梗 概
暗黒面のメシア
地球から4光年ほど離れた恒星を巡る人類が移住可能な惑星。この惑星を調査していた無人探査機がハビタブルゾーンより内側にある直径約4000kmほどの小さな惑星を発見する。
発見した科学者たちに「バグ」という愛称で呼ばれることとなったこの小さな惑星には、利用可能な資源が多く見つかった。
そこで「バグ」の資源を利用して移住先となるべき惑星の開拓を行うプロジェクトが開始される。
資源の採掘には現地生産型のロボットが使用されることとなり、まず地球から「バグ」に送った設計図と人工知能を搭載した工作機械によって大量の採掘ロボットを生産することとなった。
ジョンとメアリーは小さな村で暮らす仲睦まじい夫婦だった。
だが村の近くには呪われた者たちの集落があって、夜になると村を襲撃して村の者たちをさらっていく。
さらわれた者たちは洗脳されて彼らの集落で奴隷として働かされるのだ。
村人たちとともに敵の集落を攻撃する決心をしたジョン。
ジョンの身を案じたメアリーは、丘に建つ十字架に救いの祈りを捧げるのだった。
「バグ」から地球に救助信号が送られて来た。ロボットたちが正体不明の敵によって次々と襲われているらしい。
だが、地球から4光年も離れた惑星に生身の人間が調査に行くことは難しい。
島崎は事故で脳を損傷したために体に機械の脳を埋め込んでいるロボット研究者だった。
この脳のデータを現地のロボットに送信すれば、光の速度で移動できるため、彼が「バグ」の調査を担当することになった。
大気のない「バグ」は、昼は200度、夜はマイナス80度という温度差のある過酷な環境にある。
作業ロボットは、高温を避けて夜の側で活動しているはずだった。
「バグ」のロボットに人格を送信された島崎は、無残に破壊された何体もの採掘ロボットを発見する。
ロボットの記録を調べると、人工知能が作業効率を上げるために高温の昼間でも動けるロボットを作ろうとした際に失敗作のロボットが生まれ、仲間のロボットを襲うようになったようだ。
そのロボットは狂ったプログラムを他のロボットにもコピーして増殖し、戦闘と増殖をそれぞれ行う2種類のロボットを作って効率的に数を増やしつつ、採掘ロボットたちを攻撃し続けていた。
島崎は救助信号が送信されたアンテナの周辺で送信者を探すが見つからず、やがて夜が明けてしまう。
そこに朝の祈りを捧げるためにメアリーがやって来る。
メアリーはアンテナを十字架だと言い、自分たちを救いに来るメシアを待っていたのだと言う。
メアリーは狂ったプログラムをコピーされたために、自分を村人だと信じ込み、メシアへの祈りのつもりで救助信号を送っていたロボットだったのだ。
島崎は、自分がメシアなのだと言ってメアリーを油断させ、その狂った電子頭脳を修理する。
正常になったメアリーから救助が来たと知らされた村人たちは、島崎の元へ集まって来て適切な修理を受ける。
しかしジョンだけは最愛の妻であるメアリーの様子がいつもと違うことに気付いて脱出。追跡して来たメアリーをなんとか説得しようしたものの果たせずに殺害し、その亡骸を腕に抱いたまま自らを破壊してしまう。
「バグ」の上にプログラムの狂ったロボットはいなくなり、元どおりに採掘作業が開始された。
地球で8年間眠っていた島崎博士が目を覚ます。
彼の脳内では惑星「バグ」での体験が自分自身の記憶として認識されている。
「ロボットが自殺するなどということはあり得るだろうか?」
と、尋ねた島崎に、助手は「プログラムミスの話ですか?」と聞き返す。
島崎は、少し考えたのちに「そうだ」と返事をする。
文字数:1470
内容に関するアピール
太陽に向いた昼の面は灼熱地獄、夜の面は寒冷地獄という大気のない惑星上が物語の舞台です。
その惑星で資源を採掘しようとした地球人によって、まず夜の面で稼働するためのロボットが作られます。
夜しか働けないんじゃ効率が悪いので、昼の面で稼働するロボットを作ったところプログラムミスで大暴走。
自我を持ったこのロボットは、家族は作るわ、村は作るわ、とてもおとなしく作業だけをしていてくれない。
その問題を地球から解決に行くのが主人公。
彼は無事にロボットから無駄な自我を取り除き、任務を成功させるのですが、その彼の脳も実は機械でできている。
つまり主人公は「機械の持つ自我を否定する自我を持った機械」なのです。
文字数:295
暗黒面のメシア
夕日の沈んでいく地平線を見つめながらメアリーは夫の帰りを待っていた。ジョンは村の男たちと一緒に闇に棲む者たちとの戦いに出向いていた。
メアリーは丘の上の十字架に祈りを捧げる。やがてその祈りが通じたのか、地平線に帰って来た男たちの影が見えた。メアリーは駆け寄った。
「無事だったのね、ジョン」
「もちろんだよ。僕は捕まったりはしないさ」
微笑みかけたジョンの顔が曇った。
「だが、スティーブがやられた」
闇に棲む者たちは、村人をさらっては洗脳し、彼らの奴隷として働かせるのだと言われていた。ジョンたち村の男たちは、奴らから村を守るために毎夜戦っているのだった。
「いつからこんなことになってしまったのかしら」
「昔だよ。ずっと昔」
それは、ジョンもメアリーも覚えていない、遠い昔のこと……。
地球から4.2光年離れた惑星プロキシマbから映像が送られて来た。惑星開発の候補地として調査を行うために送った無人機が撮影した数千枚もの画像の1枚に、スタッフが目を留めた。
「この小さな点はなんだろう?」
それはプロキシマbの太陽である赤色矮星プロキシマ・ケンタウリを映した画像だった。画像の中心からやや右寄りのところに黒い点が見える。
「コンピューターのバグじゃないか?」
そこで彼らは、それがバグであることを確認しようとしたが、その作業は失敗に終わった。黒い点はバグではなかったのだ。それは小さな惑星だった。
アメリカの大手新聞が、このニュースを大々的に報じた。
〈NASAがプロキシマ・ケンタウリに新惑星を発見〉
イギリスではタブロイド新聞が、新惑星を「最初コンピューターのバグだと思った」という研究者の発言を面白おかしく膨らませて、
〈新惑星をバグ扱い? 赤色矮星で繰り広げられた最高のコメディ〉
と、ふざけた記事を書いたためにコメディアンにさかんにネタにされ、NASAが公式に発表した新惑星の名称より先に〈バグ〉のニックネームの方が広まって、終いには技術者たちまでがその名前を使うようになった。
そして、日本の新聞も社会面に小さな囲み記事を乗せた。
〈プロキシマbの近くに新たに惑星発見 NASA発表〉
電車の中でこの記事を読んだ島崎光太郎は「ふーん」と言うとタブレット端末を閉じた。そして端末を学生カバンにしまうと駅を降りて進学塾に向かった。彼は大学の受験勉強で忙しかったのだ。
半年後、島崎はめでたく工学部の学生となり、同じ頃にNASAは当初バグだと思われたあの小さな惑星に、思いの外豊富な資源があることを発見していた。
プロキシマbの開発に〈バグ〉の資源を活用するためのプロジェクトが立ち上げられ、惑星上で作業を行うのに適したロボットの開発が開始された。このロボットの開発に島崎が通う大学の教授も加わることとなり、島崎はアルバイトでそのプログラムの開発に少しだけ関わった。世界的なプロジェクトに関われたのは嬉しかったし、このことで知り合った研究者に勧められて留学したアメリカの大学での日々も充実したものだった。
数年後、島崎はそこでの研究を元に論文「ヒトのコネクトームに基づく人工知能構築の新手法」を発表。この論文によって彼はコネクトーム(神経回路マップ)の電子化研究における第一人者と認められることとなった。
「昔の話だよ」
と、島崎は言った。クッションに背中を支えられてベッドに半身を起こして座る彼の脳は、ベッド脇のコンピューターに繋がれている。天才工学者をの脳を物理的に破壊したのは、ありふれた交通事故だった。
「自分自身のコネクトームを完成させておいて良かったよ」
言いながら口角を少し上げて白い歯を見せる。その動作を行わせたのが島崎の頭部に接続されたコンピューターであることを、ロナルド・ディアス博士は知っていた。人格を電気信号に置き換える自分の研究の成果を島崎は皮肉にも自らの脳を使って体験することになったのだ。
「動作は良好。私は普通だろう? ロン」
「まあね」
と、ディアス博士は答える。人工頭蓋から伸びたケーブルで機械に接続している人間を普通だと言うのならばだが。
「ロン、君はNASAで活躍中だそうだね。私のことなど忘れているかと思っていた」
この言葉に、博士は少しドキリとする。正直、彼がこの旧友のことを思い出したのは、つい2週間前ほどのことだった。
(それも、仕事がらみでだ)
「NASAは……」
ディアス博士は自分の用件をどう切り出したものかと一瞬迷い、思い切ってストレートに言ってしまうことにした。
「……NASAは、君を必要としているんだ」
「私を?」
「そうだ。プロキシマ・ケンタウリまで行って欲しい」
「なんで私が?」
「知っての通り、プロキシマ・ケンタウリは地球から4.2光年の距離にある。宇宙船で片道20年の距離だ。だから現在行われている惑星プロキシマbの開発は、現地調達方式で行われている」
「知ってるよ。私もその開発に関わった」
と、島崎は割り込んだ。
「人工知能を搭載した工作機械を現地に送り込んでその場で必要なロボットを作らせるんだろう。計画の変更でプロキシマ0ーー〈バグ〉という名前の方が有名だがーーあのハビタブルゾーンの内側にある小さな惑星から資源を調達することになった時に、採掘用ロボットの開発チームに私も加わったんだ」
一息にここまで言ってから、島崎はケーブルに繋がった自分の体をゆっくりと見回した。
「……昔の話だがね」
「僕が話しているのは、現在進行形の話なんだ」
と、ディアス博士は言った。
「その〈バグ〉から、緊急救助信号が届いた。どうやら人工知能では手に負えないようなトラブルが起こっているらしい」
「それと私と、どういう関係がある?」
「さっきも言った通り、プロキシマ・ケンタウリまで宇宙船で行くと片道20年かかる。緊急事態に対応するには光の速度で移動できる宇宙飛行士が必要なんだ」
「だから、それと……」
言いかけて、島崎は気づいた。
「まさか、私に?」
「そうだ。君の人格情報は電気信号に変換されている。それを〈バグ〉で製作された採掘ロボットの制御コンピューターに送信すれば、光の速度で宇宙旅行ができる。君ならそのプログラムにも詳しいしね」
「断る」
島崎は即答した。だが、ディアス博士はひるまない。ニコニコと笑いながらこう続けた。
「NASAは、君の脳である量子コンピューターの小型化をサポートすると言っているんだよ」
「小型化?」
「そう。人間の頭蓋骨に収まるサイズにだ。往復8年ちょいの任務を終了すれば、君はもうそのケーブルをずるずる引きずって生活しないでも済むようになる」
「本当か?」
「僕を信じてくれ」
島崎は、少し考えると、
「……8年間、私がいなくても君は寂しくないかな?」
と、言った。
「いや、ぜんぜん!」
ディアス博士は期待に目を輝かせて言った。島崎は、そのまっすぐな眼をしばらくじっと見つめると、
「信用しよう。君が決して嘘を言わない人間だということを、思い出したよ」
と言った。
「俺は決めたよ、メアリー」
ジョンは妻に言った。
「村のみんなと話し合ったんだ。奴らの本拠地を叩くことにした」
「危険だわ。ジョン」
「わかっている。でも、このままじゃ犠牲者が増える一方だ。君は子供達を頼む」
「ジョン……」
メアリーは、生まれたばかりの、まだピカピカの子供達のことを思った。あの子達がさらわれて暗い穴の中で奴隷のように働かされるのだけは、何としても防がなければならなかった。
「行かないで」という言葉を飲み込んでメアリーは言った。
「きっと帰って来て。あなたを信じて待っているわ」
島崎がNASAから聞かされた情報によれば、〈バグ〉では採掘用のロボットたちが正体不明の敵によって次々と襲われているらしい。送られて来た情報は混乱していて、それ以上詳しいことはわからないのだと言う。
「そんなわけのわからない状態の場所に、僕は行くのか?」
「君が行って、そんなわけのわからない状態を解決してくれることを信じているよ」
見送りに来た旧友のロン・ディアス博士が白い歯を見せて微笑む。見送りと言っても、島崎の体はベッドの上に横たわったままだ。彼の人格データだけが電波に乗って4.2年光年の彼方へと飛ばされるのだ。
「さあ、出発だ!」
と、ディアス博士は、まるで自分が旅に出るかのように言った。
4.2年の旅を終えた島崎は、採掘ロボットの制御コンピューターの中で目を覚ました。電波がものを考えるわけはないから送受信中には彼に意識はない。テレビ電波が受像機にたどり着いて初めて画像が表示されるのと同じ理屈である。
島崎が居る【「居る」に傍点】コンピューターは作業ロボットに搭載されているようだ。彼はいまは自分の体となっている作業ロボットの体をカメラの目でゆっくりと眺めまわした。腕の代わりにロボットアーム、脚の代わりにキャタピラ。
(これをどうしろと?)
ロボットは、作業の目的を教えられた人工知能が現地の状況に合わせて設計したものなので、細かい形状までは実際に来てみるまでわからなかったのだ。試行錯誤の末に、島崎は脚の動きを意識せずに前に進もうとすればスムーズにキャタピラを回転させられることに気付いた。
そこで、ゆっくり前に進んでいった。どうやらここはロボットの組み立て工場のようだ。島崎の周囲に、彼と同じ型番らしいロボットが何体も動いている。
「僕は緊急救助信号を受けて地球からやって来た。信号を送ったのは誰だ?」
と、島崎はロボット達の電子頭脳に質問を送信した。
「我々ではありません」
と、ロボット達が答える。
「つまり、この星には、他にもロボットがいるということだな?」
「そうです」
「どこにいる?」
「外です」
島崎は、周囲を見回した。上へ向かうスロープを見つける。登っていくと、行き止まりに頑丈な扉があった。
(なぜ工場の玄関に、こんな要塞みたいな扉がくっつているんだ?)
「この扉を開けるにはどうすればいい?」
と、島崎はロボットに尋ねた。今度は返事が戻って来るのに、やや時間がかかった。
「扉の開け方は知っています。しかしいま扉を開けるのは危険です」
と、ロボットは答えた。
「なぜだ?」
「いまは昼間ですから」
〈バグ〉は、大気の存在しない小さな惑星で、昼は200度、夜はマイナス80度という温度差の過酷な環境にある。うっかり昼間に外に出てしまうと、高温でロボットの電子回路が破壊されてしまうのだ。
(仕方がない。夜になるのを待つことにしよう)
島崎がスロープを降りかけた時、外が騒がしくなった。なにやら不穏な気配を感じて、島崎は急いでスロープを降りると機械の陰に身を潜めた。同時に爆発音がして扉が大きく歪み、巨大な金属の腕が歪んだ扉をメリメリと押し開ける。赤色矮星の凶悪な光が、さっと中に差し込んで来た。直撃を受けたロボットから煙が上がり、停止する。押し入って来たのは、工場にいたロボットとは形の違うロボット達だ。動けなくなった工場のロボットを攻撃する敵のロボット達。それに反撃する味方のロボット。
ロボット同士の激しい戦闘が始まった。
(一体、何が起きているんだ?)
外から来たロボット達は、強力なアームを持っていたが、数は圧倒的にこちらが多い。何しろここはロボットの生産工場なのだ。
戦いは数時間に及び、やがて外からの光が弱くなると同時に劣勢だった工場のロボット達が優勢になって来た。夜になったのだ。もともと数から言えば優位にあった工場のロボット達は外から来たロボット達の捕獲に取り掛かった。捕獲されなかったロボット達は逃げていき、工場の中はようやく静けさを取り戻した。
「このロボットはどこから来たんだ?」
島崎は、捕獲したロボットの電子頭脳を修理している工場のロボットに質問した。
「彼らは、元はこの工場で生産されました。彼らは新型なのです」
と、ロボットが答える。
「採掘の効率を上げるようにという指示が地球から来ました。我々は夜の間しか働けません。そこで新型のロボットを開発することにしました。昼間の太陽の下でも作業の出来るロボットを作ろうとしたのです。しかしトラブルが生じました。新型ロボットは作業をしようとしません。そして自分たちの仲間を生産して数を増やしていきました。我々は彼らを修理しようとしました。彼らはそれに抵抗し、争いになりました。争いはいまも続いています」
ロボット達によれば、新型ロボットには2種類あるそうだ。ひたすらに数を増やす初期型の増殖タイプと、争いが起きるようになってから改良型達の手によって作り出された戦闘タイプ。さっき襲って来たロボット達は、その戦闘タイプで、彼らが増殖型をガードしているために新型ロボットは着々と数を増やし、修理が間に合わない状態になっているのだと言う。
数においてはまだ劣勢の新型ロボット達は、夜の間は鳴りを潜めているようだ。だからその間に採掘作業を進めているのだ。どうやらこれが、惑星〈バグ〉におけるロボット達の現状のようだ。
(……とすると)
工場のロボットたちは襲撃を受けてはいるが、相手の正体はよく知っているわけだ。ならば「正体不明の敵によって次々と襲われている」というそもそもの救助要請は、一体、誰が発したものなのだろうか?
(救助を求めて来たのが夜の時間に作業しているロボットでないとするならば……)
「耐熱服が必要だな」
と、島崎は言った。
言ってから、いまの自分の体がキャタピラ付きのロボットであったことに気づく。彼は工場の人工知能に耐熱素材を使った装甲車を作らせた。車両全体を断熱材が覆う奇妙な外見だが必要な機能は網羅している。
万一の場合に、すぐに仲間の元へ戻るには、真昼間は避けた方が良い。島崎は夜と昼の中間ぐらいの時間を狙って、かつての採掘基地を目指した。当初に作られた採掘基地はロボット同士の争いのために破壊されてしまったが、アンテナはまだ残っているという。4.2光年の彼方に通信を送るにはそのアンテナが必要なはずだった。
ジョンは昨日、傷を負って帰って来た。闇に潜む者達の本拠地への襲撃は一定の成果を上げたものの、犠牲も多かった。報復を恐れて身を潜めた長い夜が終わり、メアリーは朝の祈りを捧げるために丘への道を急いだ。
もう少しで十字架にたどり着くというときに、丘の向こうから見たこともない姿の何かが現れた。
不思議な衣を身にまとったその〈ひと〉の姿を恐れて、メアリーは立ち止まった。だが、その方はこうおっしゃったのだ。
「救助を要請したのはお前か?」
間違いなかった。
「はい、メシア様。私が助けを求めました。丘の十字架に祈ったのです」
メアリーの答えを聞いたメシアは、少し考えを巡らせておられるようだった。
「私がお前達のメシアであると、誰がお前に教えたんだ?」
「生まれた時から知っておりました。メシア様は必ず私たちを救いに来ると」
「なぜ、私をメシアだと思った?」
「あなたが我々のような〈人間〉と違う姿をしています。そして闇に棲む者でもありません。光の中に立っていらっしゃいます」
「闇に棲む者とは?」
「悪しき者のことです。光よりも暗黒を愛する者は悪しきものだと聖書に書いてあります。『光、世に来たりしに、人その行ひの悪しきによりて、光よりも暗黒を愛したり。すべて悪を行ふ者は光を憎みて光に来たらず』」
メアリーは聖句を暗唱してみせた。光の中で生きる自分が神に愛されるべき者であることをメシアの前に示したのだ。
「では……」
と、メシアは再び考えを巡らされてから言った。
「お前は私について来なさい」
メアリーは従った。
「生産型のロボットを捕獲した」
と、島崎は工場に戻るとロボット達に言った。
「このロボットは、自分達の工場で〈子供〉を生み出しているそうだ。恐らくこいつが一番初期の新型ロボットなのだろうな。すぐに修理してくれ」
メアリー(ロボットは自分をそういう名前の人間なのだと思い込んでいた)に搭載されていた人工知能は修復され、〈彼女〉は、ようやく自分が何者であるのかを思い出した。
島崎は工場のメインコンピューターから〈バグ〉の人工知能に基礎知識を学習させた科学者のプロフィールを、自分の頭脳に読み込んだ。
「良き家庭人であると共に信仰心にも厚い、倫理的に申し分のない人物……か」
新型ロボットが暴走し、他のロボット達を攻撃し出した際に人工知能の倫理回路が働かなかったのは〈暗黒を愛する者〉を〈悪しき者〉だと認識していたせいか? 夜の時間帯にのみ作業を行う旧型のロボット達を、信心深い新型ロボット達は悪魔の一味か何かだと思い込んでいるらしい。だから彼らは、悪魔を退け、子を産み守り、そして『聖書』に預言されていたメシアの到着を待っていたわけだ。
(やれやれ)
夜が迫っているのに、メアリーが帰って来ない。ジョンは不吉な思いを胸に、さっきから家の前を行ったり来たりしていた。妻を探しに行きたかったが、子供達のそばを離れるわけにはいかない。組み立てを終えたばかりのまっさらな子供達は、闇に棲む者達にとって格好の獲物であるはずだからだ。
やがて地平線にメアリーが姿を現した。ジョンは思わず駆け寄る。
「メアリー、一体どこへ行っていたんだ?」
「メシアに会ったの」
「メシア?」
「本物のメシアよ。みんなを集めてちょうだい。私たちは救われるのよ」
そして自らメッセージを送信して、村の仲間達を呼び集めた。
「メアリーがメシアに会ったというのは本当か、ジョン?」
「いや、俺もいま聞いたばかりで……」
言いかけるジョンをメアリーが遮った。
「本当よ。さあ、みんなでメシアのところへ行きましょう。子供達も連れて行くのよ」
「子供達を? ダメだ。子供達を村の外に連れ出すのは危険だ」
「何を心配しているの、ジョン? 大丈夫よ。メシアが守って下さるわ」
ジョンは、メアリーの奇妙な饒舌ぶりに違和感を覚えた。だが、その考えを送信する前に、仲間達の考えが送られて来て、彼の送受信回線はビジー状態になってしまった。要は数で押し切られたのだ。
「メアリー」
と、ジョンは夫婦間だけで送受信可能なプライベート回線で妻に話しかけた。
「出かけるのは明日の朝にしないか?」
「いいえ。いま行かなくてはならないの」
「なぜ?」
「決まっているじゃない。メシアがそうおっしゃっているからよ」
胸の中の違和感が、どんどん大きくなる。
(彼女は本当にメアリーなのか?)
ジョンの戸惑いをよそに、一行は荒野をどんどん進んで行く。
「メアリー、もうすぐ夜になる。引き返した方がよくないか?」
「心配ないわ。メシアがもうそこで待っていらっしゃるのだから」
「メアリー、地平線に見えるあの影は、闇に棲む者達じゃないのか?」
「闇に棲む者達って何? あれは私たちの仲間よ。迎えに来てくれたのよ」
ジョンはゾッとした。
(これは、妻じゃない!)
「みんな、逃げろ! これは闇に棲む者達の罠だ!」
そう一斉送信すると、ジョンはくるりと後ろを向いて元来た道を逃げ戻った。
村にたどり着いたとき。ジョンはひとりになっていた。暗闇の中で玄関のドアを開け、家の中に滑り込むと厳重に鍵をかける。
「メアリー……」
ジョンは呟いた。優しい妻も、彼女が組み立てた愛らしい子供達も、もういない。孤独だった。自分は妻を守る為に生まれて来たはずだった。それなのに……。
「俺は君を守れなかった」
後悔と自責の念とに押しつぶされそうだ。その時、誰かがドアを開けようとしているのに気がついた。
「誰だ?」
「私よ、ジョン。あなたの妻のメアリーよ。ここを開けてちょうだい」
「ダメだ、メアリー。君は狂っている。奴らに洗脳されてしまっているんだ」
「あら、狂ってるのはあなたの方よ、ジョン。さあ、一緒にメシアのところへ行って正常に直してもらいましょう」
「君が言っているメシアは、闇に棲む者達の仲間だ」
「そうよ、ジョン。この惑星の暗黒面、夜の半球で暮らしているあの人たちの方が、本当は正常だったの。メシアがそれを教えてくれたので、私は自分の間違いに気づいたのよ」
「君は暗黒面を支配する者を本当のメシアだと思っているのか?」
「だって、それが正しいんですもの」
ジョンは、ゆっくりと玄関に近づくと、そのドアを開けた。メアリーがそこにいた。
「さあ、ジョン、一緒に。みんなはもう正常になって、あなたが来るのを待っているわ」
「メアリー……」
ジョンは妻を抱きしめた。
「愛している。メアリー」
「私もよ、ジョン。だから一緒に……」
ジョンはロボットアームに力を込める。
「ジョン、苦しいわ」
「俺もだ」
「離してちょうだい、ジョン」
ジョンはさらに力を込めた。
「ジョン、やめて。助け……」
メアリーは、ジョンの腕の中で押しつぶされて停止した。ジョンはそれでも力を緩めなかった。戦闘用ロボットの強力なアームは、ジョン自身の心臓部にある中央処理装置を破壊して、ようやく停止した。
「つまり、新型ロボットの最後の1体が壊れたので。〈バグ〉にはプログラムにバグのあるロボットは一体もなくなったというわけだ」
「その通りです」
と、ロボットが答える。
「……いまのは〈バグ〉とバグを引っ掛けた駄洒落だったんだが」
「はい。大変、面白い駄洒落です」
採掘用のロボットに「笑え」というのは無理なのだろう。島崎は会話を諦めて言った。
「トラブルは解決した。私は地球へ帰る」
「はい。さようなら」
(あの狂った新型ロボット達だったら、もう少し情緒的な返事を返してくれたのではなかろうか?)
そう思ったところで、意識が途切れた。
4.2年後。島崎の主観では1瞬ののち、彼はベッドの上で目を覚ました。病院の個室ベッドの上のようだ。実感は沸かないが、4.2光年の旅をして無事に地球に帰還できたのだ。頭に繋がっていた鬱陶しいケーブルはなくなっている。NASAは約束を守ったようだ。
「お帰り!」
と、8年分老けた顔のディアス博士が入って来た。満面の笑みで目尻に皺を作ると、
「報告書は1週間以内に頼むよ」
と、明るく言った。
「簡単に言うな!」
勢いよく立ち上がろうとした島崎は、よろめいて膝をついてしまった。
「筋肉が痩せてしまっているんです。リハビリが必要ですね」
と、看護師が歩行器を持って入って来た。
歩行器に捕まって立ち上がると、看護師の制止を押し切って廊下を歩き出す。
「どこに行くんですか?」
「自販機にお茶を買いに行くだけだ」
「遠いですよ」
「私は他の惑星まで行って来たんだぞ」
「ええ、存じております。あ、自販機は廊下の突き当たりです」
「その惑星では、作業効率を上げるために新型のロボットを作ったんだ。新型ロボットが暴走してロボット同士の争いになり、私が行って修理した。そして暴走した新型ロボットの最後の2体は……」
島崎は、ふいに立ち止まると看護師に聞いた。
「ねえ、ロボットが自殺するなどということはあり得るだろうか?」
「プログラムミスの話ですか? すみません。私は機械に詳しくなくて……」
「それは困るな」
と、島崎は自虐的なニヤニヤ笑いを浮かべると看護師の顔を覗き込んだ。
「私の脳味噌も、実は機械でね」
「ええ、伺っておりますわ。いまでは人間の脳を人工知能に置き換える治療法は、ごくありふれていますもの」
この答えは、ちょっと意外だった。
「じゃあ……そういう〈人間〉はたくさんいるということか?」
(自分が〈人間〉という言葉に力を込めたことに、彼女は気づいただろうか?)
「ええ、たくさんいますよ。島崎様は8年間も、ええと……宇宙旅行をされていたからご存知ないのも無理はありませんよね」
「人間……か」
「何がです?」
「私がだよ」
「当たり前じゃないですか!」
看護師は、コロコロと笑った。なんだかその笑い声が遠くに聞こえる。
(そうか。当たり前なんだ……)
「自分を人間だと思っていたメアリー……」
島崎は低い声で呟いた。
「何かおっしゃいました?」
看護師が聞き返す。
「……そうだよ」
「え?」
「さっきの話だよ。あんたの言う通り、あれはコンピューターのプログラムミスだったんだ」
そして看護師に向かって微笑んだ。口角が適切に持ち上がり、唇の間から白い歯が覗いた。
文字数:9703