梗 概
あっちゃこっちゃ病臥漫録:プロローグ
Ⅰ
バンッ、と衝撃音がして、気づくと彼は床に転がっていた。クビから下が動かない。頸部を強打したことによる脊椎損傷。体操競技界のホープとして将来を嘱望された彼の選手生命はその事故で終わった。
3ヶ月後、喫茶『不連続』で仲間と談笑する彼。ちょっとトイレ、と立ち上がり歩くと、そういや、おれ、全身麻痺になったんじゃなかったっけ、とふと思い出す。
病室で目覚める彼。夢をみていたのか。怪我してからいっつも同じ喫茶店の夢だな、とかろうじて動く口で独りごちる。こうちゃん、寝返りうちましょう、と母の声が聞こえる。
Ⅱ
もう一度眠りにつくと、やっと気づきました?と少女が語りかけてくる。喫茶店仲間の少女だ。
そうなんですよ、いつも同じ夢なんですよ。夢、というか、こちらの方が現実だと私は思ってますけど、と年の頃14、5歳にみえる少女はいう。
もう何回説明したかわからないですけど、と前置きつつ、少女は続ける。私も全身麻痺です。こうちゃんさんと違って「目覚め」もない植物人間状態ですけど。私たちみたいな人間が入り込める時間と場所があるんです。こうちゃんさんの「現実」と違って、もっと色々自由がききますけど。想像した通りのことが起こせるんです。一から自分の好きな世界を構築することが出来るんですよ、それこそ夢みたいに。
そういわれて、彼は自分の周りの扁平な空間を見渡す。喫茶店以外なにもないじゃん。こうちゃんさんがまだ慣れてないからです、と、体操ファンだという少女。私が見ている世界はもっと鮮やかですよ、というなりムーンサルトをしてみせた。
Ⅲ
それから彼は、「眠り」についている間、その世界に習熟することに力を注ぐ。私は始終こっちにいますけど、こうちゃんさんは時々起きちゃうので、まだ「下手」ですね、世界がぎこちないですもん。バイクで湖のほとりを音速で走る彼の背中越しに少女が笑う。
喫茶店の顔ぶれは、いつも同じではない。彼のように途中で目覚めてしまったり、あるいは死んだりする人がいるからだろう。どちらの世界が現実なのか、喫茶店の面々は議論する。夢みているひとときだけ現れる喫茶店がどうして本物か、と問う人に、私は生まれてからずっとこっちですけど、と誰かが反論する。結局、自分が確からしいと感じた方が現実なんですよ、と少女はいう。
Ⅳ
思い余って彼は病院のカウンセラーに相談する。眠りの浅い長期入院患者にみられる典型的な[せん妄」です、とカウンセラーはいう。少女は某病院に確かに入院している子どもです、母に確かめてもらいました、と食い下がると、でも彼女は誰もが知る俳優の娘で、事故で意識を失ったままなのは有名じゃないですか、とカウンセラー。「本当に」知らなかったんですか?
Ⅴ
この世界が本物かどうか思い悩むなら、こっちの力を「現実」に使ってみればいいのよ、と少女。そんなことができるのか、と驚く彼に、身体を治したり、麻痺になる前に時間を巻戻したりした人が過去にいる、と少女は告げる。感覚を拡げれば死んだ人とさえつながることができますよ。私も私なりに…と少女は言いよどんだ。
久しぶりに彼は「夢」をみる。事故に遭う直前、つり輪の演技中にバランスを崩す彼の視界の隅に映る少女…。
「現実」の少女に会わなきゃはじまらない気がする。ベッドから起き上がる。傍らに立つ少女の手を取り、おれは歩き出した。
文字数:1372
内容に関するアピール
どちらが夢か現実かわからなくなるような離人感、あるいは我々は「水槽の脳」なのではないか、という存在論的不安はSF近傍の創作物の題材としてまま見受けられます。それを越えて、あっちかこっち、彼岸か此岸、どっちが現実でも(夢でも)いいじゃん、と言い切ってしまうような、似て非なる感覚があるとすれば、と夢想しました。そのような気分が終盤にかけて横溢する物語にしたいと考えています。
梗概で試したように、三人称体に時々混乱を忍び込ませ、最終的に「彼」の一人称体に着地させることで、文体と物語を同期させることを目指します。
全身麻痺なのになぜ主人公は歩けるのか、という冒頭の謎は「夢だったから」という説明で氷解しますが、どっちが現実でどっちがインナースペースか、で道理を通すことを最後には読者に諦めてもらいます。
事故以後の全ての出来事はこうちゃんの妄想かもしれないし、その事故さえも少女が仕組んだものかもしれないし、あるいは全てはどうでもいいのです。
文字数:417