梗 概
モジカ
――残念ですが、あなたの残り字命(じみょう)はありません。
字師(じし)の診断がくだされる。
つまり、私は文字を書けなくなった――寡作だが実力派である作家、秦(はた)の言葉に、ええ、と若い字師が応じる。ただし、認知機能は正常です。キーのタイプも、フリックも、〈視認証思念入力(シーパス)〉もできる。
……ただ、ペンをつかって文字を記すことができない。
なぜ――知らずこぼれる言葉に字師は「わかりません」と応えを返す。しかしその原因はわかります、と。
そうして、言った。
これは、〈モジカ〉の仕業です、と。
モジカは、識字機能を害するある種の病で、首都圏の文子(ぶんし)人形に拡大していた。
平成(ひらなり)は、相棒の文子人形である音入(ねいる)と赴いた秦のサイン会で暴漢に遭遇し、行きがかりで秦を救出していた。
診療後、文字にまつわるエージェント業の平成は秦から依頼を請ける。すなわち「どうして自分だったのか」を解明すること。
三人は手がかりを求め、サイン会場のホテルに戻る。フロントに手紙が預けられていた。いまや希少な手漉きの和紙にしたためられた手書きの文字は意をなさず、しかしその一字一字がモジカ発症者たちの「喪われた筆跡」であることがわかる。それら数千字のなかただ一字、発症が報告されていない筆跡の持ち主を訪ねる一行。そこには拘束されたその人と、「犯人」の姿があった。
「なぜこんなことを?」お定まりの台詞。
「なにごとにも理由はある」僕は実行犯であり、告発者ですと犯人は自嘲する。
もとは全人類の筆跡をアーカイブする一環として、文子人形の筆跡を模倣する技術開発がなされた。揃えようとしても個体差が出る「筆跡」をリバースエンジニアリングする試みだった。
「モジカは副産物だった」文子人形が文字を知覚し、書字の命令を手に伝え、命じられた手が正しく動作し、字を記す。一連の機序を読みとる際に、オリジナルに障害が起きるとわかった。
しかし、「なぜ」そうなるかはわからなかった。
謎は解かれなければならないし、不具合であればリコールだって必要だ。再現性の検証と、筆跡の収拾と、両方をこなすため半無差別なテロリズムが繰り返された。
かれにできる抵抗といえば、地域を限定するくらい。課された縛りをくぐって告発するには、偶然にエージェントと関わる以外に手段がなかった。平成の字務所webには音入の趣味が書かれていたし、秦は滅多に本を出さない。賭けてみるには良いかと思った。
しかし、それなら、なぜ秦を?
それは――
「数少ない、指定ターゲットのうちのひとりだったからだろう」
字師があらわれる。
彼女が現れたことで犯人は運命を悟りその場を去る。逃げ切れまいと字師は言い、平成たちにも口止めをすると、遠からず〈モジカ〉は収束するとの「予想」を告げた。
秦との別れ際、音入は秦に(書けない)サインをねだる。
結局、私がねらわれた理由はなんだったのか――秦の疑問に音入は「告発しようと思った訳ならわかる」と告げる。
ファンだから――
きっと、危険を冒して踏み切ったのだ。
それだけの価値を、貴方の紡ぐ字に感じたのだと言って、文字にならないサインの書かれた本を抱きしめるのだった。
文字数:1329
内容に関するアピール
人間で言うところの脳機能障害等による「失書」(失読ではない)を題材に、「キャラクター」を意識した三人称小説を構想した。
時系列をいじり、冒頭のシーンに字師の診察を持ってくることで、「モジカ」というタイトルへつなげ物語に引き込むねらいである。
しかし、「謎解き」が人物の語りによって明らかになってしまうなど、ミステリ面での地力不足を露呈した。また、「バックにあるもの」を匂わせる手法も難儀した。今後も「キャラクター」小説を書くならば、このあたりのストーリーテリングを伸ばしていかねばならないと自省する。
なお、〈文子人形〉という語は、「テーマ」というより「ガジェット」として今後も時折登場することとなるだろう。触れる必要がないため、本作のあらすじにおいて「説明」はしていない。
また、中島敦「文字禍」は意識していたが、円城塔「文字渦」が出たとき「まじか」と思ったことは白状しておく。
文字数:391