100年は忘れません。

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梗 概

100年は忘れません。

大飯食らいの乱暴者。はみ出し者のパラシェール“ジャーニー”は、空から降ってくる銀色の岩を見た。

銀色の岩は滑空する巨大なドラゴン・フライ(体長3m)に激突し墜落していった。

 

①高濃度の二酸化炭素に満ち平均で摂氏40度を越す温暖な星の物語。

この星固有の甲殻類(シェル)に寄生し、繁殖と定着を行う珍しい植物「パラシェール」のジャーニーは、自分の鋏ほどしかない小さな白い二本足の生物と出会う。

その姿はパラシェールの昔話に出てくる“妖精”という架空の存在に似ていた。

どうやら怪我をしているらしく、随分と苦しそうにしていた。

妖精から不思議な機械を取り付けられたジャーニーは妖精と意思疎通を果たし、「銀色の岩」まで連れて行くことになる。銀色の岩はパラシェールの住む森から離れた乾燥地帯に不時着しており、その道のりは困難を極めた。

その道中にジャーニーは“妖精”がミカエルという名前であること、遠く離れた星からやってきた“人間“という種族であることを知る。自分の知らない世界に興奮したジャーニーはその地へ連れて行ってくれるようにお願いをするが、成体に近いパラシェールは10メートルもの巨体を持つため、連れて行くことは出来ないという。そんな道中、乾燥地帯で蟻に襲われる。0.5メートルほどしかない小柄な生き物だが、数が多く敢え無く瀕死の状態に追い込まれてしまう。ジャーニーの奮闘の甲斐あって、辛くも銀の岩にたどり着いた二人。ミカエルは不思議な板に話しかけると、安心したように「この恩を100年は忘れない」と言い残して死んでしまう。瀕死のジャーニーはそんなミカエルの体を養分に、その場で小さな木へと成長する。

 

②100年後

ジャーニーは巨木へと成長しなんとか生き残っていた。

遠目に見えるかつてのパラシェールの森には異変が生じつつあった。気温の低下や乾季の影響で成体になれる個体が少なくなってきたのだ。それに加え、全長1メートルにも満たない毛皮を持つ小さな生き物たちが生まれ、多くのパラシェールが成体になる前に食べられてしまっていた。

そんな中、遠く離れた乾燥地帯で成長を続けるジャーニーの元に多くのパラシェールが集まってきていた。かつてのはみ出し者を中心に徐々に緑が増え始めていく。そこに新たなパラシェールの森が形成されつつあった。

そんな折、空から銀色の岩が降ってきた。岩山に激突し地面に突き刺さるように墜落した銀色の岩の中から、金色の髪をした青年が降りてきた。

パラシェールたちは声を殺してその様子を見守っていたが、その青年はうろうろしながら実をつぶし、幼体を不思議な武器で殺してしまうなど乱暴な振る舞いでパラシェールのコミュニティを荒らしていた。

ジャーニーが話しかけると、青年は「ミカエル」と名乗った。

「どうして話すことが出来るんだ?」そう訊ねられ、ジャーニーはミカエル(一人目)の宇宙船から拝借したスピーカーを見せた。するとミカエルは目を丸くした。「すごい、骨董品だ!」

彼はどうやら祖父の足跡を辿る旅をしている最中らしい。この辺りで“メッセージ”というものが発信されたらしく、今回しらみつぶしに発信源を探しているという。その最中、無茶な運転で機械トラブルを起こし不時着してしまったようだ。彼に手をかすことを条件に、ジャーニーはこれ以上環境を荒らさないことを約束させる。

パラシェールにミカエルの宇宙船へと食べ物を運ばせる最中、ジャーニーはミカエルからこの星の話を聞く。この星にはかつて“人間“が入植したことがあるらしい。その場所はかつてのパラシェールの森にあるそうだ。興味を持つジャーニーだったが、すでに成体化しているため動くことが出来ず諦めるしかなかった。

そうして客人をもてなしていると、群れをなした小さな動物たちが押し寄せてくるという報告が入った。乾季が続き、食べ物が手に入らなかった動物たちがパラシェールの実を目当てにこちらへとやってきているらしい。お腹を空かせて凶暴化しているようで、苦い思い出がよみがえったジャーニーは、修理を待たずにミカエルを脱出させることにする。

「でも船がないぜ?」「船?銀色の岩のことか?」

そこでジャーニーは体の一部に取り込み、隠し持っていた銀の岩をミカエルに渡す。ミカエルによるとこれならば、脱出出来る可能性があるという。銀の岩に乗り込むミカエルに、ジャーニーは100年前の客人が着ていた白い服を渡す。そこには「ミカエル」と名前の入ったプレートが入っていた。ミカエルはそれが祖父のプレートであると気付くと目を丸くし、そして「婆さんへのいい土産が出来た」とかつてのミカエルと同じように笑った。

「この恩、100年は忘れないよ」

 

③さらに100年

この星には新たに小さきものたちの世界が広がっていた。酸素濃度が上がり、気温は摂氏20度前後まで落ち込んだ。古き生き物たちはほとんどが死に絶え、新しい小さな者たちの世界が広がっていた。そんな中でもパラシェールたちは細々と生きながらえていた。ジャーニーは残りすくない命をゆっくりと燃やしていた。もはや繁殖は諦めていた。餌の確保が難しくなり、シェル自体が絶滅の危機に瀕していたのだ。

そんなパラシェールの森に再び銀色の岩が降ってきた。コントロールを失っているらしく、ふらふらと降りてくる。背の高い木々にぶつかりながらスピードを落とし、ジャーニーが精一杯踏ん張って受け止めてようやく止まることができた。

ジャーニーに抱かれる形で止まった銀色の岩から降りてきたのは、黒いスーツを着た金髪の男だった。ジャーニーが話しかけると彼は「ミカエル」と名乗った。

どうやら“学校”というところを卒業したミカエルは宇宙を旅しているようだった。近くを通りかかったので、祖父から教わっていた人語を解する不思議な巨木を見に来たという。ミカエル(二人目)が残した発信器を渡すと、ミカエルは目を丸くした。「すごい、骨董品だ!」

ジャーニーはミカエル(二人目)に教わったこの星の歴史についてミカエルに尋ねた。

ジャーニーはこの星が嘗ては「罪人のゴミ捨て場」と言われた流刑の星であることを知る。この星に送り込まれたのは、軽罪で流刑に処された子供達だった。その子供達は実験的に植物化(光合成)し、食料が必要ではない状態で送り込まれたようだ。

「せっかくだし、それについて調査をしてみようかなって思うんだ」

助けが来るまでの間、フィールドワークに出かけるというミカエルに、ジャーニーはパラシェール最後の幼体である“ジェレミー”を託す。

「パラシェールの幼体だ。道くらいは知っている。ついでに地球ってところに連れて行ってやってくれないか?」「どうして?」「この星にはもう私たちが住める場所はないんだよ」「4メートルくらいある蟹を収容できる宇宙船を準備しろって?」

笑いながらもミカエルはその申し出を受ける。助けてくれたお礼だという。

「まぁ、10メートルくらいあったらさすがに無理だったけどね!」

ミカエルの冗談に200年前のやり取りを思い出し、ジャーニーは葉を鳴らした。

「この恩、100年は忘れないよ」

文字数:2891

内容に関するアピール

変な世界を設定せよ!ということで巨大な生物の暮らす星を舞台に選びました。そんな星にミカエルさん(3代)たち人類がやってきて、不思議な生き物パラシェールと交流するという話になります。ミカエルたちとの交流と並行し、環境の変化と戦うパラシェールたちの勇姿も併せてお楽しみください。

そして猿の惑星のような、この星は実は……!!というラストの展開を用意しています。

それを活かせるようにパラシェールとミカエルさんたちの交流を書くことができればな、と思います。

宜しくお願いします。

 

<補足設定>

★パラシェール

甲殻類(シェル)に寄生する植物の一種。シェルは現代でいうサワガニのような姿をしている。寄生後はサワガニが盆栽を背負っている〜というのがビジュアル的には近いだろうか。

成長すると30メートルを超す巨木に成長。グミのような柔らかい種子を落とす。それを食べたシェルに寄生する。種子は一つの実に100ほど入っている。実はジューシーで甘味と酸味がちょうどよい。見かけも鮮やか。珍味。

シェルの腹に入ると、発芽します。胃の中で成長し、徐々にシェル全体に根を張っていく。仕上げにシェルの背中から蔦が割って出てくる。それを“開花”と呼ぶ。その瞬間、シェルはエクスタシーに達し、数時間喘ぎ続けるという。開花の時期は喘ぎ続けるシェルの大群という地獄絵図が見られたようだ。

開花したその状態を幼体という。パラシェールは光合成とシェルの捕食活動に助けられ、成長していく。パラシェールは成体になるまで、シェルを乗り換える場合がある。もちろん添い遂げるペアもいる。

パラシェール間のシェル争奪戦は壮絶である。ただひたすら殴り合い、先にパラシェールの本体をつぶした方が相手のシェルを奪うことが出来る。力と力のぶつかり合いなので、体が大きい方が有利である。

成体になる際、パラシェールはシェルに指令を出し土に潜らせる。そこで養分を吸い尽くし、根を張ってパラシェールは成体(木)への準備を始める。この段階が最も無防備な状態であり、固まりきっていない柔らかいパラシェールの外殻は矮小昆虫の格好の餌、繁殖場所である。そのために成体になるパラシェールの個体数は決して多くはない。

 

★パラシェールの正体

この星には“錆びた岩”と呼ばれる物体がある。それこそがこの星への入植船団第1陣の使用した宇宙船である。この船にはとある信仰深い民族がまとめて乗船していた。信仰を何よりも重んじ、死ぬこと=神への一体化と見立てる彼らを“死よりも重い罪”で裁くために、開拓船団としてこの星に送り込まれたものと考えられる。食料の問題を解決するために、全員に植物化(葉緑体の性質を持つ寄生虫を植え付ける)の手術が施されていた。

彼らを送り出した者の目論見は外れ、この星にたどり着いて生き延びた者はいなかった。その多くが巨大生物の餌食となり、その他は光合成に失敗し緩やかに死んでいった。無残に虫に食い散らかされた遺体のひとつにたまたま土着の虫媒花の種子が付着。それに寄生した寄生虫は、生物的ブレイクスルーを経験する。その結果パラシェールへと進化していったらしい。(その一体こそがミカエル一族の先祖様。つまりパラシェールとミカエル一族は遠縁の親戚ということになる。)

つまりパラシェールとは種類的には植物だが、厳密には寄生虫ということになる。

文字数:1372

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100年は忘れません。

 

ハブられることには慣れていた。森の連中が僕と遊んでくれたことなんて、両手で数えられるほどしかない。でもそれは仕方のないことだということはわかる。取っ組み合いをすれば、相手を握りつぶす。どつき合いをすれば、相手を叩き潰す。おしくらまんじゅうをすれば、すりつぶしてしまう。そんなヤツと誰が遊ぶだろうか。
僕は森の近くにある湖の畔にいた。
水際に立ち湖面を眺めると、そこには冴えない自分の姿が映っていた。
ひょっこりと空に向かって突き出た双眸、つるつるの甲羅。丹念に磨いている自慢のハサミ、削り出したようにごつごつとした四対の脚。その奥には反り立つ木が見える。僕の背中に生えているものだ。控えめに言っても、悪くない。しかしどうしてか人気はない。それどころか褒められたこともない。どうして僕は相手にしてもらえないのだろう。
やるせなさに押しつぶされそうになる。思わず両手を広げ、天を仰いだ。
「あぁ、もう! 面白くない!」
その時、偶然それが目に入った。気になって目を伸ばす。白い筋状の雲が空を切り裂いていた。そしてそれはゆっくりとこちらに近付いてきているようだった。どうやら何かが空から降ってきているらしい。
と、冷静に考えている場合ではない。逃げなければ!
そう思うと余計に焦って脚で地面をドラミングさせてしまう。その衝撃は湖面にまで伝わっていく。湖に浮かぶオオハスにとまって寝ていたドラゴン・フライが目を覚ましてしまった。ドラゴン・フライは顔の半分はありそうな巨大な目で当たりを見回し僕の姿を捉えた。そしてゆっくりと大きな羽を動かし始める。どうやら襲いかかってくるつもりらしい。叩き起こされた腹いせでもしようというのか。
ドラゴン・フライが飛翔する。陽光を背にしたドラゴン・フライの姿を見上げると、目がくらんでしまった。やられる! そう思った瞬間だ。
ぐしゃ、と何かが割れるような音がした。僕は同じ音を喧嘩の最中に聞いたことがある。僕のクラブ・ハンマーが憎きあいつの甲羅を叩き割った時の音にそっくりだった。だが今回はスケールが違った。ドラゴン・フライは空から降ってきたものと激突したのだ。
すると、飛翔したドラゴン・フライがゆっくりと旋回しながら落ちてきた。その姿はまるで川を流れる木の葉のように、流れに身を任せていた。ドラゴン・フライの体は、途中に急な滑空を見せ、頭から湖に突っ込んでいった。破裂するようは音と共に、水柱が上がった。
僕はそれを呆然と眺めていた。
そしてふと、もう一度空に目を向ける。すると空からハスの葉のようなものが降ってきているではないか。じっと見ると、それはハスの葉ではなかった。空から降ってくるそれは、キノコに似ていた。キノコが降ってきているのだろうか。
「いや、誰かいるぞ?」
近付くにつれて、キノコのようなものから何本もの糸が伸びていることがわかった。そしてそれらはすべて、先にぶら下がる白い繭のようなものに集約していた。
キノコはフラフラと湖畔に向かって落ちてきていた。先ほどの惨事と比べれば、実に長閑で牧歌的な様子だった。しかし僕はそんな気分にはなれない。好奇心で釘付けになっていなければ、今すぐにでも逃げ出していただろう。じっと見上げていると、ふと、そのキノコが僕の方へと向かってきているような気がしてきた。そしてそれは予感ではなかった。
キノコ的なものは、僕の背中に着地をしたのだ。
急なことに面食らい、それを退かそうと体を震わせる。すると背中の方で悲鳴が上がった。それは理解できない叫びをあげながら、僕にしがみついているようだった。僕はぐるりと目を回して背中に立つそいつの姿を見る。そいつは不思議な姿をしていた。足は二本しかないし、ハサミを持たない。全身が白く、頭には黒くて丸いつやつやとしたものがあった。まるで僕の目のようだ。
そいつは全く馴染みのない生き物だった。そいつが背中にいることが不快で、どうにか振り落とそうと身を捩った。するとそいつはバランスをとりながら、ゆっくりと僕の目を目指して寄ってきていた。
そして僕の視界が真っ白になった。目に抱きつかれたのだ。驚いた僕がもっと激しく体を揺らすと、そいつも再び悲鳴をあげてより一層強く抱きしめてくる。何度かそれを繰り返すうちに、目が痛くなってくる。それにお構いなしに振舞っていると、聞きたくもない湿っぽい音がした。それと共に、僕の視界の半分が真っ暗になった。

 

目を覚ましてゆっくりと辺りを見回す。視界が半分になっていた。どうやら片目を折られたショックで失神していたらしい。途方に暮れていると、急に白い生き物が目に入ってきた。それは僕を見上げていた。傍には、そいつが抱きかかえられるほどの群青色の丸太のようなものがあった。先には黒くてつやつやしたものが付いている。僕の目だ。
白い生き物は僕と目が合うと、目の辺りを掻いた。目を掻いたりするだろうか。もしかすると、あれは目ではないではないか。
「その、申し訳ないね。君の目を折ってしまった。ひとまず、謝らせて欲しい」
一瞬、理解が遅れた。同じ言葉? 先ほどは理解できない悲鳴をあげていることくらいしかわからなかったのに。
「僕の言うことがわかるの?」
そう口にすると、頭上から声がした。残った目で音のした頭と背中の辺りを見る。一つだけ変わったものがあった。元々目があったところが、白い繭のようなもので覆われていたのだ。どうやらそこから声がしているらしい。
「なにこれ?」
「それは翻訳機だよ。ちょうど一つ持ち出せていたんだ」
ほんやくき? 僕の頭の中でくるくると文字が躍る。
「それにしても、何なんだあのでかいトンボ。急にぶつかってきて」
「ドラゴン・フライは凶暴だからね」
「おかげさまで俺の船は弾き飛ばされ、俺は漂流。君の目は折れちゃったというわけだ」
「つまり、僕の目が折れたのはドラゴン・フライのせいってこと?」
「いや、折ったのは僕だ。まさかあんなでかいトンボがいるなんて思わなくてさ。本当に、君には悪いことをしたと思うよ。えーっと、君も大きいな。一〇メートルくらいはあるか。蟹っぽい見かけをしているけど、蟹ってことでいいのかな?」
「僕はジャーニーだ」
そう答えると、白い生き物は唸り声を上げた。
「新種の生き物か。おまけに会話できるだけの知性もあるみたいだ。そうだな、君のことは“パラシェール”ということにしよう。パラシェールのジャーニーだ」
「パラシェール?」
「勝手に生物名を付けさせてもらったよ。硬そうな体を突き破るように木が生えているからね。見た目の印象なんだよ、こういうものは」
「君はなんて生物なの?」
「僕? 僕は人間だ。よろしくね、パラシェール。初めて会ったのに目を折っただけというのも良くないと思うんだ。だからちょっと協力してくれないかな。君の目をどうにかするためには、僕の船まで行かないといけないんだ」
「船? どこにあるの?」
「さっきひどいトンボに弾き飛ばされた。おそらく、あちらだ」
そう言って人間が指差したのは、不毛の土地と言われる場所がある方角だった。身が竦んだが、不思議と行ってもいい気がしていた。もちろん森の連中に仲間はずれにされていることも理由の一つだ。ただそれとは別にもう一つ理由があった。見知らぬ生き物を前に、どうしようもなく胸をときめかせている自分がいたのだ。
「いいよ。目がないと不便だしね」
すると人間は手を打ち、それを僕の前に突き出してきた。そのポーズに僕は思わず後ずさる。だってその構えは、
「決闘でもするの?」
「君らの中ではそうなの? これは握手だ。友好の挨拶だよ、ジャーニー」
突き出された腕を見下ろし、僕は真似てハサミを突き出した。すると人間は笑いだし、僕のハサミの先をぎゅっと握った。
「そういえば名乗ることを忘れていたよ。僕はミカエル。人間のミカエルだ。こんにちは、パラシェールのジャーニー。短い間だけど、よろしく頼むよ」

小さなミカエルを甲羅に乗せ、僕は森を進んでいた。ミカエルの“船”は森の向こうにある不毛地帯に落ちてしまっているようだった。
「どうしてそんなことがわかるのさ?」
「見ればわかるんだよ。船につけてあるカメラが位置情報を教えてくれるんだ」
そう言ってミカエルは黒くて光る目を摩った。僕の目にはそんなことはできない。遠くのものがどこにあるかなんてことがわかれば、便利だなとは思う。
「君の目はすごいな」
そう言われたミカエルはしばらく黙っていたが、やがて「あぁ」と声を漏らして手を叩いた。
「なるほど。僕のこれは目じゃないよ。君とは全く別の作りをしているんだ。このメットの中に僕の本当の顔があるんだ。そこでメットの裏に映った情報を見ているんだ」
そうミカエルが説明してくれるのだが、僕に理解できたのはひとつだけ。あれは目ではなく、メットというもの。その中に本当のミカエルの顔が隠れているのだ。
「どうして隠れているのさ?」
当然の疑問だった。だがそれが愉快だったようで、ミカエルは声をあげて笑った。
「この星はひどく暑いし、空気の質も違うんだ。僕がこれを外して無事に過ごすには、もっと時間が必要だと思うな」
空気というものがどんなものかわからない。星が何なのかもわからない。ただ僕はミカエルの話を聞いているだけで面白いと思っていた。この森にいる仲間との間では、絶対に出てこない話題ばかりだったからだ。耳を傾けるだけで、胸が高まってくるようだった
「いいなぁ、君の故郷に行ってみたいよ」
そのお願いを聞いて、ミカエルは声をあげて笑った。
「君を連れて帰ったらみんな驚くだろうな。蟹の上に木が生えたような生き物だぜ? まぁ、おもろいけど、とりあえず今回は無理だ。なにせ君は大きい。大きすぎて、僕の宇宙船には括り付けることもできないんだよ。飛べなくなっちまう」
どうやら連れて行っては貰えないらしい。がっかりきてしまい、気持ちが落ち込んでくる。そんな僕の様子を察したのか、ミカエルはとても明るい声で言った。
「次に来るときは、君が乗れるような船を用意するよ。約束だ」
その提案は何よりも嬉しいものだった。ミカエルの故郷! 想像してもよく分からないが、ミカエルのような生き物がたくさんいるのだ。そしてたくさん知らないことがある。それを想像するだけで、木の葉が鳴り出しそうだった。
そんな足取りの軽い中、ふと、森が静かになった気がした。そしてそのことにミカエルも気が付いたらしい。息を潜め、あたりを見回している。
「どうしたんだ? 何だか急に閑かになったような」
「じいさんたちも声を潜めているね」
「じいさん?」
「成体たちだよ。そこら中にいるだろう?」
そう言ってぐるりと森の周囲を指差した。しばらくミカエルは黙っていたが、やがて「あぁ!」と大きな声をあげて手を叩いていた。
「つまり君たちパラシェールは大人になると木そのものになるんだね。今はそれに向けて場所を探しているっていう感じか!」
「ミカエル、ちょっと」
そう注意したが遅かった。音を立てて木々の間から顔を出したのは、岩を削ったような体を持つアントだった。ドラゴン・フライにも負けない鋭い顎と、風のように素早い動きをする森の狩人だ。
「って、蟻じゃん。これもデカいな。一メートルくらいあるか」
それにしても、どうしてミカエルはここまで楽天的なのか。アントを見慣れているといった様子だった。僕なんて見るだけで体が強張ってしまうのに。そんな僕の様子を察してか、アントはじりじりとこちらに近付いてくる。六本の脚を器用に動かし、地面を這ってくる。歯を鳴らす様子は、こちらを脅しバカにしているようにも見える。そして脚に力を込めると、ものすごい勢いでこちらに、飛びかかってきた。
僕は反射的にハサミを振るい、そいつを頭から吹き飛ばしてしまう。
「捕まって! たくさんくる!」
アントの最も厄介なところは、集団で襲いかかってくるところにある。そして群れの一匹に手を出してしまえば、その仲間が報復しようとする。森を駆けながら、僕を見下ろす老木たちを見上げた。助けを求めるが、誰も手を差し伸べてくれなかった。アントとの争いに巻き込まれれば、彼らの身も危ういからだ。
つまりひとりで逃げ切るしかない。それしか助かる道はなかった。
せめてもの協力のつもりなのか、僕が進む方向に自然と道が作られていく。木々がゆっくりと傾ぎ、隙間をつくってくれているのだ。僕はそこを突っ切るように駆けていく。しかしそれで逃げ切れるのは、相手が単体の時だけだ。もしはさみ打ちなんてことになれば、
「ジャーニー、前だ!」
ハッとしてそちらを見ると、先回りをしていたらしいアントがいた。ガチガチと歯を鳴らし、こちらに今にも飛びかかってこようとしている。こうなってしまえば、もうほとんど希望はない。あとはアント達の餌食になるだけだ。
そう諦めた時、目の傍で閃光が迸った。目が眩むような、陽の光よりも強いものだった。そしてそれを発したのはミカエルだった。小さな枝のようなものを構えていた。するとミカエルは僕の目を見て腕を突き出した。
「道は開けたぜ、ジャーニー。走れ!」
開けた? 前を向くと、先ほどまで立ち塞がっていたアントがゆっくりと崩れていくところだった。その光景はスローモーションに見えていた。なんて、信じ難いことだろう。あのアントを、一撃で仕留めるなんて。
しかしその驚きは長く続かなかった。待ち伏せをしていた三匹目のアントの不意打ちを受け、僕は横倒しに転がされてしまった。目が回り、森が回転する中、僕はミカエルに近付くアントの姿を見た。アントは牙を剥き、ミカエルはそれに枝のようなものを突き立てる。不意打ちのように、ミカエルに四匹目のアントが飛びかかった。そこまで見たところで、ようやく僕はハサミを振るうことができた。

不毛地帯には見渡す限り乾いた土地が広がっていた。僕は乾いた大地に突き立った船を目指して進み続けていた。アントによって脚を二本引き千切られてしまったので、とても歩きにくかった。おまけに足元は砂地だ。足元を取られないようにするだけでも一苦労だった。僕はちらりと背中にいるミカエルを見た。ミカエルは僕の木に背中を預け、じっとしていた。もうしばらく動いていない。
「おうい、ミカエル。大丈夫か?」
動いてくれるかな? と心配したが、それは杞憂のようだった。ミカエルは実にゆったりとした動きで木に寄りかかりながら起き上がった。その様子は今にも枯れそうな老木のように頼りなく見えた。
「船に着いたよ。これで合ってる?」
ミカエルはゆっくりと頷くと、ゆっくりと木から身を起こした。
「すまない、ジャーニー。ハサミを使って船のそばまで頼めるかな?」
お安い御用だった。ジャーニーをハサミに乗せ、彼の指示に従いながら船に近付けた。船の傍に立つと、ミカエルは熱心に壁を叩き始めた。アントに襲われたショックで頭がおかしくなったのだろうか?
すると、ほっと一息を入れたミカエルが僕の方を向いて腕を突き出した。
「握手?」
「違うよ。親指を突き立ててるだろう? グッド・ジョブって意味だ。ナイスだよ、ジャーニー。この恩、一〇〇年は忘れないよ。おかげでメッセージを送りつけることができた」
その言い方に僕は不安になってしまう。
「傷が深いのか? すぐにこの船に乗って帰るべきだよ。僕の事は気にしないで」
「そう言ってもらえると何よりなんだがね。うちのポンコツは起動までに時間が掛かるんだ。そこまで俺の体が持てばいいけどな」
少し疲れたな、と言ってミカエルは横になった。少し時間を置いて、船全体が微弱な振動を始めた。力強い胎動を始めた船は、まるでひとつの生き物のように僕には見えていた。そして不思議とそれに近付くだけで、気持ちが穏やかになるような気がした。気のせいだろうか?
「ねぇ、ミカエル。この船、なんだか動いていないかい?」
そう声をかけるも、ミカエルは動かなかった。いくら呼んでも目を覚まさなかった。
僕は不毛地帯で一人ぼっちになってしまった。あまりに心細く、何度もミカエルの名前を呼ぶ。そしてミカエルが答えることはなかった。そんな僕の声も徐々に小さくなっていく。僕もアントから致命傷を受けていたのだ。朦朧としてきた意識の中、ミカエルの船を抱きかかえる。身体中に暖かい陽が当たるような心地よさが巡っていく。僕はそれを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。

 

2 一〇〇年後・・・

 

土煙が上がっていた。幼体たちが砂漠を渡っているのだ。今年で何例目だろうか。きっと特に気温の落ち込みが激しい年なので、森を離れる幼体が多いのだろう。生きるか死ぬか、必死に砂漠を渡る幼体の姿は見ていて面白いものではなかった。
出来れば助けに行きたい。そう思うが、僕はもうこの場を動けなくなっていた。
僕は成体になっていた。大地に根を張り、青々とした葉を茂らせている。ハサミを失い、移動の自由を失った。その代わりに、僕は僕の周りに住まう家族を手にいれた。新しい、パラシェールの里を作ったのである。
不毛の土地と呼ばれた場所で、どうしてこんな里を作ることができたのか僕はわからなかった。ただ一〇〇年前に出会った旅人が残した不思議な船を抱いていると、自然と力が湧いてくるのだ。そのおかげで、この不毛な大地で生き残ることができたのだ。そしてそれだけでは終わらず、あたり周辺の環境を変化させることにも成功した。その甲斐あって、不毛地帯の真ん中にオアシスができているのだった。
そんな里の道をパラシェールが駆けてくる。幼体になったばかりの子だ。その子は僕を見上げると、ハサミをいっぱいに広げた。そして懸命にそれを振り回し、泡を吐き出しながら言った。
「大変だよ、ジャーニー! モグラだ、モグラが出た!」
それだけを言うと、足早にこの場を去っていった。きっと里中にこのことを触れ回りに行ったのだろう。
モグラ? 心配になった僕は砂漠の方に目を向ける。パラシェールの小さな群れは未だ健在だった。幼体たちはなるべく身を寄せ合いこちらに向かっていた。幼体とはいえ、大きな体を持つパラシェールが砂漠を渡る様子はなかなか壮観だった。
そんな中、幼体が一体出遅れ始めているようだった。群れの中でも特に小さな幼体だ。どんな群れにも、必ずそのような個体はいる。そして外敵に狙われるのは、得てしてそのような個体になる。
見ていると、群れから少し離れた場所に小さな生き物たちが見えた。モグラだ。四匹もいる。長い鼻を持ち、毛に覆われた体を持つ。ここ五〇年ほどで出てきた妙な生物だ。
モグラは出遅れたパラシェールに狙いを定めているようだった。そしてそれにパラシェールの幼体も気付いていた。足で地面を踏み鳴らし、ハサミで威嚇をした。しかしモグラたちはひるまない。彼らは数で優位を作っているからだ。
そのうちの一匹が背後から飛びかかっていく。それを払いのけようともがくと、狙いすましてもう一匹が飛びかかっていく。モグラの持つ石のような爪がパラシェールの体に突き立てられ、背中の木に傷をつけていく。パラシェールは徐々に追い込まれていく。抵抗する気力もなくなり、無抵抗に為すがままになっていく。
その様子を僕は見守ることしかできなかった。そして目を背けることはできなかった。この大地に根をはるということは、ここで起こる事それら全てを見届けるということなのだ。それが里の主というものだった。
遂にパラシェールの幼体は力尽きてしまった。どうして同じ群れのパラシェールは助けないのか、僕は思わないようにしていた。誰しも自分が生き残りたいと思う。そのための競争なのだ。結果として、あの幼体は脱落してしまった。ただそれだけなのだ。
そうは思うのだが。僕はあんなかわいそうな幼体を見るたびに、無力感に苛まれてしまう。
そんな時だ。ふっと、一瞬陽光が遮られたような気がした。この里で僕よりも背の高いものはない。つまり遮られるなんて事はありえなかった。
空を見上げると。すると一筋の雲がこちらに近付いてきていた。
「おや? あれは」
僕ははたとその可能性に気付き、思わず葉を鳴らしてしまう。里の仲間たちは、僕の異変に気付いて同様に空を見上げた。そして彼らも見た事のない白い筋を見た。見た事もないまっすぐに伸びる雲に動揺しない個体はいなかった。
船から白い人影が飛び出たように見えた。それはものすごい速さでこちらに降りて来ていた。そしてある高度に至った頃に、巨大なキノコのようなものを広げた。
「ミカエル?」
僕は一〇〇年前にも見た風景を思い出していた。しかしあの優しい友人ではない事は確かだった。彼は一〇〇年間ずっとここにいる。僕が抱き続ける、船の中に。

ゆっくりと降りてくる白いキノコは、里のすぐ側に着地した。キノコの下から這い出てきたのは、やはり白い人間だった。黒いメットをつけているところも同じだった。ただ昔に比べると、複雑な形に変わっていた。
「ジャーニー! ジャーニー!」
と、先ほどの幼体が駆けてきた。好奇心に目を輝かせ、ハサミを振り回しながら空からの不思議な訪問を報告した。あらかた終わると、ようやくひと息つけたとばかりに体を震わせた。木と木の葉の隙間に砂が入り込んでしまったのだろう。自分が巻き上げた砂が入り込む事はままあるのだ。今回はよほど急いでいたのだろう、多くの砂にまみれていたようだ。
ただ、目の前であまりして欲しくはなかった。砂が僕の木目に入り込んでくるではないか!
「おいおい、やめてくれよ。砂が目に入るだろう?」
急に声が割り込んできた。人間だ。いつの間にか白い姿は僕の側までやってきていたのだ。
「それにしても変な生き物だな。蟹の体に木がくっついている。まるで寄生しているように見えない事もない。という事は、木が本体か?」
その人間は幼体を眺めながらうんうん唸っていた。それに物怖じした様子はない。
「よし、こいつはパラシェールと名付けよう。殻を持つ生き物に寄生した、二体でひとつの生き物だ」
熱心に独り言に励む彼を、僕と幼体は黙って見ていた。なんだか見覚えのある様子だなぁ、とのんびり僕は考えていた。だが幼体の方はそうはいかない。戸惑う様子で僕を見上げ、白い生き物の方を横目に見た。
「ねぇ、ジャーニー、こいつ何? ヤバいやつ?」
そう言って人間の方を向き、ハサミで指した。
その瞬間、鈍い音と共に光が走った。あっという間に、ハサミは関節から切り離されそのまま落ちてしまった。突然のことで、パラシェールの幼体も事態を理解できなかった。だが何が起こったのか、切り落とされたハサミに起こったことに気がつき理解をし始めると、わなわなと震え始めた。
「ハサミ、俺のハサミ!」
やめろ、と僕が声をかける前に幼体は動いてしまった。幼体は人間に飛びかかって行ったのだ。パラシェール同士の喧嘩でそうするように。すると人間の方は、するりと隙をついて攻撃を避けた。その時に再び鈍い音と共に光が走った。次にパラシェールの体から切り落とされたのは脚だった。バランスを保てなくなった幼体は、ぐらぐらと体制を崩してそのまま倒れてしまう。自分に何が起こったのか、彼は認識出来ていないようだった。
僕はハッと息を呑み、人間を見下ろした。一〇〇年前にやってきたミカエルとは、似ても似つかない凶暴な人間だった。彼はじっと幼体の事を見下ろしていた。これ以上何をするのだろうか。放っておくと、もっと幼体の事を傷つけるような気がした。
「おい、そこの人間」
木の葉が揺れる。まだ僕にハサミがあったのであれば、この瞬間に彼を殴り殺していたに違いない。それほどに、僕の幹は震えていた。今は体を震わせる事しかできないけれど。
「んお? なんだ、誰かいるのか?」
「後ろだよ、君の後ろ」
古びたスピーカーから漏れる音は、僕が聞いたことがないほど低い。
「後ろぉ? 木しかないけど。どこに隠れているんだ?」
「木だよ。僕はパラシェールのジャーニー。そこの子の保護者だ」
ゆっくりと、人間がこちらを振り向く。僕のことを見上げ、しばし言葉を失ったようだった。やがてそわそわと体のあちこちを触り、何かを放り投げた。それは小さな枝のようなものだった。昔のミカエルが持っていたものより、幾分か小さい。
「悪いとは思うよ。でもな、言っとくけど、俺は自分を守るためにやったんだからな。蟹が襲いかかってきたら、誰でもこうする。餌にはなりたくないだろう?」
「それはその通りだ。でも今から餌になる可能性はあるよ」
音を立てて里のパラシェールが集まってくる。森全体が揺れ、あちこちで木の葉が落ち、小さな虫たちが逃げていく。そんな森の様子を、白い人間はじっと見回していた。
「ふん、人のじいさんを殺したやつらが偉そうに」
その言葉に、僕は引っかかるものを感じた。
「おじいさん? もしかして、君の名前は?」
するとその白い人間は僕のことを指差した。まっすぐに向けられた指は、まるで僕に突き刺さってくるようだった。
「ミカエルだ。俺のじいさんはこの星での交信を最後に、死んだんだ。ここにきてよくわかったぜ。お前ら、俺のじいさんを殺したんだな?」

 

人間という生物にはほとほと驚かされる。そんなことを思いながら僕はミカエルを見下ろしていた。彼は小枝のようなものを地面に向けていた。不思議なことに、小枝の先が光ると地面に穴が掘られていくのだ。僕はミカエルの隣にあるパラシェールの幼体を見た。そしてその隣には、真っ白な人間が横たわっていた。嘗てミカエルだったものだ。
「まさか、こんなところでじいさんの墓を掘るなんてな」
そう言いつつも、ミカエルはパラシェールの幼体の遺骸をみた。そして鼻をならすと、囲っていたパラシェールたちに指示を出した。パラシェールたちはもちろんミカエルの言葉を理解できてない。僕はそっとみんなに言った。
「穴に入れろ、だってさ。みんな協力するんだ」
敵と思っていたミカエルが、どうしてそんなことを? とみんなが混乱していた。それでも僕の命令に従ってパラシェールたちは仲間を穴の中へと押し込んでいく。そんな彼らをよそに、ミカエルは白い人間を見下ろしていた。僕は声をかけるか迷ってしまった。先ほどまでの強気な態度はなりを潜め、厳粛にも似た雰囲気が漂っていたからだ。
「何をしているんだい、ミカエル?」
そう僕が尋ねると、ミカエルはようやく顔を上げた。
「祈りを捧げていたんだ。一〇〇年遅れだけど、遅すぎることはない」
するとミカエルは手をあわせると、ゆっくりと頭を下げた。
僕は彼にミカエルの遺骸を渡したのだった。一〇〇年あまり、僕が保管し続けてきたミカエルの遺骸だ。僕のことを疑っていたミカエルだったが、ミカエルの遺骸を差し出すと、不意に表情を失って黙り込んだのだった。
「宇宙服の環境設定がフルで稼動した結果、まだ形が残っているなんてな。メットを外すことすら怖い。これは、婆さんには見せられないな」
そう言って笑うと、服から何かを剥ぎ取った。そして次の瞬間、穴を掘り始めたのだった。
「祈りを捧げ、埋葬するんだ。そうすることで、うちのじいさんの魂は永遠の安らぎを得ることができる。精霊と共に、世界の一つになって僕たちを守ってくれるんだ」
それはパラシェールの成体たちのような存在なのだろうか、と僕は考える。僕の場合は最後は見捨てられたけど、その時でも遠目に助けてくれた。そして今は僕がその成体の役割を負っている。
「よし、じゃあ土をかぶせる。あとは頼むぞ」
そう言ってミカエルはパラシェールのうち一体の背中を叩いた。彼はミカエルの言ったことはわからなかったはずだが、叩かれた瞬間に作業を始めた。唖然とする僕のそばに、ミカエルはゆっくりと寄ってきた。そして僕を見上げると、メットを叩きながらためらいがちに、
「その、申し訳ない。謝って済むことじゃないんだけど」
僕はミカエルの謝罪を受けて、葉を揺らした。穏やかな風に吹かれたように、木の柔らかさを感じるような音色が響いた。
パラシェールたちの手伝いもあり、埋葬は早々に終わった。
その頃には、パラシェールたちもミカエルに対しての警戒心を解きつつあった。そしてそのことについて最も驚いているのはミカエル自身のようだった。
「彼らは仲間を殺した俺のことを許してくれるのか?」
その問いに僕ははっきりと答えられなかった。そもそも自分たちが何に対して許せないと思ったのか、僕は言葉にすることができなかった。
「パラシェールは、成体になって初めて一人前なんだ。そして君は成体にするために穴を掘り、彼を埋めた。我々こそ感謝するべきだろう。手伝ってくれて、本当に感謝している。だからみんな君を迎えたのだと思う」
「つまりパラシェールは生物として一度死に、植物として再生するってことか。ということは、君たちにとって最も許し難いのは、成体になれない状況で死を迎える事なのか?」
僕は一〇〇年前の出来事を思い出していた。今では想像もできないが、当時ここは水もなければ草木もない不毛の土地だった。そこで一度死んだ僕は、どうしてか生き残って成体になり里を作ることができた。これはもしかすると、奇跡なのではないだろうか?
「そうかもしれない。なれない場合なんて考えたくもないよ」

 

「モグラだ! モグラが出たぞー! こっちに向かっている」
パラシェールの幼体が叫びながら駆けてくる。先ほどと同じ個体だ。その宣伝は瞬く間に伝わり、群れの中に動揺が起こり始める。それぞれの木の葉が鳴り、それに驚いたミカエルは肩をすくめてあたりを伺っていた。
「モグラが出たらしいよ」
通訳をすると、ミカエルは拍子抜けした様子だった。
「モグラ? あのモグラか。目にライトでも当ててやればいいんだよ」
一〇〇年前のミカエルといい、今回のミカエルといい、どうして彼らは危険な生き物たちに対してここまで余裕なのだろうか。その様子が、ふと一〇〇年前の展開を思い出させ、幹が冷たくなった。
体をぐっと伸ばし、砂漠の様子を伺う。大所帯のモグラたちがこちらに向かっていたのだ。どうして気付かなかったのだろうか。
「そりゃあ、モグラだしな。地面に隠れているのが普通だ」
そういったミカエルは、首をかしげる。
「ということは、こっちに掘り進んでいる可能性があるな。そういったこと、あるのか?」
「つまり土の中を進んでくるということか? そんなことができるのか?」
「モグラってそういうもんだぜ?」
あっけらかんと言われ、僕は何も言えなかった。黙って意識を根の方に向け、意識を集中させる。確かに、土の中がかすかに揺れているような気がした。ミカエルが言う通り、土の中を進んできているのだろうか。
「ありえない話じゃない。モグラを追い払う算段は?」
考えるも、そんなものはなかった。砂漠を渡ってくる個体は、まだ対処できる。勇敢なパラシェールの戦士たちが戦ってくれるからだ。しかし地面から急に出てくる個体となると、どう対応するべきかわからない。
「簡単さ。思いっきり地面を揺らせばいい。ここに近付くべきじゃない! って思わせればいいんだよ。驚いて逃げていくさ。パラシェール全員でジャンプでもすればいいんじゃないか? でかいし結構揺れると思うんだけど」
「我々は跳べない。重いからな」
なるほど、と小さな声で言いながらミカエルは周りを見回していた。
「俺の船があればな。ジェットを地面に向けて思い切り吹かしてやるんだけど」
「船? それならあるぞ」
驚くミカエルをよそに、僕は身を捩って地面に隙間を作った。陽を浴びてきらりと光る銀色のボディが覗いている。その先にはミカエルが乗ってきていた船が埋まっていた。
ミカエルは急いでそちらの方へと降りていった。そして何かを熱心に確認すると、叫び声を上げ笑い出した。
「これは驚いた、一〇〇年も動きっぱなしだ!」
隙間を這い上がってきたミカエルは、僕のことをしげしげと見つめてきた。
「あんなものを抱えてて、どうもなかったのか?」
木の葉を揺らし、僕心持ち背を伸ばした。
「この通りだ。ここはもともと不毛の土地だったけど、僕はこうして成体にまでなった」
「とすると、宇宙船の燃料電池が影響したんだな。排出された水と二酸化炭素が君の成長を促進し、君が生み出した酸素と水素がエンジンを回し続けていたってわけだ。永久機関に君が取り込まれていたってことか! はは、これじゃまるで奇跡だ!」
「つまり僕はミカエルの遺した船で生き残ることができたってことか?」
「だろうね。不毛の土地で植物を根付かせ、植物が環境を変えていったんだ。その最初の一歩はうちのじいさんが遺したオーバーテクノロジーだったというわけ」
あくまで仮説だけどね、と断るミカエルの言葉は僕の中まで響かなかった。ミカエルのおかげで、僕はこうして生きている。森を離れ、里を作り、自分の家族を得ているのだ。
そうなると、僕にできることは一つ。恩返しだけだ。
「ミカエル、その船を掘り起こせばモグラを追い払えるのか?」
「おそらくね。地面のからくるやつは大丈夫じゃないかな」
そこで僕はすぐに決断をした。一〇〇年以上も甘えるわけにはいかない。
「じゃあ、すぐに掘り起こすんだ。そして君はその船で地面を揺らし、そのまま逃げるといい。モグラが来る前にね」
僕の提案がミカエルにとっては不満だったらしい。
「大丈夫だよ、モグラくらい」
「ミカエルも同じことを言っていた。その時は蟻だったかな。でも何が起こるかわからないんだ。ちょうど最近は気温が下がって餌がなかなか取れない。モグラたちも気が立っているんだ。危険がないとは言い切れない。そんな所に、ミカエルの子孫を残すことはできないよ」
それはお願いではなく、宣言だった。またここで何かがあれば、ミカエルに申し訳が立たない。モグラの襲撃を予知してくれただけで十分だった。あとは、この星の生き物の問題だ。
そんな僕の意志を汲み取ってくれたのか、ミカエルは頷いてくれた。すると、控えていたパラシェールのうちの一体が、ミカエルの前に出てきた。そしてそっとハサミを差し出した。面食らったミカエルは、困ったように僕のことを見上げてきた。その戸惑いの表情が妙に可笑しく、僕は笑いをこらえるのに必死だった。
「ミカエル、どうしたんだい?」
「こいつがハサミを向けてきてるんだが、これはどういう意味?」
「どういうって、握手さ。そいつはパラシェールを代表して君に感謝を述べたいみたいだ」
「そんな昔の風習、今時覚えてないっての」
そう言いつつも、ミカエルは差し出されたハサミをそっと握り返した。するとパラシェールたちはめいめい僕の懐にもぐりこんでいく。船を引き上げるためだ。こそばゆさに耐えながら、僕はミカエルに向けて枝の一本を差し出した。その先には、パラシェールの実が付いていた。
「お構いできずに申し訳ない。これはせめてもの気持ちだ。道中食べてくれ」
ミカエルは抱えるほど大きな木の実を手にすると、戸惑った様子で肩をすくめた。持て余しているようにも見えた。
「これはどうも。こちらこそ、いい土産をもらえてよかったよ。おかげで婆さんにやる土産話と、それと形見が手に入った。こちらこそ感謝している。ずっと守っててくれてありがとう」
パラシェールたちが船を引き上げてくる。汚れと擦り傷が目立つが、あの時見たままの姿で船がそこにあった。ミカエルはそれをじっと見つめていた。
「一度戻ったら、また来るよ。その時にでも、じいさんの話をもう少し聞かせてくれ」
「もちろんだ。楽しみにしているよ」
すると、ミカエルが腕を差し出してきた。実を抱えているせいで、少し傾いたコミカルな格好になっていた。僕は笑いながら枝を伸ばす。ミカエルはそれをしっかりと握り返した。
「さようなら、ジャーニー。この恩は一〇〇年忘れない。きっとまた来るよ。その時にまた話そう」
そう言い残し、ミカエルは船に乗り込んでいく。すぐさま船が揺れ始める。そして轟音とともに、地面が揺れ始めた。パラシェールたちは体を揺らし、木の葉を鳴らす。それはミカエルの出立を祝す歌であり、同時に勝鬨でもあった。

 

3 さらに一〇〇年後

 

何かが頭上を通過した気がした。空を見上げ、じっと耳を澄ます。
こんなことをもう一〇〇年も続けている。体は衰え、身は朽ちる寸前だというのに、僕はこの習慣を続けていた。成果は未だない。それでも諦めることは出来なかった。
「ねぇ、ジャーニー! 実をくれよお、お腹すいた」
ジャーニーの足元で小さなパラシェールの幼体が跳ねていた。二〇〇年くらい前にいた、アントほどの大きさしかない。それでも体が軽くなったおかげで、軽快に動くことができるようだ。跳ねる幼体をなだめるように僕は言った。
「それは無理だよ。僕はもうじいさんだぜ? 実がつかなくなって三〇年は経つよ」
「うん、知ってるよ。おじいちゃんなジャーニー!」
からかって笑いながら、幼体は一目散に駆けて行った。僕に捕まって怒られないようにするためだろう。幼体の名前はジェレミーといった。ここ一〇年で初めて幼体になることができた、貴重な存在である。そして現在、里で唯一のパラシェールの幼体だ。だから里のパラシェールたちは彼に甘い。おかげで自由が身についてしまった。悩ましい問題ではあるが、それにあまりあるほどに喜ばしい出来事でもある。頭を悩ませることすら出来なくなる可能性があるのだから。
僕はあたりを見回し、そっと息をついた。
遠くに見えていたパラシェールの森は、すっかりその姿を消していた。背の高い木々は消え、巨大な生き物は死んでいった。代わりに出てきたのは殻をもった小さな植物と、それらを主食にする毛の生えた生き物だった。僕はその様子から、彼らを「けもの」と呼んでいる。けものが広がると共に、パラシェールの数は減っていった。食い尽くされなかっただけマシというものだろうか。それよりも問題だったのは、固い殻を持つ生き物がいなくなってしまったことだった。これでは幼体が育つことは不可能だった。
ひょこひょこと帰って来たジェレミーを呼ぶ。大丈夫、怒らないから。と言うとすぐに戻ってきた。最近彼は退屈しているように見える。もっと外の世界が見たいのかもしれない。かつての自分がそうであったように。
「ねぇ、ジャーニー。最近けものたちがこの里について話をしていたんだ。怖いところだって。あいつらのおじいちゃんたちが、いつも怖がらせるように話すんだって」
「お前、それをどこで聞いたんだ?」
言った後で、ジェレミーも気付いたらしい。体を小さくし、自分の姿を木で隠した。
「里に入り込んできたけものの子供達が言っていたんだ。たまたま居合わせたんだよ。大丈夫だよ、隠れていたんだから」
「見つかったら、幹を毟られるところだったぞ?」
「大丈夫だったんだから。ねぇ、それよりジャーニー本当なの?」
本当も何も、かれらを追い払ったのは僕自身だ。一〇〇年前、ミカエルの力を借りてようやくモグラたちを追い払ったのだ。彼らを葉っぱまみれの土まみれで追い返して以来、けものたちは滅多にこの里にやってこなくなった。それもついこの間までの話なのだが。そういった昔の記憶も、時が経てば薄れるものなのだろうか。
「でも、若いけものは来るんだ。お前も気をつけないといけないぞ?」
「そうだね。でもつまらないなぁ」
膨れるジェレミーの気持ちはわからないでもない。しかしこの里に残った最後のパラシェールの幼体であり、おそらく本当に最後のパラシェールになるジェレミーにもう少しきちんと言い聞かせたいと思った。
その時だ。ふと、ジェレミーが空を見上げた。釣られて僕も空を見上げる。すると、真っ白な雲をまとったものが空を飛んでいた。その姿を見た途端、僕の全身が熱くなった気がした。間違いない、あの雲は。あの船は!
「ねぇ、ジャーニー。なんだか変なものが近付いてきているよ」
「大丈夫だよ、ジェレミー」
猛烈な勢いで空を横切る船は、ぐるりと旋回をしてこの森に近付いてきた。近付くほどに、僕はそれが船であることを確信していく。不思議な銀色のフォルムは、忘れようにも忘れることができないものだった。そんな船から、何かが飛び降りた。それはこちらに落ちてくる。途中でキノコのようなものが広がる様を、僕は眩しく見上げていた。
「友達だ、ジェレミー。大切な友達が帰って来た」
僕は彼を受け止めようと、体を軋ませ大きく手を広げた。

 

降り立った人間は、僕の足元からじっとこちらを見上げてきた。戸惑っている様子はなかった。まっすぐに僕のことを見据えていた。
僕もそんな人間を正面から見下ろす。色は白だったが、着ている服の形は変わっていた。ごつごつした装飾も増えているように思えた。
「君がジャーニーかい?」
その声は僕の知っているミカエルとは違うものだった。そのことに少なからず動揺してしまう。しかしすぐに冷静になった。目の前の人間は僕のことを知っている。ということは、ミカエルに近しい人間である可能性は高い。
「そうだよ。僕がジャーニーだ。君は?」
「僕の名前は、ミカエルだ。三人目ということでいいかな?」
「君もミカエルっていうのかい?」
「間違えてほしくはないけど、法螺吹きじいさんの方じゃないぜ。俺の曾々じいさんの名前を貰ったんだよ。うちの母親たっての希望だったんだ」
法螺吹き? その意味がわからなかった。ミカエルが言うには、嘘つきという意味のようだ。
「じいさんは帰って来てから、この星の出来事を語ったんだ。そしたら法螺吹き呼ばわりさ。漂流の果てに気が狂ったって。おかげでうちの一族は嘘つきミカエル呼ばわりだ。散々な子供時代を送ったぜ」
「ミカエルはどうしたんだい?」
「三年前に死んじまったよ。新聞の記事にはなったぜ。最後まで人のじいさんを嘘つき呼ばわりしていたけどな」
僕はふと、このミカエルから並々でない熱が伝わってきていることに気がついた。彼はとても興奮していた。白い服の端々から熱いものが漏れ出ているように思えた。
「それで、君はどうしてここに?」
「じいさんの名誉回復だ。俺はじいさんの法螺話のファンだったんだよ。だからいつか絶対にじいさんが法螺吹きじゃないって証明してやろうと思っていた。だからずっとこの星を探していたんだ。なぁ、ジャーニー。俺も、俺のじいさんも、本当にお前に会いたかったんだ。そして会えたら頼みたいことがあったんだ。じいさんの名誉を回復すためにね」
ミカエルは僕にすがるように寄ってきた。
「ひとつでいい。パラシェールの実が欲しいんだ。そうすれば、じいさんは法螺吹きじゃないってことが証明できるんだよ」
「実を? 申し訳ないが、僕はもう実をつけることは出来ないんだ。僕はもう年老いてしまったからね」
「それなら、他のパラシェールはどうかな。実をつけることができる個体はいるだろう?」
僕は静かに木の葉を鳴らした。そんな個体はもういないのだ。ジェレミーが幼体になれたことを最後に、誰も実をつけることができなくなったのだ。幼体の媒体になる生き物がいなければ、実を作ることは無駄な労力となってしまう。敵に狙われる可能性だって増す。
「ミカエルは君の故郷でどんな話を?」
「パラシェールという存在と人間は遠縁にあたるって発表したんだ」
「つまり親戚ってことかい?」
なんて突拍子もない。そう僕も思ってしまう。僕とミカエルが同じ? 僕にはハサミがあったし、たくさんの脚もあった。長い目と、固い甲羅も持っていた。それとミカエルが同じ?
「君はじいさんに実をプレゼントしただろう? じいさんはその実の成分を調べたんだ。その結果、とある事実の可能性が浮上したんだ。君らパラシェールは僕ら人間の遺伝子制御桿と似たものを持つことがわかったんだ。この意味、わかるかい?」
「さっぱりだ」
「君たちは人間から進化していった生き物なんだよ。つまりこの星にはかつて人間がいたってことになる。そして移住についての正式な記録はひとつとして残っていなかった。それどころか、この星は航路にすら載っていない。だから場所を特定できなかった。そして見つけるまで時間がかかり、じいさんは死んでしまった。最後まで法螺吹きだって呼ばれていたんだ」
「でも僕は人間なんて見たことはない」
「入れ替わりだったんだろうね。人間が死に、そして何らかの変化があって君たちパラシェールが生まれたんだ。これは仮説だけどね。だから僕はその真実を調べに来たんだ」
僕はうまくミカエルのいうことを理解できなかった。僕と、ミカエルが同じもの? そんなことを想像、理解しろと言われても土台無理な話だ。
「僕と、君とが親戚だってことかい?」
「まぁ、それはそれでぞっとするけどね」
冗談っぽく笑いながらミカエルは言った。
「とにかく、僕はようやく君を見つけることができたんだ。星の位置だって特定した。これから本格的な調査をするつもりだよ。少しずつでいいから、じいさんの誤解を解いていくことが僕の夢なんだ」
僕は三人目のミカエルを前に、静かな感動を覚えていた。これこそが、繋がりなのだ。そしえそのことが羨ましくもあった。なぜならパラシェールはもうこの流れを続けることができないのだから。この里にいるパラシェールの幼体は、もうジェレミーだけだ。そして固い殻を持つ生き物は死に絶えてしまった。つまりいくらジェレミーが頑張っても、パラシェールという生き物は続かないのだ。
だから、というわけではない。理由の一つにはなるかもしれない。嘗て僕はパラシェールの森を捨て、新たな土地へと飛び出した。そして運良く固い殻を持つ生き物が餌を求めて渡ってきた。その結果、パラシェールを生み出すことができ、里が作られた。このような幸運にかけてみてもいいのではないか。
「なぁ、ミカエルひとつ頼みがあるんだ。このジェレミーを君に託してもいいかい?」
「ジェレミー? って、このパラシェールを?」
彼は戸惑っているようだった。それと同時に興奮も伝わってきた。彼は僕たちについて調べている。悪いようにはしないだろうし、断らないだろうなという予感もあった。年を食うと、いろいろ打算的になってしまうものだ。
「そうさ。この星の道案内くらいはできるし、こいつは外を見たがっている。これくらいのサイズなら、君の船にも乗ることが出来るんじゃないかな」
「でもいいのかい? 大事な個体じゃないのかい?」
「まぁね。里で唯一、最後の幼体だよ。でもだからこそだ。僕はもう年を取りすぎて、彼を守れないし導けない。それにもうこの星では種族を保てない。だから親しい友達の、子孫に任せたいと思うんだ。次に繋がるのはこれが一番かなって」
ミカエルは迷っていた。しかし僕も断らないことはわかっていた。
「わかった。引き受けるよ、ジャーニー。僕が責任を持って彼を引き取る」
そうか、と僕は声を上げることなく頷く。自分から言いだしたのに、体の底がツンとするような辛い気持ちがせり上がってきた。
「おうい、ジェレミー。こっちに来るんだ」
ずっと相手をしてもらえずに膨れていたジェレミーは、呼ばれてびくりと震えた。そしてミカエルのことを警戒しながら僕の側に小走りで寄ってきた。寄ってきた彼を見ていると、僕が小さかった頃に比べて随分と小柄であることに気付いた。そういえば、僕は体の大きさを理由に同行を断られたんだっけ。ずっと前のことだからあまり覚えていないのだけれど。
「ジェレミー。今日で君は里を出ることになるよ」
そう言った瞬間、ジェレミーは動きを止めた。そして手と足をわなわなと震わせ、木の葉をも震わせ始める。それは甘える時に見せる震え方だった。
「ねぇ、ジャーニー。いたずらは謝るからさ、そんなことは言わないでよ」
「別に罰としてじゃないよ。君を一人前のパラシェールに、なれると見込んでお願いをするんだ。そこにいる僕の大切な友達の道案内を任せたいんだよ」
「道案内? 無理だよ。里を出たくない」
「パラシェールの森に行っていたことは知っているさ。砂漠に出かけたことも、夜に空を見上げていたこともね。君は外に出てみたいんだよジェレミー。出てみて、もっといろいろ知って来るんだ。僕たち大人はもう根を張ってしまったから、自由に動けないんだよ。こんなことを頼めるのは君だけなんだ」
そう説得すると、ジェレミーは考え込むように黙ってしまった。もちろん頷くことはわかっていた。僕が幼い頃にそう話されたとしたら、同じように頷いたように。
「ジェレミー、あとは任せたよ。僕は年を取りすぎた」
そういうと、なんだか体の力が抜けていくような気がした。僕にはミカエルと、ジェレミーの姿が見えていた。二人はどこか緊張したように見合っている。初めての対面だ、僕とミカエルも同じような格好だったのだろうか。
弾かれたようにジェレミーがこちらに寄ってくる。どうしたのか、と戸惑っていると、ジェレミーは声を潜めて言った。
「ねぇ、ジャーニー。こういうとき、どうすればいいの?」
「最初どうするかって? そんなことは前から教えているだろう?」
あぁ、なるほど。と、ジェレミーは改めてミカエルの方を向いた。
そしてハサミを眼前に突き出した。急に自分より少し小さいだけの生き物にハサミを向けられたミカエルはとっさに身構えた。腰から取り出したのは、やはり小枝のような機械だった。
ミカエルは体を硬くしたまま、僕の方を向いた。
「なぁ、このカニは肉食とかじゃないよな」
「食べようとしているんじゃないよ。握手をしようとしているんだ。これからよろしくって」
「随分と礼儀正しいんだな。それにしても、これじゃ不便だな。翻訳機くらいはつけないといけないかもしれない」
そう言いながらミカエルはハサミの先をゆっくりと握った。
僕はそんな二人を見ながらひとり幸せな気持ちに包まれていた。初めてミカエルと会ってからもう何年経ったのだろうか。随分と長い時間が経っていることは間違いない。それは途切れずにゆっくりと確実に続いている。これこそ奇跡のような出来事だった。
正直なことを言えば、僕はもう諦めていたのだ。僕はもう弱っていたからだ。もうそろそろパラシェールとしての命は燃え尽きるだろう。だからもうダメだと諦めていた。だけど本心では諦めきれずに空を見上げつづけていたのだ。
しかし目の前で新たな出会いが続いたのだ。僕はそのことが嬉しかった。この先もこの出会いが続くということは、僕たちパラシェールが続くということになる。
だから僕は次に続く二人に向かって願いを込めて言った。願わくば、この出会いが永遠に続くものでありますように。

「二人とも、ありがとう。この恩は、一〇〇年は忘れないよ」

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