『CURE』
もう二度と、元の世界には戻れない。
架空の場所Cでは、様々な出来事が同時に発生しており、時間軸も別々だ。
そこでは、祈り、魔法、空想、思考、実験、犯罪、休息……あらゆることが渦巻いている。が、その境界は曖昧だ。Cはどこでも見かけるごく普通の町のようでもあり、夢の中でしか行けない異界のような場所でもある。
この企画について考え始めた時、不意にG・ガルシア=マルケスの小説『コレラの時代の愛』のタイトルが降りて来たのは、単にコレラ=コロナの語呂合わせ的な着眼に過ぎなかった。文字から濃密な匂いや湿度まで伝わって来るような『コレラの時代の愛』は、初恋の女を51年と9カ月と4日待ち続けた男が主人公の話で、時代設定(19世紀末〜20世紀初頭)も場所(コロンビア)もかけ離れていて、コロナに覆われた2020年の日本に生きる私たちとはまるで接点が見つからない。
しかしながら、妄執とも言える思い込みや想像力こそが愛を可能にし、愛と捉えていたことが実はそれらなのかもしれないという意味では、時代や場所など関係ないのだろう(かつて寺山修司が「この世には“思う”ということだけがあるんだよ」と言ったことを思い出す)。
とはいえ、Cは小説世界が反映された場所ではなく、独自の生き物のようなものだ。
生きるという旅の過程は、死に向かっていると言っても過言ではない。生が死によって完結するように、死も生があるから存在している。そして、いつ訪れるのか不確かな存在感で人を魅了する。死は死なない。不滅だ。生は死の種子かもしれないと思うことがある。死の花が咲いたら、それはどんな姿形をして、どんな芳香を放つのだろう。
ただ、Cでの私たちはもうかつてのように他者の間近で体臭を感じることは難しい。匂いは記憶と繋がる要素でもあるのに。そして、私たちは肌に直接触れる代わりに肌を視る行為に自らの記憶を重ね合わせるようにもなる。対象の不在を想像力で補い、疑惑と不安に慄く。それらは何も新しいことではないのだけれど。
そんなCの中に、一歩、足を踏み入れると……
微かに、花のような甘い香りが漂っている(ような気がする)。さらに内部へと進むうちに、様々な営みや不穏な気配に気づく。奇妙な標本類、いつしか異化した不可思議な物体……
もはや解読不能のそれらを眺めながら、防護服もなく入ってしまったことを知る。
私たちに訪れる治癒の時はこれからだ。
★展示概要(7/12のワークショップでのメンバーを一部反映したVer.)
展覧会名:『CURE』
参加作家:赤西千夏、宇佐美妃湖、加瀬雄一朗、Kim Rimin、甲T、junjun、出川慶亮、新田紘平、HIRA、BOCHA、三好風太、ユササビ
会場:カオス*ラウンジ 五反田アトリエ
会期:2020年11月7日~15日
★展示の構成
謎めいた架空の町を想定。①Kim Riminの森や②新田紘平の庭に誘いながら、③赤西千夏の絵画、さらに、④甲T作品や⑤junjun作品の発見へと導き(複数カ所に設置してもいい)、デスクのある壁面にスクリーンを設えて⑥宇佐美妃湖の映像を映し出し、観客自身が監禁されているような感覚を演出。そして、水回り周辺に⑦BOCHAの作品を設置し、本棚前は⑧ユササビ作品を吊り下げ、傍らに⑨出川慶亮の天使を置く。奥の壁画前に⑩HIRAの映像や立体を展示し、手前に⑪加瀬雄一朗の装置をセッティング。バックヤードでは⑫三好風太の作品を展開する。
※できれば、かつてマルセル・デュシャンが展示会場にコーヒー豆を香らせたように、匂うか匂わないか気づかない程度の仄かな香りを漂わせたい 。
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