鑑賞とノイズ 1201005中井

作品プラン

鑑賞とノイズ 1201005中井

 

コンセプト

美術館やギャラリーの展示の様式は、作品を観賞するための最適な空間を構成することが求められる。作品に対応する 空間または、空間に応答する作品を分類化し、配置や導線を整理することで生まれるシークエンスが、鑑賞者との親和 性を高める。静寂の中でおのずと導かれる空間は、鑑賞者が作品とシームレスな関係を体感できる非日常の演出でもあ るだろう。

自身が経験した2002年のニューヨーク市ブルックリン区ウィリアムズバーグ近郊では、倉庫を改装した若手アーテ ィスト達のアトリエで、週末などにインディペンデントな展示やパーティなどが開催されていた。そこには導線らしい ものはなく、作品は突如として現れ、人々が入り乱れる雑音と喧騒をあおるように、爆音でアンダーグラウンドミュー ジックが流れる空間だった。作品を鑑賞するということが、美術館やギャラリーでの経験しか無かった自分にとってそ れは衝撃的であり、何も知らずに空間に入るという選択をしただけで、全てを強制的に体感させられることは、生身の アートに触れたと思える瞬間だった。

展示空間の構成は、会場の環境や形状・展示される作品の内容・ターゲットとなる鑑賞者のニーズやセキュリティーの 問題・予算や地域性などの様々な要素を含むことで、実現可能な領域は制限される。計算された導線に自然に誘導され たり、ヘッドフォンでの作品解説に、時間とシークエンスの制約を受けることが良い鑑賞方法であれば、いづれアミュ ーズメントパークのアトラクションのようにレールに沿って移動する、カプセルのようなものに隔離されて鑑賞する仕 組みすら生まれるだろう。

美術館やギャラリーで鑑賞者として必ずと言って良いほど受ける制約は、静寂を乱さないことである。それはもちろん 多数派のニーズの結果も含まれるであろうが、作品の鑑賞は主観以外の情報があって当然である。それは作品解説や批 評文だけではなく、その場の不特定多数の主観の情報が本来そこにある筈なのに、静寂を保つという制約によって雑音 として遮断されているだけである。また、知識のない人間が安易に発言しない方が良いと言うような風潮からも余計な 情報として秘められている。様々な視点からの情報を共有し自分自身の考えとの衝突や統合を繰り返すことにより、鑑賞しながら鑑賞者の中で作品 の見え方が変化する。それこそがアートが開かれた場所に展示されると言うことであり、生きた作品を鑑賞することで ある。

この展示プランは、無意識的に誘導されるように構成された作品の配置や導線ではなく、自分の意思決定でシークエンスを作り鑑賞していくが、鑑賞するという選択によって進んだ先には不確定性があり、それでも鑑賞を続けていく中で空間に翻弄されていくことが一つのテーマである。喧騒や雑音などの強制的に介入してくる情報とともに作品を鑑賞するという、静寂とは逆の制約を 受ける事で、静寂の有用性を再考するとともに、主観以外の情報が存在することの必然性を体感し、様々な要素がコン フュージョンされた空間で作品と鑑賞者のそれぞれが常に影響し合う展示を作り、作品を鑑賞すること、展示をするということの本質を考えるものである。

 

タイトル:鑑賞とノイズ

会期:一週間

会場:カオス*ラウンジ五反田アトリエ

参加作家:飯村崇史・echa・大倉なな・加瀬雄一郎・川崎豊・鈴木祥平・伏木健太・BOCHA

会場構成

会場入り口に壁を建て、外からは中が見えないような構造を作る。壁の左右が入り口となり来場者は、先ず入口で左右 どちらから入るかを自らの意思で決定することを強要される。視覚的な情報がない状態で、左右に設置されたスピーカ ーから出る別々の音を、意思決定の手がかりとして鑑賞者は左か右かを選び、会場に入ることで必然的に自らが見る最 初の作品と最後に見る作品を選ぶこととなる。さらに加瀬雄一郎氏の作品に、左から入った場合と右から入った場合で 異なった動きをする設定を取り入れてもらい、来場者が入場するか所定の通路を通るたびに変化することで他者の行動 が自らの鑑賞に影響を与える空間を作る。鈴木祥平氏の装置の動きの変化も空間全体に影響するように配置する。 平面作品を含むそれぞれも不規則な状態で展示された空間を作り、できる限り導線が複雑な空間にする。そして会場全 体に音が届くようにスピーカーを配置し、そこから流れる音源には、サンプリングした喧騒や環境音と誰かの展示作品 に対する講評を録音したものがノイズとなって空間に充満し、鑑賞者と作品に強制的に介入してくる。(飯村崇史氏に 音のインスタレーション作品として依頼。)

 

 

文字数:1884

課題提出者一覧