通過儀礼

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梗 概

通過儀礼

テーマ:命は「与えられたもの」だ

誰もが20歳までに「九死に一生」を体験する世界。
死という存在に皮膚感覚で直面し、時に臨死体験までする、言うなれば「ハードな通過儀礼」を人類が等しく体験する世界。

文例1:
昨日、B組の加藤が校門の前でトラックにひかれた。
わたしは(というか事故を見ていた同級生はみな)即死だと思ったけれど、血まみれのまま救急車で運ばれていった加藤は、入院先の病院で意識不明のまま生きながらえているということだ。
彼には「それ」が来たということなのだろうか。しばらくしたら分かるだろう。


「九死に一生」の体験内容は人によって異なる。
ひどい事故に遭うも奇跡的に助かる者、脳梗塞で倒れるも治療を経て助かる者、極端な例だと、シリアルキラーに監禁されてそこから逃れた者もいる。
この体験が件の「通過儀礼」なのかどうかは、物事の進行中には判断がつかない。死んだときに「そうではなかった」と分かるだけだ。
第三者が関わるため、ある種の運命に支配された世界といえる。

文例2:
わたしは17になる。けれど、まだ「それ」が来ていない。早く来て、通り過ぎてくれればいいと思う。
経験済みのクラスメートはみな、涼しい目をしている。その内の1人が言った。「自分の命を、神から与えられたものとして慈しむようになった」と。
彼らはまるで別世界の人間のようだ。


主人公の女子高生「わたし」は同級生・加藤の事故を目の当たりにして、凄惨さにショックを受ける一方、羨望も抱く。
3日後、加藤はあっけなく亡くなる。彼の元に訪れたのは「通過儀礼」ではなかったのだ。
その日、ナイフを持った男が学校にやって来て、立てこもる。加藤の父親だった。
彼は息子の不憫な姿を見ているうちに、この世界の成り立ちについてある仮説を持つに至っていた。

文例3:
彼は話した。この世界の成り立ちについて。
「不条理にやってくる〈それ〉は、本人にとっての通過儀礼ではなく、われわれ親にとっての通過儀礼だと悟った。若者の喪失は、人類が最も恐れる悲劇である。その恐怖を克服するために、神は人類に試練を与えたのだ。」

加藤の父は若者の喪失を意図的に作り出し、人類に等しく試練を与えるために校舎にやってきたのだ。
……と、「わたし」は校舎に向かって落ちてくる巨大旅客機を見逃さなかった。
墜落事故。校舎にいる学生たちは等しく臨死体験をする。

文字数:972

内容に関するアピール

「死に直面し生き延びる」という体験は、ドストエフスキーしかり、イラク戦争の兵士しかり、人間を大きく損なうものと思いますが、それがすべての人間に等しく起こる世界では、別の生命観や宗教観が生まれるのはないかと思います。すみません、オチは未定です。

文字数:121

課題提出者一覧