梗 概
トリコドリの反逆
思春期に人は鳥になる。世界への反抗心が最も高まった時、若者はコマドリに姿を変え、翼を広げて〈壁〉の外へ出ようとする。〈鳥舎(ギムナジウム)〉は鳥の反抗を許さない。鳥になった生徒は〈音楽堂〉に閉じ込められ、歌うことを義務づけられる。鳥は奴隷のように歌い続けて日々消耗していく。疲弊により羽根がすっかり抜け落ちてしまった時、再び人の姿に戻ることができる。しかしこの時には、彼らは羽根とともに未来も奪われている。抜け殻のような状態で外界に出荷され、後には死ぬまで歯車となり働く運命が待つ。それが社会のルールだ。だから鳥舎の生徒達はコマドリのことを、皮肉をこめて〈トリコドリ(虜鳥)〉と呼ぶ。
仲間の中でケイが最初に鳥になる。ケイは恋人のハルヤに、これ以上自由への渇望を止めることはできないと伝える。「どっちにしろ鳥になるなら、私はみんなの役に立ちたい」——ケイの最後の願いを果たすべく、ハルヤは音楽堂からくすねたケージに鳥になったケイを閉じ込めて監視の目から隠す。
ハルヤとその親友ナオフミを中心に悪友達の間で話し合いがもたれた。それはハルヤとケイの約束を受け、ケイの意志に同調して脱走を決意した仲間の集まりだった。
論点は「いかに〈鳥撃ち〉の魔手を逃れるか」。鳥撃ちは鳥になる前に成長が止まった永遠の子供。壁の上の見張り台で生徒達を監視している。脱走を試みる者を愛用の猟銃で撃ち落とす。これまで鳥舎を脱走した者は誰もいない。
計画をたてる。教師の目を盗んで校舎裏の林に棲む野生の鳥を乱獲する。計画当日これを放つ。すでに鳥になったケイが野性の鳥達を先導して壁に向かう。鳥撃ちの目はケイと鳥達に釘づけになるだろう。ハルヤ達はその間に反対側の壁を乗り越える。
計画の決行日、ケイと野性の鳥達が飛び立つ。銃声が轟いた。ケイは最高高度に達すると同時に撃ち落とされただろう。彼女の青春と熱い魂は、壁の外の自由を目前にして死んだだろう。
ハルヤ達の眼前にも壁があった。彼らは次々と鳥に姿を変えた。
その中でナオフミだけが人の姿を保っていた。
ナオフミは側溝に隠しておいた猟銃を構えた。飛び立った仲間達を躊躇なく撃ち落とした。
こうして若者の反抗は終わる。それは鳥舎で毎年のように見られる光景だった。本当は壁の上の見張り台には誰もいない。鳥撃ちは永遠の子供。いつでも生徒の中にまぎれている。
ハルヤは音楽堂に幽閉される。普通はみんなコマドリになるのに、ハルヤだけはツグミになる。それはハルヤの強い意志の表れだった。以来、ハルヤは歌うことを拒んで口をつぐみ続けた。
後日ナオフミがケイを連れてくる。ケイは人の姿をしている。すべては仕組まれたことだった。ハルヤがケイだと思っていた鳥は、別の誰か、ケイの仕込んだフェイクだった。姿かたちが変わってしまえば、愛した相手だろうとわかりはしない。
ナオフミはハルヤの目の前でケイを抱き、くちづけ、身体をまさぐる。それを見てつぐみになったハルヤはさえずった。押し殺した悲愴な歌声は、音楽堂の聴衆達に、言い尽くせない甘美な気分をもたらした。
文字数:1278
内容に関するアピール
テーマは「若さは無力である」です。
僕は若いということ自体には何の意味もないと思います。若者が若さを誇示するのは、基本的には戦うための武器を何も持っていず、つまりは能力も金もなく、単に誇るものが他にないからだと思います。無根拠な自信と衝動に任せて、脇の甘い戦略をもとに躊躇なく行動を実行に移すさまは愚かだとすら感じます。酸いも甘いも知り尽くした狡猾な大人たちと、そんな大人たちが作りあげてきた盤石なシステムとにかかれば、彼らは赤子の手を捻るような気軽さでやっつけられてしまう。
ただ、若さゆえに燃え上がり、破滅へと突き進んでいく様は美しくもあると感じます。「次第に消えていくくらいならいっそ燃え尽きたほうがいい」と言ったのは二十七歳で亡くなったカート・コバーンですが、そんなような若者の愚かで刹那的な美しさを描きたい、というのがこの作品で書きたいことの一点目です。そして書きたいことのもう一点は、それでも社会のシステムに敵対した以上、彼ら若者は美しいままではいられず、あとには彼らを世の中に適合させるための容赦ない更正が待っている、ということです。カート・コバーンがそうだったように、若者が美しいままで燃え尽きるためには、自死するしかない。
文字数:521