ピンクのライオンと新米喫煙者
夕日が砂漠の向こう側に落ち、見渡す限りの砂の世界を冷やし始める。茜色だった空に青々とした闇が混じる様を、僕は録画ボタンが押されたまま放っておかれたビデオカメラのように、ぼうっと突っ立って眺めていた。
だから、不意に低く大きな獣の唸り声が聞こえたとき、僕はぎょっとして声の方を向いた。小高い丘のようになった砂の上に、淡い桜色の毛皮を纏ったライオンが立っている。彼女は僕と目を合わせると、逞しい四足の足を小気味よいリズムに合わせながら、夕闇の砂を打ち鳴らして僕の方に駆け降りてくる。
遅いよ!
低く深い肉食獣の唸りの中に、僕はハスキーだった彼女の声の響きを探して言葉を辿る。
僕は謝り、砂漠の空に見惚れていたこと、でもピンクのライオンも素敵だと伝える。
どちらも同感と彼女は言う。
彼女は、五年前のクリスマスイブに業火に焼かれて死んだ。もっとも僕は、未だにその事実を飲み込めていない。ガーゼに包まれて棺に入れられていたモノは本当に彼女だったのか? 分からないまま、彼女を二度焼かないでとぼろぼろの涙を散らして叫ぶ彼女の母を、お父さんと一緒になだめながら、どうにこうにか火葬を終えて骨を拾った。
いつの間にか正月休みは終わっていて、職場からの二十三回目の着信に答えて事情を説明すると、悲劇の事故で婚約者を亡くした哀れな男は自由な身分となった。
墓参りにも行けず、家族とも話す気になれず、不義理なことはわかっていながら人との繋がりを絶った。
そうして始まった生活と呼べない生活の中で、僕はとあるシステムの存在に気がついた。
あるいくつかの条件が重なった状態でゆっくりと目を閉じる。すると僕の意識はこことは違う世界に繋がり、人間とは違う姿をした彼女に会うことができる。条件は毎回変わるので、それが正しかったかは後になってみないとわからない。
でもそのようにして僕は、この五年で十三回の逢瀬を重ねることができた。
雪が降ってること、ただしみぞれでも可。これが条件その三。
桜色の毛皮に寝そべりながら、僕は得意気に説明する。彼女は満足気に目を綻ばせながら、うんうんと頷いて話を聞く。いつしか僕らにとってのいちばんの話題は、今回この世界に接続する条件をいかに解明したかになっていた。
……で、後一つが今回マジで時間かかって。
僕はそこまで言いかけて、彼女をチラッと見た。
何?
これさ、もしかして聞いたら怒るかもしれないんだけど。四つ目の条件に気づいたのがコンビニの会計のときでさ、それで買っちゃったんだよね。いや、嫌いなのはもちろん知ってるし、俺も好きじゃないんだけどさ。
ピンクのライオンは首を傾げる。今さら何を遠慮することがあるんだろう。私はもう、君の世界にいないのだし、そもそも私の嫌いなことなんて……。そう彼女は頭を巡らせてみて、一つの回答に思い当たる。
……もしかしてタバコ?
言い当てられた僕は、渋々頷く。嫌煙家の彼女は、タバコを吸う人と一緒にいるのも苦手で、よく職場では喫煙室から帰ってきた人に文句を言っていた。
……ごめん。
いや、今さらいいけどさ、別に。でも、え? 今何歳になるんだっけ?
三十四。
ミドサーじゃん。ミドサーで初めて煙草を吸う男って……。
いや、そうだけどさ、でもそれで今回こうして会えたんだしさ!
まぁそれはそう。
深く深く濃い空の青が、次第に白み始める。太陽がまた昇ってしまえば、今回の僕らの時間は終わりになる。この世界にいるときは眠くならない。寒くなったり暑くなったりすることもない。ずっと元気なまま、何度だって同じ話をしていられた。
で、結局そのマスカットの味が正解だったってことね。
でも吸ってみたらマジでポップコーンだからね! マスカットって書いてあるのに味がポップコーンで、さすがにそれは距離ありすぎっていうか。
爆笑して転がるライオンの姿。
それで色々試した結果、立派な喫煙者になっちゃったんだ。
あぁ、味とかは別に、だけど。喫煙室でしか話せないこととかもあって、そこから新しい交友関係が生まれたりしてさ。
僕は一つ嘘をつく。いや、それは嘘じゃないと言い聞かせる。
僕はそのとき、どんな顔をしていたんだろうか。彼女のライオンの瞳は、優しく、僕の顔を見つめていた。
……もう大丈夫かもね。
何が?
いや、こっちの話。
太陽が昇り始めると、この世界の視界が次第に薄まり始める。それがいつものことだった。彼女が恐竜のときも、バンドウイルカのときも、そうやって容赦なく僕らの時間は終わってしまう。
僕はまた、その時が来たことに少し絶望して、彼女のことを見る。
それじゃ、また今度。
うん、また。
次はいつ会えるのだろうか。僕は桜色の毛皮をぎゅっと抱きしめる。彼女はライオンの瞳で僕の顔を見つめると、最後に本当に嬉しそうに微笑んだ。
文字数:1937
内容に関するアピール
自分にとって美しいものは、『もう会うことができない人との交流』です。会えない人と会えてしまうことも美しいですし、会えるのに会わないと決めることもまた美しいので、そういった美しさを軸に物語を膨らませてみました。
文字数:104


