宇宙でいちばん最低の男

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梗 概

宇宙でいちばん最低の男

梗概

 

世界はランキングに支配されていた。

 

絶滅の危機にある動植物の遺伝子情報を保存し、絶滅後、現存する種と組み合わせ復元する技術が汎用化し、現存する種と復元された種が混在する状況になっていた。同時に、地球の環境は悪化し、絶滅する種が急増していた。種を復元させることが倫理的観点から批判される一方、どの種を残すのかに関する合意形成が急務であった。国際機関である「IGR」(Institute of Global Rationing)は、アルゴリズムに関わる技術の複雑化、高度化を背景に、地球上のあらゆる生物を個体レベルで順位付けするシステム「RSA」(Rationing System for All)の開発に成功した。

 

個体レベルで順位付けするとは、人間と犬のどちらが上かではなく、AとB、Aの飼い犬Cと、Bの飼い犬D、四者の順位を決定するということである。ランキングの対象は、種の平等を訴える各団体の声を受け拡大し続けていた。植物、鉱物は除外されたが、地球と協定を結んでいる惑星の生命体を含めるか、議論が続いていた。

 

政府は、莫大な予算の成果として、上位1万位までを公表していた。RSAが示す順位は奇妙なものだった。IGRの所長より上に、新人研究員が飼っている犬が位置づけられたこともあれば、先進国の元大統領より、途上国の新生児が上位を獲得することもあった。ランキングは常に変動し、人々は自らの順位のみを知ることができた。

 

各国の政府は、RSAは環境への貢献度を顕彰し、学術的見地から古代生物の復元の可否を判断するもので、その名のとおり「ランキング」ではなく、順位に意味はないと主張していた。指標も計算式も公開されていたが、複雑すぎて理解できる者はいなかった。桁数が大きく、めまぐるしく変動する順位に、多くの人々は順位への関心を失い、自らの順位を知らない者も多かった。他方で、地球環境の悪化を背景に、複数の惑星への移住計画がささやかれており、ランキング上位者が地球に残ることができるのではないかと噂されていた。

 

上田勝秀は、そのような世界の中で、絶望に打ちひしがれていた。彼はランキングで最下位だったのである。14歳の勝秀は、思春期の真っ只中であり、全ての生物の中で最低の位置にあることを受け入れることができなかった。学校でランキングがネタにされるたび、自分の順位がばれるのではないかとびくびくしていた。また、日々変わるはずの順位が、全く変動せず三か月近く最下位のままであることにも不安を抱いていた。

 

勝秀は、マニュアル本(『150037600040位だった僕が、150603980位になった!?』)を読み、試行錯誤を繰り返す。環境への貢献という建前を字義通り受けとり、ゴミ拾いのボランティアをし、捨てられた生物の飼い主を捜す活動にも参加した。しかし自分が助けた犬のほうが、自分より順位が高いと考えると、素直に助けることができなかった。また初めての彼女ができたにも関わらず、順位に影響しないことがわかり、ふってしまうことさえあった。

 

ある日彼は世話をしていた野良犬に噛まれ、狂犬病にかかり、生死の境をさまよう。そして、病床で自分の順位が飛躍的に上がっていることを知る。勝秀は、上位者の過去を調べるうち、重い病気を克服した人間、絶滅が危惧される状況から繁殖に成功した鳥などが多く含まれていることに気づく。

 

程なくして、IGRの元研究員によって、全ての生物を対象とした移住計画がばく露される。ランキングの真意は、上位=強靭な生物から順に遠く、過酷な惑星への移住を割り当て、下位層=脆弱な生物は住み慣れた地球に残す、選別を行うためのものだった。これを知った人々は、パニックに陥り、自らの順位を下げることに躍起になる。しかしRSAの指標や仕組みを理解していないため、やみくもに仕事を休んだり、環境破壊をするなど混乱は深まっていった。政府は急きょ、自ら望む者はみな順位を一位としたうえで、表彰する制度を創設したが、顧みる者はいなかった。

 

混乱の中、病み上がりの勝秀は、家族の反対を押し切り、上位申請へと向かう。僕は宇宙で最高の生物になる、病床で呟き続けていた夢を実現するために。

 

アピールポイント

 

本作で設定した「変な世界」とは、生きるものすべてに順位がつけられた世界である。合理性の極致であるレーショニングの仕組みが、古代生物を含めたあらゆる生き物に適用されることで、不条理な混乱を引き起こす点で「変な」(世界)を構築できたと考えている。

 

この世界観を支えるのは、二つの科学技術である。一つは絶滅した種を復元する技術、もう一つは人間の判断能力を遥かに超えた計算技術である。これら二つの技術にもまして重要なのは、順位付けやランキングが大好きな人間という生物の特性である。目の前に三人の異性が並んでいれば好きな順を考え、固有名詞が縦に並んでいれば一番上が一位にみえる思考回路である。

 

本作で描かれるシステムの中身、例えばどのような要素がそれぞれどの程度の重みづけを与えられているかといったことを梗概で詳述することは難しい。ただ次の点を前提としている。第1に、人種や性別、種の区別といった典型的に差別を構成すると考えられてきた要素は排除されている。第2に、実際に全ての生物(何万単位で生息する昆虫や魚類など)が順位付けされているわけではない。個体として把握されたもの(ポチと名付けられた犬、番号をふられた牛)に限られている。だから例えば鳥類を擁護する団体は、個体レベルでいかに多く識別可能な状態にするか、ということに力を注ぐ。にもかかわらず「全ての生物」と主張する点に、このランキングが政治的なものたるゆえんがある。第3に、この式は単一の物理法則や一貫した思想に拠るわけではなく、絶え間ない政治的議論の結果生まれたものであり、それゆえ指標や式は常に変動している。

 

最後に、この物語の魅力を支えるのは、最下位の汚名を返上すべく奮闘する主人公である。大人からみればくだらないこと(順位)にこだわり、他人の視線を過剰に意識するのが14歳という年齢である。彼は順位にこだわり、妄想を膨らませていく。一位を目指す彼の愚かな思考や行動が、システムの非合理さだけでなく、人間という種の哀しさや可笑しさそのものに見えるような作品にしたい。

文字数:2584

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宇宙でいちばん最低の男

「二ホンショウオオカミは、数十万年前に絶滅した日本固有の、小型オオカミの一つである。絶滅した原因には諸説あるが、狂犬病の一種とみられるウイルス性の感染症が原因との説が有力である」

勝秀が熱心に展示パネルの記述を読んでいると、不意にイヤホンが耳の穴に突っ込まれた。

「俺、この間180000635005位やったで」

「何位やったって?」

「ひゃく、はちじゅうおく、ろっぴゃく、さんじゅうまん…」

「さっきと変わっとるがな」

加工された観客の笑い声が耳障りで、勝秀は思わず画面を一時停止した。ツッコミがボケの頭を叩こうかというところだった。

「何すんだよ」

「つまんない」

「確かにそんなに面白くないけど。いいじゃん、暇なんだし」

勝秀は、イヤホンの片方を同級生の下刈准に返した。准は怪訝そうに勝秀を見ている。

「いや、見たいんだったら、別にいいけど」

勝秀は、自分の順位へのこだわりを悟られないよう、慌てて再生ボタンを押した。だが准も既にイヤホンを外しており、音声を伴わない大げさな身振りだけが映し出されていた。

「ここにいたのかよ」

武藤海だった。勝秀は、あからさまに面倒くさいといった表情をつくった。

「おまえ、自分の班は?」

「どこかにいると思うけど、分かんない」

海は出席番号順で割り振られた班に、気の合うメンバーがおらず、単独行動しているようだった。

「IGR」(Institute of Global Rationing)が運営する国際環境科学館は、勝秀の通うアジア第14895中学校の生徒でいっぱいだった。多くの生徒が小学校高学年時の遠足で訪れているため、展示に目を輝かせる者は少ない。

「こいつの顔、バカみたいじゃね?」

海が指したのはドードー鳥の標本だった。何世紀も前に絶滅し、現在復元候補リストに登録されていた。

「鳥なのに飛べないって…意味ないじゃん」

勝秀には、自分より上位の生物だとしか思えなかった。自分はこんな間抜けな顔の生物よりも順位が低いのだ。

IGRは、三十年前から、地球上の全ての生物を対象とするランキングを作成していた。人類だけではなく、他の哺乳類、鳥類等も全て含まれる。直近の法改正で昆虫も加わることになった一方で、植物の追加は見送られた。鉱物を加えるよう要請する団体もあるが多数の支持を得るまでには至っていない。むしろ地球外の動植物を対象とすべきかという点が議論の中心となっていた。

IGRのランキングは、膨大な数の指標と、複雑なアルゴリズムを使って作成されているため、一般人に理解できるものではなかった。参加国の国民は、自らの順位のみ知ることができるものの、桁数が大きく、常に変動するため関心を持つ者は多くなかった。

だが、勝秀は関心を持たざるを得ない立場にあった。勝秀は、最下位だった。分母と分子の数は絶えず変化していたが、ここ三か月いつも両者はきれいに同じ数値を示していた。順位を気にしていることも、ましてや最下位であることは、絶対に周囲に知られたくなかった。幸いRSA法によれば、親といえども他人の順位を知ることはできなかった。

何によって順位が決まるのか、勝秀はこの数か月、そのことばかり考えていた。IGRの答えはいつも同じ「環境への貢献度」だ。何のために順位をつけるのかという問いかけに対しては「これは順位やランキングではない」。IGRは地球環境への貢献を顕彰する制度だと繰り返していた。

「こっち来れる?」

藍だった。勝秀は海や准の様子を窺いながら、素早く返信した。

「大丈夫だけど」

「じゃあ、何だろここ、ビョーキの部屋?にいるから」

トイレに行くと言ってグループを離れると、勝秀は藍の待つ場所へ向かった。

藍が待っていたのは、菌類や細菌類、微生物を展示したエリアだった。他のエリアが剥製や骨格標本を中心とした展示であるのに対し、菌類や細菌類を実際に観察できるようになっている。ただし電子顕微鏡を使用しなければならず、特に細菌類には厳重な防護ケースに保存されているため、エリア自体は極めて地味な外観となっている。だからこそ人目を気にせず会うことができる。

「どのグループなの?」

「准とか、あのへん」

勝秀は、男友達の集団を抜けて、彼女に会いに来ることに大きな優越感を抱いていた。かといって、藍と話したいことは特にはなかった。早速訪れた沈黙をごまかすように、勝秀は展示を読んだ。

「犬になっちゃうの?」

「噛まれるとウイルスに感染するんだ」

「で、犬になっちゃうの?」

「ほぼ確実に死ぬ」

狂犬病ウイルスに関する説明を、藍はよく理解できていなかった。

「すごいんだね、こいつ」

「でも細菌類は対象外だからね」

藍の表情を見て、勝秀は後悔した。藍は勝秀が順位の話をするのを嫌っていた。勝秀もまたウイルスと張り合う自分自身に嫌悪感を抱いた。

IGRのランキングは個体レベルで作成されていた。個体レベルとは、人間と鳥のどちらが上かではなく、上田勝秀と隣家のインコの勘太郎を比較し、どちらが上かを判断するということである。逆に言えば、個体レベルで把握されていない生物はランキングの対象外となる。ジャングルにインコが何匹存在していたとしても、個体識別されていなければ関係ない。だから例えば鳥類保護の非政府組織は、一匹でも多くの鳥を個体レベルで認識しようと、番号をふったりGPSを装着することにやっきになっていた。菌類や細菌類が現段階で除外されているのは個体把握に努める研究者や団体がないからだった。

「私、整形したいんだよね」

藍が話題を変えたおかげで、勝秀は気まずさから救われた。

「どこを?」

「とりあえず二重にしたい。セルバだったら二千円ちょっとで売ってるし」

美容整形技術は高度化、大衆化が進み、瞼の整形程度であれば激安ショップ「セルバンテス」でも整形キットを買うことができた。勝秀は藍の顔を改めて眺めた。確かに一重瞼で目は切れ長であるが、スリムな体形と相まって、きれいだと思っていた。

「整形とかしなくていいんじゃない?」

「だって、二重のほうがいいじゃん」

「容姿は評価の対象外だし」

勝秀は、口にした直後、先ほどよりさらに深い後悔に襲われた。

言うべき言葉は「今でも十分可愛い」の一択だったはずだ。勝秀は模範解答を思いついたのに、またもや順位の話題を蒸し返した自分を呪った。

「だから?」

藍の言葉が刺さった。

「ごめん、そうじゃなくて、なんて言うか、そんなに気にしなくていいんじゃないって、言いたかっただけで…」

勝秀は、藍と視線を合わせることができない。

「かっちゃんってさ、順位にこだわりすぎじゃない?」

「こだわってるわけじゃない」

「なんで?」

「だからこだわってないって」

「何位でもよくない?自分の順位なんか、みんな知らないよ」

「こだわってないって言ってるだろ!」

全身でこだわっていることを表現してしまった勝秀は、手元にあった電子顕微鏡をコツンと指で叩いた。

「環境に貢献することは、大切だろ」

一番かっこ悪いセリフを吐いてしまった。藍は、勝秀を憐れんでいるようにも見えた。

「藍、ここにいたの~?」

遠くから聞こえた友人の声に、藍は慌てて笑顔を作り、手を振った。

勝秀といっしょにいるところを見られたくないのか、周囲の様子を確認し、「ビョーキの部屋」から去った。展示室には菌類及び細菌類と勝秀だけが残された。

勝秀は藍の言葉を思い返し、ぶつけそうになった言葉を心の中で反芻した。

順位なんかどうでもいいじゃん?よくねえよ。誰も自分の順位なんて知らないよ?おれは毎日チェックしてるよ。

「俺は全ての生き物の中で最下位なんだよ!」

勝秀は、自分の言葉が館内全体に響きわたったかのような錯覚に陥ったが、実際には目の前のウイルスにも届かないほど微かな声だった。

 

 

勝秀は、ベッドに寝転んで、天井からぶら下がる惑星の模型を眺めていた。太陽系の外でも次々と新しい惑星が発見され、その数は千を超えていた。科学館で販売している模型だけを集めても、天井を埋め尽くすには十分だった。存在が推定されるだけの星も含めると、ゼロをいくつ書いても足りない。ただ、宇宙開発における国際的関心は、どこまでも広がる宇宙の果てを探すことではなく、既に発見した惑星の中から生物が住むことのできる星を探すことに移っていた。

地球の環境は確実に悪化していた。最も大きな原因は、動物の過剰な保護と爆発的な個体数の増加であった。人工繁殖の技術が進化し、絶滅する種が減った。また各生物ごとに保護を訴える団体が立ち上がり、近い種で連携し、政治的圧力団体を形成していった。加えて、既に絶滅した生物の復元も可能になり、個体数の調整を主張する勢力は少数にとどまった。植物に対し、動物の数が増えすぎた地球は、食料不足が眼前の危機として迫っていた。

「勝秀、ご飯」

乱暴なノック音とともに、勝秀の母、志多子の声が聞こえた。

「今いく」

苛立ちとともに、勝秀は、惑星の一つに止まっていたハエを薄手の参考書で叩き落とした。害虫や害獣といった言葉も差別用語として使用が控えられていた。

一階へ下りると、食卓には、こんもりと葉物野菜が盛られていた。勝秀の家に一人としてベジタリアンはいなかったが、時節柄やむを得なかった。肉食がエネルギー効率の面から批判され、家畜が動物に対する奴隷的拘束だという認識が広がり、肉は入手が困難になっていた。同時に屋内で栽培できる野菜が多く開発され、各家庭での自給自足生活が推奨されていた。

「たまには焼肉食いたいよな、勝秀」

「そうだね」

父親である公秀の問いかけを受け流し、わずかに豚肉の入った野菜炒めを口に運んだ。公秀は、今は農業用機器メーカーでエンジニアをしているが、元IGRの研究員だった。勝秀はIRSについて何度も尋ねたが、ランキング関係の仕事には一切関わっていないとしか答えなかった。公秀が不機嫌になるので、勝秀ら家族はIGR関係の話題は控えていた。

「お兄ちゃん、ゲームしてる」

携帯型端末で自分の順位を確認していた勝秀は、妹の英美の勘違いに安堵した。いくら大人びているといっても、しょせん小六だ。

「うるせえな、いちいち」

「バーカ」

「勝秀、食事中はやめなさい」

「やってないし」

志多子が、公秀の顔色を窺いながら勝秀を注意する。勝秀は画面を報道番組に切り替えた。ニュースキャスターの声だけが食卓に流れた。先進二十か国が共同でこれまでで最大規模の宇宙ステーションを建造するということだった。

「私たち、地球にいられなくなるって、先生が言ってた」

「そんなことはないよ」

「順位が上の人は、地球に良いこといっぱいしてる人だから、地球に残れるんだって」

英美が得意げに話し始めた。早く話題を変えさせなければ。

「英美、お父さんは、その先生の言うことはいろいろ間違ってると思う。順位は関係ないし、みんな地球で暮らしていける」

「ほんと?」

「本当だ」

勝秀がいつ話を遮ろうかと考えていたとき、藍からメッセージが届いた。

「出て来れる?」

「うん」

国際環境科学館でのケンカを思い出し、勝秀の気持ちは疼いた。別れ話かもしれない。

「勝秀、どこ行くの?」

「ランニング」

「お兄ちゃん、彼女に会いに行くんだよ」

英美の告げ口が勝秀のほうに飛んできた。

「黙れ、ブス」

「バーカ」

ランニングは口実に過ぎないはずなのに、勝秀はいつも以上のペースで走っていた。走っているときは雑念が取り払われ一つの思考に集中できる、気がした。思考の中身は他愛のないものである。勝秀は、夜空に見える数えきれないほどの星に順番をつけるのが好きだった。ランキングは、自身が対象になると辛いが、決める側にまわれば愉しい。恒星、惑星、準惑星、衛星、見えるものから見えないものまで、知覚できる星すべてが対象だった。

勝秀のお気に入りは、ティスリフであった。新しく発見される星の多くが、ガスの塊で、地球上の生物が住むことを想定できないのに対し、ティスリフは石つぶてが集まったようなごつごつした「陸地」を有している。CO2に覆われ、人類が住むことのできない惑星の中で最も居住に適した惑星、という矛盾を孕んだ表現で形容されていた。ティスリフは、遠くて地球からは見えない。勝秀は、ティスリフの荒涼とした写真を眺めた後、緑が生い茂り、哺乳類が駆け回る、架空のティスリフを夢想するのだった。

校門の前で藍が来るのを待つ間も、勝秀は空を眺めていた。地球外への移住計画に関する噂は絶えたことがない。大規模な宇宙ステーションも調査名目で次々と建造されている。地球上の生物を減らし、生態系のバランスを取り戻すべきだと誰もが分かっていたが、各圧力団体を調整することは、新しい星を探すより難しかった。生き物の数を減らすとなったら、最下位の自分は真っ先に殺されるのか。宇宙に思いをめぐらせても、思考は勝秀自身の順位に戻ってくる。

「待った?」

勝秀が、声が聞こえた方向を振り返ると、自転車に乗った藍がいた。

「大丈夫。どうしたの?」

藍は自転車に両足をかけたまま、降りない。話は手短に、ということだろうか。

「今日のこと、謝ろうと思って。せっかく時間とってくれたのに、喧嘩になっちゃって、ごめんなさい」

「こっちこそ、ごめん」

勝秀は、何度目の仲直りか数えようとしたが、思い出すことができなかった。

「かっちゃんが、RSAだっけ?あの順位になんでこだわるのか、分からなかったから。でもいいの、誰でも気にしてること、一つや二つあるもんね」

勝秀の中で、想定外の気持が沸き上がった。今なら言えるかもしれない。

「私だって、顔のこの部分がどうとか、つまんないこと気にしてるし」

「違うんだ」

藍と仲直りできた安堵感が、勝秀の背中を押した。

「俺、最下位なんだ」

「え?」

「俺、この三か月間、RSAのランキングでずっと最下位なんだ」

藍から返答はなかった。

「自分の順位しか分からないし、藍も、みんなも順位に関心がないかもしれないけど、俺はずっと自分の順位をチェックしてる。何百億、何千億って生物が登録されてるから、毎日順位は上下するはずなのに、ずっと一番下なんだ。地球上の全部、正確には全部じゃないけど、生きてるって認められてる生き物の中で、一番劣ったやつなんだよ、俺は」

何か言ってほしかった。勝秀の目から、大粒の涙が落ちた。

「俺は、うちの妹より、学校中の誰より、金もらって捕まった政治家より、違法な催眠ドラッグを使ったタレントより下なんだ。足を折った馬より、動物園の猿より下なんだ。牛丼食ってても、この牛より下なんだって思ったら味なんてしねえよ!」

勝秀は顔を上げ、藍を見た。藍は、ふふっと笑っているように見えた。

「何がおかしいんだよ」

ただ笑顔を浮かべていたのか、くよくよするなと励ますつもりだったのか。ただこの時の勝秀に藍の表情を読み解く余裕はなかった。

「かっちゃん、違うよ」

「俺のこと、バカにしてんだろ」

勝秀は、ここで止めておけと何度も自身に警告を発していた。だが、自らした告白に、勝秀自身が一番傷ついていた。

「違う」

「真ん中にいるやつは、みんなそうなんだよ。今、どれだけ生き物が増えて、地球がどうなろうが知らん顔なんだ。一番上にいる人間と、一番下にいる人間は、嫌でもそのことを考えなきゃいけない。それが俺なんだ。俺が一番地球のことを思ってるんだ。なのに、どうして一番下なんだ?」

藍は黙って勝秀を見ている。

「何をすれば、順位が上がるのか、全然分かんないんだ」

勝秀は、ただ素直な気持ちを吐露していた。

「藍と付き合ったとき、これで上がるかもって思ったけど、だめだった」

言った直後、言ってはいけなかったことだと気づいた。

「…そうだったの?」

ようやく冷静さを取り戻しかけた勝秀は、既に手遅れだと悟った。

「いや」

「かっちゃんが私と付き合ったのは、順位を上げるためだったの?」

「違う」

そうだ。だけど今は違う、それを伝えることができなかった。

「かっちゃんが順位にこだわってるのはわかった。でも私はそんなの、くだらないと思う」

ごめんなさい、と言って藍は去った。今度こそ、本当におしまいだった。

 

 

藍のごめんなさい、という言葉はまだ頭の隅から消えていなかった。勝秀は、藍への思いを断ち切るため、順位を上げることにのめり込んだ。

まず、順位を上げるための有効なマニュアルが必要だった。無料で入手できるものに、大したものはなかった。ここから先は有料、というタイプも無視するに限る。勝秀は無料ネットワーク上で探すのを諦め、厚めの書籍を読むことにした。

勝秀が手に取ったのは『150037600040位だった僕が、150603980位になった!?』という本だった。書名こそ軽かったが、ダン・レドロという元IGR副所長が詳細にRSAの仕組みを解説したものだった。よく見ると原題は “ The Global Order “で、邦題と全く趣を異にしていた。翻訳もののため高価で、親にねだりたかったが、RSA関係の本は公秀が許さないのはわかっていたし、自分のこだわりを知られたくなかった。

電子版を購入し、授業で使用する端末に保存し、ひたすら内職した。

「地球環境憲章1条には何て書いてある?」

「ええっと、全ての生命は、何だっけ、平等に?扱われなければならない」

准がだるそうに教科書の巻末に付された条約文を読み上げた。「環境」の授業は、総じて退屈だったが、担任の仲井が受け持つため居眠りは許されない。仲井は環境に対する意識が高く、教室内に小さなビオトープがあり、メダカには一匹ずつ名前がついている。生徒は全てのメダカを「仲井」と呼び、叱られた生徒は腹いせに「仲井」を校庭に埋めていた。

「上田」

「はい」

「2条は?」

「全ての生物は、他の生物の生存を脅かさない限りにおいて、生殖の権利を妨げられない」

周囲が小さくどよめいた。わざと間違えるべきだった。

勝秀は、藍のリアクションを確認した。密かに目が合うのを期待したが、藍は教科書に視線を落としたままだった。

「この二つの条文を読んでもわかるとおり、全ての生物は平等だというのが、とても大事なポイントなんだ」

レドロの本は語り口はテンポがよかったが、結論は明快とは言えなかった。中盤まで読み進めた限りでは、順位を決める重要な指標は健康に関するものだった。人間であれば、血圧、血糖値、血液のPH値、視力、聴力など数百項目に及ぶ値を総合し、健康値を算出する。障害や病気をもつ人間は配慮(加算)が行われる。生物ごとに項目の種類、数が異なり、例えば魚類や昆虫の項目数は二十に満たない。これらをすべて健康値に変換するのだから、かなり強引である。レドロによれば、各生物を擁護する圧力団体からの要請が、健康値を算出する指標の種類に影響を与えているとのことだった。

「みんなは、自分の順位は知ってるか?」

誰も答えない。いつもどおり。

「ちなみに、僕の順位を教えよう。僕は1991543000位だ」

仲井は間をとったが、リアクションは皆無だった。勝秀ただ一人が、苛立ちを覚えていた。

人間についていえば、RSAの指標に職業は含まれているが、性格や気質は含まれていない。家族構成は含まれているが、性別は含まれていない。脳年齢は含まれているが、年齢は含まれていない。勝秀は、幼いころに遊んだ、ある・ないクイズを思い出した。

差別の原因となる要素は排除されているとあったが、職業や家族構成はいいのか?疑問は尽きなかった。ではどの職業が高い順位なのか、そのことについては全く書かれていなかった。勝秀は、略歴に付されていたレドロの写真に「嘘つき」と落書きした。

「上田、おまえは自分の順位を知ってるか?」

突然問いかけられ、勝秀は慌てて顔を上げた。

「え、いや、はい」

この似非リベラル教師、勝秀は心の中で毒づき、読んだばかりのレドロの一節を暗唱してやろうかと思った。「公の場で、自分以外の順位を尋ねてはいけない、特に子どもたちの前で順位に関する話は控えるべきである」。

「いいんだ、言う必要はない。先生は、自分がこの地球環境に貢献していると思っている。だから言える。だがみんなはこれから貢献していく立場だ。今は、目の前の順位を気にしなくていいんだ」

勝秀は、再び藍の表情を確認した。勝秀の順位を知っているのは藍だけだ。

仲井の悪口で盛り上がるクラスメイトをよそに、勝秀は放課後まで机に突っ伏し、寝たふりを続けた。勝秀にとって屈辱的な出来事が、同級生にとっては些細な一コマに過ぎなかった。

 

 

ティスリフに生まれたかった。現段階ではとても地球上の生物が住める環境でないことは知っていた。それでも、勝秀は、地球が自分を拒んでいる気がした。地球に愛されるためにはどうすればよいのか、順位の分母と分子が異なる数値になるためにどんな行動をとればよいのか。

勝秀は、犬を飼うことにした。

レドロによれば、生き物を飼っているかどうかは、指標の一つになっている。国勢調査にも飼っている生き物の種類、名前を記入する欄があるため、家畜とペットは、少なくとも先進国ではほぼ全て把握されているといって良い。動物の種類が順位を左右することはないものの、飼育放棄され公的保護を受けている生き物を飼っていると、追加的に評価される。勝秀はそこに目をつけた。

「今、できることから始めよう」。環境省のキャッチコピーに導かれるように、勝秀は埼玉県にあるナショナル・ドッグ・パークへ向かった。パークは埼浦駅からバスで20分ほど行った場所にあった。「どっぐぱ~く」という大きな看板が掲げられ、広大な牧草地にいくつものドッグランが設置されていた。大型犬を中心に、多くの犬がのびのびと走り回っていた。どの犬にしようかと勝秀がパーク内を見まわしていると、従業員の女性に話かけられた。子犬のイラストが描かれたポロシャツに、柔らかい笑顔が印象的だった。

「ワンちゃんをお探しですか?」

「保護犬を引き取りたいなと思って」

「では、こちらになります」

女性についていくと、どんどん牧草地から離れていく。五分ほど歩くと「保護センター」という建物があり、女性の入構証を使って中に入った。「手を差し伸べてくださる皆様へ」と書かれたパンフレットを手渡され、エレベーターで地下十階まで下りていく。エレベーターはひどく獣臭かったが、女性の表情が先ほどと一変しているのを見ると、冗談でも指摘できなかった。

「こちらが、保護犬の区画です」

勝秀は、目の前の光景に息を呑んだ。金網で区切られた区画がどこまでも広がっている。先ほど見た牧草地の二、三倍はあるように見えた。地上に現れた部分より、広くて暗い。犬一匹あたりのスペースは小さく、犬種ごとに区画が定められていた。同じ大きさ、毛色の犬が密集しており、気味悪さを増幅させていた。

「どうぞ、こちらをお使いください」

女性は、薄型の液晶端末を勝秀に手渡した。区画をタッチすると、当該区画にいる犬を一覧で見ることができた。それぞれの犬の個体情報も閲覧できるようになっていた。数万頭の中からどうやって選べばよいのか、勝秀は途方に暮れていた。

「どうして、こんな地下深くで飼っているんですか?」

「飼っているのは先ほどご覧になった地上のワンちゃんだけで、こちらは保護しているだけです。動物の解放をうたう団体には、実力行使を辞さないものもありますので、セキュリティを万全にしております」

「引き取る人がいないと、殺されちゃうんですか?」

「殺処分は法律で禁じられています」

「じゃあ、どんどん…」

「『病死』するワンちゃんも多いので」

手元のパンフレットをめくると、飼うことができなくなった犬は、全国に五か所あるパークへ送られるとあった。日本をはじめとする先進国では、全ての犬が出生から死亡まで個体レベルで把握されているため、野良犬はいない。飼われるか、パークにいるか、なのだ。

「犬の順位ってわかりますか?」

勝秀のなかで、一刻も早くこの場を去りたい気持ちと、強く犬たちに惹かれる気持ちが交錯していた。

「順位?」

「RSAの、です」

「わかりますよ」

「このなかで一番順位の高い犬を見せてもらえませんか?」

「承知しました」

女性が指示を出すと、区画の間に走る通路を、一匹の犬がゆっくりと走ってきた。とても小さなチワワだった。到着した途端、へたり込んでしまった。やや健康に不安があるのかもしれない。勝秀に生きる希望を託しているようだった。

「こちらのワンちゃんになさいますか?」

勝秀は、チワワを見つめながら、自身の欲望を確認していた。自分が本当に見たいのは、この子じゃない。

「一番順位の低い犬を見せてもらえませんか?」

勝秀は、女性が自分のことをどんなふうに思っているのか気になっていたが、女性の口調は変わらず事務的なものだった。

駆けてきたのは、大型のゴールデンレトリバーだった。走る速度も、元気さもチワワとは比べものにならない。

「どうして、こっちの犬の方が、順位が高いんですか?」

「さあ、それについては、専門家ではないので分かりかねます。申し訳ありません」

勝秀は、順位の最も低い犬を連れていこうと考えていた。だが、各個体の状態と順位の間に、思いのほか大きなかい離があった。

この二匹を隔てるものは何だ?

 

 

勝秀は結局、犬を引き取ることを断念した。犬を飼うために父親を説得する必要もなくなった。薄暗い土手を、とぼとぼ歩いて帰る。ランニングする気は起きない。

午後七時をまわっていたが、犬を連れて散歩する人々が多かった。相変わらず、犬と犬を連れている人たちの順位が気になった。だが、勝秀は自身の心理に微妙な変化を感じていた。自分が最下位だから、他人の、他の生物の順位が気になる。ただし、それだけではない。順位を受け入れて、土手を散歩していることそのものに違和感があった。

自宅まであと数百メートルという場所で、勝秀は低くて重いうなり声を聞いた。周囲を確認したが、犬を散歩させている者はいない。うなり声は断続的に繰り返された。勝秀は、河原の、丈の長い草むらに目を凝らした。

一匹の犬、のような生物が姿を現した。やせ細って、ふらついている。薄闇に半分溶けたまま、水辺へ近づいていく。この国に野良犬はいない。勝秀はドッグパークで読んだパンフレットの文言を思い出していた。こいつの順位は何位なんだろう。

勝秀は、危険を感じつつ、河原に降り、黒い犬との距離を縮めていった。勝秀がすぐそばに来ても、必死に水を飲み続けている。暗い水面に完全に溶け込んだ犬の頭を、勝秀はそっと撫でた。毛はバサバサで、皮膚に指が触れた。

飼い主と散歩するわけでも、地下深くで死ぬのを待つわけでもない。環境に貢献することもなく、消えていく。地球はこの生物にとって決して住みやすい場所ではない。

勝秀は、右足の太ももに激しい痛みを感じた。気が付くと、水中にあった犬の鼻が勝秀の方向を向いていた。勝秀は、半分閉じられた犬の瞼の向こうに、暗い光を見た。

 

 

背中に受けるマットレスの感触が、ベッドの上にいることを告げていた。勝秀は、体全体を動かそうとしたが、右腕がわずかに持ち上がっただけだった。右足、左足と徐々に自分の命令が筋肉に伝わっていく。自分はなぜ、病院にいるのだろう?

勝秀は、眠っている間、ティスリフにいる夢を見ていた。いつもの理想化されたティスリフではなく、リアルな風景だった。中学校のアーカイブで漁った映像や文字情報が統合され、勝秀は本当に自分がティスリフの開拓者になったのだと錯覚していた。ただそこに一切の冒険譚はなく、延々と調査が続くだけだった。

地質、微生物など担当は分かれていたが、勝秀は水を探す任務を与えられていた。簡易的な掘削機を手に、乾いた地表を歩いていると、ひどく喉が渇いた。水を探しているとはいっても、自身に必要な水分は確保されている。喉が渇く理由がわからなかった。宇宙服に常備されている水を摂取しても、渇きはひどくなるばかりだった。水への渇望はどんどん強まり、任務と自らの生理的欲求の区別がつかなくなっていた。夢は、いかにも嘘っぽい水源が現れたところで途切れた。

「上田さん」

看護師と医師が一人ずつ立っていた。部屋の様子を視認すると、勝秀が以前急性腹膜炎で入院した部屋とは違っていた。広くて、他の患者は誰もいない。勝秀は、少しずつ自分が置かれた状況の特異さに気づき始めた。

「上田さん、気がつかれましたか?」

看護師の顔をじっと見た。聞きたいことがありすぎてまとまらない。ただ、頭の端を良くない予感がかすめた。

「トイレ」

勝秀は自分が発した言葉に驚いた。尿意はなかった。看護師が医師に目線で確認する。

「今用意しますね」

「トイレ、行きます」

勝秀はよろめきながら、ベッドの縁に腰かけた。

「自分で行けます。大丈夫です」

勝秀は、直観的に危険を感じていた。ここにいてはいけない。看護師は、医師に再び確認し、付き添うことを条件にトイレへ行くことが許された。

トイレを往復する間、勝秀は看護師からできるだけ多くの情報を引き出そうと試みた。その結果、自分が狂犬病にかかったことを知った。狂犬病にかかって助かることなどあるのだろうか。

「ウイルスがすごく昔の、珍しい種類のものだったんだって」

口が軽い看護師の話を要約すると、勝秀の体内に入ったウイルスは、数十万年前に生息していた、小型のオオカミとともに絶滅したと考えられているもののようだった。勝秀は、河原で出会った黒い犬の姿かたちを思い出そうと努めた。あの犬は、人為的に蘇らせた種だったのかもしれない。

看護師が付き添っていることから、人から人への感染はない種類のウイルスだと推測し、勝秀は作戦を練った。

簡単に退院できるとは思えなかった。自分は実験材料にされようとしているのかもしれない。

「家族に、会いたいです」

十四歳という年齢と、弱弱しい声が奏功したのか、要望は受け入れられた。公秀たちも、面会が許可されるのを待ち望んでいるとのことだった。

家族を呼んだのは、寂しさからではなく、病院から脱出するためであった。だが父、母、妹の姿を見た勝秀の目から自然と涙がこぼれていた。三人も泣きながら、よかったよかったと繰り返した。現実感が戻らず、宙に浮いたような感覚が続いていた。

それでも好機を逃さぬよう、冷静さは保っていた。病室に来た三人から賛同を引出し、面会室へと移動することに成功した。面会室は、他の患者、家族でいっぱいで、看護師の姿はない。

「何か飲む?」

母親の志多子が、優しい口調で尋ねた。

「ありがとう。今は、いい」

脱出の機会をうかがっていた勝秀の目に飛び込んできたのは、隣の席の患者が広げた。新聞の一面だった。

「レドロ文書の余波、大きく」

勝秀は、妹の端末を借り、勢い込んで検索を始めた。勝秀が十分ほどで得た情報によれば、IGRの元研究員レドロ氏が、RSAの秘密を世界中にリークしたとのことだった。その内容は、各国の政府は他の惑星への大規模な移住計画を進めており、RSAの順位が高い生物を遠くの惑星へ移住させ、順位が低い生物を地球に残すというものだった。順位が高いことは生物として環境への適応力が高いという解釈だった。

順位が高い方が有利だという漠然とした認識は覆された。地球に残るため、人々は順位を下げることに躍起になっていた。ただRSAの仕組みを理解している者はほとんどいないため、混乱が広がっていた。勝秀が病院にいる間に、世の中の状況は逆転していた。あれだけ無頓着だった人々が、自らの順位に一喜一憂している。

「ひどいことになった」

公秀が呟いた。

「お兄ちゃん、この人の本読んでたよね、どうやれば順位が下がるかわかんない?」

「今は、その話はやめて」

母親にたしなめられてもなお、英美は勝秀に繰り返し尋ねた。勝秀は妹の質問をいなしつつ、自分の順位を確認した。156位。驚くほど高い順位だった。

「レドロが言っていることが本当かなんてわからないだろ?」

「でも、否定してないんでしょ?」

「自分の本を売るための嘘かもしれない」

公秀の声は平板で、楽観を語る言葉が空しく響いた。確かにレドロ氏の著作は爆発的に売れていたが、レドロ氏はその売り上げを、移住計画の推進のために寄付すると宣言していた。自分の告発が真実であることを、身をもって証明しようとしていた。

「勝秀、これ着替え」

志多子は、量販店で買った無地のTシャツとスウェットを勝秀に手渡した。

「いつ退院できるの?」

勝秀の問いかけに、志多子は答えることができなかった。英美は視線を合わせず、逆に公秀は不自然なくらい勝秀を見据えている。

「わからない。ただできるだけ早く、と先生は言ってた」

「そうなんだ」

勝秀の家族を沈黙が覆い、周囲の会話がやけに大きく聞こえた。不安が、確信に変わりつつあった。

「着替えて来る」

勝秀はそう言ってトイレに向かった。監視の目がないことを確認し、個室に入る。入院着から着替え、小窓を探す。少し高い位置にあったが、便器から個室の仕切りを伝って外に出るのはそれほど難しくなかった。勝秀は、走り出したい気持ちをこらえた。見舞いに来た中学生を装い、病院の敷地を通り抜けた。

当分、いや一生出られないかもしれない。勝秀は直観を信じることにした。家族を裏切ることへの罪悪感や、完治していないかもしれないという不安は、病院に閉じ込められることへの恐怖にかき消された。体調は万全ではなかった。目まいと頭痛が続き、喉の渇きがひどかった。だが弱った身体とは対照的に、思考は奇妙な全能感に支配されつつあった。

 

 

順位が飛躍的に上がったことへの喜びは、鬱積していた劣等感を、正のエネルギーに変えた。この喜びを今すぐ、誰にでもいいから伝えたい。勝秀は、足元こそふらついていたものの、心の中ではスキップしていた。

病院の敷地から一歩出ると、街の様子は確実に変わっていた。犬や猫が堂々と車道を横切っている。勝秀は、野良犬や野良猫を見るのは初めてだった。河原で見かけた生物も野良犬だったのかもしれないが、日中、堂々とオフィス街を闊歩する存在だとは知らなかった。どうやら、地球に残りたい人々が順位を下げるために、飼っていた動物を次々と手放しているらしかった。

生物を飼っている場合は加点されることはあるが、手放したからといって減点されるわけではない。そもそも建前上顕彰を目的とするRSAに、減点という仕組みはなかった。勝秀はRSAの仕組みをある程度理解していたので、いい加減な情報に振り回される人々を哀れだと感じた。

報道されている情報を集めると、人々の考え方や行動は完全に混乱していた。彼らは順位を下げるためにあらゆる行動を試していた。仕事をさぼる、配偶者と離婚する、などどう考えても順位と関係なさそうなものもあれば、生き物を殺すといった見過ごせない行為もあった。わざと重病にかかるという強者もいた。確かに、これは間違っていない。

ただ回復すれば話は別だ。勝秀は、重篤な疾病にり患し、回復した者が最も高く順位付けされるのだと確信していた。それこそ、強い生き物なのだ。だからこそ、遠くの惑星を割り当てられる可能性が高い。人々の行動が過激になり、政府がより情報隠ぺいを強化し、それによってますます愚かな行動をとるという悪循環が続いていた。

勝秀は逡巡していた。ランキングの仕組みを知っているのだから、自分もその知識を活用し、地球に残れるような行動をとるべきなのだろうか?

息切れしたため、少し立ち止まっていると、巨大なエアスクリーンが目に入った。

「チワワのハジメちゃん、ティスリフへ」

保護センターで見た、あのチワワだった。有人調査に先駆けて、チワワを乗せたロケット及びポッドがティスリフへ向けて発射されるとのことだった。人々が順位を下げるために躍起になる中、政府は自発的に申し出た者を、全員一位とする制度を設けていた。当然申告するものなどおらず、ハジメちゃんが保護センターの代理申告により申告者第一号となった。スタジオでは、順位を理由に生物の命を粗末にするものだ、犬の意思を代理することなどできないはずだと、動物保護団体の代表が強い口調で非難していた。

勝秀は、ハジメちゃんの姿を見て、感動のあまり涙を流していた。多くの人間が住み慣れた地球にしがみつき、エゴイズムを爆発させている。なのに、「病死」させられるはずだった犬が、最も過酷な惑星へ旅立とうとしている。

勝秀は、一瞬でも、RSAに関する知識を駆使して地球に残ろうと思ったことを恥じた。そして、最下位であることに苦しみ、一位を夢見ていたころの自分を思い出した。

地球で、いや宇宙で一番強い生物になる。決意とともに勝秀の脳裏に浮かんだ顔は一つだった。

 

 

勝秀の前に、見慣れた中学校の建物があった。教室は勝秀の存在など忘れたかのように、いつもと同じ空気で充たされていた。

戸の外で入るのをためらっていた勝秀の存在に、数人の生徒が気づいた。勢いにまかせて教室に入ると、戸の近くに座っていた生徒も席を立った。

大勢の椅子と机が一斉に床をこすった。皆、勝秀の様子に適当なリアクションをとれずにいた。

「上田、おまえ入院してたんじゃなかったのか?」

最初に声をかけたのは、仲井だった。

「もう大丈夫です」

自分の席に座るつもりだった。だが、クラスメイトの会話の断片を聞き、勝秀は、自分の居場所がないことを悟った。

勝秀が新種のウイルスに感染したという噂が広がっていた。よく見ると、教師である仲井でさえ、決して勝秀に歩み寄ろうとはしない。ヒトからヒトへの感染はない。科学的な言明が偏見や噂話の前では無力だということを、感染症の歴史が証明していた。仲の良かった准は、居心地悪そうに勝秀から目を逸らしていた。

勝秀の視線はたった一人に向けられていた。

「藍」

名前を呼ばれた藍は、おそるおそる勝秀を見た。

「いっしょにティスリフへ行こう」

勝秀の頭には、理想化されたティスリフの風景が描かれ、恋人と二人で開拓していく物語が展開されていた。

「ティスリフを開拓して、宇宙のために生きよう」

だが、藍の目の前にいた勝秀は、机に両手を突き、荒い呼吸を続け、今にも倒れそうな様子だった。

勝秀は返事を待った。藍は、周囲の女友達の様子を確認し、目を伏せた。

勝秀は事態を察し、クラスメイトに背を向けた。

「俺は最強なんだ、宇宙で一番強いんだ」

力なく教室の戸に向かって放った声が、どれくらいの大きさだったのか、自分でもわからなかった。

廊下を歩く勝秀は、喉の渇きに耐えられなくなっていた。だが一刻も早くIGRに行って申告をしなければならない。一位になって、ティスリフへ旅立たなければならない。宇宙は広い。新しいパートナーもきっと見つかるはずだ。

勝秀の意識は朦朧とし、歩くのも困難になっていた。水飲み場を探して校庭に出た勝秀を待っていたのは、数台の警察車両と救急車両だった。その後ろには数名の医師と看護師、そして家族がいた。

「勝秀」

公秀が呼びかけた。医師と看護師が近づいてくる。警察官も警戒を緩めていなかったが、勝秀に抵抗する力は残っていなかった。

「生物保護法に基づき、あなたを拘束します」

妹の泣き声が聞こえた気がした。促されるまま横になり、傍らに付き添う医師を見上げた。

「申告しなければならないんです、ティスリフへ行くために」

勝秀は消え入りそうな声で訴えた。

「もう少し回復してからにしましょう」

「ティスリフへ行けるんですか?」

「その可能性は高いと思います」

「よかった」

「あなたは、環境に害をなす可能性が高い生物として、地球から隔離されます」

医師の言葉を反芻する気力は残っていなかった。

「どうぞ、水分をとってください」

口から溢れるほど、飲んだ。自分は今どんな生物なんだろう?

勝秀の思考は、水への動物的欲求にのみ込まれていった。

 

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