海を汲む

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梗 概

海を汲む

地下の大深度環境防護都市<繭都けんと>を、私は追放された。
収容限界に達した人口は、定期的に地上に放逐される。私はその無作為抽出に当たってしまった。生まれて以来、繭都が世界のすべてだった。仕方ないとはいえ、恐ろしかった。
私は死を覚悟して、地上に出た。

だが地上は、美しかった。
空は青く、遠くにはうち捨てられた都市の廃墟。緑に溢れているが、海進により浸水している場所もあった。
そこはかつて、東京と呼ばれた街。
灰白色の繭都と違い、世界は色彩に満ちていた。

歩くうち、野生生物に襲われるが、武装した者達に助けられる。
私は機械技師で、役立ちそうだと言われ、彼らの集落に迎え入れられた。
彼らから、地上のことを教わる。
一見清浄に見えるが汚染は進んでおり、余命は確実に縮まること。私は落胆を隠せなかった。
もう一つ。<海>に気をつけろ、と。
<海>は粘性生物のように伸び、東京の低海抜地を沈めたという。
時折分離しては、巨大な水玉状の分体として動くとも。
<海>に飲まれると、意識を不可逆的に喪失するということだった。

私は偵察のために、集落の飛行機械オーニソプターで飛んでいた。
空からの東京の廃墟は、奇観でありながら壮麗だった。
と、多摩川河口付近で、橋梁にいる者を見かける。後ろから野生生物が忍び寄っていた。
私は飛行機械を駆り、その人を救い出した。
彼女はエナと言った。
<海>から汲んだ水の入った瓶を抱えていた。彼女は感謝するとともに、ラボまで送ってくれと頼む。
なぜ<海>を汲むのか。彼女の思惑に興味が湧く。

エナは、私とは別の繭都から追放された者で、横須賀の基地跡に居を構えていた。
身を守る武器がすぐ手に入るからだった。
横須賀は集住地から遠いが、<海>の研究から、彼女の名は知られていた。
彼女曰く、<海>は情報の集合体で、貪欲に情報を食べ続ける。もはやかつての「海」とは違うという。
<海>は入力に反応するが、意識は持たない。いわゆる「哲学的ゾンビ」的であるとも。
彼女は瓶の中の<海>に、意識を与える実験をしていた。
ともに繭都から追放され、<海>に飲まれた妹の意識を蘇らせるために。
不合理だと分かってはいるが、多摩川河口で採水しているのも、妹が飲まれた場所だからだという。
妹の情報は<海>の中に必ずある。そこに名前を、記憶を、妹の来歴を与えて、妹の意識を具現化する試みだった。
だが、失敗が続いていた。

私は彼女に、「身体性を与えてはどうか」と提案する。瓶の中の<海>に、肉体を与えるのだ。
肉体など作れないという彼女に、私は、基地倉庫の部品で機械の身体を作らせてほしいと告げる。
たとえ機械の身体でも、義肢が自己の身体の一部とみなせるのと同じだと考えた。
軍用の部品は品質も状態もよく、製作はスムーズに進んだ。

機械の身体を得た<海>は、それまでの妹の名前や来歴を投入し続けていたことと相まって、妹としての振る舞いをはじめた。記憶は一部欠落しているが、ほぼ問題なかった。
エナは再会を心から喜んだ。

出来事は、地上の住人にも伝わった。
それを耳にした者は、機械の身体にすげ替えることで、汚染された地上で生きながらえることができると考え、同じ処置をしてほしいと望むようになる。
私とエナは、請け負った。
だが、あるとき私は思う。
元の人間の意識は、本当に宿っているのだろうか、と。
意識を喪失するかもしれないという恐怖。
生身の身体で一人だけ死にゆく恐怖。
その板挟みの中、私は次々と機械の身体への移し替えを行いながらも、自分の順番を延々と先送りするしかなかった。

文字数:1455

内容に関するアピール

機械への意識のアップロードは、SFになじみ深いテーマです。
ロボティクスの研究者も、将来的には意識をアップロードができるようになり……という予想を披瀝することがしばしばです。その帰結として、人工の身体とデータ化された意識による不老不死、というモデルが登場します。
この話においても、恐怖の対象だったはずの<海>を介して機械に意識を移すという形で、汚染環境下における機械生命としての生を選び取る姿を描いています。

けれども。
もし、意識をアップロードできるようになったとして。
私はそれをするだろうかと考えると、容易にはその答えが出せませんでした。
なぜなら、傍から見ればアップロードは成功し、その人らしい反応をしていたとしても、主観的には自分の意識が保たれている確証が、ないからです。
意識はあくまで主観の問題。
こうした話は、「意識のハードプロブレム」として、脳科学や心の哲学、ロボティクスなどの分野で議論されています。

最終課題における私の関心事は、「意識」の概念に集約されます。その周辺には、「クオリア」「記憶」「言語」「身体性」などの概念がひしめき合っています。
現時点での梗概の筋書きは、比較的シンプルなものですが、概念自体の複雑さゆえに、実作はそれなりの紙幅を要する気がしています。
これまでの課題でも、こうしたテーマを扱いたいという気持ちがありました。けれどそれは、最終課題の120枚という分量を待つ必要があったと、今では思えます。

学問上は容易に結論の出ない難題だからこそ、SF的想像力の出番です。
チェルノブイリの「立入禁止区域ゾーン」のような、空想未来の東京を舞台に、衒学に陥ることなく、意識の問題を描きたいと考えています。

文字数:711

課題提出者一覧