梗 概
我々は何者か
高山が初めてその光の球を見かけたのは高校生の頃、テレビの中であった。画面上では男が叫ぶように宣言している、「生きる使命を終えた時に人は死ぬ。光の球になって!」男の叫びに人々は取り合わなかったが、一つだけ質問が飛んだ。「どうしてそんなことを?」「私は生きる目的を知りたかった」男はその直後、光の球になって消えた。
役目の終了と同時に人は光の球になって空へと還る。
それが常識となってから数年が経ち、高山はゴシップ記事で生計を立てる毎日を送っている。周りでも何人かは既に光の球となり、高山は焦燥を感じている。役目も果たさず死んだものは光の球にはならない事は知られている。自分は何の役目も果たせないまま、この生を終わらせることになるのではないか。
まだ悩むには若すぎると妻子持ちの兄はいう。しかし恋人もできたことがなく、やりたい事がある訳でもない自分自身の現状を思うと焦りは募るばかりだし、そう能天気にのたまう兄の志の低さを内心蔑んでもいた。
そんな中、記者という立場を生かして『光の球になった人』とまたその周辺の人々の話を一つ一つ聞いていこうと思い立つ。夭折した画家の縁者の元を訪れその破天荒ぶりと死の間際を羨み、数少ない作品を遺して逝った小説家の死を悼む。複数人の人々の元を訪れるたび、自分は駄目だと不甲斐なさを自覚する。そんな中、未発見の天才に出会う。それは兄の息子、拓人であった。まだ小学生である彼はちゃんとした教育をすれば美術の方面でその才能を開花できるように思われたが、子供がやりたいようにやらせる派の兄ではその望みも薄い。その才能を伸ばすべきだと兄を説得すると、子供をまず尊重させる事という条件の元教育を受けさせる事ができるようになる。
拓人の才能を伸ばしつつ、高山は未だ取材もやめていない。すると高山の事を知った女の方からアプローチが来た。「私の夫は交通事故で死にました」そう話す彼女は涙ながらにこう語る。「夫は踏み台になるために生まれてきたようなものです」交通事故に巻き込まれる形で死んだ夫が光の球になって天に還った。何もなさず、何も果たさなかった彼の死は、その交通事故にいた誰かしらかの人生に巻き込まれたのだろう。
高山は拓人の才能の目覚しい発言を喜びつつ、一方で恐る心がある事を否定できなかった。自分は拓人の才能を世に出すためだけに生きているのではないか?
文字数:980
内容に関するアピール
何のために生きているのかがわかったら生きるのがちょっと楽になるかもしれない。
と割と子供の頃に思っていた事があります。
実作を書いてみてしっくりこないようでしたらこの梗概をまるっと無視するつもりです。
文字数:98