梗 概
清掃局員の俺は生まれつき重度の識活字障害だった。タイプされた文字、スクリーンの文字、印刷物、そういった文字は俺にはただの線の塊にしか見えなかった。俺が読めるのは手書きの文字だけだ。手書きの文字の微妙なぶれだけが、俺に文字を文字として認識させるのだ。餓鬼の頃はそれでもまだ苦労しなかった。小学校という幸せな空間! あそこではまだ、互いに文字を書いて見せ合うことが許された。だが今では俺は盲人も同然だ。タイプライター。テレスクリーン。素晴らしい発明の数々。サイコスキャンによる認証は署名に代わり、マイクロカセットによる録音技術の発達はメモ帳を駆逐した。この世界から大人が手書きで文字を書く文化は消え去った。人々は署名すら行わない。ペンはコンドームやヌード写真集、日記帳と一緒にドラッグストアの片隅で埃を被っている。今では公共の場で大の大人が文字を書くことは性器を露出するようなものだった。
俺はたまたま薄汚れたアパートで隣同士だったアリスという薄汚れた女と出会った。アリスは代筆屋だ。お前たちの恋人に成りすまして汚い文字で手紙を書いてやる。俺が骨董品ものの万年筆とメモ帳で電話番号を書くとお前は耳まで真っ赤になった。馬鹿げてる。彼女は魅力的だったが、字はどうしようもなく下手糞だった。
彼女の友人が地下組織のリーダーだった。奴らはグラフィティと呼ばれる文字を町中に書きなぐっていたが、俺にはとても文字には見えなかった。俺の望みは俺がまともに暮らせること、それだけだ。だが職業上の癖で地下組織の連中のごみ箱からごみを分別していた俺は、この地下組織が実は都市の最上級層とつながっていることに気づく。
権力者のやることはいつの世も同じ、二つの活字を独占することだ。情報とカネ。俺は権力者どもの一人、通称豚男と接触する。奴は文字起こしの横流しで一財産を蓄えていた。俺はスパイとして地下組織を先導して豚男の信用を得る。そしてついに総統の隠し財産がひそかに移送されるという情報を掴む。俺は地下組織の連中をけしかける。だがもちろん、それは罠だ。俺は豚男の前に引き立てられる。
しかし俺の目的は財産の奪取などではない。財産が何なのか、俺には見当がついている。
俺は最後に一筆書かせてくれとせがむ。
万年筆にはガソリンが詰まっている。俺は火だるまの状態で豚男の用心棒を全員殺す。
俺は金庫を開く。中にはパピルスに書かれた知らない言語、文章の切れ端と、総統の日記。
そんなところだろう。俺が触れただけで燃えてしまう。
豚男が指先についた字で俺の名前を書く。潜入する際に使っていた偽名だ。駆けつけたアリスはそれを見て顔を赤らめる。
豚男は彼女の反応を見て、薄笑いを浮かべて死ぬ。
文字数:1116
内容に関するアピール
「手書き文字」と「活字」の対立です。
つまるところそれは「書くこと」と「読ませること」の微妙な差異による対立です。恐らくこれから先、手書き原稿をあえて用いる作家の数はますます減少していくでしょう。筒井康隆『残像に口紅を』のような極端な例を挙げるまでもなく、例えばワープロ黎明期には万年筆からワープロに表現手段が変わることによる文体の変化、ということはよく文学上の話題になっていました。しかしこの問題は結局、ワープロ、パソコンの圧倒的普及によってなし崩し的に立ち消えてしまった印象があります。本来的には文字は活字であっても手書きであっても同じものであるはずです。ですが例えば
アリスは煙草の煙を吐いた。「冗談じゃないわ、まったく」
といった文章が活字ではなく手書きで書いてあったものを読んだ場合、おそらく我々は違和感を覚えるのではないでしょうか。そこには書き手が一人の日本人であることがあまりにも強く出過ぎてしまうからです。また例えば「読ませる」ことが必ずしも必要条件でないアマチュア作家においては、「書くこと」の快楽を追求するためにあえて手書きで創作を行う作家、というのがもっと増えても良いのではないかと思います。現在においては手書きは主にアイディア出し、断片的な思いつきを呼び込むために用いられています。そのような側面を追求しつつ、21世紀にふさわしい手書き文章を考えたいと思います。
ちなみに今回の梗概はすべて原稿用紙で書き上げ画像でアップロードする予定でしたが、時間がなく断念いたしました。実作においてはある程度そのアイディアを実現できればと思います。
文字数:675