作品プラン
《第1部 つくることの欲望と快楽》ステートメント
今年の3月、原爆の図丸木美術館を訪れた。
目当ては美術館でやっていた別の企画展だったが、初めて観る原爆の図がとても印象的だった。
全15連作で構成された原爆の図は、広島への原爆投下という、想像を絶する悲惨な出来事に直面した丸木位里・俊夫妻が描き上げた共作の絵画。
私はこの作品を、平和を希求し、悲しい出来事を二度と繰り返さないよう、人々に伝える役割を担った作品である、という風に認識していた。
しかし、実際に観たこの作品はとても不思議な絵だった。
特に前半の作品、ここで描写されている裸体は、明らかに裸婦デッサンそのものなんである。
学生時代からデッサンに励み、そのデッサン力には定評があったという俊が人物描写を担当していたというから、当たり前といえば当たり前なのだが。
しかし、人体デッサン、クロッキーというのは、(デッサンを習得している人間ならわかると思うのだが)筆を滑らす際に、身体的な快楽、気持ちよさが付きまとうものなのである。
この絵は、その気持ちよさがまったく隠れていなかった。
もう一度言うが、私は原爆の図を、平和への願いを込め、悲しい出来事を二度と繰り返さないようにと、人々に伝える役割を担った絵画だと思っていた。
もちろん、それもあるだろう。
しかしそこには、原爆の図には、そのナイーブな側面と同時に画家の、身体的な、快楽が混在していた。
絵画の魅力というのは一体なんだろうか。
私は、絵画を描くのも苦手だし(というかほとんど描いたことがない)、消費するのも苦手だ。
だけど、原爆の図(特に第1部の「幽霊」)はとっても好き。
戦争体験の悲しさと、それを絵画にする際の欲望や快楽という、両極の要素が同時に絵画の中にある。
そんな作品をみたとき、私も同様に、気持ちよくなってしまうんである。
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