梗 概
瓶詰の記憶
大学生である相沢憲次は、陸軍に所属していた研究者である曽祖父・憲三郎により開発されていた毒薬によって殺される悪夢を中学生の頃から見つづけていた。夢の中の祖父の顔は、中学生の憲次が最後に見たであろう曽祖父の顔、病床で親族たちに穏やかに語りかける顔だった。穏やかな顔の曽祖父は、夢の中でベッドにしばりつけられた憲次のもとに現れ、ビンから一滴ずつ毒薬をたらす。憲次は絶叫する。夢は途切れ汗だくになった状態で飛び起きてしまう。
時期は夏。憲次は中野ブロードウェイで江戸川乱歩の初版本を眺めていた。そこにドイツからの留学生、カレンと名乗る女の子と出会う。カレンは日本に興味のあるオタクの娘で、中野ブロードウェイでミュージシャン・作家の大槻ケンヂに出会うことを望んでいた。そして憲次は、カレンと話し続けるために大槻ケンヂを知らなかったのだが知っていると嘘をつく。そして二人は村上隆がデザインしたカフェで大槻ケンヂに出会う作戦会議を始めることとなる。
憲次は親しくなったカレンに自分が中学生から見つづけている悪夢について話す。するとカレンは、自分の祖父もナチスの親衛隊として戦争にかかわっていたのだと思い出したのだった。カレンの祖父の書斎には、金歯の瓶詰めがあるという。彼女が思うに金歯はユダヤ人の遺体から取ったもので、それを目撃した日から祖父に会うことができなくなっていると話す。カレンはそもそも憲次の曽祖父が毒薬について開発していたのかについて提案する。もし毒薬を開発していなかったとしたら、憲次の見ている悪夢は単なる思い込みで、解消されることとなる。過去の資料を調べると、憲三郎はたしかに何らかの薬物を開発していたことがわかるのだが、それは人体実験に使われるものではなかったと判明する。
憲次もまた金歯の瓶詰めは本当に金歯であるのか、金歯だとしてその瓶詰めは本当に祖父のものなのかと疑う。誰かから受け継いだものなのではないかと思いつきを話す。
秋。二人は日本から出て、ポーランドを経由してドイツへと向かう準備をしていた。アウシュビッツを訪問し、当時の戦争に対する手触りを少しでも味わうために。
二つの収容所を見学した二人は、ドイツにあるカレンの祖父の家にやってきた。カレンの祖父は高齢のため、ベッドに寝たきりであるという。書斎にあったはずの金歯の瓶詰めはなく、そこには複数の手紙の束が置かれていた。内容は祖父が金歯を遺族へと返還していたことを感謝する手紙だった。祖父は収容所で殺害された人たちから、金歯を収集していたのではなく、戦後、金歯すなわち遺品を遺族へと返すために行っていたのだとカレンと憲次たちは気づかされたのだ。
寝たきりになる祖父はカレンに告げる。お前に戦争のかけらを渡してすまないと詫びる。カレンはけっしてそんなことはないと思う。祖父を疑っていたことが悲しくなったのかわからないが、その瞳からは涙が零れ落ちた。
文字数:1202
内容に関するアピール
「血からは逃れられない」
誰もが一度は人生の中で向き合うであろうテーマで構想しました。単純に遺伝の問題もありますが、梗概で扱ったように戦争に関わった者が親族にいることや、ほかにも発現はしていないけれど疑いのある遺伝性のある病気などさまざまに見える・見えないものとして「血」はぼくたちの生活に関わるものです。
設定として、カレンは地(ドイツ、そして嫌な祖父の記憶)からは逃れているつもりでいます。カレンに流れる血はドイツを離れてしまった以上、機能していません。そこに憲次という、曽祖父・憲三郎が陸軍関係者という血縁を持つ青年がカレンに接触することにより、彼女の記憶そして血はよみがえります。今度は簡単に忘却はできません。
この「ふたつの血(地)から逃れるためには、知(理)が必要」だとテーマをひねった上で活用しました。
身近な問題に向き合うためには、一人だと盲目も同然で、誰か別の視点が加わることで初めて問題に向き合うことができるのではないか。血は固有性を持っているがゆえに、みなのだれもが隣人の問題を共有し、考えることができるものではありません。
ぼくたちは血からは逃れられない。ならば向き合うしかない。しかし向き合うことはそんなに難しいことではない。一人、孤独に問題を抱える人に対する、小さな希望にもなるような小説として書ければいいのかなと思います。
タイトルは夢野久作の「瓶詰の地獄」から着想を得たことを記しておきます。
文字数:606