梗 概
パフォーマンスパフューム
深夜一時の二畳の書斎。三十四歳の拓海は愛読書を片手に「令和の島耕作」になることを決意する。一切の女遊びをせず家庭第一でいながら、仕事では順調にキャリアアップし、自分らしくいられるコミュニティも大事にする、現代におけるパーフェクトな男性像。
しかし現実には、妻や子どもから疎まれ、仕事では若手に抜かれた焦燥感から悪循環に陥り、趣味で通う小説家養成講座では「文章に自我が滲み出ている」と厳しいフィードバック。
SaaS企業での多忙な日常、育児と趣味に追われ逆にやる気を出せない自分を攻める日々。このまま何者にもなれない不安感に、ただならぬ恐怖を感じていた。
そんなとき、スタートアップに勤める知人から、集中力を極限まで高める試作香水”パフォーマンスパフューム”を渡される。
資料作成が終わらず気休め程度と思って手首にひと吹きすると、雑念が消え、体が勝手に動くフロー状態がすぐに訪れる。養成講座では迷いなく筆が走るようになり、毎回の提出課題では佳作に選ばれるようになる。仕事では若手を抜き返すと、家事も育児もマシンのようにこなし、妻から「最近頼もしい」と言われるようになった。
自分は遂に「令和の島耕作」になったのだ。しかし提案コンペに成功し昇進の打診を受けた夜、飲み会での話が思い出せなくなっていることに気づく。特に気にせず香水の量を増やしながら、家庭、仕事、趣味の領域で更に拓海は目覚ましい成果を上げていく。そんなある日、息子が描いたパパの絵が、目鼻のない「四角い塊」であることに恐怖を覚える。
知人を問い詰めると「あの香水は、必要ないと判断した感情や記憶を消去し、リソースをすべて処理に回せるようにするものだ」と明かされる。使い続ければ、一切の迷いはなくなり必要な行動を淀みなく行える。しかしそれは、自我が消えてしまうことを意味していた。
迷った拓海はどうするべきかわからず、妻に全てを打ち明けることにする。妻は最近の拓海がおかしいことに気づいていた。「無理して理想の自分にならなくていいんじゃない? 今までの不器用な方がいいよ」。拓海はその一言で理解する。何者にもなれない自分でいいんだ、と。
それから彼は、仕事や家庭でまた失敗を繰り返し始める。そして迎えた養成講座の最終課題選考。泥臭い感情を叩きつけた彼の作品は選外となったが、打ち上げの場の居酒屋で「個人的にはとても良かった」と審査員から声をかけられる。
朝帰りとなった部屋。拓海は変わらずパフォーマンスパフュームを吹きかける。彼はあの日理解した。令和の男性は、何もなし得ず失敗しながら生きる姿が美しい。しかし、そんな自分を容認できなかった彼は、そうなるように願いながらパフォーマンスパフュームを使うようにした。
情けなく苦しみながら生きることに最適化された彼に、もはや自我はない。彼は、何もなし得ない自分と向き合う恐怖を克服したのだった。
文字数:1188
内容に関するアピール
私にとっての怖いことは、忙しい日常に飲まれて何者にもなれない、全てが中途半端になってしまうんじゃないかという今この状況です。これを書いてる締切4時間前、並行して書き進めている実作が提出できそうにありません。怖いです。
しかし俯瞰して見ると、周りにいる誰もが私に「何者かになってくれ」とは特に思っていません。それなのに、自分は自分に期待をして、うまくできない自分を認められません。そのギャップもまた恐怖です。
今回はそんな構造を描いてみたいと思いました。
ただ、話の展開として「そんな何者にもなれない自分をちゃんと認めてあげようね」というめでたしめでたしは認めたくありません。かといって、安直に何者かになってしまうのも違うと思い、このラストに行き着きました。
個人的には、自分の問題が、令和社会のアイデンティティクライシスや理想の男性像の課題感につながったような気がして、気に入ってます。
文字数:389




