天使と因子

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梗 概

天使と因子

「これが最後の任務になるかもしれない」

 操縦席のなか、セブンは苛立っていた。
 しかし、いったい何をもって自分の最期を認識すればいいのだろうか。オリジナルの転写先として生み出された七番目の留体。それがセブンだった。たとえ自分がいなくなったとしても、また別の留体が生み出され、そちらに意識が転写されるだけだ。その際の調整によって七番目の疑似人格である自分の記憶は消えてしまうかもしれないが、意識下に眠るオリジナルの存在は残り続けるだろう。
 すでに活動開始から103016537秒が経過しており、留体としてのセブンの自己同一性にはゆらぎが生じ始めていた。身体の劣化はまだ深刻なレベルにまでは達していなかったが、留体の寿命を考えれば次の転写がそう遠くないことは予想できた。
 天からの意思を言づてる使い――天使と呼ばれた「オリジナル」は、自らの存在を犠牲にすることで、世界を救うための膨大なデータを提供した。オリジナルによってもたらされた知識によって、人類は世界を汚染していく異界からの侵食「青」に対抗する手段を得た。
「青」に抗うために開発された強攻外殻BCの操者として「青」の最深部にある汚染システムのコアを破壊する、そのために青の領域を守護する抽蒼体を打ち倒すことが、留体の存在意義だった。
 その在り方に不満も違和感もない……はずだった。しかし、セブンの意識の奥で目覚め始めたオリジナルは、戦うことを拒んでいた。戦闘中、オリジナルの意識に惑わされたセブンは自己矛盾による思考停止に陥り敗北を喫する。
 何とか「青」を脱出したものの予想以上に留体劣化が進行していると判断されたセブンは、次の留体へ意識を転写するため「調整」を施されることになる。エンジェル・ファクターと呼ばれる微粒子に満たされた特殊施設のなか、戦闘のために刷り込まれた矯正意識から徐々に解放されていくセブンは、最期にオリジナルとの邂逅を果たす。

文字数:800

内容に関するアピール

 これまでに触れてきたさまざまなコンテンツを通して、自分のなかのSFのイメージの一つとして「巨大ロボットもの」というものがあり、講座を通して一度は大型兵器による戦闘アクションものを書いてみたいという気持ちがあって、残りの回数も少ないため、今回、題材として選んでみることにしました。
 課題に対しては短編としてまとめることを意識して、二重人格ならぬ二重意識をもった主人公を設定し、その二つの意識が相矛盾する目的をもって共存しているという状況におくことで、その葛藤を描くというシンプルな構造としました。
 一つの存在(留体としてのセブン)が自己崩壊していく様を儚く美しく描いてみたいと思います。
 また連作のなかでの位置づけとしては、これまで中心人物として登場していた「オリジナル」=シタルと主人公を対立させることで、ここまでの展開でシタルの選んできた意思についても問い直せるような内容にしたいと考えています。

文字数:400

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天使と因子

(これが最後の任務になるかもしれない……)という不安が、コクピットのなかのセブンを苛立たせていた。
 チッ、と任務開始から何度目かになる舌打ちをして、モニタに表示されている索敵情報を確認する。サーチには引っかからずに鬱陶しく機体の周囲を飛びまわる小さな蒼色羽蟲たちを機体の背面から伸びた四本の有線短刀「蜘蛛斬」で薙ぎ払いながら、セブンは破壊対象である「核(コア)」の正確な位置を探っていく。
「核」からの呼びかけは弱く、遠かった。「核」の発している固有の波長に感応することができるのは、体内に同じ成分をもった「留体」と呼ばれる特別な存在だけだ。そして、この領域ではセブンだけが、その任務を遂行することができるのだった。
 濃紺の霧につつまれた無人の都市――「青の拒界」と呼ばれるその領域は、巨大な青いブロック群によって構成されており、迷路のように複雑に入り組んで積み重なったブロックの間を縫うように進みながら、セブンは空間を支配している静寂に心地よさを感じていた。
 その静けさを邪魔するように、(お願い……)と先ほどからくり返し頭の奥から呼びかけてくる「声」にセブンは苛立ちを募らせ、つい「うるさいっ」と罵声を浴びせかけてしまう。
《どうかした?》と通信士のニーアの澄んだ声がコクピットに響いた。対面で直接話をするときは甘ったるくて聞き取りづらいニーアの声は、スピーカー越しでは何故かよく通る。それもまた「特別」な才能の一つなのだと思いながら、セブンは「……何でも、ない」と呟いた。
《え?》と戸惑った様子のニーアに説明をするのが面倒で、機体を旋回させながら「この領域に「核」は確認できない。いったん離脱する」と告げ、セブンは軽く目を閉じて、深く長い息を吐いた。鎮静。
《了解しました。お疲れ様です、シタル》というニーアの応答に、セブンは眉間にうすく皺を寄せながら、チッ、と舌打ちする。
(私をその名前で呼ぶな!)と、今度こそニーアに向かって叫びたい気持ちを抑えながら「コード・セブン――帰投します」と応じて、セブンはモニタ上に赤く点灯している小さな一点をみとめた。サーチに引っかかった敵、その赤に意識を集中させ、どうやらタダでは帰してもらえないらしい、と思いながら、セブンは再びゆっくりと息を吐く。鎮静。
 できることなら無駄な戦闘は回避したいと考えて、セブンが「離脱(エスケープ)」の信号を送ってルートの計算を促すと、機体を統御するための頭脳であるナビゲーション・システムBCが数秒で候補となるルートをいくつか提示してくれた。
 吟味している時間が惜しくて、セブンはそのなかから最短のルートを選択し、ニーアに告げる。ニーアからはすぐに《承認》の信号が送られてきたが、いつもよりほんの少しだけ遅いレスポンスに、(より確率の高いルートを選ぶべきでは?)という彼女の迷いを読み取って、セブンは舌打ちする。
 今は何よりも時間が……時間が惜しいんだ。
 そう考えた直後、(お願い……これ以上、青の領域を侵さないで)と、再びあの声が頭のなかで響いた。
 そして、もう自分の存在していられる時間はそう長くはないかもしれない、という自覚がセブンを苛立たせた。この身体に意識が転送されて活動を開始してから、すでに一〇三〇一六五三七秒が経過していた。歴代の七番留体の平均寿命はおおよそ三年、すでにその時間を超えて存在しているセブンは、些細なきっかけで、明日、いや、たった今、この瞬間に活動限界を迎えてもおかしくはなかった。
 そんな貴重な時間を、青い大地から湧き出すように際限なく出現する「抽蒼体」との無意味な戦闘行為に費やすなど、馬鹿げている。それも、「核」を破壊するための戦闘ならいざ知らず、破壊対象を見つけることもできず、撤退する途中なのだ。
「核」の破壊ならびにその防衛機能である抽蒼体との戦闘を目的に造られた兵器「外殻」。全高約八メートル、蜘蛛型の下半身に四本腕の胴をもった、通称「アラクネ式」と呼ばれる大型戦闘機体による活動は、搭乗者の心身の機能を徐々に蝕んでいく。
 移動中の振動や加速時のGに加え、戦闘時の回避行動による高速旋回や抽蒼体からの攻撃によって受ける衝撃など、あらゆる身体的なダメージの蓄積。加えて、人体とは異なる構造をもった外殻の動きをコントロールするために絶え間なく行われている特殊な神経接続による処理は、脳に負担を与え続ける。
 さらに「青の拒界」のなかでは「核」から放出されている一定の波長に呼応し続けていなければならず、始終「核」の発する「波」に中てられている環境といった外的要因も含めて、外殻のパイロットは常人には務まらない、セブンたち留体だけが担うことのできる「特別」な任務だった。
(そう、私は「特別」な存在なんだ……)
「青の拒界」による侵食を阻止するために存在している留体と外殻は、現在、全世界に九組。そのなかでもセブンの駆る第七の外殻「BC」は破壊することに特化の強襲型(アサルト・タイプ)であり、実際に「核」の破壊に対して最も成果をあげている機体の一つだった。
 機体との相性もあって、「核」の破壊活動においてセブンは現存している留体のなかでもトップの成績をあげている。すでに九つの「核」を破壊しており、あと一回ミッションに成功すれば留体史上最高成績となる二桁の戦果をあげたことになるのだ。
(私は、特別……私はナンバーワン。なのに……あいつらは認めてくれず、私を物のように扱う!)口には出さずに思考を吐き捨てて、セブンはBCの示しているルートを高速で移動していった。激しいGに小さなセブンの身体が圧される。この速度であれば抽蒼体に追いつかれることはまずないだろう。
《シタル、集中してください。すこし思考が乱れています》
「了解――問題ない。このまま離脱する」
 ニーアからの通信にそう応えて、セブンは左の奥歯を噛みしめるように口元を歪め、唇の隙間から長く息を吐く。鎮静。反抗せず、従順であること。言い聞かせるように心のなかで繰り返す。もし彼らからのコントロールを離れて反抗的な態度を示せば、それは精神劣化の兆候とみなされて危険因子として次の留体への転送処置を施されてしまうかもしれない、という恐怖がセブンの脳裏をよぎった。
 シタル、シタル、シタル。あいつらは私をそう呼んで、セブンとしての私の存在を認めようとはしない……。シタル――先ほどから呼びかけてくる不快な声、私のなかに眠るオリジナル、その欠片。それが自分自身の意識の内のどれくらいの割合を占めているのかを、セブンは知ることができない。
(お願い……貴女には私の意思が伝わっているはず)と、またその声が呼びかけてくる。この声が頻繁に聞こえてくるようになるということは、意識の制御機能が弱まってきており、もうその留体は活動寿命が近づいているのだと、噂されていた。

 

 今から約八十年前に突如として出現し、世界を侵食しはじめた不気味な青い泡は、あらゆるものを融かしながらゆっくりと人の領域を飲み込んでいった。泡に融かされたものは青い霧状のガスを発しながら、次第に固まって方形のブロックを形成していく。

はじめのうちはほんの小さな地域に点々と、それから次々に世界中のあらゆる場所に現れはじめて、人々の生活や命を脅かしていった、泡。
 留体たちにとってオリジナルの存在である少女「シタル」は、かつてその泡に飲み込まれ、そしてこの世界とは異なる「青の世界」へと誘われて、生還を果たした唯一の存在だった。
 異世界の知識を持ち帰ったシタルは、その知識を使ってこの世界を青の侵食から守ることを望んだ。少女――シタルが提案したのは泡を発生させている「核」のもつ固有の周波数と逆の周波数の波をぶつけて「核」の活動を停止させ、さらに泡によって融かされた物質をもう一度泡によって融かし返して再構築するという方法だった。
 それは「核」と同じ機能で逆の作用をもつ「人工の核」を作り、それによってこの世界に出現した「青の世界」を巻き戻していくというやり方だ。そのためには膨大な時間がかかり、またお互いに打ち消し合っている「核」同士を維持し続けなければならなかった。
 シタルの設計によって試作された人工核は大型で膨大なエネルギーを消費するため、その量産と維持は極めて困難であった。世界に散在する「核」に対応するためには同数の人工核を用意する必要があり、結果的にそれは不可能であると判断が下された。
 それでもシタルは安全で平和的な解決を求め続け、必死に計画の続行を訴えたが、彼女の願いが受け入れられることはなかった。
 そうして次にとられることになった方策が、「核」の活動を抑えるのではなく、破壊する、というよりシンプルな方法だった。「核」を破壊するということは、その作用によってすでに青に飲み込まれてしまった領域を同時に破壊することを意味する。つまり、核の破壊によって失われた地域は、二度と再構築することができなくなるのだ。
 そのことによって失われてしまうものは、たしかに少なくはなかった。しかし、何の手も打たずに「核」を放っておく余裕は、人類には残されていなかった。
「核」を破壊するためには「核」の発している波と同じ周波数の、より強い振動をぶつければよかった。そのこと自体は技術的に不可能ではなかったが、問題は「青の拒界」のどこかに埋もれている「核」の位置を正確につかむことだった。
 青の領域に立ち込めている有毒な霧と、すべてを融かす泡のために、普通の人間が青の領域内に長時間留まって活動することは不可能だった。その代替物として、青の世界から抽出した成分によって人工的に作られた肉体――留体。
 また、「核」の発する波の波長に感応することができるのはシタルだけだったため、彼女の感覚・意識を留体に宿す必要があった。そうして、けっきょく、シタルは計画のために自らの存在を捧げることに決めた。
 その後、複数のユニオンが、その所有権を主張して奪い合った結果、シタルの意識は九つに分断されて九つの留体に宿されることになった。彼女の保有していた膨大なアーカイブは、遺失するリスクを分散するために、九つの断片に区分けされ、暗号化を施されて、それぞれの留体のなかに保管されている。
 そのときに交わされたという議定書は「プロトコル・ナイン」と呼ばれていたが、現在、その存在は確認されておらず、内容を正確に把握している者はいなかった。

 

《シタル、聞こえてるの? 近くにもう一体、近づいています》
 一切のノイズから解放されているニーアの声が、オリジナルの声を打ち消す。どうやら最短のルートを選んだことが裏目に出たらしく、サーチに引っかかったのとは別の抽蒼体の守護する領域に踏み込んでしまったらしかった。もたもたと判断を留保していたら、最初の一体に追いつかれてしまい挟み撃ちにされてしまう危険もあった。
「応戦する」とセブンは短く答え「BC、蟲の相手はおしまいにして、大物を狩りに行こうか」と相棒に呼びかけた。
 抽蒼体は「核」を防衛するために「青の拒界」に配備されている護衛兵のようなものだ。その形状は様々だが、どれもこちら側の世界に存在する生物や物体を模したり組み合わせたりした形状をしており、これまでにセブンが相手にしてきた敵のなかには青一色で染め上げられた巨大な獣や蛇、怪鳥、宙空を泳ぐ魚、あるいは人型のものもあった。先ほどからBCの周囲を煩く飛びまわっている蟲たちもまた小型の抽蒼体であり、さらに戦車や戦闘機のような人工の兵器を象ったものも存在していた。
 ただ、いずれにせよ、どんな形をしていたところで強攻外殻の、さらにそのなかでも最強であるBCの相手にはならない、と不敵に口元を歪めて、モニタに表示されている二つの赤い点のうち、近いほうへと向けてBCを走らせながらセブンは唇の端を舌先でそっと撫でた。無駄な戦闘は可能な限り避けたい――これは本心であり、合理的な判断でもあった。ただし、戦闘をするのが「嫌だ」というわけではない。やるからには、徹底的に破壊する。
 破壊。そう、破壊だ。そのために私とBCは――在る。
 林立する青い柱の合間に、大きな抽蒼体の影が見え隠れしている。
「補足した……これより戦闘に入る」ニーアに最低限の状況を告げてモニタを切り、セブンは目を閉じて視覚をBCに預けた。その瞬間、世界が広がって、全身が巨大化したような錯覚がもたらされる。
 複数の広角アイによる全方位視覚、四本の腕、八脚の節足。
 視界の端に捉えた抽蒼体はどうやら飛行型ではないらしく、こちらと同じように身を低くして、這うように柱の間を蛇行しながら近づいてくる。
 陸戦なら羽根はいらない、と心中で呟き、こちらも脚を蠕動させて相手との距離を測りながら移動を開始する。威嚇のために右肩部の長距離砲から榴弾を射出する、当然命中はしない。相手が予想通りの方向に回避行動をとったのに合わせて距離を詰めて、「蜘蛛斬」の一本をケーブルを目いっぱいに伸ばして刺突させる。
 ガキン、という高い音と、痺れるような小さな衝撃が、セブンの左の肩甲骨あたりを這うように伝わってきた。
(――硬い)
 刺突を装甲で受け流したまま、抽蒼体は柱の陰から姿を現し、覆い被さるようにこちらへと突進してきた。後ろの二脚で地面を蹴ってバックステップで距離を取りながら、セブンは眼前に迫った抽蒼体の形状に驚き、唾を呑む。
(外殻? まさか)
 悪趣味な冗談を聞かされたときのような不快感がセブンを苛立たせた。
 こいつらは取り込んだものの形しか模倣できないんじゃなかったのか?
(ふざけている)胸部の装甲を開き、内蔵された機関銃を全開で放ちながら、セブンは爆煙の向こうに消えつつある敵の姿をもう一度にらみつけ、舌打ちする。
 相手から触手のように伸びてくる「蜘蛛斬もどき」を「蜘蛛斬」で叩き落としながら、(いったいどいつがヘマをしたんだ)とセブンは思考を巡らせかけたが、それをBCが強制的に打ち消して、戦闘へと向けさせる。
(すまない、BC)と謝るとBCはいつもどおり「問題ない」という合図のための三つのシグナルを送ってくる。
 抽蒼体は執拗にこちらへの接近を試みながら、「蜘蛛斬もどき」の付いた四本の触手をうねらせて襲い掛かってくる。そのすべてを「蜘蛛斬」で受け流しながら、次第にセブンは余裕を取り戻していった。どうやら相手の武装は「蜘蛛斬もどき」のみらしい。
 劣化コピーがっ! と毒づいて、セブンは腰部に格納されている球状圧縮反転砲――スフィア・ガンを右の第二腕でつかみ取り、瞬時に引き金を引いた。
 目には見えない巨大な球が抽蒼体を襲い、その下半身の左側が消失する。バランスを崩した抽蒼体は移動の勢いを殺すことができないまま、地面を擦るように滑っていった。
 スフィア・ガンを腰に戻してエネルギーを再充填させながら、相手が体勢を整える前に距離を詰め、標的を見つけられずにゆらゆらと漂っている触手の一本をつかみ、引きちぎる。残りの三本を根元から「蜘蛛斬」で切り落とし、武器を失った相手の腕を一本ずつ熱刃(ヒート・ブレード)で焼き切っていく。
(やめて!)
 触手と腕を失った相手の上に圧し掛かってマウントをとる。こちらの重量に抗うには相手に残された四脚の節足は力不足で、ただジタバタと地面を掻くのが精一杯の様子で足掻いていた。
(これ以上、青を壊さないで!)
 抵抗力を失った目の前の敵の姿を、セブンは凝視した。よく見れば、外殻に似ているのはそのシルエットくらいのもので、細部はまるで粘土細工のような出来損ないだった。こんな玩具に驚かされてしまった自分に対して怒りが込み上げてくる。
 四つの腕を使って抽蒼体の胸部装甲を引き剥がしていくと、その中身は他の抽蒼体と同じ、青いブロック状の固体がぎっしりと詰まっているだけだった。
 右一腕に熱刃を握りしめて、装甲の内側の青に勢いよく突き立てると、空を掻いていた抽蒼体の節足はゆっくりと力を失っていき、その動きを止めた。
 完全に停止した敵を、セブンはしばらくじっと見下ろしていた。それから、前脚を振り上げて敵の頭部を勢いよく踏み砕いた。すでに青の力を失って乾きつつあった抽蒼体は、砂の塊のようにあっさりと砕け、散ってしまった。
 物足りない……と振り向いたセブンの視界の端に、ゆっくりと動く四足の巨大な青い獣の姿が映った。こちらを追いかけてやってきた抽蒼体だ。セブンは口の端を歪めるように笑うと、腰のスフィア・ガンを取り、足元の邪魔な残骸を蹴散らすように旋回して一気に標的(ターゲット)に向かって加速した。BCの速度に対応しきれていない抽蒼体は、突進を避けようとして身を翻したが、あまりにも遅すぎるその動きに合わせて、セブンは狙いをあやまたず正確にスフィア・ガンを射出する。
 その衝撃をまともに受けて、抽蒼体は跡形もなく消滅した。塵のような青い微細な粒子が、きらきらと輝きながら舞っているのをセブンはうっとりと見つめる。
(こうでなくちゃ……私に敵対するものは、塵ひとつ残らずに消えてしまえばいい)
 塵は塵へ、灰は灰へ……青は青へ。輝きも失せて、何もなくなった空間に背を向けて、セブンは「青の拒界」を離脱するためのルートへ戻る。
「BC、お疲れさま」と感覚の接続を緩めながらセブンが呟くと、モニタにはBCからの三つのシグナルが表示された。念のため機体へのダメージをチェックしていくが、ほぼ無傷。ただし、スフィア・ガンの残弾はゼロ。これではどのみち「核」を発見したところで、破壊することはできない。任務は終了、離脱する。
 セブンは機体の操縦をBCに任せ、全身の力を抜いてシートの背もたれに身を預けた。外殻にはほとんどダメージがなかったが、激しく動き回った分、パイロットであるセブンにはそれなりに負荷がかかっていた。疲れを癒すためには、適宜エネルギーの補給をしなければならない。
 セブンはシートの下に収納されている〈エンジェル・ファクター〉のパックを一つ取り出して、それを口元にあてて吸引する。留体が安定を維持するために必要な、青い粉。〈天使の因子〉と呼ばれるそれは「青の拒界」から採取された成分によって作られている、留体にとっての食事のようなもので、一定の間隔でこれを摂取し続けなければ、留体は生きていけないのだった。臭いも味もない青い粉を吸い込みながら、セブンは目を閉じて呼吸に集中する。鎮静。
 戦闘で高揚していた感覚が落ち着きを取り戻して、意識が安定してくのをセブンは心地よく感じた。
 そのわずかな安らぎの間に入り込むように、またオリジナルの声が響く。
(貴女は、どうして戦うの?)
 その問いに答えようと口を開きかけたとき、《お疲れさまでした、シタル。そのまま自動操縦で休んでください》とニーアからの通信が入り、その呼びかけに舌打ちで応じて「帰投する」とセブンは呟いた。

 

 アライム移動要塞を前哨基地として、いま、セブンたちは大陸の南端に広がる「青の拒界」の間際まで接近していた。第七機関の統括範囲はより広範に及んでいるが、最も侵食の深度が高いこの場所を抑えることができれば今後の展開がだいぶ楽になる、と上層部は判断しており、「核」の存在をその身に感じながら実動部隊の最前線で働いているセブンもまた、同意見だった。
「おかえりなさい、セブン」
 回線越しにミュセル担当官に声をかけられて、セブンはようやく基地に戻ってきたことを実感し、安堵の息をもらした。BCとつながっている間は、外殻のほうに意識が向いているため、自分自身の身体についてはあまり気にかけずに済んでいたのだが、収容されて完全に接続を解除されれば、百パーセントの身体疲労が全身にくまなく広がっていく。
 これからメンテナンスに回されるBCの中枢部を軽く撫でていると、外側からコクピットが開かれて、調整技師たちがセブンをシートに固定しているベルトを次々に解除していった。最後に脳波モニタリング用に頭部に接続されていたケーブルが慎重に外されていき、完全に拘束を解かれたセブンはゆっくりとシートから立ち上がってコクピットを抜け出した。
 タラップを降りてそのままミュセルのほうに向かって歩きながら、セブンは首から下の全身を締めつけて貼りつくように覆っているスーツを脱ぐために、首の後側にある圧縮用のスイッチを操作して解除した。圧縮の緩められたスーツは、するりと薄皮が剥けるようにセブンの肩を撫でながら、そのまま腰や膝の動きに沿って、セブンの歩行を邪魔することなく足元へと滑り落ちていった。その様子を見た者たちは、それを「脱皮」と形容して笑った。
 エンジニアたちがBCのメンテナンスのために忙しなく行き交うなかを、セブンは一糸まとわぬ姿で歩いていく。しかし、誰もそんなセブンの裸身を気にする者はいない。いや、内心ではその姿に欲情し、こっそりと好奇の目を向けている者もいるのかもしれなかったが、そのような態度や関心は特殊な性癖であるとみなされてしまうだろう。
 この場所では、セブンは「モノ」として管理されている。セブンだけではない。他の八体の姉妹たちもまた、それぞれの居場所において、オリジナルを保管するための器――留体として厳重に管理されているのだ。
「少し疲れているようね」
 ミュセルに抱きしめられて、セブンはようやく張りつめていた精神を解放して、身を預けるように全身の力を抜いた。その薄くて軽い身体を支えながら、ミュセルはそっとセブンの亜麻色の髪を撫でる。
「ファクターの補充と、調整の準備を」スタッフに指示を与えながら、ミュセルは腰を落として膝立ちになっていたセブンの肩を押してゆっくりと立ち上がらせ「セブン、シャワーを浴びてきて、それから〈食事〉にしましょう」と耳元で優しくささやいた。
「うん……お母さん……」
 担当官に対して感じる優しさ、温もり、安心感、これらすべての感情が意識のなかに刷り込まれている作り物であるということを、セブンたちは知っている。それでも植えつけられて強制されている感情に逆らうことが、できない。
 スタッフに手渡されたニーアのまとめた簡易レポートに目を通しながら「セブン、何も焦ることなんてないのよ」とミュセルは言って「あなたは一番優秀で、誰よりも強い〈子〉なんだから」とセブンを褒めた。その言葉に、心が幸福で満たされていくのをセブンは感じる。感じながら、全身を覆う倦怠感が限界に達しつつあって、一刻も早くシャワーを浴びて、それから〈エンジェル・ファクター〉で満たされたプールのなかを漂っていたいと、セブンは欲望した。
 シャワールームに入り、全身にまとわりつくような疲労感を洗い流してほしいと願いながら、熱いシャワーを浴びる。十七歳と設定されている身体は、平均的な少女よりも薄く小柄で、無駄を削ぎ落としたような鋭利さと、女性特有の柔らかさが併存した、どこか歪なものだった。
 オリジナルである少女、シタルは、十歳の時点ですでに人間としての身体を失っていたはずで、つまりセブンのもつ十七歳の身体はシミュレーションによってデザインされた仮想のものにすぎなかったが、オリジナルとは違う、というただそれだけの理由から、セブンはこの身体が気に入っていた。
 シャワーを終えて、身の丈ほどもある大きくてふかふかのバスタオルで全身の水滴を拭いながら、額や頬に垂れて貼り付いている前髪をかき上げて、その表情を鏡に映す。鏡のなかから冷たくこちらを見つめ返す鋭い眼差し。ある者はそれを反抗的だと言い、またある者は力強いと言った。
 オリジナルの顔は画像や映像でしか見たことはなかったが、自分とそっくりな顔をしていて、しかしその瞳は柔らかく儚げで、どこか頼りなさを感じさせるような、小さな子供のものだった。彼女がそのまま成長していったとしても、自分と同じ目つきをすることはないだろう、とセブンは思った。
 下着は身につけずに裸身のうえに検査着を羽織り、セブンはシャワールームからプールへと向かった。プールと呼ばれるそれは、留体にとって身体と精神を維持するために必要な〈エンジェル・ファクター〉を摂取するための〈食事〉用の設備だった。
 留体の身体は、普通の人間のものとは違う。「青の拒界」内で活動するために「青」との親和性を高められた肉体は、その構造のなかに青から抽出した特殊な因子を含んでいる。もともと、「青の拒界」内で泡に飲み込まれ融かされてしまったはずのオリジナル自体が、奇跡的に生還したの際に、泡によって融かされて失われてしまった身体のほとんどを、青を構成する物質――それは抽蒼体を構成するものでもある――によって再構築した姿で蘇生したのだった。
 この世界に不吉な青をもたらした異世界。そこから生還したというシタルは、青に対抗する術、この世界を救うための知識を持ち帰った。為す術なく青に飲み込まれるのを待つだけだった人類にとって、シタルのもたらした知識はまさに天啓ともいうべきもので、シタルは神託を言伝る者――天からの使い、とさえみなされるようになった。
 預言者、使者、巫女……かつてあらゆる場所でさまざまな呼び方をされたシタルだったが、その容姿からいつしか「天使」と称されるようになり、その呼称が広まっていったという。
 その名残か、積み重なった青いブロック状の固体の一部や、充満する霧から生成される微細な粒子は、〈エンジェル・ファクター〉と呼ばれるようになった。オリジナルと同様に、「青の拒界」から抽出された成分を身体に含んでいる留体は、定期的にそれを摂取し、補充しなければならない。
 しかし、オリジナルの意識の断片しか持たない自分は天使などではない。それなのに「天使の因子」などと呼ばれるものを押しつけられて、いったい何を期待されているのだろうかと、セブンは舌打ちをしかけて、寸前で舌先を前歯で軽く噛んで抑えた。鎮静。今は戦闘状態ではないのだから、無用な意識の高揚や反抗的な態度は慎まなければならない。
 何を期待されているのか。それは、単純にして明快。天使によってもたらされた神託に従って、この世界を脅かす存在と戦い、破壊することだ。それ以外に留体の存在意義は、ない。
 ミュセルの待つプールの部屋に到着し、検査着を脱ぎながら、セブンは圧縮されて錠剤となった〈エンジェル・ファクター〉を一粒摂取した。人体にとって有害な成分を含んだ青い粉、それをこれだけ一度に摂れば、ふつうの人間にとっては完全に致死量だった。しかし、それが留体にとってはこの世界に適合して生きるためのエネルギーとなる。体内で融かされた粒は、内包する因子を全身にめぐらせていきプールのなかに適応できる状態へと変化させていく。
 徐々に疲労が抜けていくのを感じながら、セブンはゆっくりと深呼吸をしてプールのなかへと入っていった。
「セブン、聞こえる?」というミュセルの呼びかけに「はい」とセブンが短く返事をすると「それじゃ、力を抜いて。これからプールに因子を流し込むから」という言葉と「はじめて」とスタッフに指示を出す声が聞こえた。
〈エンジェル・ファクター〉に満たされたプールのなかを漂うのは、何よりも心地よい体験だった。そこでは酷使されてすり減らされた神経と疲弊した身体が癒され、補修されていく。プールのなかでリラックスしたセブンは、すぐに休止状態へと誘われていく。基本的に留体は睡眠を必要としなかったが、こうしてプールのなかで感覚器官を開放し、休めるのだ。そうすることで、長時間の活動によって乱れはじめていた意識が調整され、そして再び、従順な心を、取り戻す。
 眠らない留体は夢を見ることはないが、代わりにプールのなかでデジタル・アーカイヴに記録されている過去の情報を参照することができた。ここ数日、セブンが参照していたのは、旧世界に存在していたという「学校」という特殊な訓練施設に関するものだった。そこにはセブンと同世代の男女が集まり「教養」という大系立てられたプログラムの内容を実地で学習するらしかった。
 ストーリー仕立てで語られる学校に関する解説を読みながら、セブンは主人公である少女――「ふつう」であることを尊ぶ、女子高生というカテゴリーに所属する存在――の送る不思議な生活を想像した。
 何も大きな事件の起こらない、日常の些細な出来事に戸惑ったり、喜んだり、悲しんだりする主人公の物語。その何が面白いのか、セブンには理解できず、しかし理解できないからこそ、興味が湧いた。十数巻にも及ぶその大著は、まだ四巻目までしか読みすすめることができていなかった。
 セブンがその物語に集中しかけていると、プールの外からミュセルと、第七機関のチーフであるレメセウスたちの声が聞こえてきて、セブンの意識はそちらへと傾いていった。

 

「五番が取り込まれた、とのことです」
「今ごろ向こうはパニックだろうな」
「出撃要請が出ていますが……」
「放っておけ。こちらも仕事を終えたばかりで調整中だ」
「しかし、このままでは……」
「どのみちすでに情報はすべて奪取されているだろう。まぁ、そう考えればたしかに厄介な状況ではあるが……いちおう準備をすすめておけ」
「はっ」
「ところでミュセル、以前から気になっていたのだが」
「何でしょう?」
「なぜ、母子モデルを採用しているんだ」
「ああ、それは、いろいろと試した結果、セブンにはこのモデルが一番順応するらしいからです」
「父親ではなく、母親、か」
「それは……詳しいことは、何度か同じモデルのケースを続けて検証してみないと」
「まぁ、それは任せる」
「それより、チーフ」
「ん?」
「五番の件ですが、セブンの力を知らしめる良い機会なのでは?」
「……なるほど。たしかに我々の〈シタル〉が最も優れていていることを示すにはお誂え向きの舞台かもしれないな……ミュセル、使えそうか?」
「はい。もう間もなく、調整が終わり次第」
「……BCのメンテナンスを急がせろ」
「了解」
「念のために訊いておくが、次の留体の調整は済んでいるな?」
「ええ。でも、まさか、セブンが負けるとでも?」
「いや。むろん勝つさ。しかしアレもそろそろ交換が必要な時期だろう?」
「多少乱れが出ていますが、調整次第で少なくとも任務の遂行に差し障りのない範囲では、まだ運用できるかと。あの子は優秀ですよ」
「今までの留体のなかでは最も戦闘に秀でてはいるようだが……すこし安定性に問題があるようだな」
「そのために、私がいるんです」
「なるほど。たしかにコストの分は働いてもらわなければな。まぁ、今回は十分に元は取れているが……稼げるうちに稼いでおくのも悪くはないだろう。多少可愛げがなくても、こちらの期待に応えてくれているのであれば、褒めてやりたくもなる」
「あの子、喜びますよ」
「ふん、どうせ調整されるんだ。留体の感情にいちいち意味などないだろう?」
「あら、扱い自体は〈ふつうの〉子どもと変わりませんよ。褒めれば喜んで、その分、一生懸命に働いてくれます」
「では、存分に可愛がってやれ。それでうまくいくならお互いに損はあるまい」
「了解です」

 

 目が覚めたとき、自分がまだ自分であることを確かめるために、いつもセブンは自らの名を呟く。
「私は――セブン」
 以前と何も変わっていない、ような気がする。しかし、今回の調整によって自分のなかの何が調整され、変化してしまったのかをセブン自身は自覚することができない。完璧になされた調整によって、自分ははじめから「このような存在」としてあったのだと、セブンは何の違和感もなく自分を受け入れた。
「ゆっくり休めた?」というミュセルの呼びかけに肯いて、セブンは裸身の上に薄い検査着を羽織った。身体に疲労感や痛みはなく、思考も冴えわたっている。ミュセルが次の任務の話をするつもりなのだと先読みして「フィフスをやればいいの?」とセブンが訊ねると「聞いていたのね……」とミュセルは小さく溜め息をついて「正確にはオリジナルの回収が今回の目的になるけれど、その過程でフィフスとの戦闘になる可能性はあるかもしれないわね」と答えた。
 ミュセルの返答にはとくに反応を返さずに「私のBCとどっちが強いのかな?」とセブンは薄く笑いを浮かべて「たしか五番機は防御特化型、でしたよね」と問いかけて「ええ」というミュセルの答えに「……それならBCとは反対ですね」と満足げに呟いた。
 基本的に外殻は「核」の破壊および抽蒼体との戦闘を目的に造られており、ベースとなる構造についてはマルキ・カンパニーの開発した同一規格のフレームが使用されている。ただし、フレームを覆う外側の装備は、それぞれのパイロットである留体の個性や、運用する機関の活動方針によって異なっていた。
 セブンの所属する「第七機関」では、「核」の破壊を最優先して、とにかく攻撃に特化したデザインを施しており、その機体BCは「強攻外殻」と呼ばれている。当然、機体や留体への負荷もそれだけ大きくコストもかさむが、成果を出し続けることによって資金を集めつつ、各国からの評価や組織内での地位を高めることができた。その苛酷な運用状況から「七番目の留体」の活動寿命はすべての留体のなかでも最も短かった。
 対する五番を運用していた「第五機関」は、なるべくコストをかけず、無駄の少ない確実で堅実な活動を基本方針としていた。可能な限り機体や留体への負担を減らし、抽蒼体との戦闘も最小限、多少時間はかかっても一つずつ確実に「核」を破壊していく、というそのスタイルは他の機関からも一定の評価を受けていた。
 フィフスの平均寿命はセブンの四倍近い十二年程度とも言われていて、現在のフィフスも留体のなかでは最古参の一体、だった。
 のんびりもたもたやっているから、捕まってしまうんだ、とセブンは思った。自分たち留体は核を破壊するために存在している。それが守りに入ったら自らの存在意義を否定することになってしまう。フィフスのように身の安全を確保しながら長生きしたところで、けっきょく留体の意識はいずれ入れ替わることになる。それなら存在している間に最大限の成果をあげて、認められなければ意味がない。
 七番は最強の留体、私はそのなかでも最高傑作として永遠に記録され、残り続けるんだ。
「まだBCはメンテナンス中だから、ブリーフィングは三時間後。それまで部屋で待機していて」と言い残してプールのモニタールームから出て行ったミュセルと入れ替わりで、ニーアが入ってくる。出入口でミュセルとニーアがお互いに会釈を交わしてすれ違った。
 ニーアのもってきた五番機、装甲外殻ECに関するデータに目を通しながら、セブンは〈エンジェル・ファクター〉を圧縮して細い棒状にしたスティック菓子を頬張って栄養を補給した。
 重装甲のECは、機動性に劣る分、長射程で広範囲に及ぶ拡散型の武器を多く搭載しており、また他の機体が移動のために回すエネルギーを抑えていることから長時間の活動が可能で、さらに最大の特徴としてスフィア・ガンのエネルギーを四回まで補充できるという点があげられる。
 スフィア・ガンは「核」を確実に破壊するための武器であり、セブンのように抽蒼体に向けて使用するのは本来の使い方ではない。その構造や本来の用途から、青の領域内でしか効果を発揮できないという制約はあったが、破壊力は外殻に搭載されている武器のなかでは破格のものであり、戦闘が長時間におよぶのを嫌うセブンは抽蒼体の破壊のためにも躊躇わずに使った。
 最短の時間で最大の成果をあげる、一撃離脱をモットーとするBCが最大二回までしかスフィア・ガンを射出できないのに比べると、ECの五回というのは、じっくりと探索しながら確実に核を破壊していくという五番機のコンセプトには適合していた。
 渡された資料のなかで、最もセブンの興味を引いたのは、ECの装甲は「理論上」はスフィア・ガンの衝撃にも耐えられる、という記述だった。まさか、とは思いながらもBCの数倍の厚みと、「第五機関」が独自に開発したらしい特殊コーティングを施された装甲は、耐用試験ではたしかに仮想出力によるスフィア・ガンの一撃に持ち堪えたという記録が残されていた。
「ニーア、どう思う?」と試験結果を見せながら、セブンは今回のミッション用にBCに搭載すべき武装について考えを巡らせていく。緩やかにウェーブのかかった長い髪をふわっと揺らしながら、ニーアが資料を覗き込むようにして顔を近づけてきたのを、セブンはすこし身を引いて受け入れる。ニーアの甘ったるい香水の匂いを、セブンは嫌いではなかった。
「ええと……そうですね。如何に接近戦に持ち込めるか、がポイント、ですよね?」とセブンの反応をたしかめるように大きな瞳を向けてニーアは呟いた。たしかにECの装甲はスフィア・ガンの衝撃に耐えられるのかもしれない、がゼロ距離なら果たしてどうだろうか、とセブンは考えてみる。
 仮に、一撃耐えられとして、ゼロ距離から二発、それならどうだろう。と連想していって、セブンは自分の思考がECを破壊する方向に向かっていることに気がついて軽く首を左右に振って、その考えを打ち消した。
「あれ、間違ってました?」とセブンが首を振ったのを自分の答えを否定したのだと受け取ったニーアは、とくに残念がる様子もなく軽く言って「それじゃあ、背面のエネルギーユニットを狙う、とかですか?」とより確実性の高そうな提案をしてくれた。
 小柄でおっとりとした雰囲気のニーアは、育ちのよいお嬢さんといった佇まいで、一見ぼんやりしているように見えるが、留体の戦闘サポートを任された通信士というれっきとしたエリートであって、頭の回転は無学なセブンとは比べものにならない。
「でも、この設計だとかなり的が、小さいですよね。あ、もちろんシタルの腕前なら、中てられるとは思いますけど」とニーアがECの立体映像を指さして、その厚い装甲に覆われている小さな隙間を示しながら身を寄せてくる。
 ニーアはセブンと同じくらい小柄だが、薄く引き締まったセブンとは違って女性らしい柔らかな体つきで、身を寄せられると、その甘い匂いと相まって、どうも気持ちが緩んでしまう。
 たしかに、倒すだけならニーアの言う方法でいけば問題ないだろうと考えつつ、今回の任務はあくまで「オリジナルの回収」であることをセブンは思い出す。「背後からスフィア・ガンで、ってわけにはいかない、か」とセブンが呟くと「スフィア・ガンですか? まさか! ブレードで装甲をはがしてコクピットごと回収するんです」とニーアは簡単に言ってのけたけれど「それって、どれだけ難しいんだ」とセブンは苦笑した。
「でも、シタルならできると思いますよ」とニーアは微笑んで「私も精一杯サポートしますので」と付け加えた。
「了解。アームの強度をいつもより上げてもらって、硬化ナイフも積めるだけ積んで。あと、射撃武器はいらない……スフィア・ガンを二発分だけ」というセブンの呟きを拾いながら、ニーアはオーダーをBCを換装中のメカニックに転送する。
「それから、五番機は陸戦用、だよね?」と確認すると、ニーアは「スペック表を見る限りではそうみたいですけど」と教えてくれたので「それじゃ、今回は羽根も外しておいて。たぶん、少しでも軽いほうがいいから」とセブンは注文を付け加えた。
 接近戦闘での細かい動作を要求されるため、いつもより深い神経接続が必要になるかもしれない、とセブンは考えた。そうなれば心身への負荷も大きくなると思うと憂鬱で、すこし視線を落とすとニーアは「ごめんね」と急に謝ってきた。
 なぜ謝るのかと不思議に思ってセブンが見つめ返すと、ニーアは「つらいことばかり、させちゃって。やっぱり姉妹で戦うなんて、嫌だよね?」と見当違いのことを言う。
「別に。私たちには、そういう感情のつながりはないから」とセブンが答えたのに「でも……」とニーアは納得のいかない様子だったので「ただ、任務を確実に遂行する。たまたま相手が同じ留体だというだけ。それ以上でもそれ以下でもない」とあえて正確な情報を口にして、セブンは立ち上がった。
「スーツに着替える」といってローブを脱いだセブンの白い背中に「でも、まだ出撃まで時間があるよ」とニーアは床に落ちたローブを拾いながら声をかけた。
「いつもより、少し強めの接続を試して慣れておきたいから、ニーア、付き合って」と言ってセブンは裸のままモニタールームを出た。

 

「シタル、聞こえるか」というレメセウスの呼びかけに、BCとの接続に問題のないことを確認しながらセブンは無言で肯く。モニタに表示されたその動作反応を読み取り、レメセウスは言葉をつづけた。
「もう一度繰り返すが、今回の任務は五番機からのオリジナルの摘出だ。絶対にオリジナルに傷をつけるな」
「了解」とだけ呟いて、セブンはBCの設定を細部まで入念にチェックする。今回の相手は抽蒼体ではなくて、同じ外殻なのだ。一瞬の判断ミス、動作の遅れが命取りになりかねない。チェックの過程で、外しておいてくれと頼んだはずの「羽根」を展開するためのユニットが残されていることに気がつき、セブンは軽く舌打ちをする。どうやら作業が間に合わなかったらしい。
 長距離飛行機能のないBCを第五エリア付近まで輸送機で空輸し「青の拒界」の手前で搬出する。すでに第五機関の基地はECの暴走によって壊滅状態に陥っており、破壊活動を終えたECはエネルギー充填のために「青の拒界」内に移動していることが知らされていた。
 半ば外殻の要素を保ちつつも、すでに侵食によって抽蒼体と化しつつあるECと、ホームグラウンドである「青の拒界」で戦うことはできれば避けたかったが、ふつうの抽蒼体とは異なり、青の領域外でも活動が可能であるらしい「敵」をこのまま放ってくわけにもいかなかった。
《シタル、いつ戦闘に入ってもいいように警戒しておいて》とニーアに言われるまでもなく、セブンはECとそのパイロットであるフィフスの発する波長を感じながら青いブロック群のなかを這うように進んでいった。
 すこしでも反応を速めるために、脚部パーツを通常のものよりも短めにして回転率を高め、ボディ部分の武装も極限まで簡略化されているBCは、ふだんよりも一回り以上小さく見えた。
 こちらがECを感知しているように、相手もこちらの接近に気づいているとみて間違いないだろう、とセブンは考えていた。フィフスとは直接顔を合わせたこともなく、モニタ越しに言葉を交わしたことさえなかったが、同じオリジナルを内に秘めた留体同士、距離が近づけば感じ合えるものがあった。
 正面の青い霧の奥に、外殻のシルエットが暗く浮かび上がってきた。最高の強度を誇る装甲に覆われたその外殻は、同じ八脚のアラクネ式フレームを採用していながら、BCとはまったく別の機体に見えた。
 加速して、一気に距離を詰める。
 こちらの動きを察知したECの放った機関銃の弾の粒が、右の肩を掠めるように真横を流れて背後に抜けていくのを目の端に捉えながら、セブンは心のなかで(鈍重……)と呟いた。
 突進するように正面まで近づき、そのまま左脇を抜けて背後に回り込んだBCの動きに、ECは完全に翻弄されていた。振り返ろうと旋回した上体にやや遅れて動き出した脚の一本の関節部分に〈蜘蛛斬〉を差し込んで、相手のバランスを崩しながら、セブンはECの背面ユニットに取り付こうとBCを跳躍させる。
 お互いの〈蜘蛛斬〉同士が打ち合い、叩き合いながら交錯するなか、ECの左肩の辺りに脚を絡ませて取り付き、BCの右一腕に装着した熱刃にエネルギーを送り、相手の装甲を切り裂こうと切っ先を突き立てる。が、その一撃はあっけなく装甲に弾かれ、逆に刃の先が欠けてしまう。
 チッ、と舌打ちをしつつ、セブンはECの肩部から照射されたレーザーを避けて、身を離す。しかし、ただでは離れない、とエネルギーの残った熱刃で相手の〈蜘蛛斬〉のケーブルを二本切断する。支えを失って慣性のまま吹っ飛んでいくケーブルの一本をつかまえて、着地と同時にBCを走らせていったん距離を取りながら、ケーブルを引き寄せて相手の〈蜘蛛斬〉を手に取りナイフのように握る。熱刃に比べれば切断力では劣るものの、激しく打ち付けて殴打することも可能な〈蜘蛛斬〉は強度では勝っている。ECの装甲相手に熱刃では分が悪いと察したセブンは〈蜘蛛斬〉を楔のように関節部に打ち込みながら相手の動きを封じていくことに決めた。はじめに放った一撃が相手の脚部関節を捉え、ダメージを与えることができたのなら、狭い隙間を狙っていけばそのうち勝機も見えるだろう。
 ECの背中に貼り付いていた間は気にも留めていなかったが、BCもそれなりに相手の攻撃を受けており、モニタ上には被弾箇所が赤く表示されていた。それをいちいち確認するのも面倒で、ニーアの読み上げる「緊急に対処すべき問題」を聞き流しながら、セブンはもう一度、ECに近づくために機体の体勢を整えた。
 被弾して破砕した地面が青い煙を上げて、その振動がBCの脚を通じてコクピットまで伝わってくる。脚関節の一つに傷をつけることはできたものの、それ以外、相手はほぼ無傷だった。重厚な固定砲台のようにじっと動かずにいるEC。こちらを排除するために放たれる砲撃やレーザーの照射をかいくぐりながら、弾切れを待つというのも、微細なダメージの蓄積や絶えず移動し続ける脚部への負担を考えると現実的ではなかった。
 立ち並ぶ青いブロックを盾に使いながら、もう一度距離を詰めるタイミングを計る。ただ何の考えもなく接近して貼り付いたところで、再び重厚な装甲に阻まれて傷一つつけられずに振り落されてしまうのが目に見えていた。
 目的はあくまでコクピット部分の摘出。そのためには背面の装甲の一部をはがすことができさえすればよかった。通常の外殻の搭乗口は三重壁に覆われているが、重装甲が売りのECにはもう一枚おまけがついて四重、それをはがしていくのに熱刃と〈蜘蛛斬〉、それに硬化ナイフのストックをうまく使わなければならない。
 一度の接近につき、上手く一枚ずつ装甲を落とすことができたとして、最低でも四回はアプローチが必要で、最初の一回目でダメージを与えられなかったことが悔やまれた。
(ねえ、七番――どうして私の邪魔をするの?)という呼びかけが、とつぜんセブンの頭のなかで響いた。
(オリジナルだって一度は青の世界に取り込まれて、その身体を作り変えられた存在なんだよ? だから私も、いまこうして青の世界に取り込まれようとしているのに……どうして、邪魔をするのかな)と、笑うような愉悦を含んだ声で、フィフスはセブンに囁きかけてきた。
「フィフス? まだ意識が残っているのか」と訴えようとするセブンの思考を、BCが強制的に遮って、戦闘に集中するように、促した。
(青の世界と一つになれば、私はオリジナルに近づくことができる。私がオリジナルに近づけば、それだけ私のなかのオリジナルの存在は強く、明確になっていく)
「何を……言っている?」
 ECによる攻撃の手を緩めることなく訴えを続けるフィフスの声を、頭の片隅でやり過ごしながら、セブンは二度目の接近を試みる。まずは一枚目の装甲。四重目にあたるそれは、ほかの外殻にはない装甲外殻たるEC固有のもので、今回のミッションにおいては最大の壁だった。それさえはがすことができれば、あとはほかの外殻と同じ強度を相手にすればいい。
(七番……あなたの声、よく聞こえるよ。寂しいって、認めてほしいって、そして、いなくなることが、怖いんだって。ははは、馬鹿みたい。私たち留体が何かを怖がるなんて、そんなのって、おかしいと思わない?
 私たちは、オリジナルを守り、継承するための容れ物でしかないんだから。オリジナルを保管し、その存在の純粋さに少しでも近づく、それ以外に、何もない)
 チッと舌打ちをして、セブンはその言葉を聞き流す。
「だったら、くだらないお喋りを続ける、喧しい留体っていうのも十分にナンセンスじゃないか――ただ守るだけなら、言葉など必要ない」
 BCの左肩を機関銃の弾が掠め、振動がコクピットまで伝わってくる。ECの腕から放たれた光の束が、高速でBCの脚部を射抜き、左側の一脚が薙ぎ払われる。バランスを崩し、下半身の底が地面を掠めて波打つようにバウンドする。これで同じ七本足になったわけかと口元を歪めて笑い、セブンは左の太腿の辺りに焼けるような痛みを感じた。
 BCとの接続がいつもより強い分だけ、ダメージの影響も直接的だった。反面、フィフスからのわずらわしい呼びかけに対しては、BCが上手く意識をキャンセルして現実の戦闘へと引き戻してくれているわけなので、身体的な痛みなどそれほど大きなリスクというわけでもない。
 多少バランスを崩してしまったからといって、動きを止めてしまえば狙い撃ちにされるだけなので、セブンは瞬時に体勢を立て直し、重厚に構えたまま動こうとしないECの周囲を左巻きに旋回しながら距離を詰める。脚が一本少ない分、左右を同出力で加速すれば機体は左側へと流れてしまう。
 その流れには逆らわずに、こちらの動きを予測して放たれる砲撃の軌道を、こちらも予測しながら、再びECの右側面へと迫った。最初の狙いを、行く手を阻むように迫ってくる〈蜘蛛斬〉に定めて、それを奪取するためにこちらも〈蜘蛛斬〉で応戦する。
 走りながら、まずは先ほど奪った〈蜘蛛斬〉で相手の腰の接続部分めがけて一撃を加える。その一瞬のうちに、相手のスフィア・ガンの位置も確認しておく。いざというときは、あれも自分の武器になるかもしれなかった。
 こちらのスピードに対応しきれずに絡まってきた相手の〈蜘蛛斬〉のケーブルをつかんで引きちぎる。ケーブルの先の〈蜘蛛斬〉を手繰り寄せて、そのままECの背中に貼り付き、コクピットを覆う防護装甲の隙間に突き立てて、力を込めてねじ込んだ。
 装甲が浮いたのを見逃さずに、予備に積んでおいた硬化ナイフを素早く二本差し込み隙間を固定して、〈蜘蛛斬〉を梃のようにして押しつけると、装甲版の端が微妙に歪み、内側の装甲が覗いた。
 そのまま折れて弾け飛んだ〈蜘蛛斬〉を捨てて、今度は熱刃にエネルギーを送りながら、内側に見えている通常の装甲を焼き切るために、隙間に差し入れていく。と、さすがに危機感を覚えたのか、動きの鈍かったECがこちらを振り払おうと急加速をはじめ、おかげで熱刃が外部装甲に挟まれて歪んでしまった。
 エネルギー伝導が乱れた熱刃は、自らの熱によって形状を維持できずに、そのまま波打つように激しく歪み、融け落ちていった。
(これだからデリケートな武器は嫌いなんだ)と舌打ちし、代わりに硬化ナイフを取ろうとしたところで、こちらの〈蜘蛛斬〉の一本が相手のレーザーによってケーブルを焼き切られて宙を舞っていった。その一本が対応していた相手の〈蜘蛛斬〉は自由を取り戻し、BCを叩き落とそうと迫ってくる。
 まともに一撃を受けるわけにもいかず、やむを得ずECから離れて、素早く近くの青いブロックの陰に身を隠す。刹那、嫌な予感がしてブロックから離れるようにバックステップで大きく飛び退くと、次の瞬間、目の前の青い壁が一瞬で消し飛んだ。
――スフィア・ガン!?
 まさか相手がそれを使ってくるとは予想しておらず、セブンは冷たいものが背筋を伝うのを感じて身を震わせた。大きくジャンプしたことで直撃は避けられたが、後脚の先の部分は完全にもっていかれてしまい、消滅していた。まともに受けていたら今ごろ、塵一つ残らずに消えていただろう。
 こちらにだって「オリジナル」は内包されているんだぞ。と叫びたかったが、セブンの呼びかけにフィフスは応じなかった。どうやらフィフスはすでに完全に青の世界に意識を取り込まれてしまい、こちらのなかのオリジナルへの配慮は期待できないようだった。
「それがお前の望んでいたものか?」とセブンは呟き、フィフスのなかに眠っていたはずのオリジナルは、いったい今どういった状態なのかを想像して、笑い出したくなった。

 

《シタル、聞こえてるの? ダメージが大きすぎます。いったん体制を立て直します。至急、離脱してください》
 そんなニーアの呼びかけは、セブンの心にはまったく響かない。ニーアにしては珍しく、よくない提案だ、とセブンは思った。たしかに、こちらには相当ダメージが蓄積している。脚は三本破損しており、熱刃と〈蜘蛛斬〉も一つ失った。ボディにもあちこちに微細な傷がついている。
 それらのダメージは、BCとの接続によってパイロットであるセブンにも伝わっており、セブンのコンディションも決して良好といえるものではなかった。しかし、まだ全然物足りなかった。こちらが相手に与えたダメージ、脚部と腰部の関節に傷を与え、〈蜘蛛斬〉を三本切断した。それから背面の装甲の一部をほんの少しだけ歪めてやった。
 それだけだ。
 あえて付け加えるとすれば、大量の銃弾を消費させているが、すでに青に飲み込まれて抽蒼体と化しつつあるECにとっては、周囲に存在している青いブロック自体が、その構成要素のようなもので、多少の傷や銃弾の消費など、たいした問題ではなくなっており、そういった意味でECの物質的なアイデンティティは失われつつあるのかもしれなかった。
「ニーア、まだやれる」と答えたセブンに《何を言っているの、これは命令です》と有無を言わさない強い口調でニーアは応じた。命令、という言葉が、セブンの本能的な部分に突き刺さるようで、一瞬、思考がゆらいだのを、BCが強制的に打ち消して、意識を目の前の敵に向けさせてくれた。
 こちらにはまだ切り札が二発も残っている。腰のスフィア・ガンを左の二腕で掴み取って、セブンは相手のどこを狙うべきか、考える。一発目で下半身を吹き飛ばして、二発目でコクピットをこじ開けるための突破口を開く。二発目のエネルギーをチャージするために多少時間稼ぎが必要になるが、勝算は十分にありそうに思えた。
 まずは、相手のスフィア・ガンによって機能を殺された後ろ側の二脚をパージしてすこしでも軽量化を図り、代わりに前方に回していた補助の二脚を後ろへ向けてバランスを取ることにする。すぐにその指示に従って、二本の脚が落下し、残された五脚の節足が蠕動して、所定のポジションにつく。
 ついでに被弾して用を為さなくなった装甲を解除していく。BCから薄い金属板が次々に剥がれ落ちていき、一枚落ちるごとにセブンは身が軽くなっていくのを感じる。たしかにこれを脱皮と形容されてしまっても否定はできないかもしれない、と考えながら、不要な装甲をすべてパージし終えると、まとわりついていた衣服を脱ぎ捨てて裸になったような開放感があった。
「BC……第二ラウンドを、はじめようか?」
 セブンの呼びかけに、BCは三つのシグナルで応える。いくつかのパーツを捨てたことにより、身軽になっただけでなく、神経接続のなされている部分も減少したため、セブンの思考にかかる負荷も減少していた。
 ふだんは戦闘中、ほとんど意識をBCにあずけた状態になっているのだが、今は対等なパートナーとしてうまくつながっているような感覚が、セブンにはあった。
 五本脚になってしまったせいで、移動のための出力や最大速度は落ちてしまったが、その分は装甲を捨てた身軽さで補うことができたし、全体のサイズが小さくなった分、小回りも利く。
 相変わらず固定砲台のようにこちらに向けて遠距離射撃を続けているECの攻撃によって、青いブロックが容赦なく吹き飛ばされていく。青煙をあげて砕け散っていくブロックの欠片を浴びながら、いつもは本能的に回避しているだけの敵からの攻撃の軌道が、今はよく見えているのをセブンは感じた。
 中る気がしない。
 思わず笑い出してしまうくらい、ECの攻撃のすべてが手に取るようにわかった。これまでだって、自分とBCは最強で最高のパートナーだった、けれど、今、この瞬間のつながり方が、恐らく自分たちにとっては最適なバランスなのだと、セブンは理解した。
 近づいていくにつれて、網の目のように張り巡らされていくECの弾幕、その隙間を踊るようにBCは軽やかに地面を撫でて進んでいく。その後ろに次々に着弾して跳ねていく青い欠片が輝いていった。BCの周囲を舞う青い粉末、そのなかを自在に動き回りながら、セブンはまるでプールのなかで〈エンジェル・ファクター〉に包まれているときのような心地よさを感じた。
 その快楽を邪魔するように(こんな争いはもうやめて)というオリジナルの声が、聞こえた。
「どっちだ!」
 自分のなかにいるオリジナルなのか、それともフィフスのなかに取り残されたオリジナルなのか。その声がどちらのものなのか、セブンには判断ができなかった。
 声に一瞬気を取られた隙に、右の二腕をECのレーザーで焼き切られた。鋭い痛みが右肩に走り、セブンは思わず小さなうめき声をあげる。歯を食いしばって、その声と痛みを押し殺し、左二腕を使ってスフィア・ガンを構える。間もなく射程距離だ。
 まず、下半身を吹っ飛ばす――文字通り、固定砲台にしてやるのだ。
 BCが「Go」の合図を出した瞬間、セブンは躊躇いなくスフィア・ガンを射出する。コクピットを残すようにして、下に向けられた照準、それに合わせて大地が球状に抉れていき、一緒にECの脚部を飲み込み、消えていく。
 否――たしかに試験の結果は事実だったようだ。ボロボロに引き裂かれ砕け散り、多くのパーツが消失して、その機能をほぼ失ってもなお、かろうじてECの下半分は胴とのつながりを維持したまま、残っていた。
 完全に破壊されたECの脚部を見ながら、もしも神経接続をされている状態で、あんな一撃をくらったら意識を保ってはいられないだろうな、とセブンは想像して背筋に震えが走るのを感じた。他人事とはいえ、すでにフィフスの意識が完全に消失していることを祈りながら、セブンは完全に動きを止めたECの背後に回り込んでいく。
 心なしか、ECからの砲撃も勢いが弱まっており、もしかしたら相手は戦意を喪失しつつあるのではないかとさえ、感じられた。だが油断するわけにはいかなかった。まだ相手にはスフィア・ガンという切り札が残されている。こちらがそれを使ったということは、同時に相手の射程範囲のなかに入っているということでもあった。
 こちらに向かって力なく伸びてきた〈蜘蛛斬〉を難なく弾き飛ばした瞬間、案の定、来た。脚に全神経を集中させて、とにかく遠くへと、跳ぶ。
 完全に消失して空白と化した空間を横目に、無傷で一撃をかわしたことにセブンは安堵し、相手にエネルギーチャージの時間を与えないため、急速接近を試みる。その眼前に、ECの構えた二本目のスフィア・ガンの銃口が向けられ、光を放った。
――直撃。と思って呼吸を止めた瞬間、首の骨が折れるかと思うぐらい、ものすごい勢いで、セブンは真横に叩きつけられるように転がった。BCが咄嗟の判断で、直撃を回避してくれたのだった。
 しかし、右の一腕と脇腹の辺りを完全にもっていかれてしまった。
 痛みによるセブンの絶叫が、狭いコクピットのなかに、響いた。白く飛んでしまいそうな意識を、BCが強制的につなぎとめてくれているのを脳の奥で感じながら、セブンはこれほど大きな声を出すのはこれが最初で最後だろうと、思った。
《シタル、大丈夫なの!?》というニーアからの呼びかけに応えようとして口を開きかけると、唇の隙間から胃液のようなものが溢れだしてきて、セブンの腿の辺りを汚した。
 口のなかに残った液体を唾のようにフッと吐き出して、ひとつ大きく深呼吸をしてから、ようやくセブンは言葉を口にして、まだ声が出せることを確認した。
「痛い……けど、まだ、死んでない」
 そう呟きながら、セブンは自分が笑っていることが可笑しくて、さらに笑い声をもらしてしまう。
《シタル……大丈夫、なの?》
 もう一度、確認するように、ニーアは恐るおそる、そう呟いた。それから、小さく唾を飲み込むような音が聞こえたかと思うと、ニーアは《シタル、直ちに戦闘領域を離脱してください。我々第七機関の任務はここまでです。現在、第一機関からファーストが作戦継続のためにこちらに向かっています》とまくし立てるように、言った。
――そんな馬鹿な、あと少しであいつをぶっ壊せるというのに?
《私たちは、こんなところでBCを……貴女を失うわけにはいきません。シタル、これは命令です。従わない場合はBCの機能を強制終了させるしかありません》
――もう、あいつは身動きが取れないんだ。あとは背中の装甲を剥いで、なかからオリジナルを引きずり出せばいい、それだけだ。
《シタル、お願いだから……》
――お願い、今、いちばん聞きたくない言葉だ。オリジナルが繰り返し呼びかけてきた言葉、本能を押さえつけて捻じ曲げようとする、言葉。
《セブン、あなたはよくやったわ。もう十分よ。早く戻ってきて、ゆっくりと身体を休めて、そしてまた私たちと一緒に戦いましょう》
 ニーアに代わってミュセルの声がスピーカー越しに聞こえてくる。その声にはニーアのものとは違ってノイズが混じっていて、聞き慣れたものとは少し違っていると、セブンは思った。
 たしかに、すこし時間をかけすぎてしまったらしかった。いつの間にか、BCとEC、二体の周囲を取り囲むようにして、無数の抽蒼体が集まってきており、索敵用のモニタは真っ赤に染まっていた。その赤さを、ダメージ量を示すものだと勘違いしていたセブンは、それまで抽蒼体たちの接近にまったく気がついていなかった。
 確認するのも馬鹿馬鹿しくなるくらいの、無数の赤い点滅をぼんやりと見つめて「ハハッ」と短く笑い、セブンは前のめりに腰を浮かせて「みんなまとめてぶっ壊してやる」と口元を歪めて呟いた。しかし、足に力が入らず、尻もちをつくようにセブンはシートにへたり込んでしまった。
 BCの脚も、同様に機能が低下しており、このままでは抽蒼体との戦闘以前に、死にかけのECにさえ狙い撃ちにされてしまいそうだった。それを避けるには、フィフスのなかのオリジナルごと、スフィア・ガンでECを消し飛ばすしかない。しかしそれは完全に命令違反であり、任務の失敗を意味していた。少なくとも今すぐにこの場を離脱して、ファーストに残りの仕事を任せれば、フィフス・オリジナルの奪還という目的は達成できるだろうと、セブンは判断した。
「ねえ、BC、仮に脱出するとして、どうやってここから抜け出せばいいと思う?」
 そうセブンが訊ねた瞬間、BCは三つのシグナルを点灯させて、脚部パーツを切り離し、〈蜘蛛斬〉のケーブル脇の背面装甲をパージして大きな青い翼を展開していった。
 羽根――青の領域のなかだけで広げることのできる、外殻たちのもつ翼。機械的で武骨な外殻の見た目にはそぐわない、生々しく美しい猛禽の翼がめいっぱいに広がり、ゆっくりと羽ばたきはじめた。
 羽が揺れるたび、青い微細な粒子が鱗粉のように周囲を舞った。
 これで、もう一発スフィア・ガンを撃つためのエネルギーはなくなってしまった。あとはBCと一緒に「青の拒界」を抜け出すことだけに集中すればいい。足元に残されたECとオリジナルの欠片、そして無数の抽蒼体は、他の誰かが何とかしてくれるだろう。
 青いブロック群を覆うように上空に立ち込めている霧のなかを、高く、高く昇っていく。その青の濃さにむせ返るように、セブンは小さく咳をして、口元を手のひらで拭った。うっすらと赤く染まった手のひらを見て、セブンは自分がまだ生きているということが不思議だった。そして、もう少しだけ生きていたいと、思った。

 

 青の領域を抜けると同時に、展開していた大きな青い翼は消失し、セブンとBCはそのまま地面へと落下した。すぐに機体は回収されて、同時にコクピットが開かれて、消耗しきったセブンが運び出された。
「次の留体への転送の準備を、早く!」「もうやってます」「救命措置は?」「必要ない、そのまま運んで行け」「BCのデータ、バックアップは?」「いや、次に合わせて書き換えの準備を」「了解、書き換え、どのパターンを適用しますか」「それは……ミュセル調整官に確認しろ」
「機体のメンテナンス、使えるパーツは?」「いや、こりゃ全取っ替えですね。消耗が激しすぎますよ」「輝かしい子供、と名乗ってもこうなっちまうと、ただの鉄屑だな」「ははっ、しかしそれを言ったら相手だって優雅な子供、というには程遠い格好だったぜ」「たしかにな」「しかし、これで手柄は第一の奴らにもっていかれるのかよ。ったく、やってらんないぜ」
「調整、ミスりましたかね?」「いや、外殻同士ならこんなもんだろ」「でも、もっと七番にあったバランスがあったかも」「そういや、途中から動き、変わったよな?」「ああ、装甲をパージしたあたりからっすね」「さすがに端から二枚じゃ出せんよ」「そうっすね」
「そこ、無駄口を叩くな、手を動かせ」「ふん、どのみち七番に無理なら他の留体に務まるはずもない」「我々、第七機関の最高傑作、でしたからね」「まさか、こんな形で失うことになるなんて」
「まぁ、次に期待、ってところだな」「新しい留体を見ましたけど、見た目はまったく同じですね」「当たり前だろ」
「第一機関から、任務完了とのことです」「おお」「とりあえず、最低限、目的は達成した、ってか」「しかし、同時期に二体も留体が交換になるなんて、前代未聞じゃないのか?」「しかも、最も長寿のものと、最も短命なもの、ですからね」「ま、うちのはそろそろ入れ替えじゃないかって、噂はあったからな、別に驚かないけど」
「留体、転送の準備、整いました」「よし、調整官に連絡しろ」「おい、スーツ、着たままじゃないか、さっさと脱がせろ」「え、俺がやるんですか?」「誰だって構わん、とにかく急いで、プールに放り込んでおけ」

 いくつも飛び交っていた声が消えて、静かな心地の良いプールのなかを、セブンは漂っていた。
 プールに満たされている〈エンジェル・ファクター〉の青い光が、疲れ切った心と、傷だらけの身体を包み込んで癒してくれるのを感じながら、セブンはゆっくりと深呼吸をする。鎮静――する必要も、もうなくなるんだ。
 目を開くことも、喉を震わせることもできない。ただプールのなかを緩やかな流れに身を委ねて漂っていることしか、できない。ようやく、指先にほんの少しだけ神経が通いはじめて、セブンは右の手を握りしめるように動かしてみた。強く握りしめて、それからゆっくりと開いていくと、手をつなぐように指の隙間に誰かが指を絡めてきた。
 セブンが重たい瞼を開こうとして眉間に力を込めつづけていると、ようやく右目が細く開いて、ぼんやりと自分と同じ顔をした少女の姿が映った。
「お疲れさま」というオリジナルの声が聞こえてきて、不快だったはずのその声が、今は何故かとても懐かしく感じられるのを、セブンは不思議に思った。すこし考えてみて、それは声が頭の奥からではなく、耳元から鼓膜を通して聞こえてくる自然なものだからだと、気がついた。
 こうしてすぐ傍で声を聞くことができるということは、目の前にいる少女が、オリジナルなのだろうか。しかし、その姿はあまりにも自分に似すぎていると、セブンには感じられた。
「ごめんなさい、あなたの願い、聞いてあげられなくて」
 無意識のうちにそんな言葉を呟いてしまい、セブンはそれが自分の本心なのかどうかもわからずに、戸惑った。
「かまいません。これまでだって、何度もあんなふうに呼びかけてきて、誰も応えてはくれませんでしたから」とオリジナル――シタルは小さく首を左右に振ってから、優しく微笑んだ。
 その笑顔を見ながら、セブンは、自分と同じ顔がこんなふうに笑うことができるんだと、はじめて知ることができて、嬉しかった。
「つらくないの? 言葉が届かないってこと」というセブンの問いかけに、オリジナルは「たとえ届かないとしても、私にできるのはただ願い続けることだけですから」と答えて「覚えていますか? ずっと以前に交わした、大切な約束のこと?」と質問を返してきた。
 セブンが首を振って何も覚えていないことを伝えると「私はもっと、別のやり方で彼らとうまくやっていけるはずだと信じているんです」とオリジナルは笑った。
 彼ら? 抽蒼体? その先にある、青い世界のこと?
「いつか、思い出すことができたら、きっとあなたも同じ気持ちになってくれると、信じています」
 そう言ってシタルは、両手でセブンの頬を優しく包み、そっと口づけをした。唇が触れ合うと、そこから魂が――留体にも魂のようなものがあるのだとしたら――そっと吸い込まれていくように抜けていって、身体が軽くなっていく感覚にセブンは心地よく身を委ねていった。
「お疲れさま、セブン。ゆっくりと、休んで。またいつか、きっと会いましょう」ともう一人の自分、次の留体であるセブンス・シタルに見送られながら、セブンは静かな眠りについた。次に目を覚ますときには、物語のなかの旧世界の少女たちのように、もっと、普通の女の子として生きてみたいと願いながら。

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