梗 概
虚実皮膜
一九九七年、山あいの美朝村で育った中学二年生の西久保丈は、学校になじめず鬱屈した日々を送っていた。唯一の救いは深夜のプロレス中継であり、特にトップレスラーの滝原剛一に絶対的な崇拝を寄せていた。クラスでプロレスは虚構だと馬鹿にされても、狂信的に理論武装したプロレスオタクの丈は「滝原こそ最強」と信じて疑わなかった。
そんな折、滝原がブラジリアン柔術家ヒカルド・グラシオと総合格闘技ルールで戦うというニュースが流れる。クラスメートの揶揄に触発された丈は衝動的に家出し、東京ドームでその試合を目撃する。しかし滝原が完敗したことで丈の信仰は崩れ落ち、「世界は信じたものを裏切る」と絶望する。
失意の帰路、丈は山道で足を滑らせ重傷を負うが、意識を失う直前、空から極彩色の飛行体が近づくのを見た。目覚めたとき傷は不自然なほど治癒しており、丈が「UFOに救われた」と訴えても誰も信じなかった。医師は「酸素不足が見せた脳の幻覚」と断じた。
この出来事を境に丈はオカルトに傾倒し、かつて信じたプロレスと通ずる曖昧で神秘的な「虚実皮膜」の領域に救いを見出すようになる。高校卒業後は本物のUFOを求め、オカルト番組の制作会社へ就職。しかし現場にあったのは超常現象を「演出」で捏造する欺瞞ばかりで、丈は失望し匿名でヤラセを告発し退社する。
故郷に戻る途中、かつての極彩色の飛行体を再び目撃した丈は信仰心を取り戻し、美朝村でUFOを核にした村おこしを始める。私設博物館の建設、ゆるキャラ、そして村を挙げたUFO捜索隊……。虚構性を逆手に取った観光戦略は成功し、村は活気を取り戻す。
二〇二五年。中年になった丈のもとを、オカルト誌「パンゲア」の記者、百川が取材に訪れる。丈は村の様子を案内しながらUFO信仰の核心を語る――「正体が曖昧だからこそ、人はそこに想像を託せる。実在を信じるかどうかは重要ではありません」。百川は興味を示しつつ、丈を裏山へ連れ出す。
そこで百川は正体を明かす。彼は地球を調査するため人間に擬態したプレアデス星団出身の宇宙人であり、かつて山中で丈の命を救った存在でもあった。百川はこの村のUFO信仰を知り、地球人に化けて丈に再接触したのだ。百川は調査を終え、これから地球人に自分たちの存在を明かすつもりだと告げる。
丈は激しく動揺する。彼にとってUFOはかつてのプロレスと同じく「神話」であり、曖昧であるからこそ信仰の価値がある。実在を証明されることは神話の死を意味した。「真実を暴いてはならない」と丈はロラン・バルトのプロレス論を持ち出しつつ熱弁するが、百川には当然理解されない。
会話は決裂し、百川が去ろうとした瞬間、丈は衝動的に彼を崖下へ突き落とし、さらにとどめを刺して古井戸へ遺体を投げ込む。すべては神話の保護のためだと、自らの行為を正当化しながら、丈は空を仰ぎ、村人たちのいるUFO捜索隊の列に加わるのだった。
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内容に関するアピール
このところ、昭和後期から平成初期にかけてのプロレスとオカルト番組を調べています。
本来まったく異なるジャンルですが、両者には「虚実をあえて曖昧なまま提示し、視聴者が半信半疑で楽しむ余地を残す」という共通点があります。
かつてのプロレスにおける「あえて演技か本気かわからないようにしている強さ」も、オカルト番組の「本物か演出かわからない怪奇」も、受け手が想像力で補いながら参加できる娯楽でした。
しかし、こうした“核心をぼかすエンターテインメント”は、良くも悪くも現代のマスメディアでは成立しにくくなりました。受け手側の許容度も、この頃ほどおおらかではありません。
私はリアルタイム世代ではないものの、偶然の出会いからこの二つに強く惹かれ、プロレスとオカルトに通底する構造――虚実の曖昧さが生む魅力――をテーマに、フィクションを書こうと思いました。
文字数:369




