梗 概
AIことば(アイコトバ)は消え去って
AIは透明なことばになった
はじめは翻訳だった。
ディープラーニングによって高度化した翻訳は次第にボディランゲージ、仕草、声色、表情へと素材とするデータの範囲をひろげ、個人個人専用の中間言語記号集合体を形成する。さらに脳状態のリアルタイム観測と組み合わせることで精度は極地に達し、すでにAIは人より人の心を理解するようになっていた。
インプットだけじゃない。
アウトプットもまた拡張する。
進化したAIが可能にしたのは完璧な言語。
「悲しい」といえばその悲しさを、「痛い」といえばその痛みを十全に相手に伝え、いや、味わわせることさえできる。クオリアさえクリアに伝える感情への干渉。ことばに限らず社会のあらゆる隙間を媒介するAIは、空気のようにその存在を忘れ去られていく。
人類はあたかもはじめからそうであったかのように、ことばを介さずに完璧に通じ合い、究極の調和のなかで過ごしていた。
俺たちを除いて。
ジョウナ。それが。俺の名前。
俺たち{フルイ}と思われる(当然「呼ばれる」こともなければ「いわれる」こともない)民族は、さいごの、ことばを話す人類だ。
ま、気負いも期待も必要ない。
人類の大半が言葉を失う以前――《失語以前》の人類と、俺たちはほとんどなにも変わらない。それは俺たちが《失語以前》との繋がりに強い誇りを抱いているからだし、どんな知識も一瞬でインストールできるAIを介した「教育」の成果でもある。伝統の継承はスムーズという言葉がもどかしく感じるほどなめらかに、なんの気なしに進行する。
俺たちはことばを愛している。ことばをつかうことに誇りをもってる。
俺たちはめいめいがめいめいのことばのつかいかたをもってる。俺は俺たちのことを《言葉遣い》と呼ぶが――西尾維新が好きなんだ――ほかのだれも自分たちのことをそんな風には呼ばない。けれど通じる。《翻訳》のおかげで。
エリナのことばのつかいかたは
だれよりうつくしかった。
けれど。
もういない。
いたとしても。エリナのことばはもうどこにもない。
エリナは《言葉遣わず》たちの都市のしずかな調和のなかで暮らしている。
エリナはことばをつかうことがだれよりも好きで、けれど《言葉遣わず》たちのことも好きだった。
あいつらは美しい。姿さえも透き通るように透明で、神々しくさえある。互いにどこまでもわかり合い、自分のことのように気遣うことができる。心は個人の壁を越えて偏在し、社会全体が一個のいきものであるかのように淀みがない。エリナはあいつらの都市を眺めるのが好きだった。禁忌を破って何度も丘に出ては、はるか遠くに咲いたガラスの薔薇のようなあの都市に向けてことばを放っていた。
けれど。あの日。通りがかった《言葉遣わず》たちに話しかけ、エリナは貫かれた。あいつらのことばならぬことばに。ことばを介さない無媒介的なコミュニケーションを愛する心をうえつけられ「わかり合った」エリナは《言葉遣わず》になった。
あの日から10年後のきょう。エリナが帰ってくる。
狙いはわかってる。エリナから《言葉遣わず》を伝染させ、《言葉遣い》をこの世から抹消するつもりだろう。
けれど。
俺たちは迎える。俺たちはみんな知ってる。エリナがどれだけことばを愛していたか。
《言葉遣わず》たちに悪気はない。あいつらはわかり合いたがってる。俺たちと。このエリナもそうだ。俺たちとわかり合いたくてほとばしる気持ちをことばを介さずに伝えてくる。ことばを愛するこころで貫いてもいいとさえ伝えてくる。けれど。
俺たちは《言葉遣わず》たちにも、エリナにも、ひたすらことばを投げかけ続ける。{ツタワラナイヨ……}と伝えてくる。それでも。やめない。{コトバヲツカワズニツタエテ}{アナタトワカリアイタイ!}とどれだけ伝えられても。
俺はことばをなげかけ続ける。
ことばをつかう限りエリナをとりもどせないとしても。
俺たちは永遠にわかりあえない。
それでも。
それだからこそ。
文字数:1644
内容に関するアピール
どうして人と人とはわかりあえないんだろう
と、ときどき泣きそうな気分になります。
たぶん、ことばのせいです。
僕たちは「意味」や「気持ち」を直接伝えあうことができず、すくなくとも一度、無根拠で物質的な「ことば」や「記号」にエンコードして、相手に放り投げ、受け取った側はデコードして「意味」や「気持ち」を復元しようとします。
こんなもん失敗するって最初っから決まってるんです。
でも一方で、僕はことばというものが好き、だと思います。
「わかりあえないからこそ、いい」とか思っちゃってる自分がいます。
じっさい、完全にわかりあってしまったとき、相手は「他者」ではなくなる。個人と個人をへだて、それゆえ「個人」を可能にするのは距離でも時間でもなく、身体でも自我でもなく、言葉です。ほんとうの他者はだれでもない。ことばです。それがなければ溶けあって、自他の境界がなくなってしまう。「愛」って、ことばの他者性を相手に転嫁することで生まれる幻想なのかもしれない。でも。だからこそ。
わかり合おうとして「ことば」を消去する者と、「ことば」を捨てないことで「相容れなさ」を決して忘れまいとする者。
互いに嫌悪し合いながらも憧れあう両者の「相容れなさ」から、「ことば」とはなにか? えぐり出す
それが目標です。
文字数:547