プラネット・キュア

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梗 概

プラネット・キュア

銀河系の惑星キュアでは、脳内の情報量が減少していくIR症候群が拡大していた。IR症候群に罹患した者は、減少速度が、情報が増加する速度を超えると、瞬間を生きるしかない状態となる。また認知機能に問題はないものの、情報を蓄積することができないため、結果的に認知も困難になり、社会生活がほとんど不可能な状態となっていた。

 

IR症候群の広がりと同時に、惑星全体に蓄積されたあらゆる情報が減少する事態も生じていた。電子化された書物などが次々と謎の消失を遂げ、外交上の機密情報も一部が消え始めていた。政府は情報科学研究所に、消える情報の共通点を見つけ出すよう指示した。

 

研究所の主席研究員である杉岡学人は、消失する情報の分析に忙殺され、妻の弘美がIR症候群を発症していることに気づかなかった。診察を受けた時点で、弘美が保有する情報は、既に4分の1以上が失われ、学人との思い出も徐々に消失し始めていた。学人は、惑星全体の情報減少の解明を進めるとともに、個々の患者のIR症候群の進行を止める方法を模索していた。

 

学人は、個人レベルの情報量の減少と、惑星レベルの減少には相関関係があると考えていた。そして惑星全体の情報量が減少するほど、個々の患者が保有する情報の総量は増加し、逆に前者が増加すると後者が減少するとの仮説を立てる。弘美の病状が進行する中、学人は職務上の権限を利用して惑星上のあらゆるアーカイブを破壊し、自らの仮説を立証するとともに、妻の病状を食い止めようと考える。

 

だが学人の企みが完遂されることはなかった。研究所は学人の仮説を採用したものの、職権濫用を理由に、学人に自宅謹慎を命じる。研究所は、惑星から消える「情報」には生物の存在そのものも含まれるため、個々の患者を一時的に救済しても、最終的には惑星の情報の一部として消えてしまうとの予測を発表する。惑星全体と一人の患者であれば、後者を切り捨て、前者を延命するしかないのだと。

 

政府は個々の患者の救済を放棄し、患者の隔離を開始する。いっぽう学人は、IR症候群から奇跡的に回復したと自称する患者の集団に、独自に聴き取り調査を行う。彼らの話は支離滅裂で、医者などの専門家からは嘘つきとして相手にされていなかった。学人は彼らの話を何度も聞くうち、それぞれ特定の場面や言葉が繰り返し登場することに気づく。ある老人の場合、それはキュアに降る「雨」だった。

 

個々の患者には、それぞれ消えない情報=「特異情報」が存在するのではないか?情報が増加すると「特異情報」は埋もれて見えなくなるが、情報量が減少する局面では顕在化する。実際、前記の集団は、脳内の情報を一部消去することで回復したと主張していた。学人は、「特異情報」は周囲の情報を呑み込み、脳内の情報減少を加速するため、「特異情報」を削除すればIR症候群の進行を止めることが可能となり、同じ方法で惑星全体の情報減少も食い止めることができるのではないかと考える。

 

学人は、研究所が消滅する情報の共通点を探していたのは誤りであり、今残されている情報に共通する要素=惑星全体の「特異情報」を消去すべきだと主張する。研究所は学人を再び主任研究員に任じ、「特異情報」の発見に全力を注ぐ。

 

惑星全体の「特異情報」はIR症候群そのものに関する情報だった。研究所の上申を受け入れた政府は、症例、臨床試験の経過などIR症候群に関する情報の削除を命じる。これによりIR症候群の治療が困難になるなか、学人は自らの中に蓄積した知識のみを頼りに弘美の「特異情報」を探す。

 

学人は、妻の話に耳を傾け、同時に分析し、病状回復の方法を模索していた。そして弘美の「特異情報」は学人自身に関する情報ではないかと思い当たる。自分の情報を消去し、妻の病状が進行するのを止めるか、自分の情報を残し、妻がもつすべての情報が失われるのを待つか。学人は結論を出せないまま、妻と思い出の地を巡り続けていた。

文字数:1611

内容に関するアピール

本作を支える2つの相容れない原理は「時間の経過に伴い情報量は増加する」と「時間の経過に伴い情報量は減少する」です。前者は情報の蓄積というごく当たり前の現象を説明したものであり、また情報技術の発達とアーカイブの構築により近年加速する社会状況でもあります。後者については、物忘れや認知症などを例に挙げることができます(ただし本作のIR症候群は人格の破壊などを伴わないので認知症とは異なります)。加えて「特異情報」を消すと、他の情報が残るというレベルでのジレンマも設定しました。

 

2つの原理は社会全体と個人のレベルで区別すれば、問題なく共存するものです。しかし本作は両者が連動する惑星というSF的な仕掛けによって、重大な選択を迫られる人間の姿を描きます。情報(≒記憶)の現象を受け入れられるのか、どの情報を選択するのか、そこに物語が生まれます。両立しえないまま終わるという課題のとおり、主人公は結論を出すことができないまま旅を続けます。

 

本作に必要となる技術や設定(例えば脳内の情報を消去する技術)、消える情報の具体的な内容については実作で書き込んでいきます。惑星の歴史、個々の登場人物の歴史が、消えていく情報を描くことで立ち上がるような小説にしたいと考えています。

文字数:528

課題提出者一覧