梗 概
堕ち人賛歌
中古物販サイトで手に入れたヨーグルトメーカーはいい働きをしてくれるけど、中身がどうなってるか目視できないのが難点だ。
1LDKの狭苦しい台所で滅菌エプロンを締めたシュウは緊張した面持ちでカバーを外す。中では将来どこぞの変態に接合される運命のペニスの幼体が浮かんでいた。
間髪置かずにスマートフォンで写真を取ってカバーを戻す。
写真を眺めてみると、ヒドラ様の細胞分裂期は終わりに近づいていることが分かる。これからは養分の添加と老廃物の循環に気を配らないといけない。
写真をサーバーと同期させつつ、元請けのゴトウに添加アミノ酸の注文依頼のメッセージを送った。
このアパートにシュウのプライベートスペースはほとんどない。
台所はラボと化し、リビングでは頭を打って高次脳機能障害となった妹ユキが横たわっている。
過労で体調を崩しがちな父の介護と、現実認知が歪み始めた母との暮らしで保険金は使い切ってしまった。家の陰鬱な空気に耐えられなくなり、独り暮らしで妹を養う決意をしたのは6年前。
隅っこの万年床で体育座りに身体を丸め、シュウは巨大な介護用ベッドに横たわるユキを凝視する。
昔はユキが意識を取り戻して起き上がるシーンを夢想していたが、今では先のペニスを観る眼差しと大差ない。経過に異変なし、だ。
スマートフォンの安眠アプリケーションを起動させる。リラクゼーションミュージックが、波のさざめきが、微かにアンモニア臭のする病室兼リビングを満たす。遠くからイルカの鳴き声が聞こえた。
歌だ。
ユキの筋肉の微かな振動を感知し、介護ベットがモーター駆動音とともにたわんでユキの姿勢を変えてくれる。
経過に異変なし。
灯りを消し、シュウも目を閉じた。
2027年、シュウは昼間は工場で働きつつバイオ・オーナメント(外付け装飾器官)のDIYを副業にして小遣いを稼いでいた。
猫の耳や尻尾など、培養した人間以外の器官を癒着させるファッション・カルチャーが人気になり、企業の正規品だけでは満足できなくなった、またはもっと低価格で下品な遊びがしたくなった人間が増えた。シュウのようなアマチュア・バイオハッカーでもオーダーを回してくれる元請けを見つければそれなりに需要があったのだ。
寝たきりの妹を介護するため、高校を卒業してからひたすら働く日々を送っていたシュウにはバイオ・オーナメントなど縁のない遊びだったが、工場の上司ナカタニにとある風俗店に無理やり連れていかれた夜からその世界に首を突っ込むことになる。
その店でシュウは耳と眼球そして体毛を三毛猫に置換した娘ミヤコと、バイオ・オーナメント手術も請け負っているというオーナーのゴトウと出会い、妹のユキをイルカに置換することを思いつく。
目が覚めるか保証もない、ヒトとして生きる喜びも享受できないなら、せめてユキが好きだった動物に生まれ変わらせてやろうと考えたのだ。
ゴトウに人間を他の動物に「置換」ができる業者の斡旋を頼み込むが、ゴトウでもそこまでの置換を請け負う業者は知らないという。シュウは自らバイオ・オーナメントの世界に入り、業者を探すことにする。
ゴトウの下請けパーツ培養の手伝いをしながら妹を置換できるスキルをもった業者とのコンタクトの術を模索する日々を続けていたが、ついにキタニと名乗る業者を探し当てる。
キタニは手術を請け負うが、イルカを密漁することは難しいかつ全ての器官を培養するには時間と手間がかかりすぎるので一部の器官は他の哺乳類から転用することを提案した。シュウは上司ナカタニの器官を盗むことを思いつく。
文字数:1487
内容に関するアピール
自分の人生が思い通りにならないのは自分のせいなのに妹の問題にすり替えて、そのうえ妹をイルカにして海に放流しようとするお馬鹿なお兄ちゃんの物語となります。
人として生きる喜びを得難い状況にあるなら人間を辞めてしまうという選択肢はありではなかろうかという着想がきっかけです。
がんばって人として生きようと叱咤激励するのではなく、それもいいね、応援するよという気持ちを主軸したいと考えており、その思いを込めてタイトルは「堕ち人賛歌」にしました。兄貴はともかく妹はハッピーエンドにします。
最近勃興しているDIBバイオを絡めて生命をお手軽にいじくる技術と知識が浸透している楽しい世界を描写したいと考えています。
文字数:301