「浮遊する ワンダーランド」
CL課程 1201004金盛郁子
「浮遊する ワンダーランド」
−「幸せとは暖かい仲間」
村上春樹の小説「1973年のピンボール」※にでてくる一節だ。けれど、この言葉が頭に浮かぶときは、いつも決まって仕事に追われていて、それに追い打ちをかけるように、寂しさ、将来への焦り、低収入からくる不安、自信のなさとかが重くのしかかっている。
心を満たす充足感を、お金や外部から得られるような刺激ではなく、自ら生み出すことができたら、どんなにか強く生きていけることだろう。
この展示は、4名の作家たちがそれぞれの方法で世界を見つめることによって生み出された作品を通じ、鑑賞者が自己と向き合い、心の充足感を自己生産する方法を思索するものである。
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昨年、よく通っていた蕎麦屋のおばあちゃんが「なんかいいことねえかなー」と、独り言のようにボソリと言った言葉が忘れられなかった。
わたしは、ある程度人生が落ち着いたら、現在抱えている悩みは解決され、焦燥感も消え、心は満たされた状態になっていくのだろうと勝手に期待をしていた。日々に追われる中、わたしも同じく「なんかいいことないかなあ」と思うことが癖になっていたが、それもいつかは時間が解決してくれるものと信じ込んでいた。大きな家で3世代家族と暮らし、自営店は有名で繁盛している。なにもかも満たされているように見える彼女であっても、満たされない気持ちを抱えていたのだ。その日をきっかけに、人生どんなに生活が安定しても、ある一定の年齢を越えても、結局「なにか」いいことを求めてしまうのだと知った。
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「いつか」の未来 と「なにか」いいこと
心の充足をもたらしてくれるワンダーランドは、待っていてもこちらを迎え入れてくれることはない。なんとなく、いつか手が届きそうで、自分の頭上を漂っている気がしているけれど、実際は自己とそこには遥かな乖離があり、日常生活とは地続きではない。なぜなら、ワンダーランドに期待している「なにか」は、あくまで「なにか」であって、自分が価値を見出し、本当に求めているものは何かと考えた瞬間、ワンダーランドは所在をくらましてしまうからだ。
そんな「浮遊するワンダーランド」に自力で到達しうるためには、自己の価値基準の調整が必要なのではないかと考える。自分が何に対してときめきや、幸せを感じるのか?自分が本当に価値を感じるもの、求めているものは何なのか?ということを明らかにすることが、所在不定のワンダーランドを我がものとする一つの方法なのではないだろうか。
出展作家たちは、様々な価値基準をもって身の回りの世界を見つめなおす。作家独自の価値基準の上に成り立つ作品たちは、様々な角度から、自己を満たす方法を見せてくれる。
また、展示会場には鑑賞者が自己を見つめ、アウトプットできる場を設ける。自分が満たされると感じる瞬間。満たされるために必要だと思うもの(ものでもいいし、感情でもいい)を風船に書き、会場内に浮かべていく。会場に満たされた風船=自分の心を満たしてくれるもの は、ワンダーランドと仮定される。風船は時間とともに下に沈んでいき、自分の足元と地続きになっていくことで、鑑賞者みんながワンダーランドを手に入れられる という願いを込める。
本展示が、鑑賞者が自己の価値基準と向き合い、自分が価値を感じるもの、自己を満たすものは何だろうと、ぼんやりと思いを馳せる場になれば幸いである。
※冒頭引用 村上春樹「1973年のピンボール」講談社 1980年
出展作家は以下のとおりである。
日常で起こる予想外の出来事がいざなう非日常な世界から、自己世界の拡張を試みる、宮野かおり。
自分の信じるものを見極め、社会的な認識、常識を排他し、自分だけの宗教を作ろうとするながとさき。
巡礼の旅を経て心の垢を落とし、持ちうるものを手放すことによって、自分が本当に必要とするものを追求し続ける飯村崇史。
日常生活においては価値がなく、不要だと思われているものを大切にする事によって、社会的な価値基準を壊し、新たな価値を見出す 甲T。
会場:GALLERY KINGYO 1F 東京都文京区千駄木2-49-10
展示期間:2020年8月25日(火)〜8月31日(月)
文字数:1748