに〈竜〉のものでもある。
 ドレイクは、落ちていく。自らの体が勝利に満足して高く舞い上がりながら、一方で、同じく自分の体がどうしようもなく不自由で鈍重な重荷のように、地上へと引っ張られていくのを感じる。
 空を見上げる形で落ちていくドレイクが最後に見たのは、満天の流星群であった。
 増援が来たのだ、とドレイクは思う。あるいは〈竜〉が思う。飛びながら落ちている。あるいは、落ちながら飛んでいる。
 ドレイク・ロバーツは、そっと目を閉じた。

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