『Insieme a te non ci sto piu’(I will no longer be with you)』
ひととひとが出会い、愛するということ。それは異質な他者同士が出会い、ひとりでは味わうことができない喜び、快感に気づき驚かされること。若きから老いに至るまで誰もが一度は試みようとする、愛。それは確かにこの上ないあまやかさを持つ一方で、渦中にいる間、そしてそれが過ぎ去った後では「こんなつもりではなかった」と思わずこぼしてしまいそうな苦悩がそこに残る。
まず他者をわかりたいと思うこと、自身のすべてを知ってもらいたいという思いは自他の境界を危うくさせる。愛の相手の孤独を強く思えば思うほどに、気づけば自身の孤独が取り返しのつかないほどに膨らんでいたりする。自己を保つのも難しいほどに。
それと愛の中で流れる時間は、あきらかにこれまでとは異なった様態を見せ始める。互いのすり合わせの試行錯誤の中うまれる「これまでで一番幸せだ」という思いはそれにかける集中力によるものかそれまで感じたことのない彩度、濃度で抱かれると同時に、どこかそれがもう戻ることのできない刹那のものであるという自覚に気が狂わんばかりに追い詰められる。
「愛は技術だ」そう謳うフロムの言葉に従ってみようとする。フロムの『愛するということ』、福永武彦の『愛の試み』、スタンダールの『恋愛論』……数多ある愛の心得を説く理論書を用いた座学は圧倒的にのしかかってくる実践をまえにして武装とはなりえない。
性愛や生きる苦しみをテーマとする松下まり子。直視することさえつらく思われるほどに生々しく描かれるその愛欲と苦しみの合間にいる一人の男。頭を抱えるのは快感からくる悶えによるものか、言いようもない苦悩にたまらずのものなのか、そのどちらにもよるものか、容易に想像することはできない。
自身の描くという行為について、傷だらけの生きた記憶を塗りこめることで共鳴を試みる大倉なな。言葉では表現しつくせない思いを筆に乗せ、自身のまだ見ぬ愛とは何かという問いに格闘している。
愛や不安といったモチーフをテーマとするムンクの「森へ」。森へ向かう一組の男女。肩を寄せ合い支えあい、二人は親密そうに見えるのにどうしてかそれから先というものが想像できない。
「不明瞭で抽象的な愛の存在がなんなのかを知っておきたい」と自身の恋人との生活を余すことなく写真に写す相澤義和。自身の写真集のタイトルでもある、愛の輪郭とは何か。ある二人の記録でしかないはずなのに、彼の写真はそれを目の前にしたもの自身のその輪郭をなぜたような感覚を呼び起こす。
愛にまつわる、頭ではわかっていたってどうしたってきれいではいられない、泥臭い、そのもがき苦しみに目を背けないこと。本展『Insieme a te non ci sto piu’(I will no longer be with you)』は四名の作家の作品を通し、愛とは何か、その苦悩に思考をたえまなく巡らすある試みなのである。
〈展示概要〉
松下まり子・大倉なな・エドヴァルド・ムンク・相澤義和
カオスアトリエ
2020.7.15-7.22
文字数:1230